030●脇目も振らず【紫蘭】
どこまでも真っすぐに。
大切な人のために。
そんなシランの第三十話です。
滞在二日目。
……長い。
灰色の憂鬱な廊下は延々と続き、カッカッというブーツが床を蹴る音が響くだけだ。
また曲がり角。しかしその先はまた灰色灰色灰色。
「壁くらい白か他の色にしろよ」
苛々と無駄な悪態が思わず口をついた。無限にループしてるのではないかと疑いたくなる程不可解な建物だった。とにかく切れ目なくひたすら廊下が続く。
「……どこだここは」
と呟きながらも足は止めず、灰色の世界を闊歩していた。
扉はたくさん見掛けるが、しかし昨日訪ねた司令室とやらがなかなか見付からなかった。一応昨日の道を遡っていたはずなのだが、どこかで記憶違いがあったのか、いつの間にか全く見覚えのない場所に来てしまった。扉の間隔はやけに広い。会議室とかそういう大部屋の区画なのか?
しかし、だ。
「何故朝の六時だというのにここまで人気がないのだ……」
珍しくシンが寝坊していたので単独行動が可能になったのは良いが、本当に誰にも会わない。安全面として大丈夫なのかと疑心を抱いてしまう。
因みにロウは熟睡だった。早起きなシンに対して、ロウは空腹か誰かが動き出さないと起きない。ほっといたら二日三日は寝ていそうだ。寝る子は育つと言うが、あれは寝過ぎだろう。今までどんな生活を送っていたんだか、とちょっと不安になったものだ。危険が迫れば飛び起きるのだろうが。
とにかくだ。早々に話し合いに決着をつけて帰る。それだけが俺の為すべきこと。ここまで来てしまったことへのけじめだ。早くもここに来たことを後悔し始めていた。妙な対立や人間関係。何やらきな臭い空気が漂う、危なっかしい組織。長く居てもろくなことにならないだろうし、最悪あの司令官様の作った落とし穴にでもはまって帰られない状況になってしまいそうだ。そんなのそれこそ詰みだ。俺は帰らなくてはならない。あいつの日常は、平穏な幸せは、あそこでなければならない。第八特区の住人がいる、あの場所でなければあいつの家にはならない。
「……帰らなくては」
そう、強く思った。
● ● ●
何だか見覚えのある雰囲気だな、と思っていると目当ての扉を見付けられたようだった。急に狭まった一直線な廊下の突き当たりの、小鳥のレリーフがある扉だ。小さく息を吐き出すと早速戸を叩いてみる。
「観月だ」
コンコン。
「須原美智乃、昨日の続きを話したい」
コンコンコンコン。
「開けてくれないか?」
手を止める。しかし鎮まり返るだけで全く反応がない。これは留守なのか。それとも滞在期間を引き延ばしたいがために話し合いをしたくない、という理由で居留守を使っている、とか。
「おい須原さん、観月紫蘭だ、話し合いに来た」
しかし沈黙。
仕方ないので次のアクションだ。俺はドアノブを握った。もしかしたら開いているかもしれない、という可能性があるからだ。あまり良い気分ではないが物は試し。いつまでもここに引き留められているわけにはいかない。
ガチャッ。ガチャッ。
「…………」
やはり鍵がかかっているようだ。どんなにノブを回そうとも、引っ掛かったような音しか返らない
。ならば、としゃがみこんだ。これこそ邪道だが、やろうと思えば鍵程度上手く行けば解錠、上手く
行かずとも破壊程度は軽いものだ。……流石に破壊はしないが。
とにかく一条の光にすがるようにノブの下を覗き込んだ。
「…………なんだこれは」
ノブの下には鍵穴がありそうなスペースはあった。しかし、ない。
鍵穴が、ない。
俺は腕を組む。これは内側からしか鍵がかけられない作りなのだろう。だがもし部屋の者が全員退室した場合、鍵は誰がかけると言うのか。密室か。な訳がないだろうが。こんなところでミステリーしていてどうする。普通に考えて他に出入口があるんだ。例えば上か下の階に続く階段があって、私室に繋がっているだとか。あるいは──。
