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蒼天の真竜  作者: 逢河 奏
第三章
36/43

035○光忘れず【黄泉】

転がり落ちていく運命は、もはや誰にも止められない。


「シロちゃん、一緒に……行きませんか?」


 ずっと昔。

 泉さんに拾われる前のこと。まだ私が研究所に囚われていた時のこと。

 いつも私を見ていてくれる人がいた。


「行きませんよ。私は行きません」


 懐かしい声。性別わかりにくいな、と良くからかわれていたシロちゃんの声は、いつものようにとても落ち着いていて。

 でも。


「だからお前も行くな、ヨミ!」


 そんな必死な心の声が、あの時は聴こえた気がした。

 でも私は希望が欲しかった。優しい人間だっているんだと、信じたかった。絶望と死だけが世界の全てじゃないという証が、欲しかったんだ。


 ごめんなさい、シロちゃん……。


 貴方を連れ出さなかったことが、今も私の後悔で、心残りです。



○ ○ ○



 緩やかに浮上する意識。そこへ氷柱のような声が降ってくる。


「起きたようね」


 私はその言葉に促されるまま、ゆるゆると体を起こした。私はソファに寝かされていたようだが、シランさんは何故か床に転がされていた。……何だろうこの扱いの違い。

 少しの違和感、だるさのようなものが体中に残っていたが、起き上がるには差し支えないようだった。

 目の前に居たのは先日も会った、冷たい瞳の彼女だ。須原美智乃。長い真っ直ぐな黒髪を垂らし、悠然と私の正面に立っている。

 しかし見覚えのない部屋だった。司令室とは真逆。窓が一つもない部屋だが、ドアはやたらとあり、天井や床にも他の部屋へ繋がりそうな扉が付いていた。相変わらず壁一面灰色に覆われているため、同じ建物ではあるのだろうが……。

 一体ここはどこ?


「どういうつもりですか? なんでわざわざ……薬なんて」


 覚えているのは、シランさんの相談に乗って今後のことを話していたら閑歌さんがやって来て、お茶を出してくださったこと。でも直前で薬が入っているのに気付き、飲むのを拒否したら隣のシランさんが急に倒れ、それに気を取られた一瞬の隙に……いつの間にか気絶させられていたようだ。


「因みに、貴女方を気絶させたのはこれよ」


 そう言って美智乃さんが見せたのは縫い針の先以外を少し太くしたような、ダーツの矢のようなものだ。


「この矢の中は空洞になっていて薬が入るようになっているの。少量だけど、お茶に入っていたものよりもずっと濃いもの。だから効き目は変わらない。でも安心して。ただの痺れ薬だから」

「何が『安心して』、ですか――」

「でもちゃんと貴女と紫蘭さんの量は別々に、適量を入れていたのよ? 心配いらないわ」

「だから何がですか! 貴女は一体何をするつもりなのですか!」


 立ち上がりたかったが、ふらつきそうなので座ったまま美智乃さんを睨んだ。美智乃さんは余裕の笑みを返すのみ。


「話し合いのためよ」

「何故今になって! 貴女が拒否し続けていたんじゃないですか。それに私達は話し合いに行くつもりでした。こんな強引な手を使わずとも良かったんですよ!」

「…………そう」


 私の言葉で唐突に笑みが掻き消され、何だか妙な表情になり、美智乃さんは目を反らした。それは詰まらなそうでもあり、違うような。

 消沈、安堵、悔恨、焦燥、躊躇……そんな感情をごちゃ混ぜにしたような反応だった。

 私は訳がわからず、きょとんとするしかない。一体どういうことなの? 彼女は混乱している、のか? 迷っているのか?

 何を?


