雑文7 過剰な日記
風景描写や動きの描写を練習するべきなのに、力量不足で必ず観念的な文章に逃げ込んでしまう。なにか構図や構成を考えて文章を書くということがびっくりするぐらい苦手であるため、流れで書いてしまう。これではまるで練習にならない。
「今年は激動の年でした。そんな一年を振り返る………本日のゲスト………学の……(一際大きなノイズ)…皆さんは………娘が……(哄笑)…」
彼はノートに文字を書く。自作のラジオは古びていて、堆くつまれた小説の上に座りながら、赤い電源ランプを照らしている。
『もしあらゆるものにお化けがいるんだったら、どんなに幸せだろうな。信じていたから、誰かの言いつけで覚えているだけなのに、寂しくならなかった。でも、あの時、飼っていた虫が眠る公園で、昔の僕はひとりブランコに揺れていた。少し曇った日の暮れの頃、僕の目の中にはグランドと葉っぱを広げた木が映っていた。空気が霞んでいるみたいで、遠くがよくわからない。向かいの道と家までぼんやりしていた。広場にそそがれる橙の夕焼けを受けて、白い砂がいつに無く白んで照っていた。僕はこの中に、今にも解けて消えていけそうな気がした。まだ葉をつけている桜も、すっかり夕日に染まっていて、淡く光っていた。でも、お化けは遊んではくれなかった。その時に、騙されていたと、気付いた』
彼がその靄然とした景色の只中で、神秘なものを受け取り、そう感受したのは事実だ。しかし、この回想には彼の不純なところが一つだけある。それは、強引に意味を見出そうとしている点である。要するに、嘘をついている。行住坐臥、虚言は須らく排斥されるべきものだ。そして、彼がノートに書き留めているのは、ただの譫言でしかない。
彼は格言を集めるのが好きだ。哲学や文学に限らず、学校の教科書、立ち読みした雑誌、他人のちょっとした言葉の綾など、影響を受けてはすぐにノートに書き付ける。彼は浅知恵を蓄え続けて、山を作ろうとしているのだ。
『夥しい数の警句は、やがて寄せ集まり体系と進化するだろう』
『僕の親しかった人が、前を歩いている。帰り道、あの人の方が僕より早く帰ったのだ。後ろ姿、薄暗くて輪郭は曖昧だった。あの人が左折した、僕はそのまま直進しなければならない。通過する際に一瞥した。濁った紅色の陽を一身に受けて、影が濃くなっていた。あの人もまた、褪せてしまいそうだった。色も香も、美も醜も、姿も形も、曖昧の中に溶かし込まれていくようだった。あの人とは、それから疎くなり絶縁している』
全ては妄想の産物である。ノートの日付は不定期に書かれており、発想の火花が閃いた時だけ更新される。興味深いことに、日記とは違う。彼はその日の出来事を決して書かない。常に遠い過去の出来事から引っ張り出し、歪め、折り込み、縫い付けていく。だが、感情は漏出している為、邪推することは可能である。
『僕が、電車に乗っている間、机に座っている間、生活世界のほとんど半分は、耐え忍ぶ時間だった。だが、今はとかく耐え難きをたえて、忍び難きをしのべ。ここが峠だ。僕の苦悩の滝行だ。いずれ安寧の桃源へと、寧謐のニルヴァーナへと、永遠が広がる蓬莱の地へと、帝のように天翔るはずなんだ。その為に、何も勘案せず愚直になれ。自分に不粋に合理性を携えろ。他人に不躾にならず冷静に俯瞰しろ。要望に応えて自身を適用させる機械となれ。欲望は無用の梢であるゆえ応えずに剪定せよ。発作的な私欲は幻覚に過ぎぬため黙殺せよ。不要なものは全て滅却せよ。奔馬となるな、桂馬となれ。ルークになるな、ナイトになれ。いずれにせよお前は優秀なの駒となるのだ。それも王が決して捨てられぬものだ。されば天啓が訪れ救われる。全き完璧で秩序だった安穏の玉座に、僕は招かれる。そして、そこの姫に謁見して、彼女の閨に僕は招待される。そこでは、美しい舞踊と睦言の楽園が待っているのだ』
これなどは良い例だ。彼の現実での不能さと、それを慰めるための無理矢理でっち上げた夢想家の真似ごとが上手く表象されている。
彼は吃音でもないくせに、声が小さく何を言っているかわからない人間である。その為周囲の者からは変人あるいは気持ちの悪いものとして扱わている。大半の人間は容姿から毛嫌いする。「獣みたいな顔」をしていて、「不愉快な匂いがしそう」で、「排泄物のような有機物」と嫌悪されるほどである。