「みっしー、おっはよお!」
「…………はあ」
ツッコむ気も起きなかった。多分名字と名前から一字ずつ取ったんだろう。もうどうでもいい。
「お前は一体何がした──」
背中にかけられた謎の挨拶にため息を吐きつつ、後ろを見て言葉をなくした。
ピョコピョコと明るい茶色の三編み尻尾が、女の割に広い背中を見せ付けるように跳ね回る。とても、良く見える。何故なら。
「……わざわざ後ろ歩きをしている理由を、訊こうか……」
「なんで、って、三編みがうちの特徴やん。早く覚えて貰うためにはやっぱり特徴をアピールしなあかんやと思ってなー」
背中をこちらに向けて喋る不審者は、器用にそのまま兎跳びで進んでくる。跳ぶ度に三編みがピョンと跳ねた。
「昨日のあれでもう十分だからこれ以上の奇行はよしてくれ……」
「えー、何やつまらへんなぁ」
これ程インパクトのある人間も珍しいだろうに、こんなに濃い人間を直ぐに忘れられるやつなんているのか? そしてこいつは敢えてやっているのか? それとも無自覚なのか、このキャラの鬱陶しさは。
榊原は何故か渋々といった体で体の向きを修正した。すたすたと近寄ってくる。
「で、お前もここに用か?」と扉を目で示す。「生憎留守のようだが」
「そうみたいやなー。でもうちの用は美智乃やなくて紫蘭くんやで?」
「は?」
予想だにしない回答に思わず柄の悪い訊き方になってしまう。だが榊原は朝から相変わらずの半笑
いでへなへな笑っているだけだった。
「うち仕事やから制服着なあかんなー思て早起きして、男子部屋覗いたら紫蘭くんだけおらへん。なら美智乃でも脅しに行ったんかなーと思ったんや。どや、名推理やろ!」
「…………まあ、そだな」
「適当やなあ!」
何がツボだったのか、ガハガハ大笑いする三編みの変人。付き合い切れないので強引に話題を戻す。
「おい。この扉、外からは鍵の開け閉めが出来ないようだがどうしているんだ?」
榊原は目尻に涙を浮かべながらも普通に答えた。
「そら別の出入口があるからに決まっとるやろ。それよか紫蘭くん、ようここまで辿り着けたなぁ。この辺り、特別複雑になっとって、一度通ったくらいじゃ道がわからへんようなるもんなんやけど」
「別に……昨日の道を辿っただけだ」
「てっきり迷子になってる思て来たんやけどな」
「…………」
否定出来ないが肯定するのも癪で無言で榊原から目を反らす。素直やなぁ、と笑って言ってくるもんだから面白くない。
「あは、ふて腐れとる~」
「うるさい」
「うん紫蘭くんもかわええな。うちの二つ下やったか。やっぱり年下はええなぁ」
こいつが言うとどうしても変態発言にしか聞こえないのは何故だろう……。灰色を背景に、落ち着きなく爪先立ちをしたり戻したりと伸び縮みを繰り返す榊原はしまりのない笑み。
「まそれは置いといて~。ほな行こか」
「行くってどこに」
「紫蘭くんらの部屋や。一人で戻るんは大変やろ?」
「俺はまだ用が済んでいない」
「どうせ強行突破でもしない限りあの扉は開かへんし、そうしたって美智乃が不機嫌になるだけで話し合いになんて持っていけへんよ。うち、仕事の報告まだやから、そん時に訊いとくで」
動きを止め、わざわざ下から覗き込んでくる榊原。真剣な眼差しであるし、ふざけることがあっても嘘は吐かないだろうと思う。下手そうだし。
「な、ダメ?」
しかしこのおどけたような言い方がどうにも苦手だ。ここはすっぱり真っ向から堂々と行けばいいだろうに、どうして下から目線なのだ。
「およ? なんかシーくん、不機嫌?」
「お前の、な」
「ん?」
「お前のその逃げの姿勢がオレは大嫌いだ」
「ぐぁあーん!」
「……は?」
「ショック! ショック受けとんのや、ガーンて!」
手を振り回して説明してくる榊原に、何だか白けさせられる。こいつは真面目にやると死ぬ、不治の病にかかってるとかいう事実でもないだろうか。その方が納得できるんだが。
