105話 盗人ゼラ
「結構広くて良かったな」
「そうですね。ベッドもあって、個別にシャワールームもあるのは驚きました!」
「浴場は共用のやつがあるみたいだし、今から場所を確認しに行こうか」
寮にはベッドにクローゼット、トイレも付いていて、シャワールームまであった。
いまだに水を手作業でくみ上げているアブドラハでは、一般家庭にシャワールームなどなく、貴族の家にあるかどうかといったところだ。
これも魔道具の恩恵なのだろう。
割と近い位置に部屋が割り振られていた俺とリオネルは、自分の部屋に荷物を置いた後で、浴場を見に行くことにした。
「待ちなさい! 泥棒!!」
「違うって言ってるだろ!」
廊下を歩いているとそんな声が外から聞こえてきた。
窓から外を見てみると少年が少女に追われているようだ。
俺たち以外にもその様子を見ている者が数人見える。
「あれって」
「んー、行くしかないよな」
「領域防壁」
俺とリオネルは目を合わせて、すぐに窓から外へ飛び降りる。
リオネルの魔法でつくった防壁が足場となり、俺たちは安全に地上に着地した。
「氷甲虫。乗れるか?」
「冷たいですけど、我慢します」
そのまま氷甲虫をつくりだし、リオネルを乗せて、追いかけっこを続けている少年少女の元へと駆けつける。
「逃げるな! 嘘つき!」
「はあ、はあ、違うんだって」
「凍結!」
「うわっ!」
「きゃあ!?」
俺は背を向けて走っている二人に追いついたところで氷甲虫から降りると、地面ごと二人の足を凍らせる。
少年少女は驚いた声を上げ、何事かと振り向き、俺たちの方を見る。
「ぜえ、ぜえ……」
「あなたは誰? 一体どういうつもりよ」
「驚かせてごめん。今解除するから」
少年は体力がないのか力尽きて座り込み、少女は俺を見て睨む。
逃げる様子がないことを確認し、すぐに二人の足から氷の拘束を外す。
「俺たちは『泥棒』なんて声が聞えたから慌てて来たんだ。少しは落ち着いたか?」
「そうだったわ! ゼラ、またあんたが私のものを盗んだわね!」
「ち、違うって、ずっと言ってる、だろ」
「じゃあなんで逃げたのよ」
「そっちが追いかけるから」
落ち着かせようと思ったが、今度は二人で言い合いを始めてしまった。
「落ち着いてください。お二人は知り合い何ですか?」
リオネルが中に割って入り、それを仲裁する。
「ふんっ。私もこいつもここの生徒なんだから当然じゃない。あなたたちは……初めて見る顔ね」
「編入してきたばかりなんだ。俺たちもこの学園の生徒だよ」
「そういうことね。私は中等部一年のミレイ・ファウベル。ファウベル重工商会って言えば聞いたことがあるかしら?」
「知ってるよ! 軍需品なら何でも御座れのファウベル。武器に鎧に旅用の道具まで揃えてる大商会で合ってるか?」
ファウベル重工商会は、軍部という圧倒的な顧客基盤を持ちつつ、狩人や旅人の間でも“質が良い”と評判の品々を揃える商会だ。
この少女、ミレイ・ファウベルはその商会の娘らしい。
この学園に通っている平民の多くは中央に拠点を置く大商会の子供なので、中央の大商会の名前とその特徴だけは覚えておいたのだ。
「まあ、大商会なんて! あなた見る眼があるわね! 名前はなんていうの?」
「俺はクラウ・ローゼンでこっちは」
「リオネルです」
「ローゼン……って、もしかして最近軍の食糧事情を変えたって噂の……そう、ローゼン商会の御子息? 確か、フリーズドライ食品の」
「良く知ってるな! 流石は大商会の御令嬢さんだ」
「当然よ。それにしてもあなたは口が達者なのね」
「あ……あのー、僕は?」
俺とミレイが商会談義に花を咲かせていると、追いかけられていた方の少年が、居心地悪そうに声をかけてきた。
「そうだった、君の名前は?」
「えっと……」
「こいつはゼラ・ノルヴァ。初等部のころから悪さばかりしている盗人よ」
「本当なのか?」
「だから違うって!」
ゼラは必死に首を振ってミレイの言葉を否定する。
「嘘ばっかり! じゃあなんで貴方は女子の寮でウロウロしてたわけ? どうせ、他の女子からも盗もうとしてたんでしょ?」
「そ、それは……」
「盗まれたものは何だ?」
「下着よ」
「ちょっと調べさせてもらいますね?」
「うわっ!」
リオネルはゼラに近づき、持っていないか体を検査する。
「何も持っていませんね」
「嘘よ! 友達の部屋を見に行ってて、戻ったら部屋が荒らされていたの。分かりにくかったけど、お気に入りだったからなくなったのにもすぐに気づいたわ! 部屋のどこを探してもなかったんだから」
「だから言ってるじゃないか。僕は……あいつらに言われた通りにしただけで」
「あいつらって?」
俺は、ゼラがボソッとつぶやいた言葉を追求する。
「あっ」
「ゼラはなんで女子の寮に入ったんだ? もしかして、誰かに指示されたのか?」
「……それは言えない」
慌てて口を塞ぐゼラだったが、その行動で大体察せられる。
ゼラが下着を盗んだとして、それがなくなったことをミレイが気づくまでには、かなりの時間があったはずだ。
それなのに女子の寮でウロウロしているのは、あまりにリスクが大きすぎる。
他の女子の物を狙っているならあり得るが、彼は何も持っていない。
