129話 神珠と焔鱗装
炎霊晶の使い方をリュゼルに聞いた時の話だ。
「神珠の使い方はな……」
リュゼルは炎霊晶をその鋭い瞳孔で見つめ、尻尾を振る。
いくら待ってもその続きを話すことはなく、俺とリュゼルの間になんとも言い難い微妙な空気が流れた。
「もったいぶらなくていいから早く教えてくれよ」
その空気に耐えられず、俺はリュゼルを急かした。
「言葉にするのが難しいのだ! 感覚の話故、なんと伝えれば良いか……」
「難しいって、そもそもこいつが何なのか知らないんだけど」
「そうであった! それを伝えれば早い! どらららららららら!」
「はぁ」
閃いたと高笑いするリュゼルに、俺はため息を吐くことしかできない。
「神珠とは、その名の通り焔神様より賜りし眷属の証よ。そもそも眷属は龍人の中でも特に才覚ある者、あるいは直接加護を受けた者のみが、焔神様に謁見を許され、そこで初めて任命されるのだ。
眷属は焔神様の神火を宿す巫女を守護し、神託を賜れば命を賭して役目を果たす。欠けることもしばしあるが、その数は十名ほどで巡り、全龍人の中より選ばれる。 某は武の才覚を認められ、始めの頃は巫女を守護する近衛龍騎士の任を賜った」
「へぇー。巫女って女性だけなのか?」
当時の役職を自慢げに話すリュゼルを無視し、俺は別で気になったことを尋ねる。
「焔神様の神火は原初の火よ。龍人という器では到底抑えきれぬほどに膨大なものなのだ。某の火とは比べ物にならん。初代の巫女は、死にかけた妊婦であった。焔神様の神火をその身に宿したことで、彼女は子を産むまで命をつなぎ、その子もまた命を授かったという。身ごもる中で徐々に“器”が整っていく故、巫女は女性に限られる。そして、巫女の第一子は必ず女児となるというのも……」
「もういいよ。そんな生々しい話を聞きたかったわけじゃないから。……話を戻してくれ」
「ここからが感動する話だというのに。龍人族について話すことも最後とはいえ、童には早い話だったな!」
リュゼルはからかうように笑うが、こっちとしては勘弁してもらいたい。
今はこいつとの価値観の違いに悩んでいる場合ではないのだ。
俺が嫌そうな顔をしていると、リュゼルは咳払いをして再び話し始める。
「神珠の話であったな。神珠とは、炎をもって焔神様の現身の一部を顕すもの。そこに顕れる龍鱗は、眷属にのみ纏うことを許された、神の衣なのだ」
「この石が神様の一部をね……」
この炎霊晶には、神様の一部を顕現する力があるらしい。
試しに魔素を注いでみるが、特に何も起こらない。
俺は炎霊晶をじっくり眺めた後、リュゼルに視線を戻す。
「俺の知ってる他の眷属は、不思議な鏡とかを出してたけど?」
「ぬっ……鋭いな。少々ややこしい話になるが、実のところ神珠は、焔神様をそのまま顕現させているのではない。これは、眷属のみに知らされた真実だが、“過去の再現”を行っておるのだ」
「過去の再現?」
「つまり、かつての力や姿、道具が神珠の中に過去として納まっておる。それは写しとも言えるし、真実の姿とも言える。地人や魔人の神珠もまた、保存されている“過去”こそ異なるが、理屈は同じであろう」
なるほど。過去を保存した石が、この炎霊晶の正体ということか。
実際に本物を保存してあるわけではなく、過去という概念を保存したものという認識が正しそうだ。
「なんで初めに紛らわしく言ったんだよ」
「焔神様を顕現させているといった方が神威を感じるであろう?」
「はぁ、もういいや。これがなんなのか分かったし。後は、それをどうやって引き出すんだ?」
「引き出すのではない。童の中にある火で神珠に灯をともすのだ」
「それが分からないんだけど……」
俺は自分の中にあるこの火の使い方が分からない。
氷魔法として使う分にはできるが、火を灯すとなるとまた別の感覚だ。
「童の火は、まだ小さき火種であるからな。よし、童に某の火を移そう」
「そんなこともできるのか?」
「無論だ。ただし、移した火が完全にその者の持つ火になるわけではない。長く持って数日ほど。それまでに火の灯し方を学ぶのだ」
「分かった。頼む」
リュゼルがどれだけ自分の火に誇りを持っているかは伝わっている。
それを笑顔で迷いなく、人族の俺に火を移すというのだから、その心意気に応えないわけにはいかない。
「では始めるぞ」
リュゼルは俺の胸に指を押し付けた。
*****
「焔鱗装!」
俺は今、リュゼルの火を受け継いでいる。
それは重く、暖かく、輝かしい火だ。
俺には扱いきれない火であるが、その火を炎霊晶に灯すくらいはできる。
