97話 魔霧草と森の主
岩鱗蛇の解体を終え、持ち帰れる分の皮を袋に入れる。
牙には毒がある可能性があるため、持ち帰るのをやめた。
皮は岩のように硬い鱗の隙間に切り込みを入れ、身と剥がすようにして回収した。
岩鱗蛇の巨体から得られる皮は、俺たちだけでは持ち切れない。
ラフィの魔法で焦げた部分を避け、きれいな皮を選んで回収した結果、何とか持ち運べる量になった。
(魔霧草を見に来ただけなのに、こんなに魔物と戦うことになるとは……)
すでに二度の戦闘をこなし、常に警戒を続けているため、みんなの疲労はかなりのものだろう。
さらに、解体にも時間を取られたので、いつ霧が発生してもおかしくない。
「みんな、ここまでにして帰ろうか?」
岩鱗蛇の焼死体を埋めながら、俺は一つ提案をしてみる。
「そうですね……。自分はまだ大丈夫ですけど、荷物も多くなってますし、今日は帰ってもいいかもしれません」
「嫌ですわ! 魔霧草の群生地が近いはずってクラウも言っていたではありませんの。荷物なら、私の魔法で運びますわ」
「自分が見た群生地の場所はそろそろのはずです」
「私もまだ戦える」
騎士見習いの三人は慣れているのか、まだまだ余裕があるようだ。
(余計な心配だったな。それに、せっかくここまで来たなら見てみたいよな)
魔霧草は群生地でなくても生えているという話だが、未だに一株も見つけられていない。
別日に探すより、この勢いのまま群生地へ向かったほうが確実だろう。
「……分かった。行こう」
俺は短くそう答え、荷物をレオノーラに任せた。
*****
「うっすらと霧が掛かり始めましたね」
「こっちに向かってくるってことは、このまま真っ直ぐ行けば着きそうだな」
移動を始めてすぐ、白い霧が前方から広がり、辺りを覆い始めた。
二度も魔物に襲われているせいか、なんとも言えない不安が胸をよぎる。
(ローブを持ってくればよかったか)
シルヴァさんとルインスからの贈り物である白いローブは、魔素を込めることで透明化でき、魔法にも耐性がある。
今日は気軽に魔霧草の採取をするつもりだったため、宿に置いてきてしまった。
魔物がこんなにいるなら、持ってくればよかったと後悔する。
そんなことを考えていると、前を歩いていたレオノーラとラフィがいきなり立ち止まった。
「これは……」
「ひどいな」
呆然とした様子の二人を見て、俺とリオネルは早足で追いつき、二人の視線の先を覗いてみる。
「これが魔霧草か」
「なんというか……想定外です」
そこには木々がなく、俺たちの膝くらいの高さで、薄紫色の花を咲かせた植物が群生していた。
俺たちがそれを見て驚いたのは、魔霧草を見つけたからではない。
きれいな花畑に見えるその場所には、何匹もの魔物の死体が転がっており、魔霧草はその死体に絡みついて根を伸ばし、体液を吸い取るようにしていた。
既に干からびかけた魔物の体表からは、新たな花が咲いている。
「魔物から栄養を吸っている……?」
リオネルが顔をしかめながらつぶやく。
「そういうことか。図鑑には、『魔霧草は魔物を栄養にする』って書いてあったけど、魔素を放出して、呼び寄せていたんだな」
「気味が悪いな」
俺が図鑑の情報と目の前の光景を照らし合わせながら納得していると、ラフィは素直に感想を述べる。
「美しいですわ!」
レオノーラはその光景を見て、純粋に綺麗だと感じたようだ。
「お前、それは本気で言ってるのか?」
「もちろんですわ。こんなに幻想的なお花、見たことありませんわ。お兄様ももっと近づいて見れば分かりますわよ」
「いや、いい! 手を引っ張るな!」
そんな妹の感性にリオネルは顔を引きつらせる。
