029●天邪鬼な彼女と【真】
だれかが本当の笑顔で代わりに笑ってくれるはずだから。
自分は今日も道化でいよう。偽物な笑顔の仮面を被ろう。
素直になれない怖がりな彼女と一緒に、二十九話をどうぞ。
灰色の空の下、流れていく人の波。
噎せ返るような様々な匂いに音に揺れる空気に、景色が歪んでいるかのように錯覚させられる。そんな途方もない数の生き物がひたすら右往左往する通りは呼吸すら難しく思えた。
シランとヨミを待つオレ達は南市通りを横切る道へと避難し、建物に張り付くように座り込んでいた。
「はいどうぞシンさん」
「ありがとぉ」
陶器のコップを受け取る。中身はうっすらと黄色が透けた水だった。水面を舐めてみると甘い。あとちょっぴり酸っぱかった。
「レモンジュースですよ」
もう一方に持ったコップをオレの隣で脱力したロウにも差し出しながら、シズカが教えてくれた。ふうん、と何気なくまた液体を口に含むとすっきりとした甘味が広がり、ちょっと落ち着いた。ロウもコップを小さな両の手で包み、ちびちびと飲みだす。
「あ」
「どうかしましたか?」
「お金。いくらだった?」
ふと思い出してジュース代を尋ねると、何故かシズカは目元を和ませ、ゆったりと押し留めるように言った。
「これくらい奢りますよ」
「でも」
「いいんです。それに、子供は大人に甘えるものですよ?」
キョトン、とした。
瞬きをして、また瞬きをパチパチと繰り返す。逆にシズカがそんなオレを不思議そうに見ていた。
「私、何かおかしなこと言いましたか?」
「や、その……はじめて子供扱いされたかも。あ、でもハンダも子供扱いしてくるか……むぅ」
でもここまでストレートに言われたのは初めてかもしれなかった。実年齢はオレだって知らないが、見た目だけなら十八とか二十くらいに見えるらしい。だから滅多に子供と認識する人はいない。まあどれもこれも過保護な知り合いばかりなので、いろいろ言われて来たが、それについては年はそこまで関係なかったと思う。
とにかく……なんか、いつもと違う感じ。
「……意外だね。シズカさんって結構子供好きなんだ」
隣で背中を丸めて黙々と飲んでいたロウがぽつりと言った。シズカが切れ長の瞳をすっとロウへ向けた。
「って、それじゃオレが子供みたいじゃん! ロウまでオレを子供扱いすんのかよ」
すると直ぐ様シズカがまたオレを見て、ロウまでこっちに顔を向けると、二人は神妙な表情で頷いてみせた。変なところで無駄に息ぴったりだなあんたら~。
「だってシンの精神年齢はきっとすっごく低いもの」
「ロウさんと違ってシンさんって割と子供っぽくて可愛いですよね。あ、シンくんとお呼びしても?」
「ぐはっ」
ひでぇ。しかもシズカは超真面目。こんな時に笑顔引っ込めて真顔になんないでおくれよぉ。
「ふふ、冗談です。本当、可愛げのない誰かさんとは大違いですね」
「あはは、ロウに喧嘩売ってるなら買っちゃうぞ? シズカさんってやっぱり性格悪いなっ」
「ロウさんに言われる程ではないですよ?」
空気がピリピリと肌に突き刺さるよう。なんでこの二人はこんなに喧嘩腰なんだ? 仲悪かったのか?
