117話 異変と認識
「見つかるかと思って、冷や冷やしたよ! 引き出しの鍵もなかなか開かなくて、中を覗いたらクラウが倒れてて……ほんと心配したんだから!」
「ゼラが見つからなくて良かった。鍵は開けられたのか?」
「うん……その、ピッキングは初等部の頃にやらされてたから」
「無理をさせたな。付き合わせて悪かった」
「……僕が引き受けたことだから」
俺とゼラは、待ち合わせしていた空の教室で、昨日の出来事を振り返る。
実際に学園長室へ侵入したのは俺一人だったが、ゼラもその場にいた。
いや、正確にはあの時、ゼラは塔の外壁をよじ登って、窓の外に潜んでいたのだ。
もし学園長室に本があり、俺がそれを盗むのに失敗したときは、リオネルからローブで透明化したゼラが代わりに窓から盗み出す。そういう段取りだった。
ゼラの魔法が進化して以降、壁をよじ登れるようになっていた。俺の目には見えないが、魔法で生えた四本の腕がゼラの体から生え、その腕で壁の隙間をしっかりと掴んで登ることができるという。
この能力は本を盗むうえで立派な切り札になると考え、俺はゼラに“依頼”した。
結果、学園長がエレベーターで昇ってきて、俺はすぐに捕まってしまったので、盗みの計画はゼラ任せになってしまった。
ゼラは夜の闇に紛れ込み、俺が窓を開けながら置いていた『氷虫』の案内に従って、一番怪しかった机の引き出しの鍵を開けてくれた。
「引き出しには何があったんだ?」
「うん。でも、クラウの言っていた本はなくて、手帳があったよ。というか、手帳しかなかった」
「手帳……?」
ゼラが差し出したのは、黒革の表紙に覆われた古びた手帳だった。
もともと学園長室に本がある可能性は低いものの、ゴルディオ・メザールと血縁関係で迷宮に詳しそうな学園長なら、何かしら迷宮に関する情報を持っていると確信していた。
期待しながら、その手帳の表紙の片隅を見ると、見慣れた文字でF・Nと記されている。
それを見た瞬間、ゼラに対する申し訳ない感情も消え去り、喜びが感情を支配した。
俺はゼラから奪うように手帳を受け取り、それを開く。
中は黄ばんだ紙に、隙間なくびっしりと書き込まれた文字でメモが書かれている。
そのまま手帳を読み進めていくうちに、俺は確信する。
「なるほど。これこそが俺の欲しかったものだ」
メモの内容はアルサラント地下迷宮に関する情報だ。
ネヴァンの本ではなかったことには驚いたが、この手帳に俺の欲しい情報がある。
「昨日は中で何があったの? 学園長と話していたみたいだけど」
「……後で話す」
ゼラの声は俺の耳に届いていたが、手帳に集中していて頭には入ってこなかった。
俺はこれを手に入れるために、一度迷宮の調査から離れて、学園長の警戒を緩ませた。
もう学園のことも目的もどうだっていい。俺は迷宮のことを知りたいのだ。
くだらない話をしている時間はない。
「……ねえ、それって本当に学園長から盗んでまで欲しかったものなの?」
「……」
(なるほど、アルサラント地下迷宮の核にたどり着くには鍵が必要なのか。おそらくここに書かれている鍵ってのは“あれ”だな。今まで見つからなかったわけだ。部屋の場所は……)
「やっぱり何かおかしいよ! クラウ、その手帳から離れて!!」
ゼラは叫びながら、俺が見ていた手帳を魔法で奪い取った。
「返せよっ!」
俺は思わず怒りに任せて、気づけばゼラに氷弾を放っていた。
「うわああっ!」
「領域防壁!!」
しかし、それは光の障壁に守られてしまう。
「クラウ殿!? 何してるんですか?」
俺の魔法からゼラを守ったのは、リオネルだった。
「リオネルか、邪魔をするな!」
腰を抜かして倒れているゼラに近づこうにも、壁が邪魔で近づけない。
「茨縛り、吸精」
「クソッ、……レオノーラも来てたのか」
「何があったのか分かりませんが、落ち着いてくださいませ」
茨が俺の体に巻き付いて動きを封じ、どんどん力が抜けていく。
俺はゆっくりと地面にうつ伏せ状態で倒れることになった。
昨日、学園長室でも同じ光景を見た。
拘束を解こうにも力が出ず、深呼吸をすると、先ほどよりも少しだけ思考に余裕が生まれた。
「……なんで二人が?」
リオネルとレオノーラは、顔を見合わせて、俺が反抗する気はないことを確認したらしい。
少し間を開けて、リオネルが話し始めた。