ゼラは盗んだ真犯人に指示されて、女子の寮に居たと考えれば、納得できる。
「はあ、もういいわ。ただし、次に同じようなことがあったら、覚えておきなさいよ。クラウ、またお話ししましょうね」
ミレイはため息をつき、そう言うと、女子の寮へ戻って行った。
残された俺とリオネルは、ゼラをどうしようかと目で話し合う。
「ゼラの反応を見れば、今日のことは誤解だって分かるけど、なんで『悪さばかりしてる盗人』なんて呼ばれてるんだ? いつもそんな悪いことをやってるのか?」
ミレイの紹介を聞く限り、初等部の頃にも何かやらかしていたということだろう。
「……違う。僕は悪くない。いつもあいつらが」
「そうやって周りのせいにしても何も変わらないぞ。どんな理由があるにせよ、自分で一歩踏み出さないと何も変わらない。お前の言う『あいつら』が悪事を擦り付けてるにしろ、その悪事に加担してるにせよ、それに従ってるのは自分自身だ」
「う、うるさい! お前に何が分かるんだよ!!」
「ああ、会ってすぐの俺がお前のことを分かるはずがないよ。けど、お前と昔の俺が重なって見えたんだ」
「え?」
ゼラはきょとんとした顔で俺の方を見つめる。
「ゼラ、もしお前が本気で自分から一歩踏み出したいと思って行動するなら、それを邪魔する障害を取り除くのに協力するよ」
「自分も協力します」
「助けが欲しかったら俺たちに言ってくれ」
呆然と立ち尽くすゼラをその場に置き、俺とリオネルは寮に戻る。
戻る時にどこからか視線を感じたが、気のせいだろう。
「彼は一歩を踏み出せるんでしょうか? こちらが最初から助けたほうが良かったのでは?」
「うーん、こっちから勝手に行動して助けることもできるけど、それって結局、責任を周りに押し付けてるゼラ自身は何も変わってないんだよ。ゼラにとって一歩を踏み出すってのは、環境を変えることじゃなくて、自分自身に責任を持つことだと思うんだ」
「なるほど。自分で一歩を踏み出した彼の手助けはしたいところですね」
「そうだな。もし、今回で変わらないようなら、また話を聞いてみるよ」
「良い方向に変わるっていうのは難しいですもんね」
ぜラ・ノルヴァか。
俺は一歩踏み出したことは正解だったと考えているが、踏み出さないという判断もまた彼の自由である。
そして、考えたうえでその答えに行きついたのなら、それはそれで一つの正解だと思う。
この学園にいる以上、彼は優秀な人材であることは間違いないし、今回の出来事がそれを考えるきっかけになればと切実に思う。
ちなみに、共用の浴場はかなり広く、18時から24時までいつでも入れる最高の設備だった。
これがあるだけでもこの学園に来た甲斐があると心の底から思った。
*****
「なにかしら?」
「ん?」
レオノーラとラフィが寮の中を見て回っていると、外を覗いている女子生徒が多数いることに気づいた。
「ほら、あの子たち……どこのクラスかしら?」
「氷魔法ってことは、あの子か……」
ラフィとレオノーラは、気づけば慌てて窓の外を見た。
二人の想像通り、そこにはクラウとリオネル、そして見知らぬ女子生徒と男子生徒が立っていた。
「もう、さっそく二人はトラブルを起こしてるんですの?」
「行くぞ」
「え?」
ラフィは即座に窓から飛び降り、レオノーラもそれに続いて飛び降りた。
「二人のところに行くんじゃありませんの?」
「これで隠れてるぞ。様子を見て、危なかったら止める」
「はあ」
クラウとリオネルの元に向かわず、二人は周囲の物陰に隠れた。
ラフィは騎士団のローブを素早く広げ、レオノーラと共に羽織ることで姿を消す。
「良い雰囲気で話してますわね。お兄様、こういう女性との会話経験が少ないから、無言を貫いてますわ」
「チッ」
クラウとミレイが仲良さげに話し始めるのを見たレオノーラは正直な感想を言い、ラフィは舌打ちする。
二人は姿を現すことはなく、その様子をじっと観察する。
「なるほど、状況がつかめましたわ」
「ダセェことすんな」
「きっと彼にも事情があるんですわ。それよりも、厄介事じゃなくてよかったじゃありませんの」
「まだ分からないだろ」
すぐに二人は状況を把握し、クラウとミレイに危険がないことを確認した。
だが念のため、最後までその場に居座ることに決めた。
『クラウ、またお話ししましょうね』
「うふふ、これは面白いことになりそうですわね」
「……」
ミレイが帰り際に言ったその言葉に、レオノーラはまさかの展開を予感し、邪悪な笑みを浮かべた。
一方でラフィは、ミレイの言葉に不快感を覚え、顔をしかめていた。
クラウとリオネルが男子寮に戻るのを見送った後、二人もようやく女子寮へと戻った。
「睨んでいても何も変わりませんわよ」
「……別に」
二人は何気なく会話をしながら寮内を歩いていたが、突如として女子生徒たちの黄色い声が耳に入ってきた。
「氷魔法ってことは、噂のフリード様の関係者よね?」
「最初は驚いたけど、かっこよかったわ! またお話する約束もしてきたわよ」
「いいなー。私もそのとき混ぜて」
どうやら、ミレイとその友達がクラウのことを話しているようだった。
「けッ」
「うふふ」
二人は何も言わず、その場を去った。