「てっきり貴女方はもう対話を諦め、逃げることしか考えていないんだと思っていたわ……ごめんなさい」

「それはシランさんだけですよ……でもシランさんも結局は話し合わなきゃいけないとは思っていたようですが」


 しかしこんな状況で話し合いに応じるとはあまり思えませんがね……。

 そんな呟きが届いたのか、より一層美智乃さんの表情が暗くなる。


「……一年で良いのよ。私に協力してくれない?」

「私達でなくてはならない理由があるんですか?」

「わからないわ」

「わか――はあ!?」


 思わずすっとんきょうな声が出た。何言っているんだこの人、みたいな視線を送ってしまっていたようで、美智乃さんは卑屈っぽく口端を吊り上げた。


「そうよね。組織のトップがこんなこと言っちゃ駄目よね。でも……本音はそう。誰にもわからないわ、正解なんて。それでも何もやらなかったら何も変わらない。もしかしたら私の迷いながら選んだ選択が誰かを殺すかもしれない。けれど私はそれでも、誰かを救えるかもしれない、もっと多くの人を守れるかもしれないという『可能性』を見据えて選択をし続けるわ」


 だから私は酷い人なのかもしれないけどね。

 小さく呟くそれが限りなく彼女の本音に近く感じられて、私は不可思議なその状況に目をしばたたかせた。

 どうして私にそんなことを言うのか、わからなかったから。


「その『可能性』のために私達が必要なんですか?」

「多く情報と確かな技術は何よりも必要なもの、そして貴重。だから欲しいのよ。図書館と司書、それから腕の良い鍛冶師が。貴女、本好きでしょう? うちにある書物全てを自由にする権利をあげるわよ」

「お断りします」


 ピシャリと。不信感が募っていたためか、考えることなく答えが出てしまった。しかし。


「そう」


 彼女の返事も素っ気ないものだった。

 何だか噛み合わない。彼女の真意が読めない。さっきの言葉に嘘はないように感じたが……でも全てじゃない。


「貴女は白いのね」


 唐突にそんな言葉を投げ掛けられ、一瞬言葉に詰まる。


「私の髪、の話ですか? 白いですよ。それが何か?」

「……染めないの? 悪目立ちするでしょう、それ」

「確かに目立ちますし、目立つのは好きではありませんが……それでも染める気は全くありません」

「どうして?」


 あまりに真っ直ぐな問い掛けに視線。彼女は真っ正面から臆面もなく、純粋に尋ねていた。

 私は戸惑うばかりだ。でも答えはずっと決まっている。胸を張って答えるのは訳なかった。


「私を私にしてくれた人が言ってくれたんです、『綺麗な白です』って。私を支えてくれた人が言ってくれたんです、『お前がお前であることは誇っていい』と。だから私は否定しません、否定したくありません。この姿を肯定してくれた方々を否定することになってしまいますから」

「でも目立つわ」

「だから!」


 それを遮るように、彼女は冷たい一閃を言葉で繰り出した。


「研究所に連れ戻されたくないんでしょう? そんな見付かりやすい姿でいいの?」


 血の気が引く。

 彼女はそっと私の隣に腰をかけた。


「だからあの村からなるべく出ないようにしていたのよね。あそこは閉鎖的だもの。隠れるには丁度良かったのよね」


 ――でもこんなところまで来てしまって、大丈夫なの?