彼は、彼の言葉で言うところの「生活世界」では、恐らく道化を演じているつもりなのだろう。彼の机上には太宰治の「人間失格」が置いてあるし、彼の影響の受け易さを思えば妥当である。そうやって惨めな現実を観念で塗り替え、彼にとっては宇宙的なまでに限りなく遠い、美というものに癒され続ける。
『かけ離れた愛しい人。僕はその人に不憫に思われながらも、毎日まめまめしく電報を打つのである。多少穿って考えれば、彼女が僕に対して思慕し、些細なことで髪を乱すほど思い煩い、操を守ってくれているかといえば、その確率は非常に低いだろう。恋焦がれているのは僕一人で、彼女は既に大胆な不倫をしているかもしれない。しかし、それでも僕は倦まず歇まず言葉を紡ぎ出している。それは、事実に直面していないからだ。僕の前には未だ留保された現実と、ただ高い蓋然性があるのみだ。愚かしくも信じているゆえに、僕は書くのだ』
つまり、開き直りである。彼は無意味と無効力の真ん中に居直って、大仰に首肯している。
しかし、ある時、いつに無く抽象的な言葉を聴いてしまった日、ノートの文字は大見得を切って死ぬのだ。
『大半は彼の話を受け売りしてしまうが、もっとも、逃避には限度があり、まるで幾つもの同心円が歪に音を漏らしてゆっくりと縮小していくように、終点に辿り着いてしまう。殆どの人が逃げる時に忙しなく見回してしまうが、往々にして前方不注意に陥ることがある。つまり、逃避している者は常にこの状態であり、それゆえやがて近づく壁、曲がり角で勢い猛に激突するのである。そして、倒れて朦朧となる間に、死神に追いつかれるのだ。そうだとすると、僕の書き散らしてきた言葉皆、逃避の類いではなかったか。もしそうならば、死神に打ち勝たねばならない』
唯一字だけが綺麗な彼も、この文だけは震えて書いていることがわかる。多分、本人は自覚していて、制止しようとしたはずなのに、まるでペン先が発狂したかのように、一人でに殴り書いたのだろう。ここからはやはりあっという間だ。彼の姿を見ていた人達も、彼の劇的な衰えというか、酷く怯懦する様を深く認めている。しかし、取るにならぬと、矮小に見過ごしたことも事実だ。ただ、彼は以前の均衡を取り戻そうと、苦闘した痕跡も残っている。
『ぼくは散歩に行った。漫ろに灰色の道を歩いた。そこにはただごみごみした人々と家屋があるばかりだった。もう夜の帳が下りてきている時分に出たから、全ての輪郭がぼやけた。しかし、蝉の鳴き声だけは強烈に頭に染み入った。蝉━━ぼくが最も嫌いな虫の名前。それでいてどの夏にも彼等の声に酷く惹きつけられる。小学生の頃は俳句の課題で季語として使い、それでおしまいだった。しかし、彼等からいくつもの着想を感じた。確かに蝉の声━近くで聞けば騒音だ。だが、彼らの声には自然の静謐たるものがある。世界を超越した、瑞々しくも重々しい深緑。しかしながら、私達はそこには辿り着いてはいけない。そこでは人間は瞬く間に消滅してしまう。無になるのではない。空へ越えてしまう。無限の輪廻も天国と地獄も超越した涅槃━━いや、概念で語られる、或いは悟得されうるものより向こうにある━━神秘。ぼくはそこに行きたいが、人間存在の意味に縛られて、そこには向かえない。ぼくはまだ孤軍奮闘せねばならない。あといくつ死を重ねるかもわからない。次は畜生に落ちるかもしれない。だけれど、ぼくは空には行けないのだ。ただ蝉の静謐な遠鳴きを聴くばかりである』
精神の狂瀾への対処としては及第点だけれど、彼は輪廻転生を導入したため愈々、深淵に落ちる。
『僕は、なぜ文章を書き始めたのだろう。初めは非常に無意識的で、漠然とした認識があった。つまり、僕の毎日は醜悪な容姿により不愉快極まりないものだから、どこかで鬱積した精神を解放してやらなければならない、というものだ。現実の生活世界では僕は一切解放されるような美しいものと接触できていなかった。官能に直接響くであろう音楽は、刹那の慰撫たり得たが、幼時に耳を壊し、聴覚が鈍くなったことも祟ってか、飽和させることはあっても、満足させなかった。では、絵画はどうだったか。これに関しては、そも描く能力がなく、まともに線を引くことすらできなかった。だが、審美眼は備わっていた。感覚によるが天性のもので美しいとは何かを、衒いも言語も介さずに直観することができたのだ。