でも確かにこの二人が二人きりで話しているところはあまり見たことがないかもしれない。と言うか、なるべく離れたところに居たような気もする。
どうしようどうしようと焦っていたら聞き慣れた声がして、ハッと立ち上がった。ロウもシズカから視線を外し、耳を澄ませる。シズカが何か言って首を傾げたが、全く頭に入ってこなかった。慌てたオレはロウにコップを預け、直ぐに駆け出していた。
人混みの中でもわかる。たくさんの匂いに音に呑まれていようが、それは唯一輝くようだから。無駄に利く鼻も耳も目も、それを見付けるためにあると言われれば、簡単に納得できてしまう。
オレは満面の笑みで叫んだ。駆け寄るや否や、その細く長い割に硬い、働き者の手を掴んで。
「おかえりシラン!」
「た、ただいま」
少しいつもより大きく目を開いて、驚いたようにシランは頷いた。
「ヨミもおかえりっ。良いもの買ってもらえたか?」
「はい~。後でお話聞いてもらえますか、シン君?」
「むむ、自慢かよヨミ。でもいいよー」
にしし、とにやけた顔を誤魔化すように笑う。ヨミは照れたようにぎゅっと持っているカラフルな人形を抱き締めた。どうもそれが買ってもらった物らしい。ヨミは幸せそうに、大事そうにそれを抱えていた。
「ところでロウと閑歌さんはどこだ?」
無粋な声を出す相変わらずの仏頂面。辺りを見渡しながら、いぶかしげにシランが尋ねてくるので、とりあえずぐいぐいとロウ達の待つ脇道へと引っ張っていくことにした。
「あ、おかえりー」
ロウが手を少し挙げて迎えると、シランはちょっとホッとしたように胸に手を当てた。しかし直ぐに肩を落とす。
「すまない。随分待たせただろう……」
「ううん。たっぷり休めたし、ヨミも嬉しそうだから、逆に一石二鳥で良かったくらいだぞ」
落ち着いたのか、ようやくいつもの柔らかな笑みをシランに向けるロウ。それを見てシランも納得したようで、表情も和らいだ。
「なら良かった。しかし待たせたのはすまなかった」
「ごめんなさい皆さん。つい夢中になってしまいました」
ヨミがシランの隣で深々と頭を下げる。それを気にしなくていいよとそれぞれの言い方で宥めていると。
「仕方あらへんて。女の子やもん、買い物に夢中になるんは可愛いもんや。なあお二方? ニイニちゃんもわかるやろ?」
ヨミの隣にいつの間にか居た知らない女の人が、妙な言葉遣いで口を挟んだ。誰だこの人? 特徴は長い髪を編んで尻尾のように垂らしている三編みだろうか。背も高くスタイルも良いお姉さんだが、言動がそれを打ち消しているおかげで近寄り難さはない。けど、逆に怪しくも見える。
しかしそれよりも気になったのはその人がシズカを見て言ったことだ。
「「ニイニちゃん?」」
オレとロウが首を傾げると、ロウの左隣で佇んでいたシズカが苛立ったように口を開いた。
「新見ですと何度言わせるおつもりですか?」
「ニイニちゃんって可愛いやないの」
「可愛くありません。それにセミみたいじゃありませんか」
「ニイニイゼミ? よく見るとなかなか可愛いんやでー」
「訊いていません。そんなことより──」
何が何だかわからなくなってきたぞ? ロウもシランもヨミも困惑顔だ。
シランが「ちょっと待て」とでも言いたげに手を出しかけたが、その浮いた手は次のシズカの言葉に遮られた。
「何故私服姿で客人と接触をはかっているのですか大将殿?」
空気が凍えた気がした。
誰よりも何よりも、シランの空気が変わったのがわかった。
「シラ──」
「騙していたのか?」
低い低い声。
シランはオレの手を引いて後ろにやると、代わりに一歩前に出た。まるでヨミとオレを庇うように。そして出来るだけロウの近くにいるように。
「え? ええ!?」
言われた当人、三編みの女性は最初自分のことだとは思わなかったようで、数拍遅れて声をあげた。
「そんなつもりあらへんよ!」
「なら何故所属を明らかにしなかった? 俺達のことは知っていたのだろう?」
「そうやけど、うちはそういう階級とか苦手やねん。せーやーかーらっ!」
女の人は困ったように手をぶんぶんと振ったりぱたぱたさせたりと忙しい。でも傍目から見たところ、別に騙すつもりなんてなさそうだけどなぁ、と思いつつシランの顔を覗いてみるが、その表情はまだ険しい。
「だからなんだ?」
「せやから! うちはそういう肩書きっちゅう面倒なもん関係なしに笑ったりお喋りしたかったの! こういう感じになるのが嫌だったんや!」
拳を握りしめ、懸命に訴える三編みの人。それでようやくシランの表情が変わった。何と言うか、あれだ……オレが変なことを言った時の呆れ顔。
「はぁ……」
「なにぃ、ため息!?」
「……なら最初からそう言って正直に接触すれば良かっただろう」
「それだとはなっから警戒されてまうやん!」
「誠意があればこちらも素直に受け取る。俺は嘘と隠し事が大嫌いだ」
ご立腹なシランは腕を組み、至極不機嫌な顔で顎を突き出した。と言うか三編みの人を見上げた。三編みの人はと言うと何だか決まり悪そうに俯いて絡めた指を見詰めていた。
「ほんに鐵の旦那によう似とるわ」
「鐵のことを知っていたならもっと予測できただろう? とにかく俺はお前を信用できなくなった」
「信用して欲しけりゃ誠意を見せろって?」
「ああ」
すると三編みの人はニタァ、といやらしく笑うとシランに一歩近付いた。既に相当近かったのだからもう距離はないも同然。
ぴったりと、くっついた?