「そんなに怖がらなくても、襲ってくることはないだろ……多分」
「……クラウ殿は怖くないんですか?」
「怖さよりも好奇心の方が大きいかな」
「好奇心?」
ラフィが不思議そうな顔をしながら尋ねる。
「ああ。白霧の森は、魔霧草があるからこそ、こんな巨大な森林になっているんだ。地面から水を吸い上げ、霧として放出することで、土地に潤いをもたらす。呼び寄せた魔物の死体は地面に還り、栄養豊富な土壌ができる。まるで、魔物を糧にすることで自然を循環させているみたいだ」
魔物を誘い込み、利用し、繁栄する、それが魔霧草の生存戦略だ。
「この仕組みを上手く活用できれば、きっとアブドラハの役に立つ。例えば、育成方法を工夫してみて、魔物以外でも育つようなら、乾燥地でも水をくみ上げる植物として活用できるかもしれない。実現できるかは分からないけど、挑戦する価値はあるはずだ」
危険な植物であることは間違いないが、その生態には応用の余地がある。
アブドラハの土地の枯渇問題には、さまざまな対策が講じられているが、この魔霧草こそが、その解決策として大きな可能性を秘めているのではないかと思ったわけだ。
「それが目的だったのか」
「そういうこと。霧も濃くなってきて時間もないし、種を探そう」
「それならこれですわ」
レオノーラがすぐに発見して何個か渡してきた。
魔霧草の種は、普通の種とは明らかに異なっていた。手に取ると、ずっしりとした重みがあり、小石のようにごつごつしている。
ミルゼアに来る機会はめったにないので、なるべく多く種を見つけようと俺も腰を下ろしたところで、ラフィが焦るような声を上げる。
「逃げろ!」
その声で顔を上げると、いつの間にか俺たちの目の前に、巨大な角を持った鹿がいた。
その鹿の体は植物で覆われており、中には魔霧草らしき植物も混ざっている。
普通の鹿が、俺たちの警戒をすり抜けて目の前に現れるなんてことはできないはずなので、魔物だろう。
一目見た瞬間、この鹿の魔物は自分よりも上位の存在であることが本能で分かってしまった。
「あっ……」
「動けませんわ」
慌てて逃げようとして、体が金縛りにあったかのように動かないことに気づいた。
隣で種を探していたレオノーラも、動けないみたいだ。
そんなことにも構わず、鹿の魔物はゆっくりと俺を見つめて近づいて来る。
「クラウ殿、逃げてください」
リオネルの声が聞こえるが、俺の視線は鹿に釘付けになっている。
「蒼炎……」
「待て! 殺意はないみたいだ!」
ラフィが魔法を使おうとするのを感じ、俺はそれを止める。
鹿の魔物からは明確な殺意を感じないし、俺程度ならとっくに殺せているだろう。
その瞳からは、わざわざ挨拶に来たといった、堂々とした王者の風格を感じる。
鹿の体を覆う植物が静かに揺れ、霧がその動きに合わせるように一瞬だけ濃くなる。
こんなやり取りをしている間に、鹿の魔物は手で触れられるほどの距離まで迫っていた。
しばらく見つめ合っていると、鹿の魔物は足元に何かを落とす。
「えっ、くれるのか?」
視線を移し、いつの間にか動かせるようになった手で拾ったそれは、レオノーラから受け取ったのと同じ、魔霧草の種だった。
鹿の魔物は瞬きをすると、今度はレオノーラに向かって近づく。
「きゃっ! なんですの?」
鹿の魔物に顔を舐められたレオノーラは、小さな悲鳴を上げる。
そして、鹿の魔物は俺たち四人を見回した後、霧の中へ颯爽と走り去っていった。
「レオノーラ! なにもされてないか?」
「クラウ、大丈夫か?」
リオネルとラフィが、予想外の出来事にあっけにとられている俺たちに近づき、無事を確かめる。
「大丈夫ですわ」
「俺も……あの鹿は何だったんだ?」
