003◇溜息と尻尾【紫蘭】
今回はシラン視点になります。
三人の会話を楽しんでもらえたら、と思います。作者的にはシンのお母さんっぷりが書いてて楽しいんで。あとロウの抜けてる感じとか、シラン視点だと書かれてないけど終始不機嫌そうなシランとかetcetc……。
とにかく第三話、始まります。
あいつは馬鹿なようで案外言ったことはやる質だ。さっきあいつは俺が戻るまでに終わらしてやる、と宣言していた。だからあまり驚くことではないのかもしれない、が。
「……速いな、本当に」
「お、シラン戻って来たか」
さっきまでの怒りはどこに行ったのか、あっけらかんとしたシンが惚けた顔で振り返った。
辺りの家屋の修繕は終わったようで既に閑散としていた。シンとロウは最後に残った食べ残し、鹿の死骸の前にしゃがみこんで処理方法を考えていたようだ。
「もうちゃんと起きたか?」
「流石に起きた。しっかり冷水で顔を洗ってきたからな」
「うんうん、なら良いや。シランって本当に寝起き弱いよなー。普段だったら刀もなしにあんなところで棒立ちにはならねえだろ」
「……悪かったな」
確かに目が覚めた今となっては我ながら、何とも間の抜けた登場だったと思う。読書中のうたた寝には注意しよう。にしても……警鐘でも起きなかったとは、な。
我が家の裏方を見やれば、簡単に木で組まれた櫓が見える。警鐘はその頂上に小ぢんまりと備えられていた。見た目は頼り無さげだが、地区内には不思議な程よく響くように出来ており、緊急時にはガンガン鳴らされる。
起きる、はずなんだ……あんなに近いのだから。いや、そうでなくとも起こされるはず……なのだがなぁ。
「警鐘を恨んでもしょうがないぜ。聞いたら、ロウがこの辺りに来るまでずーっとガンガンやってたらしいし」
「……そうか」
「気を付けろよお? オレがいない時こそ警戒してなきゃいけないんだ。なのにシランは熱中するものが多くて危なっかしいよ」
「流石に起きていれば気付くだろう」
「どーだかねえ。工房こもったら簡単には出て来ねえじゃん」
「……気を付けよう」
「そーしてくれ」
なんだか先程からシンに説教されてばかりだな……。ふと視線を脇にやると、狼の毛皮を被った少年と目があった。
「なんだ?」
「いや、なんでもないが……ロウ、だったか?」
「……ん?」
「いや、名前のことなんだが……」
さっきから彼自身も、シンもそう呼んでいたから多分そういう名前なんだろうと思っていたが……違うのか? と戸惑っていたが、今度はあっさりと頷いた。
「ロウはロウだぞ」
「そ、そうか」
……ワンテンポ遅いと言うか、彼の中での名前の認識は一体どうなっているのか不思議だ。名前を呼ばれることになれていないからだろうか?
まあいい。この流れだ、簡単に自己紹介しておこうか。
「俺の名前は観月紫蘭だ。シランでいい」
「シランか? 綺麗な名前だなっ」
「そう、だな」
眩しい、と思わず思ってしまうほど、彼の黄色の瞳は本当にきらきらと輝くようだった。まさに子供の瞳。その目は外見年齢よりずっと幼く、純粋な印象を受ける。
子供は、苦手だ……。
そんなことを心中で呟いていると、シンが話題を戻した。
「とにかくこれ、片さないとな」
「まさか食べる気じゃないよな?」
「食べようかと思ったけど、さ」
「先に食べられた」
「……?」
二人の話がよく分からず、首を捻っているとシンが手招きした。見に来いということらしい。とりあえず見てみる。
「……」
見なきゃ良かった。
見た瞬間、軽く後悔した。苦手な人なら卒倒ものだ。鹿の死骸には虫が集っていた。百を軽く超えそうな数が鹿の体全体に蠢いている。
先に食べられたと言うのはこういうことらしい。つまり虫に先を越された、と。
「これは流石に食べるな」
「食べねえよ。よっぽど空腹な時以外」
「どんな空腹下でもこれは食うなよ……」
「まあとにかくこんなだから仕方ない。森に置いとこう。ここにあると何かと危険だからな。ロウ以外の侵入者まで呼ばれちゃ困る」