「紫蘭くん! うちのこと嫌いやの!」
「まあ、どちらかと言うと」
「ガガガガーン!」
グレードアップしたらしい。
「なんでそういうとこ素直なんや! しかもツンデレ解釈もできひんような微妙に生々しいアンサーやなんて。そんな酷い人だったやなんてー!」
「もう勝手に喚いてろ」
付き合いきれないとばかりに踵を返した。こいつと話してると非常に疲れる。すたすた歩き出すと、待ってえな、と榊原が追い縋ってきた。粘るな。
「なあなあ、また迷子になるで? そうやってどんどん紫蘭くんが迷子になったことが広がって、最後には『観月鐵の息子は方向音痴で、本部棟で迷子になったんだってー』てな噂で持ちきりになり、密かに連綿と語り継がれる伝説になるんやで?」
「……それは脅しか?」
「ん? なんで?」
自分がその噂を流布するぞ、という脅しだ。しかし本気で全く考えていなかったのか、ぱっちりとした明るい瞳を瞬かせる。天然、なのか……。
「これはこれでまた質が悪い……」
ぼそりと呟くと、やはりしっかり聴こえていたようで、半目になった榊原が低い声で問い返した。
「なんやてえ?」
面倒なことになりそうなので早足になる。突き当たりにある窓から見えるケヤキの木を見て確か右だったかと思い出し右折した。
「シラーン、左やで? マジで方向音痴だったりする?」
「…………」
沈黙は雄弁に語る。それは何だか嫌なので俺は悪あがきのように口を開いた。
「残念ながら否定する材料は、ない」
寒い風が、この長大な廊下を吹き渡った気がした。
暫く気まずい沈黙に包まれる。しかし榊原は果敢にも口を開いた。
「訊いてもええか?」
「却下だ」
「……本当に嫌いなんやな、うちのこと」
「まあまあな」
しょぼくれる榊原を先導に、ゆっくりと歩く俺。灰色の廊下は相変わらずだが、時間の経過に伴い、ちらほらと住人と呼ぶか職員と呼ぶか。若草色の制服にワッペンを付けた人間がせかせかと歩く姿を見掛けるようになってきた。
「おはようございます!」
「おう、はよー」
とひらひらと手を振って応える榊原に急ぎながらも勢いよく頭を下げ、ハキハキと挨拶をしていく制服姿の女性。なんと言うか。
「案外慕われているんだな、お前」
部下が可愛いとか言っていたのもそれなりのことはしているからこその台詞だったか。
「いんやあ~、それほどでもー、あるでえ?」でれでれと、えへえへと、締まりのない笑顔で頭を掻く榊原。「頑張ってるからなっ。こんくらいちやほやされるんわ、まあ、普通やなぁ。でも特に女の子は……ええなぁ」
「お前は絶対に女の分類に入る人間ではないどころか、人類の枠にすらいれたくなくなるな……」
「うちは人間やで!」
プンスカという効果音でも付きそうな怒り方だった。自称人間の榊原は、肩を怒らせて、不満そうに歩く。三編みが随分と景気良く揺れていた。
「そう言えば……」
「ん、なんや?」
思い出し、つい口をついたが、言うのは憚れることだった。しかし榊原はきょとんとした顔で首を傾けるだけだ。
「別にうち、『お前は既に死んでいる!』とか言われてもちゃんと受け切る自信あるで!」グッ、と親指を立てる。「どんと来ーい!」
誰かの台詞なのか、『お前は』の下りだけ無理矢理な低い声で言っていたが、とにかく無駄にテンション高め。何を受け切るだのどんと来いなのやらさっぱりわからない。
「ひあぁ。そんな冷たい目で見ないでえな。うち、そういう『ふうん』みたいな冷めた対応がごっつう苦手なんや!」
「なら対応に困る発言は自粛しろ」
「なんやって! そんなんつまらへんやないの! 当たって砕けるんや!」
「もう勝手に砕けてろよ……」
「ほらあ! ほらほらまたその目ぇ! ランランのドSー!」
また呼び方が増えてるよ。『ランラン』ってなんだよ。
じと目で淡々と視線を送っていると、榊原は「いーやー」とか言って顔を手で覆い、いやいやと全身で表現していた。こいつ揺れるのが好きなのか……?