「体が固まって、何もできなかった」
「申し訳ありません。自分も体が動かせず、助けに入れませんでした」
リオネルは動けなかったことを謝罪する。
「すぐに街に戻るぞ。またあんな奴が出てきたら敵わない」
ラフィが指示を出し、俺たちはすぐに街へ帰還する準備を整える。
俺は、あの鹿の魔物からもらった種も他の種と同じように大事に袋へしまった。
「おい、行くぞ!」
何が何だか分からないまま、ラフィに先導してもらい、俺たちは白霧の森から急いで撤退した。
*****
「街が見えたぞ!」
「はあ、はあ、やっと帰ってこれましたわ」
「何とか帰ってこれましたね」
行きとは違い、帰りは霧の中で転ばないように注意する必要はあったが、幸い魔物に遭遇することもなく順調だった。
あの鹿の魔物と出会った記憶を振り払うかのように、一心不乱に歩いてきたため、レオノーラは息を切らしている。
「おお、帰ってきたか! 今日はずいぶん長かったな」
街の出入り口では、始めに出会った兵士が俺たちを出迎えてくれた。
「今日は魔霧草の群生地まで行ってきました」
「はっはっは! 冗談言うなよ。あそこはこの街の狩人が一人前として認められるための試験で行く場所だぜ? 子供のお前たちが行って何をするってんだよ」
リオネルが今日の目的地を話すと、兵士は笑って冗談だと受け流す。
「そうなんですね! あそこには魔霧草の種を取りに行ったんです。魔物が多くて大変でした」
「おいおい、まさか本当に行ったのか?」
「はい。岩鱗蛇なんて魔物もいました」
「ロ、ロ、ロ、岩鱗蛇だと!? 見せてみろ」
「持ってこれたのは皮だけですけど、これです」
リオネルが袋から岩鱗蛇の皮を取り出して、兵士に見せる。
「この岩のような鱗……間違いねえ! お前ら本当にあそこに行ったんだな。それでも、岩鱗蛇なんて滅多に現れねえはずだぞ。……そうか、お前らはゼノン様が認めた客人だもんな。冗談だと笑って悪かった」
「いえいえ、そんな」
謝る兵士に対し、リオネルは逆に戸惑ってしまう。
「あの、その群生地で鹿の魔物を見たんですけど、何か知ってますか?」
「鹿の魔物だと!?」
俺があの魔物について尋ねると、兵士は目を見開いて驚いた。
何か知っているようだ。
「それはどんな姿だった?」
「体が植物に覆われていて、巨大な角が生えてました」
「そうか……やっぱりいたんだな……。いや、すまねえ。そいつはおそらく、この森を創ったと言われている、この森の主だ。初代領主様は、その主に許可をもらって、この森を切り拓いて街をつくったんだ。それで、その主の首を狙おうとする狩人たちが現れてから、めっきり人前に姿を現さなくなった。そんな伝説を信じる奴らも、今じゃこの街にはいねえだろうが、もし本当に生きていると知れたら、どんな厄介ごとが起こるか分からねえ。出来れば、この話は黙っていてくれないか? ゼノン様には話しても構わねえが」
「分かりました」
「私たちの中で留めておきますわ」
「ええ。あれは人が手を出してはいけない存在だと思います」
下手にあの鹿の魔物に手を出すのは危険だ。
触れないほうが良いこともある。
「そうしてくれ。でも、お前たちの前に現れたのは、凶悪な事件を解決してくれたお礼だったりするかもな」
鹿の魔物は人間の事件に興味などなさそうだ。
お礼という意味で心当たりがあるとするなら、森に掛けられた認識阻害の魔法を解除したことだろうか。
「気づいてたんですね」
「当り前だ! 俺だってこの街を愛する市民の一人だぜ。謝罪のついでに、魔物の素材を高値で買い取ってくれる店を紹介してやるよ」
「それは助かります!」
想定外の出来事がありつつも、白霧の森の探索はいい思い出になった。