「じゃあ身体で払っちゃおうか──」
ガッ、とシランが三編みの人の肩を掴んだ。
「へ?」
そしてシランが勢いよく一歩下がった。いや、よろけたとも呼べそうな動きだった。
そんな誰も予想しなかった動きに当然ヨミだってついて行けるはずもなく、その背中に押されてよろけた。それをオレは慌てて支える。
シランは肩を震わせ、地面を怒鳴りつけるように下を向いていた。垂れた髪に隠れ表情は読めないが……。
「ばぁあっ、かっかあお前!」
「……照れてる?」
「違う!」
否定するシランの顔はそれはもう真っ赤だった。でも照れてるというよりは恥ずかしいとか怒りとか。
「おっ前は何を考えているんだ! 誠意だと? お前にとっての誠意はそのっ! ぬ、ぅう、そ、その! 色仕掛けだとでもっ、言うつもりかあ!」
「うぶやなぁ、シランは」
「うるさい! 大体っ、お前は一体何をしたいんだ!」
「そうですよ大将。お客様をからかってはいけませんよ」
飄々と涼しい顔で口を出すシズカに半目を向けるシラン。シズカは本当に怖いもの知らずだなぁ。しかしちょっとシランが落ち着いたみたいだ。
オレはヨミを支える手を離すと、シランの肩をトンと叩いた。
「落ち着こうよシラン。えっとタイショウさん? シランは女の人苦手だからあんまり変なことしないでくれよ」
「違っ!」
「はいはい落ち着く。深呼吸深呼吸」
眉間に壮大な山脈を作るシランをこっちに向けさせる。熊でも殺せそうな黒い瞳が睨んで来るが、慣れているので気にせず、お手本のように大きく息を吸って見せる。そうするとシランも不満そうながらも素直に吸い、深々と吐き出した。それはもう大量の苛立ちを吐き捨てるかのように。
「流石シンだなぁ」
シランはそう呟くように言ったロウへ視線をやったが、もう険しさは大分抜けていた。そしてまた嘆息を一つ。
「とにかくちゃんと名乗れ。次ふざけた時は切り捨てるからな」
その台詞の時だけは剣呑さを帯びた、研ぎ澄まされた刀のような光が瞳を過ったが、その後はただ顔を背けただけだった。
「悪気はなかったんや。ついつい……なあ?」
「……大将?」
「すまんて! 閑歌さんまで睨まんといてえな。ちゃあんと名乗るからカンニンしてやあ」
「……どうぞ」
最後には何だか投げやりな口調でシズカが促した。しかし女の人は全く気にした風もなく、ふふん、と上機嫌に胸を張ってオレやロウを一人一人見る。
「じゃあ仕切り直して自己紹介するでえ。うちは榊原陽。新日本政府、実働部部隊長や。んでもって総司令代理の親友で、肩っ苦しいのがだーい嫌いなぴっちぴちの二十三歳やで! ハルハルとでも呼んでえな。宜しゅう頼んます!」
パチパチパチと一人で拍手してる変な人、じゃなかった、サカキバラハル……ハルでいっか。何か緩そうな人だし。ハルハルとか自分で言ってたし。……うん。
「つまり、スバルさんと同じ位、なのかな?」
ロウが首を傾げて問うと、大当たり~と言ってハルが跳び跳ねた。忙しい人だなぁ、と妙な感心と共にオレはそれを眺めていた。
「そんなことより大将」
「まぁた『そんなことより』。大事やでぇ、質問タイム。ほらほら、お姉さんに訊きたいことあるなら今の内よ? 今なら大サービスしちゃうで~。スリーサイズまで教えちゃうかも! どや?」
催促するように耳に手を当て、にじり寄ってくる。ちょっと怖くなったのでシランの背中に避難だ。また嘆息が漏れた。
「いい加減にしてくれ。用件があるならさっさと言え。なければ帰れ、お偉いさん」
「シー君ひっどーい。それにあんまり偉くないで? 実権は頭と管理部の上が持ってるようなもんやし。実働部で二番目に偉いっつってもなぁ」
