033●貴女の笑顔が【黄泉】
初めての友達。
優しくて強くて面白くて温かくてかっこいい、でも弱くてお人好しな人。
だから直ぐに大好きになってしまいました。
不穏な雲行きの中、笑い合う二人に和めたらいいなー、な第三十三話。
「ということがあったんですよ」
「いやー、なかなかに縺れてんなー。シランも鈍い鈍い。ひひひ」
「笑い事じゃありませんよぉ」
カラカラと笑うハルさんに、私は膨れた。
ここは食堂だ。私達は建物の外に出るのを禁じられているため、ここで食事を貰うしかない。部屋で食べても良いが、運ぶには遠いし、一人部屋だから寂しいし隣の部屋は……あんな状態だし。
でも元々大抵ここでいろんな人と話しながらこの数日は食事を摂っていた。情報収集と力になってくれそうな味方集めが目的だ。それなりにここの状況はわかったつもりだが……わからないこともある。それを知りたいがハルさんに訊くのも……ちょっと躊躇してしまう。それに何だかそれどころではない状況になってしまったし……。
私は力なく食堂のテーブルに突っ伏す。するとハルさんが小さく首を傾けた。
「なんや、そないに困っとるんか?」
「そうですよぉ。このままじゃシランさん達が帰られたとしても、崩壊しちゃいます」
「家庭崩壊やなぁ」
「ですよー」
はあ、とため息を吐くと、ハルさんがにゅっと首を伸ばして下から私の顔を覗き込んできた。ふわりと前髪がひっくり返る。
「なんですか?」
前髪を戻してあげながら、太い眉だなぁ、とぼんやり思う。茶色がかった色だからあまり気にならないし、それはハルさんぽい気がした。そんな眉をひそめたハルさんが、心配そうな目で私を見上げる。
「疲れとるみたいやん。ちゃんと寝とる?」
「寝てますよ、しっかり七時間」
「ああ、ほなら大丈夫やな。でもなんか手伝えることあったらちゃんと言うんやで?」
歯を見せた底抜けの笑顔。何だかほっとした。
気が付けば周りはぐらぐらのぼろぼろになっていて、でも彼らなら大丈夫だろうと小さな手助けしかしないでいたら、どんどん暗雲垂れ込めるムードになってきてしまった。
私のせいじゃないけれど。
私のせいだよな、って思う。
とうとうロウ君まで放り出してしまったし、どうしていいのやらと途方に暮れている状況だ。まあ、無理もないだろう。多分、ロウ君も私と同じようなイメージをシランさんに持っていただろうから。でもきっと、私よりも前から一緒にいたロウ君の方がショックが大きかったのだろうなとも思う。
シランさんはただひたすら前を見て、突き進む人だ。そしてその方向は、彼が信じる正義に向いている。お人好しとか、馬鹿みたいに見えるようなことも、自分を曲げられないから、自分が正しいと思う信念のまま突き進むのだ。
だから信じられると思った。
親しい人にしか関心がない癖に、困っている人、苦しんでいる人はほっとけなくて。大切な人に良かれと思うことをいつも考えて、行動する。不器用で上手く行かなくても、思いは確かに伝わる。どんなに真っ直ぐ進んでも、彼ならどこに居ても大切だという気持ちは忘れない。
そんな愚直だけど温かさのある彼の道には人が集まってくる。それはそんな彼の信念が好きだから。生き様が好ましいからだ。
なのに。
今のシランさんは周りが見えていない。誰かのためなのに、その誰かが見えていないなんて。ほったらかすなんて。
本末転倒じゃないですか、シランさん。
貴方の光に集まった人の中には、貴方が傍にいないと迷子になって泣いてしまう人もいるんですよ?