火に応えるかのように炎霊晶は赤くまばゆい光を放ち、燃え盛る龍鱗の手甲が俺のグローブを覆った。
「クラウ殿! 腕が燃えて……熱くないんですか?」
「むしろ心地良いくらいだ。全身に力が溢れてくる」
リオネルは目を見開いて、俺の腕の手甲を見ている。
「あんたも使えるんじゃない」
「それがクラウの神霊具か」
「俺も実戦で使うのは初めてだから、どれだけ持つか分からないけどな」
リュゼルの幻術の中で一度試したものの、実戦で使うのは初めてだ。
霊力だけでなく魔素も燃料になるようだが、かなり消耗が激しい。
ただ、どうやって使うのかはこの火が教えてくれる。
「リオネルは盾を出してくれ」
「はい?」
「イーシャ、この鱗をリオネルの盾に写すことは出来るか? ほら、さっきやってたみたいに」
「あんた何言ってんの? 神霊具を人に転写するなんてやったことないわよ。それに使うのはあたしの霊力だし」
「いいから早くやってくれ」
俺はリオネルに大きな盾を魔法でつくらせ、イーシャにそこへ手甲の火の龍鱗を転写するように言う。
「ああもう、やればいいんでしょ! 鏡よ……神火の鱗を写しとれ!」
文句を言いながらもイーシャは呪文を唱え、現れた黒いもやもやした鏡が俺の腕を飲み込む。
数秒ほど待つと鏡はゆっくり移動し、今度はリオネルの腕ごと盾を覆った。
「……転写」
「うわああああ! 熱……くない? それに魔素がどんどんなくなっていく」
鏡が消えた途端、俺の手甲と同じように燃え盛る龍鱗がリオネルの盾にも現れた。
リオネルは反射的に盾を持つ手を放そうとするが、すぐにそんなことはないと気づいたようだ。
この焔鱗装の火は原初の火。
時には燃やすこともあるが、暖め、癒すこともある。
扱う者が燃えることなどあり得ない。
それにしてもイーシャは夜まで写せるのだから、神霊具くらい複製できると思ったが、目論見は当たったようで良かった。
「ぜえ……ぜえ……。こ、こんなに消耗すると、思わなかったわ」
「面白いな。お前そんなことまで出来たのか」
「初めてだって、言ってん、でしょ!」
「俺の神霊具もリオネルに写してやってくれ」
ロイクはその場に座りこんだまま、倒れそうなほど疲弊しているイーシャに自分の神霊具もリオネルへ写すように言った。
「馬鹿。今ので、霊力も、ほとんど残ってないわよ」
「冗談だ。俺は直接やるから。リオネル、お前の体力なら一分くらいは持つはずだ。俺は反動で動けそうにない。俺の残りの霊力を持っていけ!」
ロイクはリオネルを近くに呼び、その足に触れた。
「こいつは地王の気が詰まってる。鉱人の膂力でやっと耐えられるほどの力に耐えられるか?」
「ロイクの代わりは自分がやります!」
「よく言った。解放」
すると、ロイクの数珠は光り輝き、リオネルから不思議なオーラが溢れ出す。
「くっ、押し潰される」
「俺の霊力が消えるのが先か、お前が潰れるのが先か。そうなる前に早くケリをつけろ」
「はい!」
リオネルは盾を構えると、リュゼルの元へ砲弾のごとく跳んで行く。
「クラウはちょっと待ってくれ!」
「俺もか?」
リオネルを追って飛び出そうとした俺をロイクが呼び止める。
「イーシャ、最後のすべてを使って、魂をクラウに共有してくれ」
「あんた、まじで言ってんの?」
「魂を共有?」
「ああ。俺の神霊具には、“天地無双”と呼ばれた初代地王の魂が宿ってるんだ。お前は近接戦闘苦手だろ? その体じゃ完全な再現は不可能だが、多少マシにはなるはずだ。気の方はリオネルにやったから死ぬことはないと思うが、今のお前じゃ死にそうだからな」
「ならやってくれ」
そう話すロイクは真剣そのもので、ロイクの見解だと神霊具を使った俺でもリュゼルと戦えば殺されるようだ。
実際その通りで、俺は直接戦うのは得意ではないし、リュゼルを倒すためには近づかなければいけない。
生きる可能性を上げるためなら、なんだってやってやる。
「それをやるのはあたしなんだけど。フゥーーーーーー。……武魂共鳴」
イーシャが俺とロイクの数珠に触れ、つながりを持った瞬間、世界の速度は遅くなり、俺はまるで別の人の体に乗り移ったような感覚に陥った。
力がみなぎり、緊張は解け、究極の集中状態が続き、一秒が永遠にも感じる。
「クラウ、調子はどうだ?」
「……」
「その様子なら、飲み込まれた感じではないな」
「ぜえ……ぜえ……。本当に、大丈夫、なの?」
「始めの頃はこんなもんだ」
ロイクとイーシャが何か話している。
でも俺の意識はすでにそこにはない。
視線の先にあるのは、部屋全体に殺気を垂れ流す龍人。
準備は整った。
――後は、あいつに引導を渡すだけだ。