10話 マルハバ商会のバルドさん
昨日はエリーラ母さんだけでなく、ジョゼフ父さんからも叱られた。
俺が帰ってくるのが遅いので、アミルの家まで行って、俺のことを知らないか聞きに行ったらしい。
言い訳になるが、大人だったという記憶がそこら辺を鈍くしているのかもしれないな。
心配かけないように反省だ。あれ、なんか毎回反省してない?
そして、今日働きに来てくれた従業員はシータとメリアだった。
「おはようございます。よろしくお願いします」
「クラウ君、おはよー」
「おはよう、二人とも今日はよろしくね」
アミルもちょうどやってきたので、二人のことを紹介しつつ、アミルに新しく従業員を雇った経緯を伝えた。
アミルは良い奴なので、すぐに仲良くなれると思う。
昼前までは実際に接客をやりながら、業務の説明をした。忙しいとは言ってもやることは単純作業なので、二人ともすぐに慣れた様子だった。
フッ、もう俺が教えることは何もないぜ……。
ありがたいことに、二人が来てくれたことによって、俺にやれることが広がった。
相変わらず水を凍らせるのは俺にしかできないが、ある程度ストックを作っておくことによって、屋台から離れることができるのだ。
最初のころから、かき氷を導線にして商会に氷を売っていることを宣伝しており、実際に氷を卸してほしいと商人の人から依頼があった。
しかし、その量も数樽分の氷なので、持ち運びが難しく、俺も屋台から移動できないという事情があってできていなかった。
氷で市場を独占することが必ずしも良いことではない。
俺たちだって休みの日には氷を提供できないし、ぽっと出の商人が市場を荒らしたら、他の商人に恨みを買う恐れもある。
出る杭は突き抜ければ打たれないが、かき氷一つで突き抜けられるほど商売は甘くない。
それこそ、「冷魔庫」なんていう脅威が現れたら、ここぞとばかりに俺の商売はやり手の商人たちによって潰されるだろう。
関係構築っていう意味でも、稼ぎの手段って意味でも、俺は商人たちへ氷を卸していくつもりだ。
今日もかき氷を食べに常連の商人が来たため、氷を卸す件を話すと、是非お願いしますとのことだった。
俺はシータとメリアに店番を任せ、商人に連れられて商会へ向かった。
案内してくれた商人は、ハーリドさんという白いターバンが似合う物腰のやわらかい壮年の男だ。
案内の道中は、かき氷をどうやって思いついたのかとか、マルバハ商会がどういう商会なのか話してくれた。
アブドラハの色んな商会についても教えてくれて、すごく話しやすい印象だった。
「ご足労頂きありがとうございます。ここがマルハバ商会の建物でございます」
マルハバ商会は多くの飲食店を経営している商会だそうだ。
アブドラハの飲食においてあのバカ息子カリムのいるザヒール商会と同じくらいの影響力を持っているとのことで、建物もすごく大きくて綺麗だ。
「商会長が是非ともクラウ様にお会いになられたいとの事ですが、いかがでしょうか?」
建物に入ってすぐ、「少々お待ちください」とハーリドさんが受付へ向かって何やら指示を出しているなと思ったら、商会長が俺に会いたいとのことらしい。
さては、それが狙いだな?
「はい、是非会わせてください」
少し怪しみつつ、案内された部屋へ行くと
「おう、来たか。そこに座ってくれ」
そういって仕事机から大柄のスキンヘッドの男が声をかけてきた。
言われた通り、ソファに座るとスキンヘッドの男も仕事机から立ち上がり、正面のソファに座った。
「初めまして、マルハバ商会の代表をやっているバルドだ。お前はローゼン家の長男だろ?」
「はい、初めまして。クラウ・ローゼンです」
目の前のバルドという男は商会長というだけあって、あっさりと俺の家を言い当てた。
「お前のとこのかき氷だったか? ずいぶん人気があるらしいな。最近、うちの奴らが噂してるよ」
「ありがたいことに、ご贔屓にしてもらってます」
「それでうちに氷を卸してくれるっていうのは本当か?」
「はい、そのつもりです」
「そこでなんだが、氷を高く買い取る代わりに氷を卸すのはうちの商会だけにするってのはどうだ?」
そういうことか。
わざわざ商会長が俺に会いたいというから何かわけがあるんだろうと思ったが、マルハバ商会でも氷を独占したいってことだな。
だが、さすがにその話に飛びつくのは罠だ。
「いやいや、ご冗談を。俺も他の商会から恨みを買うつもりはありませんから」
俺がそう言うと、バルドさんの目つきが少し変わったような気がした。
こちらを試すようなものから、対等な相手に変わったみたいな。
こういう胃が痛くなる交渉は嫌なんだが。なんでこうなった?