「あ、なたが、呼んだんじゃないです、か」

「そう。私が呼んだわ。でも帰りは保証出来ないわよ。断った貴女を守る義務はないわ」


 私は美智乃さんの横顔を仰視した。全く感情の読めない、まるで氷の彫像のような美しく冷たいそれに、私はどうしていいかわからない。


「脅して、いるのですか?」

「何事もなく帰れると良いわねって言ってるだけよ」

「それが脅しだと言うのです! 貴女は何が――本当に、ハルさんの親友、何ですか?」


 ハルさんが泣いている気がする。こんな人じゃないと言い訳並べて必死に謝る姿しか思い浮かばない。嫌だそんなの。

 でも美智乃さんは何も堪えていないようにただ真っ直ぐ前を見ていて。私を見てすらいなかった。

 一方通行。

 ハルさんの痛みが身を持ってわかる。酷い。酷すぎるよ。暖簾に腕押し。まさにそんな感じだ。


「貴女がここに残るなら私の権限で必ず守り切るわ」

「私がしているのは、聞きたいのは――そんな言葉ではありません! どうして……どうして――!」


 無理やりな笑顔で。

 それでも貴女のために笑うことを選び続ける、不器用なあの人。

 貴女のことが大好きな、彼女を、どうして。


「ハルさんをわかってあげないんですか!」

「……他人の全てなんてわからない」

「『他人』なんて言わないで!」


 飛び出しそうになる手をグッと堪え、胸に押し当てながら叫んだ。


「貴女はそんな人ではなかったはずです。いろんな方から話を聞きました。勿論ハルさんからもたくさん……でもそうしてわかったのは潔癖過ぎて完璧主義者過ぎて、でもそのくらい懸命にいつもいつも誰かのことばかり心配して悩んでる、本当に――」


 シランさんみたいな人だと……。


「頑固でしょうがないお人好しな方だと……」


 それでも。


「決め付けでしかないわ」


 貴女には届かないのですか、美智乃さん。


「……本当は、もし貴女がその通りの方で、本を預けるに相応しい方ならば、その部下になっても良いかもしれないと思っていました。けれど……交渉決裂です」

「……そう」


 美智乃さんは立ち上がった。淡々と、やはり虚空を見詰めて言った。


「貴女は強いのね。そのままの自分で居続けられる。ちゃんと貴女は貴女の選択が出来る。瞳も髪も隠すことなく、臆することなく、自分を誇れる。それは貴女が愛されていたからこそ勝ち得た強さなのね……」


 言わないで欲しかった。


「羨ましいわ」


 それは、だって――ハルさんへの裏切りだから。


「言わ、ないで……貴女が――お前が! それを言っていいはずない! お前が言っていいはずない!」


 勢いよく立ち上がるとソファがダンッと倒れた。しかしもう気にはしない。だけど胸元をぎゅっと握り締めて自分を抑えることだけは忘れない。無理矢理暴れるを言葉を押さえ付け、自分の言葉にして吐き出す。


「――だって、ハルさんの気持ちは? ずっと貴女のことを見て、笑い掛けているあの人は? 貴女を誰よりも大切に思っているあの人が貴女を愛してない訳ないじゃないですか! ここに居るたくさんの貴女を慕ってくれている方々の思いを貴女は否定するんですか! 貴女だって強いはずでしょう?」

「私は強くなんてない」

「私だってそうですよ! でも確かに私は皆さんのおかげで自分を偽らず、胸を張って生きていられます。でも貴女のことだって肯定してくれる人が居るでしょう? 貴女の姿を肯定してくれた人が居たでしょう!」


 美智乃さんの肩が揺れた。俯いて顔は見えず、搾り出すような言葉だけが床に落ちていく。


「まるで、見てきたように言うのね……」

「その場に居なくたってわかります! その人を見ていればわかるに決まっています! ハルさんの真っ直ぐな心を知っていれば誰だってわかりますよ――貴女だって、いや貴女が一番わかってるんじゃないですか?」


 しん、と鎮まり返る灰色の部屋はまるで時間が止まってしまったかのようだった。

 時計を動かしたのは彼女の一言。


「……わからないわ」


 それは私を動かす引金でもあった。ギリギリの自制心という止め金はパチンと勢いよく弾け飛んだ。私は体を前へ傾け、足に力を容赦なく溜め込む姿勢を取り、拳を握り締めて殴りかかる。

 その直前。

 まるで予想でもしていたのかと思う程のタイミングの良さで、私が床を蹴る直前。低めの、不機嫌そうなその声が私の背を叩いた。


「ヨミ。お前は、そうじゃないんだろう?」



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