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蒼天の真竜  作者: 逢河 奏
第三章
37/43

036○闇恐れず【紫蘭】

「ヨミ。お前は、そうじゃないんだろう?」


 動きを止めたヨミの背を確認すると、俺はホッと息を吐いた。

 案外ヨミは激情型だ。でも気持ちはわからなくもない。逆撫でするような態度と台詞ばかりの相手に、良くここまで我慢したと誉めても良いかもしれないが……。

 耳に、いや、心に痛い話だった。


 わからない。


 それは須原のヨミに対する答えであり、俺の……ロウの問いに対する答えでもあった。


『シンがどんな思いでお前を待っていると思っているんだ!』


 わからなかった。

 いや……わかっていた。わからなくはなく、予測出来ない訳でもなかった。だから俺は逃げたんだ。向き合うのが怖くて、あまりに酷い自分を許せなくて。


 でも同時に、わからないことが怖かった。


 どうしてシンはそこまで俺に依存するのか。もっと良い人間は、優しい人間はたくさんいる。ロウだって、ここに来てからはいつもシンの傍に居て、心配そうに支えようとしているのに。

 どうして俺なんだ? よりによってなんで俺なんだ?

 不器用で人付き合いが苦手で、愛想笑いも出来ず、かといって自然に笑うのも苦手。口下手だし、度々こうして気付かずシンを傷付けるようなことをしてしまう人間なのに。

 いや違う。それもあるけど、そうじゃない。更に悪い。だって俺は、シンが俺を精神的な支えにしていることを十二分に知っている癖に、自分に自信がないから他人がシンに優しくすることを期待して第八特区第六守衛地区の我が家に帰ろうと、足掻いてしまうような愚か者なのだ。無神経でどうしようもない人間なのだ。

 なのにどうしてお前は俺なんだ。観月紫蘭という不出来な人間を選ぶんだ?


 でも、それでもきっと。

 あいつは俺を選ぶんだろう。


 榊原陽が須原美智乃をどうしても諦められない、諦める気が全くないように。

 巽真太郎は観月紫蘭がどんなに最低な人間でも、選んでしまうのだろう。

 繋がった縁は簡単には切れないし、切りたくない、変わりたくないと願ってしまう。いや、そんな否定的に捉える必要は、多分ないんだ。ただ。ただ。


 大切だと気付いてしまったら、もうその気持ちは手離せないんだ。


 辛すぎるから。

 温かすぎるから。

 それは手離し難くて仕方ない、扱いづらいものなのだ。それは俺にだって痛い程わかっていること。なのにそれを恐怖し、裏切る俺はやはり最低だ――。

 そして須原もまた、同類と言えるのかもしれない。理由は違うかもしれないが、何だか無理をしてハルを遠ざけているように感じた。

 しかし今は自己嫌悪をする時でも、人の心理を検証する時でもないな。とりあえず現実的に体を起こすことにした。

 だが体内に薬がまだ残っているらしく、あまり自由が利かない。意識ははっきりしているからまあ良いが、それでもダルさとふらつきはどうしようもない。

 憂鬱な気分になりつつも体を起こそうとゆっくり頑張っていたら、不意に体が軽くなった。ヨミが支えてくれたのか、と緩慢な動きで顔を挙げると、ヨミの顔が目の前にあったので固まった。

 真っ赤な目が恨めしそうに俺を射る。


「無理しないでくださいよ」

「そえなあ……お前も無茶すうなとおえ……お、れ、は、返そう」


 「それなら」と言おうとして詰まり、「するな」も「俺」も上手く舌が回らず、俺はしかめっ面をした。


「ふふ、舌もまだ痺れてるんですか。よくさっきの言えましたね」


 ちょっとだけヨミの目元が緩み、苦笑しながらそんなことを言った。それに少しむっとしたので意地を張ってぼそぼそと返答する。


「何事も、ようは気合いだ」

「……ありがとうございました」


 その感謝の言葉はまたちょっとふて腐れたような声で、しかも目を逸らして出された。まるで悪戯をして決まりが悪くなり、素直になれない小さな子供のようで、珍しいな、と俺は小さく笑った。