「『わかってよ』……ロウ君の気持ち、痛い程わかります」
「シンが可哀想やもんな。裏で泣いてるような顔して笑ってんやもん。しかも笑ってんの、素やろな。美智乃やロウんのとはちゃうなぁ、重いなぁ……」
「ロウ君も笑うの得意ですけど滅多にやりませんよ? 受け流すような、誤魔化すような本心では笑ってない笑顔は。相当堪えているんだと思います。ちゃんと隠せないくらい」
「やなあ」
ふは〜、とハルさんまで突っ伏した。長く並べられた食堂のテーブルを横断するように二人は真ん中で顔を見合せ手を伸ばす。
ちょっと届かないな。
そんなことを考えていたら。
「とうっ」
と掛け声と共にハルさんが伸びてきて私の手を握った。完全にテーブルの上に腹這い状態だ。
「ハルさんお行儀が悪いですよ」
と言いながらもつい笑ってしまう。ハルさんも笑うけど、テーブルに腹這いになっているため笑いにくそうだ。そんな自分までおかしかったのか、更に笑ってガタガタテーブルを揺らしていた。私はそっと手を自分の顎の下に引っ込めて枕の代わりにした。
「ハルさんは横着者ですね」
「あはは、そういう性分なんや」
「……ありがとうございます」
私は居住まいを正すと、丁寧に頭を下げた。ハルさんが慌てる。
「ななななんやあ?」
「笑わせたかったんでしょう? 私を元気づけるために。でも嘘は吐かなくていいですよ」
「嘘? 嘘やないでヨミ」
「だってハルさんって、案外よく考えて、結論出してからじゃないと動けないタイプでしょう? だから本当は横着者じゃないんですよ、不器用さんなんです」
「……それ笑いの説明させられる並みに恥ずかしいんやけど」
突っ伏したまま、顔を真っ赤にするハルさんは何だか可愛かった。
「頭なでなでしてもいいですか?」
「この流れで!? まあ、ええけどぉ」
「じゃあ失礼して」
私はそうっと手を伸ばした。丁寧に慎重に、柔らかいハルさんの髪の上に手を置く。
「ふわふわですね」
「そういう毛質なんや。ほんまぼわぼわして結ばんと収集つかんし、困った頭なんやぁ。……嘘やないで!」
「そうですねー」
優しくゆっくりとハルさんの頭を撫でて微笑んだ。ハルさんはふう、と息を吐き出すと目を閉じた。されるがままなハルさんは何だか犬みたいだった。
「犬好きですか?」
「ほえー? んー、動物全般が好きやで。特に鳥が好きやけど」
「鳥ですかぁ。ハゲタカとかコンドルですか?」
「そうやな〜、って、どないして猛禽、しかもごついのばっか並べるんや!? うちがいっとう好きなんはカナリアやで!」
「小鳥、ですか? ハルさんは可愛いカナリアがお好き……」
「なにその信じられないみたいな反応! 似合わない、意外ね、みたいな! うち女の子! 一応女子やで! カナリア好きでもええやないかあ!」
バシバシテーブルを叩いて猛抗議なハルさん。私はにっこり笑った。
「はい。カナリア好きなハルさん、可愛いと思います」
するとまた分かりやすく真っ赤になるハルさん。あまり耐性がない模様だ。
「そんな直ぐに顔が赤くなってしまうハルさんもとっても可愛いですよ」
「お世辞はやめてえなぁ〜」
「お世辞は言いませんよ。ハルさんと話してるととてもとても楽しいです。ずっと声を聴いていたいし、顔を見ていたいです。落ち着きます」
「うちにそないな便利機能、ついてへんで……?」
警戒したような顔で、おどおどしたような変な顔で自分を指すハルさん。
「ハルさんってちょっとシランさんに似てますよね」
「ふえい!?」
一応驚きの声らしい。
目を真ん丸にしたハルさんがまじまじと私を見た。
「似とるか? 全然似とらんように思うけど」
「そうですか? 不器用で空回りしやすいところや、自分よりもまず自分にとって大事なものを優先させようとするところ、似てますよ?」
「うあぁ、不吉やぁ〜」
とハルさんは頭を抱えてうめいた。確かに今のシランさんを見ていると、そして似てるなんて言われたら明日は我が身か、なんてことを考えてしまいそうだ。でも。
「反面教師という言葉もありますよ? ハルさんはちゃんと手段と目的を混同せず、広い視野を保つよう、気を付ければいいということがわかります」
「でもうちも割と一点集中型なんやけど……」
不安そうに人差し指と人差し指をくっつけたり離したりと、何だか小さな子供みたいな仕草をしながら上目遣いで私を見るハルさん。
だから私は安心させるように笑った。
「大丈夫です。もしハルさんが道を逸れそうになった時は、私が教えますから。遠く離れてしまったら難しいと思いますが、でも今は私がいます」
だから。
「だから大丈夫ですよ」
頭を撫でて、優しく微笑んでそう告げた。まあ私じゃ頼りないでしょうけど、いないよりはマシですよきっと、なんて茶化してみる。
ハルさんはへにゃ、と相好を崩した。何だか無駄な力が全部抜けた、ほっとした顔に見えた。
「マシなんてもんやない。百人力、いや、百万人力や!」
「やっぱりハルさんは笑顔が素敵です」
「ヨミィ! 脈絡なく誉めんといてえな! 心臓に悪いわぁ」
「そんなに刺激的ですか?」
「うちの心はガラス製やからなっ」
胸を張って、というか海老になって腹這いのまま胸を張る、器用なハルさん。うーん、ここも似てるかもしれない。手先とかは器用だけど、対人関係は不器用。……違うかな?