しかし唐突にぴたりと動きを止めるとそっと指の間からあのぱっちりとした目を覗かせた。ちょっと怖いぞ、見た目。
「さっきの『そう言えば』の続き、きいちゃあかん?」
「……そんなに気になるのか?」
「うん」
真っ直ぐで澄み切った、まるで小さな子供のような純真な眼差しに面食らった。俺より年上で、ちゃらんぽらんなイメージで、言ってることは大抵滅茶苦茶、やってることも無茶苦茶。なのに急にそんな目をするのかと。
掴み所のない女だとほとほと思う。
「お前が嫌な気分になる話だぞ?」
「そんなん聞かなわからへんて。それにうち、気にせえへんし」
「……それが気になるんだ」
「あはは、シランってばやっさしー」
笑ってるはずなのにどうしても笑ってるように見えない榊原の顔が、悲しい。どうしてこいつはいつもそんな感じなのだ。何だか榊原がヨミにいの一番に友達になろうと言った理由がわかる気がする。
似ているんだ、二人は。
でも似てない。何故なら片方は怖がり、片や強がりだから。でも、生き方が似ていると思う。彼女らは悲しい時も、苦しい時も、怖い時も、寂しい時も。
全部笑うのだ。
どんな時でも笑うんだ。
それしか知らないかのように。まるで自分を殺すように。俺には出来ない生き方だ。シンも悲しかったら泣き喚くし、ロウは嘘つきが嫌いだから無理に笑ったりしない。
「お前のそういうところが……嫌いだ」
「うええ! なんでこの流れでまた嫌い宣言出るん!? はっ! もしやツン──げふっ」
腹を小突いた。美崎以上に鬱陶しいわ質が悪いわでもうこいつ、嫌。
「し、し紫蘭がぶった! あのフェミニスト紫蘭が! 略してフェランが!」
「略すな」
「ええやーん。でもただ略してもつまらへんよなー。なんかええ略あらへんかな?」
「はぁああぁぁあああぁ~」
「うわっ、超特大ため息!」
もう胃に穴が開きそう。きっと相性の問題なんだ。ヨミやロウなら全く問題にしないのだろう、やたらと話を脱線させたり相手の嫌がることを繰り返すこいつの相手をしても。
でも俺は無理だ。こういうやつは大の苦手だ。
自分もろくなこと口にしない気がする。幸い見覚えのある景色になってきた。
「あとはこの右手にある階段を下り、その先の角を曲がって暫く歩けば俺達が借りてる客間。合ってるか?」
「合ってるけど、なんでや?」
「もう道はわかる。だからお前はもう仕事に行け」目を合わせようとしてくる榊原から逃げるように顔を背けながら。「もう俺は大丈夫だから。流石に方向音痴でもそれだけわかっていれば大丈夫だろう?」
「…………」
返事がない。怪訝に思い前に顔を戻すと。
ぼろぼろ泣く榊原がいた。
「さ、榊原?」
「それ、それも、嫌やねん、名前で呼んでえな、ハルハル呼んでえなぁ」
なんで泣いているんだ? 訳がわからない。音もなく、ただただボタボタと涙を落としていた。
「うちはウザいって知ってるけど、でも笑ってるしかあらへんし、楽しそうにしてなきゃ挫けてまうような気ぃするし、本当に弱虫なんやけど」それでも真っ直ぐ俺の目を見詰めて。「でもシラン君に嫌って欲しくない。うちのことは別にええけど、こことか美智乃のこと、嫌って欲しくないんや。うち、我が儘で嫌な奴や。だからうちだけにしてな。帰りたいって思うなら、うちが帰すから、何とかするから。だからぁ」
ああ、こいつ以上の馬鹿はいるのか、と思った。だから「お前は阿呆だな、真性の」と言った。そして本当に天の邪鬼だ。
「お前、言っていることが間違っているぞ」
「な、なん?」
「一点だけ、間違っている。お前は嫌われたくないんだろう? 組織や友人だけでなく、自分も好きになって欲しいのだろう? なのにどうして自分を傷付けるようなことを言う? そんなお前は阿呆としか表現しようがないだろうが」
呆然とした榊原の間抜け面を見上げる。情けないくらい涙でぐちゃぐちゃな顔だ。
「お前が我慢したり想いを圧し殺す必要はどこにもない。もっと素直に生きろよ」
「……あはっ。シラン君に言われたか、ないわぁ」涙に震える声、でも喜色も混じり、ちゃんと笑顔だった。「ツンデレ王子がよく言うわ」
「俺はツンデレでも王子でもない。それに……お前、自分で言っておいて自分はそうしないなんて不公平だぞ?」
「な、何が?」
「シラン『君』ってなんだよ。呼び捨てにしろ。でなけりゃ俺は延々と榊原と呼ぶが?」
もう、泣いていなかった。我慢出来ない笑みが溢れていた。