 ヨミはソファを一息で起こすと、俺をそこに座らせてくれた。それから乱暴に隣に腰かける。

 正面には少し驚きを残した須原が突っ立っていた。そんな須原をとりあえず無視して話し掛けてくるヨミ。


「起きていたんですねシランさん。いつから?」

「随、分、前か、ら、な。だが動けず、芋虫みたいにこ、ろがってい、る、他なかったんだ」

「転がってるしか出来なかったと言っても、声は出せたでしょう?」

「……動けないことに、気を取られ、全く、試してなかった、な」


 ため息を吐かれた。

 実際硬直状態とはなかなか精神的に来るものがあるんだぞ、と言おうかとも思ったが、結局言わなかった。

 ヨミの横顔が何だか疲れていたからだ。

 途中からだったが、大事なところはほとんど聞いてしまったと思う。良かったのかはわからないが……俺個人としては聞いて良かった。


 人のふり見て我がふり直せ、か。

 笑えんな、本当に。

 大義を振りかざして、勝手なことをして、迷惑をかけているところなんてそっくりだ。まるで鏡でも見ているようで吐き気すら感じた。


 しかしこの部屋は一体何なんだ? 狭くはないのだが灰色の壁に赤錆色や茶色の扉ばかりが点在する四面に囲まれていると、余計に圧迫感を感じざるおえない。そして酷く殺風景な部屋だ。部屋の中央より少しずれた場所にクリーム色の二人掛けソファ一台だけが置かれていると言うのもなかなかシュールなものがある。

 俺は今も尚、微動だにしない須原を見据えた。なるべくゆっくりはっきり、つっかえないように話し掛ける。


「須原さん。俺らは話し合いで、解決したい。どうか穏便に、済ませら、れ、ないだろうか」

「……そう。優しいのね」


 まるで他人事のような、霞の向こうからこっちを見ているような口振りに、俺は眉を吊り上げた。


「お前、さっきからずっと、その調子だな。なんだ? 気に食わないのか、俺らが」


 つっけんどんに問い掛けると、須原はクスリと笑って、意味ありげに俺を見下ろした。


「さて、どこまで聞いてたのかしら?」


 俺の話は無視かよ、と思いながらもとりあえず答える。


「一年で良いから、とかいうところは聞いていたが」

「ああ、なら良いわ」


 彼女は何か考えるように視線を彷徨わせた。腕を組み、すっと立って目だけを動かす彼女はまるで像のよう。人間味が酷く薄く感じた。


「なああんた」

「……何?」


 反応はちゃんとある。覇気がないが。


「さっき、あんたは俺達でなければならないかは『わからない』と言った。だが、わざわざ一年と言ったからには、何か具体的にやりたいことは、あるんだろ? 俺達である理由を言えよ」


 澄み切った瞳が俺を見て、俺は睨むように意思のまるで読めない瞳を見返した。遠くで隙間風が唸る音が聞こえる。


「さっきも言った通り、情報も技術もこの時代を生き抜くためには重要な鍵よ。だから貴方たちのような存在を求めるのは当たり前だわ」

「答えになってない」

「正解などないわ」

「そういう意味じゃないのはわかってるんだろ!」


 腹が立つ。

 のらりくらりと何をしたいのかわからない。何を隠したがっている? 何を求めている?