「ああ、そうだな」
「ってことでロウ、頼んだ」
「わかったっ」
「って、ロウに頼むのか?」
「おう」
そんなやり取りをしている間にもロウは鹿を無造作に持ち上げると、肩に担ぐでも、かといって引き摺ることもせず、ただ風のように駆けていった。……よく走る勢いだけで鹿を浮かせるものだ。腕力の助けもあるんだろうが。
でもよく考えるとロウと鹿。明らかにロウの方が小さかった。シン並みの怪力の持ち主らしい。
「……凄いな」
「だろ! ほら言ったろ、ロウは凄いんだって」
呟きにやたら力強い相槌が返ってきた。シンを見ると、ロウのことなのに何故か自慢気にふんぞり返っていた。馬鹿だな。
「で、何を考えているんだ、シン?」
「んなっ。な、なんでそんなこと訊くんだよ」
「わざわざロウに頼んだのは何か理由があると考えた方が妥当だからな。お前はあまり人にものを頼まない。特に会って間もない相手にはな」
シンは図星なようで言葉に詰まり、困った視線を向けてきた。それに俺が困る。仕方ないのでため息混じりに言った。
「とりあえず言ってみろ」
そう言ってやっても、まだ迷うことがあるらしく暫く視線をさ迷わせていたが、ようやく口を開いた。
「ロウを昼食に呼びたいんだけど、いいか?」
「……好きにすればいい」
そんなことか、と思わずまたため息がもれた。シンは逆に一転して喜びを隠さない笑顔で礼を言っていた。
「別に料理を作るのはお前だし、お金だって大半お前の報酬なんだから、俺に許可を取る必要はない」
「でもシランの家だし、やっぱり確認しなきゃだろ。とにかくありがとっ」
本当に単純な奴だ、と浮かれるシンの顔を見て、少しだけ違う意味の息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「シラン、ロウと一緒に銭湯行ってきてよ」
「……昼食はどうした?」
軽快に昼食の準備にとりかかったかと思えば、あまりに唐突にそんなことを言い出したシンに、思わずそう問い返してしまった。しかしシンは何でもないかのようにけろっとした顔で答える。
「飯の前にロウを綺麗にしてやった方がいいだろ? 風呂上がりの方が飯は旨いだろうし」
「ならお前が行けばいいだろう?」
「やだ」
「……」
「あ、冗談だって。えーと。オレ料理担当だし、食べる専門の二人が行くべきだろって」
「別に食前に風呂に入るなんて習慣はないぞ」
「でもロウずっと風呂入ってないみたいだし、やっぱり家とかで食べる時は身も綺麗な方がいいと思うんだよ」
まあ、筋は通ってるか。一理あるな。
シンが言う通り、ロウは本当に汚れている。まずすっぽり被った毛皮からして清潔と程遠い代物だ。フードを外して現れた灰色の髪は、元々もあるだろうがごわごわを通り越してガチガチ。極め付きに、彼の肌はやたら白いため泥や血の汚れが酷く目立つ。
それでも普通に家に上げて平気な顔をしていられるのは、子供っぽい無邪気さに何となく誤魔化されているのか。はたまた単に慣れているからなのか。
ふとシンを改めて見てみるが、特に目立った汚れもなく、普通だった。怪我もないこともついでに確認する。
「ん? なんだ?」
「いや、何でもない」
長い沈黙と視線にシンが首を傾げたが、特に何も言わなかった。別に何事もないのなら、取り立てて話題に上げるようなことでもない。
「銭湯、か」
「連れてってくれよ」
「でも昼食はそれまで待っているのか?」
「ふふーん。よくぞ聞いてくれたね」
「……」
地雷を踏んだ気がした。少し躊躇するが、話が進まないので促すように渋々口を開く。
「……なんだ?」
「今日の昼飯はカレーライスなのだっ!」
「……で?」
「最近仕入れた情報によると、カレーは一度寝かしてからのが美味しいらしい! だから一度冷ましてまた温めてみようと思う!」
「それでいいのか? それに理由は?」
「知らん!」
「……そうか」
「でも美味しいカレーは食べたいだろ?」
「まあ、そうだな」
「ってことでその待機時間を有効に使ってくれ!」