「ほんまシランはツンデレやな!」
榊原は、ハルは笑っていた。夏の太陽のように。
● ● ●
訊きたかったのは何故化物と呼ばれたことがあるのか、だった。しかし訊くのは憚られ、結局口にせず、部屋前に辿り着いた。窓もない灰色の殺風景な廊下。等間隔に並ぶ無機質な乳白色の扉。
その前に赤銅色の髪をした少年が一人俯き、座り込んでいた。
「シン……?」
俺は慌てて駆け寄る。パッと見た限り怪我はないようだし、服も汚れていない。一体何があったのか、と考えているといきなり抱き着かれた。
「どぉおこ行ってたんだよぉおおぉぉ……」
ぎゅぅ、とベストが掴まれ、顔が強く肩に押し付けられる。
冷たかった。シンの目元は濡れていた。
「…………悪い」
「居なくなんないでよ、消えないでよ、心配するだろおぉぉ」
ひっくひっくと泣きじゃくるシンに、何を言っていいか分からず、沈黙する。情けない。俺は情けなさ過ぎる。一体俺に何が出来るというのか。慰め方なんて知らない。今も昔も。
シンが落ち着くまで、俺はただ彫像のように手を垂らしていただけだった。
「ご、めん、なさい……」
目元を乱暴に拭おうとするシンを止め、カバンから手拭いを出し、拭いてやる。
「何故謝る。お前に非はないだろう」
「ぅん、シラン悪い……」
お前なぁ、と苦笑したがシンは思い詰めたような固い表情のままだった。自然、眉尻は落ちる。
「どうしたんだ、何があったんだ?」
「シランが置いてった」
「で?」
「……それだけ」
「それだけ? 本当にそれだけか?」いぶかしむように皺を寄せて顔を近付けた。「何かあったんじゃないのか? 無理して隠し事するな。言いたいことはちゃんと言え」
「じゃあ、言うけど」
「ああ」
「シランの鈍感! バカ! あほぉおおお!」
いきなり叫び出したかと思うとシンはダダッと駆け出して行ってしまった。バタンという音が廊下の奥から響く。ヨミの部屋に駆け込んだようだった。
「……何なんだ?」
「いやぁ、流石にうちでもわかったんやけどなぁ」
ハルまで呆れ顔だ。一体何だと言うんだ。つい憮然とした顔になるが、俺は仮に自室になっている部屋の戸に手をかけた。
「あれ、追い掛けんでええの?」
「そうだな」やっぱり覗き込もうとしてくるハルから視線を反らして鬱々とした気分のまま言った。「しかし俺はこれ以上ろくなことを言わないだろう。だからそっとしとくのが最善だ」
「まあ、ええけどさ、きっとシンはシランに声かけて欲しいと思うで?」
「……仕事行け」
「それもそうやな。ま、頑張れやシラン」
すっと離れたハルを目で追うと、歯を見せてにっと笑っていた。
「ほな、またな~」
ぱたぱたと手を振ると、ハルは小走りで去って行った。本当に大丈夫なのか、と思う。須原の次の次に偉いんじゃなかったのかと。
「慌ただしいやつだな」
「賑やかで、楽しい人だよね~」
「っ!」
のほほんとした顔でいつの間にか背後にロウが立っていた。手には何故かお盆と食器四セットで作ったタワーがある。
「全くもう。シラン、勝手にどっか行っちゃダメだぞ。シンがすっごく心配するし、ロウもそこそこ不安に思うんだぞ?」器用にバランスを取りながらロウはすたすたと近寄ってくる。「で、スハラさん見付かった? 話出来たか?」
「……いや」
ここでもお見通しなのか、と苦く思う。そんなに俺は馬鹿で阿呆で単細胞なのか。どうしようもない人間なのか。いや、わかっていたと言えばわかっていたが……改めて突き付けられるのも結構心に来るものがある。
「とにかくシラン、ご飯食べよ。まだでしょ? 折角四人分、頑張ってもらって来たんだからね。食べないなら勿論もらうけど」
「いや……ありがとう、頂こう」
「うん」にっこりと満足げな笑顔で頷くと。「じゃあこっちね」とナチュラルに鉄槌、いや、判決だろうか、それをロウは下した。
判決は隣の部屋を示していた。
「……気まずいんだが」
「ちゃんと謝ったか?」
「…………いち──」
「はいじゃあ行こうな」
「まだ全部言ってないだろう」
「ロウが『一応』を認めると思ってるのか?」
振り返った黄玉の瞳は怪しい光を湛え、一瞬金色にすら見えた。
蛇に睨まれた蛙。
そんな言葉が頭に過る。俺は気が付けば素直に頷いていた。するとロウはへにゃ、といつもの癒しな笑顔に戻ると、ヨミの部屋へと足を向けた。
俺は気を抜くと溢れてしまいそうなため息を呑み込み、何と謝罪するかに頭を悩ませることにした。