「これでもうちの商会はアブドラハでかなり影響力を持ってる。それでも、か?」
「最近うちでも従業員を雇ったんですが、まだ成人していないんですよ」
ここまで言えば分かるだろ? と視線を送る。
すると、それも想定通りといった様子でバルドさんは次の提案をしてきた。
「そうか、ならうちの商会の傘下として働く気はないか?」
「傘下として働く?」
「ああ、うちの商会の傘下に入れば、手を出そうなんて考える奴らはいねぇ。氷も安心して独占的に供給できる。その代わり、商会の指示に従ってもらうことになるがな」
バルドさんの表情は読めない。このおじさん見た目は体育会系のくせにやりやがる。
何が俺にとって最善か考える必要がありそうだ。
「具体的に、どういった形で商会の指示に従うことになるんですか?」
「たとえば、今後の仕入れや価格設定に関しては、うちの商会が優先権を持つ形になる。それに、他の商会と取引する場合は、まずうちに相談してもらうことになるだろうな」
なるほど、背後にマルバハ商会がついてくれるっていうのは、すごく惹かれる。
「こっちとしても悪くない条件ですね。でも、やっぱり傘下に入るのも無理です」
「ほぉ、なんでだ?」
「氷に価値があるのは今だけなので」
結局そこだ。冷魔庫さえあれば氷の価値が大幅に下がる。
そうなってしまえばマルバハ商会との交渉材料もなくなり、こっちの立場が悪くなるのは明白だ。
「冷魔庫だな。なるほど、それは確かにそうなる可能性はあるな」
このおっさん、絶対知ってただろ。
この商会の傘下に入ってしまえば、俺が将来的にやりたいことができたとしてもそれがやりづらくなる。
だからこの話は無しだよ。
「そういえば、この前ザヒール商会の息子と喧嘩したんだってな」
「そんなこともあったような」
「噂じゃ、懲りずにまた何か企んでるみたいじゃねぇか」
まじかよ、あのデブ懲りてなかったのかよ。
特にちょっかいをかけられることもなかったから反省しているのかと思ったが、そんなことはないらしい。
バルドさんが嘘をついている可能性もあるが、俺にそれを確かめる術はない。
「うちの商会以外に卸すなとは言わねぇ。ザヒール商会に氷を卸さないことを今、この場で約束するってんなら、うちの商会がお前たちの後ろ盾になってやる。そうすりゃ、他の商会から手は出されねえだろ」
俺が危険な目に合う分には良いが、アミルや従業員が危ない目に合うことだけはどうしても避けたい。
アブドラハで影響力を持つマルハバ商会が後ろ盾になってくれるのはこっちとしてもありがたい話だ。
商人のやっかみほど怖いものはない。
「分かりました。俺もマルバハ商会とは仲良くしていきたいと考えているので、ザヒール商会に氷を卸さないことを約束します」
これはただの口約束だが、この約束を破ることはマルバハ商会を敵にまわすことになり、マルバハ商会としても氷を手に入れることができなくなる。
まあ、俺たちに嫌がらせを企んでいるというカリムのザヒール商会に氷を売るわけないが。
こうしてバルドさんとの会談は終わり、マルバハ商会へ数樽分の氷を卸した後、大きな悩みを残したまま屋台へ戻った。
思ったよりも時間がかかってしまったが、客の少ない時間に抜けたというのもあり、何とか氷のストックも足りたみたいだ。
「…お疲れ様、もう仕事は慣れた?」
「お疲れ様です。はい、皆さんとてもやさしい方ばかりなので。アミル君にも助けてもらってます」
「お疲れさまー。こういう接客もやってみたかったから楽しいよねー」
シータとメリアはどちらも大丈夫そうだ。アミルも助けてくれてるようで礼を言っておいた。
その後も順調に客をさばいていると、ラフィがやってきたので、そろそろ店仕舞いってことだな。
「よう、氷屋。シータ姉とメリア姉はちゃんとやれてるか?」
「ちょっとラフィ、どういう意味よ」
「生意気だぞー、このー」
やっぱ人数が増えるとにぎやかになって良いよな。
従業員を持つなんて前の人生じゃ経験したことなかったが、責任感とかそういう胸に重いものを感じる。だが……。
「二人ともよくやってくれてるよ。……ラフィ、後で話がある」
最後のほうは周りに聞こえないよう、ラフィだけに聞こえる声で話した。
「分かった」
聞こえたみたいでラフィからは了承の返事が返って来た。
「で、注文はどうする?」
「今日はレモレ味で」
このまま、ラフィが最後の客となり、俺たちは屋台の片づけを始めた。
*****
「で、話ってなんだ?」
「ああ、実はな……」
俺はラフィに、前にザヒール商会の息子といざこざがあったことや今日のマルハバ商会との会談について話し、ザヒール商会の息子がまた何か企んでいることとマルハバ商会が圧力をかけてくれるとはいえ、これからも他の商会から嫌がらせみたいなことをされる危険性を伝えた。
「だから、もしかしたらシータやメリアたちを危険に巻き込んでしまったかもしれない。ただ、今働くのをやめればシータたちが嫌がらせを受ける可能性も下がるとは思う。本当に申し訳ない」