「やっぱりハルさんといると楽しくて癒されますねぇ」
「大袈裟やなぁ、ヨミは」
ふと思った。
「そう言えばシランさんのことは割とあだ名、ですか? 不思議な呼び方をいろいろしてるみたいですけど、私やシン君には普通ですよね? どうしてですか?」
「つい。ほら、嫌がる人には意地悪したくならへん?」
「……ハルさん、最低です」
「すまんっ! でもこれこそ性分なんや!」
「それは……わかる気がしますが」
「あ、納得された」
ちょっとショックだったらしく、テーブルに倒れ伏した。やっぱりハルさんは本当のことを普通の冗談としてはあまり使わないようだ。じゃあ微妙に無自覚だった? ……シランさん、御愁傷様です。
「まあ、ええけどな。あ、あとシランの方が何となく弄りやすいからな。名前もシ・ラ・ン、で三文字やし」
「でもシン君は真太郎君なので六文字、二倍弄りやすいのでは?」
固まった。ハルさんが顔を上げたかと思ったら口をあんぐり開けて固まってしまった。
「どうかしました?」
「シンが名前やないの!?」
「フルネームは巽真太郎ですよ、シン君」
「うぁあああ!」
友達の名前すらちゃんと把握しとらんなんてうち最悪やぁああああぁぁ〜、と本気で頭を抱えて苦悩し始めてしまった。私は慌ててフォローの声を挟む。
「シン君は! シン君はですね、あまり自己紹介が得意ではないようで、シンとしか名乗らないことがよくあるようなので、えと」
「それでもちゃんと訊かんかったうちが悪いんやぁああ!」
何だかほっとくと頭でも打ち付けそうな勢いだったので、その顔を両手で挟み込み、こちらに向けさせた。
「ハルさん。今知りました、それで良いじゃないですか。気が済まなければ後でまたちゃんと自己紹介すればいいんですよ。だからあんまり自己嫌悪しないでください」
真剣な瞳でハルさんの明るい茶色の瞳を見た。ハルさんは呆けた顔で私を見上げた。
「それでええんかな?」
「それでええんです」
大真面目な顔で繰り返したら、何故かハルさんが吹き出した。
「な、なんで笑うんですかぁ」
「だってヨミ、かわええ! 全く、もう、あは、あはは」
大きく開いた口から大きな笑い声が生み出される。テーブルの上で転げ回るハルさんに、私は苦笑した。
なんだか、和んだ。
ハルさんが笑って、皆も釣られて笑って、それで平和は具現化される。現実になる。
ならそれで良いじゃないか。なんて、思う。
現実的ではないのだろうけど。
「そや! ずっと言おう思てたんやけどっ」
「はい?」
ハルさんはくるりと一転して起き上がるとずりずり膝でテーブルを歩き、私の隣の席に降りてきた。にひひ、と上機嫌な笑顔を向けて口を開く。
「『ハルさん』ってなんつうか、他人行儀っぽくあらへん? なんか可愛く呼んでえな」
「可愛く……例えば?」
首を傾げて問うと、ハルさんはくねくね揺れながら楽しげに答えた。
「そうやなそうやな〜。ハルっち、ハルハル、ハルルー、さかちゃん──なんや恥ずかしくなってきたんやけど……」
「恥ずかしくないですよ。可愛いかがよくわかりませんが」
「そうかぁ……まあ、とにかくさん付け以外がええな〜、つう我が儘。仲ようなりたいし、なあ?」
「そうですね、では……」
「ウンウン」
何だか期待の眼差しを受けて、私は発表した。
「ハル……ちゃん、とお呼びしても、よろしいでしょうか?」
「『ハル……ちゃん』ねえ」
「うわぁあぁあ、その不自然な間は除いてくださいっ!」
顔がカァーと熱くなる。呼び捨てにしようかと一瞬思ったけど無理だったので苦し紛れに「ちゃん」を付けてしまった。恥ずかしい。中途半端で情けない、臆病な自分が壮絶に、恥ずかしい。
「じゃあそうしよか」
ハルさんはにっこり笑って頷いた。
「ハルちゃんね、なんかかわええなあ」
「そう、ですか?」
「今までそんな呼ばれ方されたことあらへんし、新鮮やわ。是非呼んで欲しいな〜」
嬉しそうに細められた、温かな視線に、私は急に気が引き締まるような気持ちになって、慌てて背筋をぴんと伸ばした。
「は、はい、は、ハルちゃん……さん」
「『さん』は取って!?」
「はい! す、すみません!」
ああ恥ずかしい。何故だろう。年上の方だから、なのか。つい『さん』を付けてしまう。ううう、と私がうめいているとハルさん、じゃなくてハル、ちゃんがくすりと笑った。
「まあ、頑張って慣れてえな。待っとるで」
「うう、はい……ハル、ちゃん」
「ああもう可愛い過ぎるでヨミ〜、抱き着いちゃうで?」
締まりのない顔でハルちゃんがにへへと笑う。でもその言葉に急に冷めてしまった。
「抱き着くのは、NGです」
「なんでや〜」
「駄目なものは、駄目なのです。危ないのでハルさ……ちゃんは、駄目なのです。私にはそれに応える術が、ありませんから……」
私は逃げるように下を向いて、突っぱねた。ハルさんの困り顔が見えなくても見える気がした。でもハルさんは苦笑混じりに、柔らかな雰囲気で、でもちょっとおどおどと慎重な感じに言った。
「うち、割と丈夫やから、ちょっと気を付ければ平気やと思うで? 簡単にはぺっちゃんこにゃ、ならへんよ? まあ、うちも気をつけるし、なあ?」
「あ、お見通し、ですか」
また顔面が沸騰した。さっきよりももっと顔が熱くなる。
私は怖い。自分の瞬間的な怪力が。もしつい力を入れてしまったら? 卵でも握り潰すように……してしまったら?