「……つまり銭湯行けと」
「そゆことだ」
……さて、どうするかな、と思い、試しにロウに問い掛けてみる。
「ロウは風呂に入りたいのか?」
逃げるつもりはないが、一応当事者の意見も聞くのが筋だと思ったからだ。
ロウは何故か楽しそうに俺とシンのやり取りを聴いているだけで今まで参加していなかったが、話を振るときょとんとした顔で俺を見返してきた。
「ふろって、なんだ?」
「……」
そこから説明が要るのか、とこれからの苦労を想像させられ、少しばかり脱力させられる。とりあえずこの場はシンに任せようと思い、俺は沈黙を選んだ。案の定、直ぐにシンがロウに言葉を返す。
「風呂ってのは水がたくさんあってな、怖いとこだ」
「怖いのか?」
「おい」
なんて説明をしているんだこいつ、と思わず口を出してしまった。シンは慌てて付け足す。
「そんで体を綺麗にするとこだ。だからロウは行った方がいいと思うよ」
「ふろ……お風呂か? ロウ入ったことあるぞっ。ずっと前に。ロウ、思い出した」
「そっかそっか。良かった。んで、ロウは風呂入りたいか?」
「ロウ入るー」
「だってよ」
言質はとったとばかりに得意気な顔をするシンに、呆れ顔で俺は溜め息混じりに答える。
「……わかった。行くか」
そう言って銭湯にロウを連れて行くことを了承すると、俺は立ち上がった。ロウにも声をかけ、さあ出掛けようと戸口に向かうと、シンが勢いよく待ったをかけた。
「シラン! せめてタオルくらい用意しようとしろよ! それに着替え!」
「……そうだな」
さすが自他共に認める母親役。そういうところはしっかりしているな。何てことを考えている間にシンがバタバタとタオルやらを取り出し、押し付けてくる。
「ロウ、服の替えは持ってる?」
「ないぞ」
「じゃあ貸すよ。シランのお古で良いよな?」
「それは良いが……ロウが着られるような服なんて残っていたか?」
「あるに決まってんだろ? 捨てるなんて勿体無いじゃん」
ああ、母さんがいるようだ……。
どんどん母親のようになっていくシンを見て、何故だか寂しいような物悲しい気分になるような複雑な気持ちを味わっていると、今度は子供服が投げ付けられた。
……本当にあったんだな。俺以上に家の中を把握してるんだな、シン。母さんに仕込まれたか。
「その毛皮洗っとくよ。いいか?」
「うん。お願いします」
「うわー、下の服もすげえな、こりゃ。……いいや。銭湯行くにしてもとりあえず着替えよ」
「はーい」
「……俺は外で待ってる」
「ほいよ。でもシラン、逃げるなよー?」
「逃げるか。お前じゃあるまいし」
そんなことを言いながら外に向かう。この狭い家に三人いる時点で多少の息苦しさがあるというのに、慌ただしく動く人がいたら非常に落ち着かない。だから逃げるように外に出ることを選んだのだ。
「……はぁ」
よくわからない子供の面倒を押し付けられた、といった感じだな。
「……シンほど手がかからないことを、願う。本当に」
そう呟くと、また深々と溜め息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「……やっぱりお前、人間じゃないな」
銭湯の脱衣所にて。俺は対応に困っていた。何故なら普通に考えればあるわけのないものを目にしてしまったからだ。
「ロウはロウだぞ?」
尻尾が、あった。
灰色の、髪によく似た、でも髪と違い柔らかそうな毛質のものだ。それが目の前で機嫌良さげにゆらゆらと揺れていた。明らかに直接尻に生えている。
しかしロウは能天気な顔でとぼけた返答をするだけだった。
「……犬」
「狼だぞ?」
「……そうか」
自己申告を素直に受け取れば、彼は狼なのだろう……いや、狼の尻尾を生やした人間、のはずだ。
「お前は一体何者なんだ?」
本当に、真剣に、真面目な問いだった。けれど予想通りと言うか、彼はこう答えた。
「ロウはロウなんだぞ?」
そう言って無邪気に首を傾げるロウ。この肩透かし具合に俺は何だか既視感を覚え、少し頭が痛くなった。