「おいおま――」


 更に問い詰めようと声を荒げる俺を、須原はすっと上げた右の掌で止めた。俺は訝しげに須原を見る。


「私はカードを持っているわ」

「……さっきの脅しのことか? それとも人的な意味か?」

「どちらでもなく、ある意味後者に近いわ」


 何気なくクルリと反転し、須原は背を向けた。長い黒髪がふわりと舞い上がり、さらさらと若葉色の背に降りた。


「『ツレの二人がどうなってもいいの?』なんて問うカードよ」


 俺は絶句した。

 隣でヨミが息を飲む音が鮮明に、痛烈に耳朶を打った。


「嘘、だろ?」

「どちらにしろ私には可能であり、不可能と断ずる方が難しいのでは?」

「そこまでやる、のか?」

「可能性のためなら何でも」


 信じがたかった。今まで生きてきて出会ったのは大概ろくな人間じゃなかったが、これは、酷い。まるで小説に出てくる悪役じゃないか。


「狂ってる」


 どうしてそこまで悪役に徹しようとする? そこまでの理由が、自信があるのか? 俺たちに対して。

 鎮まり返る灰色の箱。

 隣に座っているから分かる。ヨミは小さく震えていた。

 ハルと随分仲良くなったようだったし、信じたかったんだろう。一緒に信じてやりたかったんだろう。その気持ちは何となくわかるし、その優しさは間違ってないと思う。

 ヨミはハルと一緒に須原を信じて戦いたかったのだ。孤軍奮闘する友人の隣に並ぼうとしたのだ。

 それは正しい。

 なのにそれは打ち砕かれる。あまりにも酷い現実によって。


 なら俺は、俺の信じるべき者に対しての信頼を示すだけだ。

 ヨミの絶望に光が差し込むことを願い、言葉を尽くすだけだ。


「あいつらなら大丈夫だ」

「……へえ!?」


 ヨミが変な声を出した。

 対照的に須原は落ち着き払った声音のままだった。


「……何故そう思うの?」

「もし既に捕獲し、人質に出来るなら証拠を見せるはずだ。はぐらかすよりもずっと有効だろう? しかし証拠は出ない。なら今実行中か、これから実行する、或いは単にハッタリだ」


 俺は背もたれからすら離れられない、腕を組むことすらままならない弛緩した情けない姿で。しかし構わず痺れが取れて来た舌で意気揚々と捲し立てる。


「さあ、証拠を出してみろ」

「……数を撃てばどれかは当たるだろうという戦法なんでしょうが……まあ当たりよ。現在進行形なの。だから今貴方たちの返答によっては――」


 構わない。


「断る!」

「し、シランさん!?」


 ヨミまでびっくりして声を上げる。須原は不審そうな視線を送り、問う。


「開き直ったの?」

「そうとも言えるかもしれん。でも敢えて言おう。違う。俺は信じている」


 ようやく揺れた、硝子玉ではない、生きた不安が宿る須原の黒瞳を真っ直ぐに見据えて俺は答えた。


「常に戦ってきたあいつらの強さが、その辺でぬくぬく暖炉の前で寝ていたような奴らに折れるはずがないからな」

「力不足だとでも? 新見は――」

「やっぱり閑歌さんか。彼女の強さは多少わかっている。力不足だとは言わないさ。力対力なんかよりも何十倍も勝率は高いだろう。だが違う。そういう強さじゃない」

「馬鹿にしているの?」

「もしそうだとしたら、馬鹿は俺もヨミもお前もここにいる全ての人も含まれるな」


 とうとうポカンとなってしまった須原を前に、無理矢理胸を張る。張れているかは不明だが、そんなことは些細なことだ。


「安々と捕まってる俺たちも馬鹿だがな、馬鹿を捕まえてふんぞり返っているお前も大概馬鹿なんだよ」


 俺は知っている。

 知らないということを痛い程知っている。

 生まれてからずっと独りで、話し相手もいない、親がいないどころか味方が誰一人いない世界で。

 それでもたった独りきりで“生”と戦い続ける、その孤独を。寂しさを。哀しさを。虚しさを。冷たさを。

 俺は想像してみる他ないのだ。


「俺はあいつを信じてる。たった独りで孤独と戦い続けたあいつの強さをな。だから大丈夫なんだ。ヨミは俺を信じられるか?」

「……普段だったらちょっと頼りないですけど……今のわけのわからない牽引力があるシランさんなら信じてみてもいいかもしれませんね」


 えへへ、と茶化すように笑うヨミに、俺も笑った。笑えるならいい。大丈夫だ、きっと。


「……それが答えなのね」

「ああ」

「はい」


 ゆらりと。

 ヨミが崩れ落ちた。


「わかりました」


 ソファから落ちるのを止めようとして、結局縺れて一緒に床に倒れた。何とか起き上がろうとする俺の視界に灰色のブーツの爪先が入ってくる。


「彼女が人質だと言ったら、貴方は大人しくしてくれるのかしら?」

「お、まえは――!」

「貴方にはもう撃てないの。でも彼女ならもう少し撃っても大丈夫かもしれない。……どうかしら?」


 『かもしれない』。

 つまり安全は保証出来ないのだ。

 障害が残る『かもしれない』。目覚めなくなる『かもしれない』。


 死んでしまう『かもしれない』。


「クソがぁ……」


 俺は床に額を押しつけた。無力だ。結局俺は何も出来ない。助けられない。


「抗うことの出来ないこともあるわ。それどころか、どうにか出来ることの方がきっと、少ない」


 不幸な世界の不幸な結末。


「貴方ならそれを最後まで見て、それでも不幸だなんて言わないでくれるんでしょうね」


 彼女は何かを懐から取り出すと俺の背に当てた。衝撃が走り、視界が暗転する一瞬。

 ごめんなさい、なんて場違いな言葉が聞こえた気がした。





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