私は力の調節が苦手だ。何故なら普段はそんなに力が強くないのだ。本気を出さなければ、多分シランさん並みに弱い。でも、本気を出せば多分ロウ君にも勝てる。純粋な力比べで。
瞬間瞬間に出せる力の上限が半端ないのだ。だから私は気を付けなくてはいけない。身近な人を傷けないように。
人が怖い理由の一つがこれでもある。人は弱くて柔だ。
近くにいることすら怖い。
はずなのに、なんでだろう。さっきなんて頭を撫でてしまった。自然に出た欲求で、とても自然な行動に思えた。その後も顔を両手で挟んで、いやでもあれはハルさんが頭を打ち付けたりしないようにと必死で、つい……。
だめだ。ハルさんに対しての防衛線、ぼろぼろだ。きっとハルさんが……近いからだ。
「ハルさんって、確信犯だったんですね」
割とよく近付いてくる。正直いつも……怖かった。なのに数日で馴染んでしまったらしい。自分から手を伸ばしてしまうくらい。
「う、すまん。でも、ほっとくとヨミってどんどん逃げよるから、近づこうとせえへんと、ダメやろ?」
まさしくその通り。
私は大切に思うほど適度な距離を測る。物理的に、精神的にも。そのはずだった。
「……そうですね。すみません。でも、ハルさんも少しは知っているんでしょう? 私の存在は凶器みたいなものです。そもそも、そういう風に使うための物でしたから」
「凶器やない。ヨミは凶器でもバケモンでもない。道具でももちろんあらへんのや」
ちゃんと私の言葉を最後まで聞いてから言ってくれた台詞は、噛み締めるようで、丁寧に認められた手紙のようで。
「だからもう言わんでえな。悲しいやないの。切ないやないの……」
「すみません……ありがとうございます。つい、言ってしまうんです。嘘を吐きたくない人に対しては、思ったまま、言ってしまうんです」
嬉しかったから、私もちゃんと答える。不安そうに私を覗き込むハルさんの視線を受け止めるように、胸に手を当て、目を閉じた。
「簡単には考え方は変わらないと思います。でも、変わりたいとも、思っています。だから」
目を開ける。明るい茶色の大きな瞳を真っ直ぐに見た。
「私の変化をゆっくり、見守ってくださると、嬉しいです。悲しませるようなことを出来るだけ言わなくて済む、強い人に少しずつなりますから。だからこれからも──」
恐る恐る。情けないくらい震える手で、ハルさんの、ハルちゃんの手を握った。割れ物を扱うようにそっと、怖くてほとんど力を入れられなかったけど、温かさが伝わる手を取って口を動かす。
「友達になっていてください」
「当たり前やないの」
ハルちゃんは唇を緩く笑みの形にして、目元を和ませた。
「それに変な言い方やな。『友達でいよう』でええやん。それに友達はずっと友達や。友達やーめた言ってもな、そう簡単に消えたりせえへん。脆いかもしれんけどな、繋がった縁はきっと見えへんとこで繋がってる。だから『なっていて』なんて、言わんでええよ」
力強く握り返してくれたハルちゃんの手が、何かを補ってくれている気がして、ほっとした。
「ハル、ちゃん――」
明日も明後日も。いつか、ずっとずっと遠い未来の日も。
そんな笑顔が、私を癒すでしょう。そんな笑顔が、私の支えとなるでしょう。
「――ありがとう」
「おう!」
向日葵のような、あなたの温かな笑顔が。