「誰が『シー君』だ。鳥肌が立つ。やめろ。それに俺はお前らの組織図などに興味はない」
シランは不機嫌全開だ。ハルは上機嫌全開だけど。しかしハルにとっての「やめろ」は「やれ」と同義なようで、超笑顔で続けた。シランの不機嫌は大無視で。
「総司令の下に部が二つあってうちらは実働部。そんで実働部のまとめ役の下に秋峰君やうちらがいて、その補佐が閑歌ちゃん達やでー」
わかったぞ。オレは今ようやく理解した。説明しなくていいと言われた説明をわざわざ実行し、恐らく嫌がるだろうと察していることをやる。わかったぞ。
あまのじゃくってまさにハルみたいな人のことなんだな! と。
シランの肩がこれ以上ない程震えている。オレはすかさずシランの腰にぶら下がっている刀を奪い取った。あ、という顔をしたシランの視線が突き刺さるが我慢だ。
「人斬りはだめっ! シランは余計にだめなの!」
うーうーと唸って抗議の目攻撃。そんなオレにシランは簡単に折れると肩を落とした。
「……もう嫌だ、こいつと話すの」
心の底からの言葉。もうこの辺りの空気はぐちゃぐちゃだ。ちょっと泣きたくなってきた。
そこでようやくロウが重い腰を上げる。
「どっこいしょ」
「ロウお爺さん大丈夫ですか?」と茶々を入れるシズカ。
「うん、大丈夫」なんか怖いくらい輝く笑顔で応えたロウ。
些細な動作すら一触即発の空気を作り出す二人。やめてくれよこれ以上の混沌は!
でも暗黙の了解でもあるのか、二人は和やかに微笑み合うと直ぐに視線を外し、ロウはシランとハルの間に割り込んだ。
「はいはい仲良くが一番だぞー。ハルさんは思い付いたまま言わない動かない。シランも簡単に乗らない。ちょっとは忍耐強く生きてよ」
まあまあというように掌を上下に振って宥めるロウ。ハルは苦笑しながら頬を掻いて、シランは気まず気に視線を反らした。
「大人げない大人がいたら示しがつかないぞ? いいかな?」
目配せに渋々頷いたシランを見てロウはにっこりと笑った。
「じゃあハルさんの用件を訊くぞ? 言っとくけど、女の人でもロウは遠慮しないからな? 戦える人には。だからふざけちゃダメだぞ?」
ハルに向けた笑顔は見えなかったが……背筋が何故か寒くなったとだけ言っておこう。
「わかったで~」
それに曇りない笑顔で応えるハルもなかなかに怖かったけど。ようやく真面目な顔になったハルはこほん、と咳払いをすると話し始めた。
「うちはあんたらを案内しよう思て来たんや」
「それは私の仕事なのですが」
「堅いこといわへんでえ。それにボスさんの注文やしな」
「……聞いていませんが」
眉を潜めたシズカがうろんげな目をハルに向けた。しかしハルはにこーとしたままだ。左右に体を揺すって、楽しそう。
「さっき頼まれたんやもん。うち、丁度今さっき帰ってきたとこやったしな。んでな、閑ちゃんはお付きの二人の許可証発行を頼みたいんや」
「確かに必要ですが後でも良いはずです。それに──」
「でも早く手続きせんとあかんやろ?」
ゆらゆら揺れていた体をぴたりと止め、首をコトンと傾ける。下から覗くように首を伸ばしてくるハルを、不可解だと言いたげにシズカは見下ろしていた。
「貴女はそれでいいのですか?」
「それこそうちはその言葉、あんたに返すで? そんな問いをする気持ちでいいん?」
ぱたぱたと三編みが浮いては落ち、浮いては落ちを繰り返す。でも何だか自分で揺れているハルではなく、シズカが揺らされているように見えた。
そしてシズカは俯くとぽつりと。
「私は、あの人が曇りない表情でいられれば、いいんです。……それだけ」