いくらマルハバ商会が後ろ盾になってくれるとはいえ、危険に巻き込んでしまったことに変わりはない。
俺だけが他の商会から恨みを買う分にはまだ問題ないが、その恨みが魔法をラフィの兄弟たちにまで向いてしまったらと思うと、昨日あの場で雇うことを決めたのは間違いだったんじゃないかと申し訳なさというか後悔みたいなものを感じている。
「はぁ、お前は考えすぎなんだよ。氷屋はシータ姉たちが働くのが嫌なのか?」
「いや、そんなことは決してない。すごく助かるし、できることならこれからも一緒に働いてほしいと思ってるよ」
「働くことを提案したのは氷屋だが、それを決めたのはシータ姉たちだろ。それにシータ姉たちに危害を加えるなんてオレがさせねぇ。昨日も言ったが、役割の話だ。そういうことはオレに任せろ。お前はもっと周りを頼れ」
「そうか、ごめんな」
「だから謝るなって。かける言葉が違うだろ」
「……ああ、シータたちのことは任せた」
「おう」
まったく、自分が情けなくなる。
だが、いつまでもうじうじしてるわけにもいかないな。
俺はラフィに事情を説明して、シータたちに働くのをやめてもらうことを提案しようとしていた。
まだ、働き始めてすぐなら嫌がらせを受けることもないと思ったからだ。
マルハバ商会で思ったよりも危険な状況だということを伝えられるまで、そのことを認識していなかった。
いや、可能性としては考えていたが、楽観的過ぎたといえる。
ラフィにムチを入れられて気合が入った俺は、やるべきことを脳内で組み立てた。
シータたちのことはラフィに任せ、俺にできる範囲の対策をしよう。
―――バルド視点―――
「商会長、彼はいかがでしたか?」
「ああ、あいつは面白い」
先ほどの少年、クラウ・ローゼンのことを思い出す。
ローゼン家の氷魔法は商人の間でも時折話題になる。
それだけ氷ってのは、特に食べ物を扱ううちのような商会にとっては魅力的なものだ。だが、氷魔法は貴重だし、そういったのは平民よりも先に貴族に優先される。
それについて文句はないし、下手に手を出して貴族に恨みを買うほうが損になる。しかも、冷魔庫のことが公表された今、商人の中でローゼン家の価値は急激に下がった。
冷魔庫が手に入れば、俺たちが求めている食品の保存っていうのが容易になるからな。
だから、ローゼン家の長男が氷を使った甘味の屋台を始めたと聞いた時は世間知らずの坊主が始めたごっこ遊びかと思っていた。氷魔法の魅力は食材の保存にあって、氷を食べるなんて発想はなかった。
強いて言うなら飲み物を冷やすとかはうちの商会でも氷の使い道として話に上がっていたが、な。
それが、ふたを開けてみたらどうだ。かき氷なるものは、アブドラハの商人の間でも話題になるくらいには人気になってるじゃねぇか。
マルハバ商会は商機を逃さず、喰らいつくことで今やザヒール商会と競り合うほどの大商会になった。
そんなマルハバ商会を育て上げた俺の商人としての勘が、クラウ・ローゼンという10歳にも満たない少年のことを脅威だと感じた。
そういうわけで、商会にクラウ・ローゼンを連れてくるよう、かき氷をよく食べに行っているといううちの商人に頼んでいた。
目の前に現れた白髪の少年は思っていたよりも幼く、良いところの平民といった印象だった。
最初の提案で、目先の利益に食いつくようなら、それはそれでこちらとしても氷を独占できるし、周りの商人からの嫌がらせで潰されても別にそうでもいいと思っていた。どうせ数年後には冷魔庫によって価値は下がるからな。
今回は氷のことよりも、クラウ・ローゼンが本当に俺の脅威に成り得るのかを確かめたかった。
結果的には、目先の利益に飛びつくなんて愚行はしなかった。ちゃんと自分の立場を理解している。
それなら、俺の手元に置こうとマルハバ商会の傘下になることを提案した。だが、冷魔庫のことも知っているようでその提案も断られた。
断られることは想定済みではあったが、中央の事情まで把握しているとは思わなかったぜ。
全くもって末恐ろしい。
この時、俺はクラウ・ローゼンと手を組むことに決めた。
潰そうと思えば潰せるんじゃないかって? 馬鹿を言うな。
この街の情報に精通している商人ならローゼン家を敵にまわしたらヤバイことぐらい知っている。
ローゼン家の後ろにはあいつらがいるからな。
それに、脅威に成り得るからといって若い芽をつぶそうとするのは俺のやり方じゃねぇ。
それを上手く利用して利益につなげる、それが商人だ。
俺はクラウ・ローゼンと組んでいくことがマルハバ商会にとって長期的な利益になると確信した。
あと、うちとしてもザヒール商会のことはどうにかしたいと考えていた。あそこの商会はどうにも後ろ暗い話が絶えない。今ローゼン家に協力するのが、あいつら、フロスト騎士団に恩を売る良い機会だと俺の勘が言っている。
「騎士団に俺たちが集めたザヒール商会の情報を渡してやれ」
「はっ、かしこまりました」
「それとうちがかき氷屋の後ろについていることを商人に流せ」
「はっ」
さて、面白くなってきやがった。
俺はこれまで以上の商機の予感ににやけが止まらなかった。