つまり、美を生み出して、それと関わることはできないのだが、美の飛翔を目で追い続け、その末路を眺めることが上手だった。しかしながら、僕にも陶酔できることがあった。それは、言葉である。僕の言葉には蝶の鱗粉が絶えず付随しており、その眩さと色香は僕を迷わせ、蕩けさせた。言葉は檻の中の目白であり、囀るだけで金箔を世界に貼り付けた。傾聴すればするほど、僕を深く安心させた。彼を飛び回らせれば、金の純度は増してゆき、その光沢は天に沖するほどである。小鳥は声のみならず弦楽をも遊ぶ。弾けば玲瓏たる音を響かせる一切の捻れも縒れもない弦。無数の薔薇を散らした深紅の絨毯から漂う芳香。滑らかな管体を持つ麗しい漆黒の横笛。僕は言葉だけで、剥奪され収奪された世界に五感を取り戻したのだ。言葉は永遠に味方をしてくれて、悦楽にひたらせてくれるものだと確信していた。しかし、美とは儚いものなのだ。言葉そのものが僕の逃避を詰ってしまった。思い通りの言葉は、恐らく僕のたった一人の友人を口寄せして、美しい世界のまま持続しえないことを伝えたのだ。もし、そうでなければ、あの文章を書き上げる時の筆致の悍ましさを説明できない。あの文章は概ね呪詛が占めており、僕の抵抗は虚しく、頭の先端を覗かせているのみに終わっている。僕はそれから素朴に楽しめない。辛い生活世界に晒され続けていて、どんな言葉も僕を慰め励ますことができない。たった一人の友人には明らかにしておきたいが、まさか君が嗾けたのではないだろう』
ここにきて、彼はある、死を前にした患者の小康に似た朗らかさを帯びている。彼の目には一抹の不安すらなく、他人の目にも血色良く呈している。好青年といっても違和を覚えぬほど、彼はいきいきしている。しかし、その生気の背後では、着々と果実が熟れて腐爛しているのである。
『久しぶりにあの公園に行こうと思う。徒歩ではかなり距離があり準備を要する。そのため、今日は短い文章になるが、許してほしい』
『あの場所に誘われている気がするんだ。懐かしい気持ちに浸ってみたい。あるいは新しい逃げ場所を模索しているだけなのかもしれない。だが、何か踏ん切りをつけて、これから奮起していくためにも、訪れたい。……祈念するといっても、神社ではないのだから、おかしな話だが、明々後日に感想をまとめて書くつもりだ』
彼は公園を再訪する。以前に比べはるかに目線が高くなっている。彼の中で「喪失」という言葉が俄かに擡頭し強まる。目的地に近づくほど冷や汗が滲み出る。心持ち不安であるのだ。
園内は、記憶よりこぢんまりとしている。快晴の日であるはずなのにどこか暗く、まるで厳寒の日の早朝であるかのよう。かいた汗の引いていくのを感じ、粟立つ。単に寒気がしたからではない。喪失を強く感受したためである。空蝉はただ、かしましい。もう一度、離れなければならず、二度も愛せはしない、と呟く。
『お化けどころではなかった。いや、お化けは、本当ところは、居たんだ、あの時。この日、こうして僕の前から攫っていくために、あの日は現れなかったんだ……感想は、これだけ。これだけで君には絶対に伝わる』
遺書はみみずが這ったような文字で、その先は読めない。しかし、多少理屈っぽく考えれば、実際に「喪失」したならば、何かしらを得ていなければおかしい。だが、彼は憔悴し切っていたためか、明晰さを欠き早まるのだ。ただ、その早計たるや、美しいことこの上ない。いや、彼が失ったからこそ、こちらが得たという方が正しいだろう。
一息ついて、満足して自白するような心持ちでノートに書き加える。
『君と僕の観念的交換日記──提案して本当に良かった。なぜなら、僕は君が死を賭して生きようとしたおかげで、至上の美を観察できたのだから。僕はこれを糧にいかようにも肉体を鍛錬し、存在そのものを彫琢することができるのだ。君は僕に蠱毒され、血潮という、至高の肉体美へと志向せる、ある一種の亢進にも似た劇薬を飛び散らせたのだ。君の所望した愛は決して誰にも響きはしないが、情熱は僕の筋肉を豊かにする。逃避の果ての狂死、これを消費することこそ、美への最短経路である』
とうとう思いつく内容が底を尽きてきた。練習にもなり、観念に偏した文章の癖を整える良い手立てはないだろうかと、勘案しているが、愚にもつかないものばかり出てきており、休んでいるように映るのは極めて当然。