小さくて風に紛れてしまいそうな呟きだった。でもそれを塞き止めるような、受け止めるようなため息が聴こえた。それはハルだった。
「新見ちゃんもほんに難儀な位置に居るなぁ。意地悪言ってごめんな。でもまあ……うちは新見ちゃんにない可能性を見付けられたらな~、と思ったから来たんや。なあ、バトン渡してみいひん?」
ぴたりと止まったハルは真剣な顔をしていた。オレ達はよくわからないなりに息を詰めて見守っていた。
のだが。
ぷふ、とシズカが吹き出した。口元に上品に手を当て、ハルを見返す。
「甘い甘い砂糖を振り掛けた上に砂糖だけを積み重ねたパフェのような貴女に。甘いものしか食べない食わず嫌いな貴女に。そんなことが出来るのですか?」
「それパフェやないやん! 最早ただの砂糖の塔やん! せめてクリーム! それにうちやって流石にフレークやらフルーツも盛り付けるわ!」
「本当に? 本当に、貴女は苦い苦い毒薬ですら、一緒に飲めますか?」
「ぐぬっ。てか毒は流石に避けような?」
しかしクスッとシズカは笑って二歩、歩いてハルから離れると、振り向いた。
「それが甘いと言うのですよ、大将殿」
妖艶な笑みをそっと形作ると、シズカは背を向け歩き出し、雑踏に溶け込むように消えてしまった。残されたメンバーは唖然とするしかない。
「大将に任せた、ということかな~」
ロウの場違いに明るい声に、皆何だか疲れたように肩を落とすのだった。
● ● ●
「ところでなんで『大将』?」
「あ、私も気になってました。どうしてなんですか?」
「え、聞きたい聞きたい? しょうがない子らやなぁ~。可愛さに免じてお姉さん教えちゃうでぇ」
なんか。
益々《ますます》良くわからないことになった、と思う。
最後尾を歩くオレとシランはとぼとぼという感じ。対してロウとヨミは図太いんだか鈍感なんだか、普通にハルと並んで歩いていた。
ハル、ロウ、ヨミの順番だ。何だかロウは、おっさんぽいことを喋りでれでれとヨミを見てる怪しい人とヨミとの緩衝材の役目を負っている気がする。だって時折見えるロウの目、全然笑ってない。
「……そう怯えるな」
「だっていろいろな意味で前が怖いんだよ……」
「……場所換わるか?」
因みに後列はオレ、シランだ。ハル側にいるオレはたまにロウの顔も見えるし会話も聴きやすい、特等席だ。……嫌だな。
「でもシランだって、その……苦手だろ?」
「隣のやつが怯えている方が落ち着かんだろうが」
ごもっともな意見。でも断った。シランと話していれば平気だしな。
しかし会話はやっぱり聴こえてくる。
「でもなー、いつの間にか大将になってたんよ。うーん、あれかな、先陣切って突撃してたからかね。だから部隊長なんつう面倒な役職に放りこまれてしもたんやし」
「嫌、なんですか?」
「そうやねー。面倒な事務仕事がなけりゃ好きなんやけどね、リーダーみたいなんも。慕ってくれる部下とか可愛いや~ん」
「下心たっぷりだねっ」
「そないにおだてても何も出えへんで?」
「あはは、全く誉めてないぞ?」
無心。そう、無心になればいい。
そうすれば何故かさっきから寒々しい笑顔のロウとか、ポジティブシンキングにも程がある謎の人とか、そんな諸々を綺麗にスルーしてるヨミとかも気にならなくなるさ。うん、大丈夫だぞ。オレは大丈夫だぞ!
ポン、と肩にシランの手が置かれた。
「あの露店の耳栓、買ってみるか」
オレはちょっぴり涙目で頷いた、その次の瞬間、何故かハルが残像を残す勢いで振り返り、腕をふりかぶった。
「なんでやねーん!」
や、なんでやねん?
