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雑文5 演劇部

綺麗な語彙を並べていく。

 演劇部の部室の前の廊下を歩いていた時、台詞を朗読する声が聞こえた。多少過剰にも思える声色は、しかし真面目というものがその音素一つ一つに染み込んでいた。背筋の良い、おそらく優等生なのだろう。そこには形而上学的な煩雑な思考などは挟まっておらず、率直なものであった。

 二日後、私はまたその廊下を通る機会があった。あの部室の奥に美術準備室があり、美術係である私は物を運んだり、提出物をまとめて出したりと、用事が出来やすかった。

 その日も台詞の練習する声が聞こえた。私は足を止めて、周りを確認した。そして忍足で扉により、耳を近づける。幸い窓枠には磨りガラスが嵌められており、私の接近は分かりにくい。

 彼女の独唱だけが部屋に響いているようだ。朗麗な語りは、むしろ詩のような哀調さをも帯びていた。彼の正体を知り、重症の彼をその嫋やかな腕の中で看取る場面。私は一人妄想する。私がもし主人公ならば、終焉の時──重症の体で手紙を読み続けた私が、苦痛と名誉の中で、矜持を貫徹して──愛に包まれ充足した贅沢な死を、彼女の腕で迎えることができる……

 こちらに近づく足音を聞いて、我に帰った。すぐさま備品を持って準備室へ逃げ去った。準備室の中で私は学芸会を心待ちにしていた。

 学芸会の日がやってきた。私は劇以外に関心はなかった。そのためか、プログラムの進行は牛車のように遅々たるものだった。

 長い長い学芸会も終盤だ。吹奏楽部の演奏も終わり、次の演目は演劇部である。館内の照明が落とされる。舞台に向けられたライトは鋭く道化を照らした。

 カーテンが開かれる。やっと主人公らしき人が現れたが、私はあまり興味が湧かず、ぼんやり眺めることに終始していた。

 どうやって仕立てたのだろうか、桃色の眩しいドレスに身を包んだヒロインが現れた。彼女が一つ台詞を言った瞬間にわかった。ああ、あの声だ、数ヶ月前に廊下で聞いた声。自信の中に力みのある張った声。私は興を唆られた。多分、晴れという言葉はここで使うのだろう。化粧、髪、服装。残らず整えられている。また素晴らしいのは彼女の姿勢でもあった。こちらからでも眩い照明に当てられて、蹌踉めきもせず、背筋を伸ばしていた。なよなよとした人ではなく、気丈であることがすぐにわかった。

 一方で私の愉楽は煙のように揺曳しやすいものであった。彼女のあまりに立派な姿に、どういうわけか興が覚めてきたのだ。更に主人公が醜男でないことも助長した。演者の質が悪かったが為ではない、劇というものに私がうまく乗れなかったのだ。無意識的にもたらされる誘いに拒絶したのかもしれない。とかく私は退屈に直面した。そこで私は、劇の中で自身を感動させ、総毛立たせるようなものはないか、必死に探した。舞台装置、衣装、照明、効果音、声、動き、展開など……私はむしろ没入できなかった。

 主人公の詩を吟じながら、決闘を制する場面にすら、私は喜べなかった。

 気づけば、カーテンコールだった。

 私は劇を楽しめなかったことを引きずった。数週間ほど経つころ、私は河川敷の堤防の上を歩いていた。西陽が沈む時分、はげしい照り返しは終わり、散歩しやすい気温になった。

 見覚えのある人を認めた。原っぱに座り、波の綾に映じた鮮烈な夕陽を茫漠と眺めていた。私は川とその先の潮を香った。彼女の顔は曜映のおかげでよく見えた。玲瓏たる声の持ち主だ。

 私は一瞬のうちに陶酔した。それは、劇では決して見られなかった姿である。何と穏やかな面持ちだろう。そう、面持ちである。あの時の糸の張ったような雰囲気は全くない。散歩でこのような場面を見るとは想定していなかった。完全に意表を突かれた。私はしばらくの間、またぼんやりと立ち尽くした。

 眼がこちらを向いた。次は流し目に見られた、勘付いたのか。

 私は足速に堤防を降りて、黄昏を背にして立ち去った。

ものすごく短くてよくわからない終わり方をする割に、個人的に気に入っている。深みが全くないのに、何故か好んでいる。

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