「昨日、自分のローブを貸してしまったことが気がかりで後をつけさせてもらいました。二人の会話を盗み聞きしてしまったことも含めて、すみませんでした」
リオネルは頭を下げるが、俺の頭は混乱していてそれどころではない。
俺は視線を床に向け、誰の顔も入らないようにする。
こうしているうちに冷静になっていくのを感じた。
「そうか。レオノーラ、しばらく俺を拘束しといてくれ」
「分かりましたわ」
目の前にいる三人に合わせる顔がないことをやってしまったのは分かっている。
それにも関わらず、俺はまだ手帳を諦められていない。
今は拘束があるから少し考える余裕はあるが、動けるようになれば誰かを傷つけるだろう。
「少し話しましょうか」
「ああ。俺が話せることは全部話すよ」
リオネルは俺に近づき、目の前で腰を下ろした。
正直、もう隠すことが正解なのか分からない。
俺もいつから迷宮に執着するようになっていたのか理解できていないのだから。
「まず、先程二人が話していたことの確認なんですが、昨日は何をしていたんですか?」
俺は床を見つめながら、ゼラを利用して、学園長からその手帳を盗んだことを話した。
「クラウは僕を利用していたっていうんだね」
「ああ」
ゼラは悲しそうにつぶやくが、正直に話すしかない。
俺は昨日、間違いなく“盗む”という目的のためにゼラのことを利用した。
お金を払って依頼しているから良いとかそう言う話ではない。
友達であることや、恩を感じていること、そういうゼラの良心を裏切ったのだ。
俺がやったことはデインよりもひどく、今の状態では詫びることも許されないだろう。
「それで彼に貸すためにローブを……」
「お兄様、だから言ったでしょう。クラウの頼みだからと言って、簡単に貸しては駄目ですわ」
話を聞く限り、俺がローブを借りた件をリオネルがレオノーラに相談したのだろう。
そして、俺かゼラの後をつけて、話を盗み聞きしていたということか。
とはいえ、二人は俺のやったことが想定外だったのか、困惑して沈黙が続く。
そんな空気の中、被害者のゼラが口を開く。
「……君は僕のこと、利用したって言うけどさ。最初からそのために近づいたわけではないんでしょ? 僕は……僕は君のことをどう思えばいいか分からないよ」
「信用できないと思うけど、利用するつもりでゼラに近づいたわけではないのは断言する」
俺自身も今、自分のことが分からなくて混乱している。
どこからどこまでが自分の意志だったのか、本当に境目が分からない。
だが、最初から利用するために近づいたわけではない。
「自信がなくて退学しようって考えてた頃から、少しずつ成長していくゼラを見て嬉しかったし、だからゼラみたいな生徒を救えるようにワークギルドも創ったんだ」
男子生徒を見返すためではなく、ゼラのような生徒を救うことこそ、ワークギルドの真の目的だ。
それなのに、いつの間にか、少しでも迷宮にたどり着く可能性があるなら、友達でもなんでも利用してやると考えて動いていた。
(俺は自分の意志で行動していたはずだ。でも、徐々に目的が迷宮に近づいて行って……)
俺は顔を上げ、ゼラの方を向く。
ゼラは困惑と疑うような表情で俺の方を見ていた。
その表情を見た瞬間、手帳に対する執着心は薄まり、隠れていた罪悪感が溢れ出し、言葉が自然と出てきた。
「ゼラの気持ちを裏切ってごめん。……それと魔法を放ったのもごめん」
ゼラに対して言えるのはこれだけだ。
そして、同時に自分の行動がおかしいことを認識した。
涙が出そうになるが、苦しいのはゼラの方だと堪える。
「分かった。僕もクラウの話を聞くよ」
ゼラは涙を流しながら、この場に残って話を聞くことに決めたようだ。
「リオネルもレオノーラも突き放すようにしてごめん。一人でなんとかできると思ってたけど、気づいたらおかしなことになってて。情けないけど、話を聞いてもらえないかな?」
「もちろんです」
「友達ですもの、当然ですわ。ラフィも呼んでいいですわよね?」
「ああ、頼んだ」
「では、呼んできます」
リオネルはラフィを呼ぶために部屋を出て行く。
俺のやったことを考えれば、学園長のように突き放すのが当然で、突き放さずに向き合ってくれるだけでもすごくありがたいことだ。
俺はレオノーラに拘束されたまま、静かに椅子に座り、全員が揃うのを待った。
遅れました。