勢いの割には叩かれた肩は痛くなかった。どうしよう、あんまりこの人と上手くやっていける気がしないんだけど。
オレは密かにこの不安が速く雑踏に紛れて消えてくれることを祈るのだった。
道のりはまだまだ長い……。
● ● ●
「はぁ……」
「着いて早々にため息で出迎えかい!」
「……私は寄り道厳禁と言いましたよね?」
「うん、そうやね」
「ではあれは何かしら?」
「うん、お土産やな!」
「………………そう」
絶望のような沈黙だった。
りんご飴とやらをしゃぶりながらその気まずさをどうにか流せないかと試行錯誤していたらシランに小突かれた。
「今は食べるな」
「「ええー」」
同時に声を上げたロウの手にはもくもくとした真っ白い雲のような砂糖の山が巻かれた割り箸が。綿菓子というらしいそれを上機嫌にはむはむと食べていたロウも不満たらたらの様子。オレだってりんご飴を食べたい。
「客にもマナーはあるだろう。お前らは食い意地張りすぎだ」
口を尖らせ、抗議したい気持ちはあったが、シランの言葉に利があるので渋々りんご飴を手に持った。ロウも綿菓子から口を離す。
そんなオレらの様子を横目に見ていた冷ややかな雰囲気の女の人は、疲れたように息を吐いた。
ここは新日本政府の本部、最上階突き当たりの司令室とかいう部屋だ。随分広く、入ってきたドア以外の方位全てに窓があり、部屋を朱に染めていた。いつの間にやら夕方だ。随分長い間、市場でうろうろしていたようだ。
部屋には正面に木製の立派な机があり、窓以外の壁は全て本棚に埋め尽くされている。しかも窓の下までラックがある作りだ。生活感はゼロ。本当に仕事のためだけの部屋なんだと驚嘆した。
そんな神経質そうな部屋の主は姿勢正しく机に着き、書類を手にしていたが、ハルがノックもせずに扉を開け放つと深々と嘆息し、立ち上がったのだった。
肩を覆うくらいの長さの黒髪を真っ直ぐに垂らしている。つり上がった瞳は深い黒。凛々しく綺麗だが、突き刺すような鋭い視線がちょっと怖く見える。でも凄い美人だ。年はシランよりちょっと上だろうか。
服はスバルらと同じ緑色の制服だが、肩に白い飾りがあり、ひだが垂れ下がっていた。左胸にも何か鳥のようなものを模した銀色のバッチがついていた。そう言えばスバルのにも、シズカ達にもさりげなく付いていたが、一方は灰色、一方はアップリケみたいなものだった。偉さの度合いを表してるのかな、とちょっと興味を持つ。司令室とやらにいた女性の胸のそれは夕日を弾き、自慢するように光輝いていた。
彼女の胸はあまりなかったが。
「つい、な? せっかく遠くから来て貰ったんやし、楽しい思い出をと思ったんや」
ハルが「な、な?」と首を傾け女性に近付く。部屋の主は鬱陶しげに首元にかかる髪を払い、鋭い黒瞳をハルに向け、槍を突き立てるような容赦ない言葉を放った。
「私は彼らに思い出作りをして貰うつもりはないわ。この地に留まって頂きたいのよ。貴女はどうして余計なことをしようとするの?」
痛い。
思わず顔をしかめる。チクリと刺されたように感じる。
なのに。
「だってうちは美智乃が悪役になんのは嫌やもん。美智乃かてそうやろ? 楽しかったってちょびっとでも思って貰えたら、どっちも後腐れなくハッピーやんか! なあ? それに──」
どうしてハルは笑顔なの?
どうしてさっきよりも嬉しそうに話すの? どうしてあんな冷たい、突き放すような、あるいは貫くような、そんな冷ややかな視線を向けられているのに。
どうしてハルは笑っていられるんだ?
しかも止めのように。
「勝手な同意を求めないで。わかったようなこと言わないでくださる? 榊原、下がって結構よ」
氷点下の視線、と呼ぶに相応しい。最早攻撃だった。人を殺すような言葉。
それでも。
「あはは、ごめんなぁ」
彼女の答えは笑顔だった。
ハルは力尽きたように後ろに下がって来たが、部屋の外には行かなかった。ただへらへらと笑って立ち尽くすだけ。笑っているのに泣いてるように見えるのは何故なんだろう。
そんなことを考えていると早速シランが進み出た。正義感が強いと言うよりは単に、お節介が過ぎるお人好し人間だから当然と言えば当然だろう。通り過ぎた横顔は厳しかった。
オレもそれに付き添うように前へ出る。ヨミはシランの隣。ロウはオレの隣。ハルの顔は見えなくなった。
「では改めまして。私の我が儘のため、遠路遥々お越し頂き、誠に有難う御座います。私は須原美智乃と申します」
部屋の主はそう名乗った。ちょっとさっきの会話でムカついたのでスハラと呼ぼう。名前で呼びたくない。
スハラは長い黒髪を揺らし、机を迂回するとシランとヨミの前に立った。
「お前が喚んだ観月紫蘭だ。ここに来るまでに何となくわかったことがある」
「何が、でしょうか?」
「賛否が分かれているのだろう? 俺達を強引に引き込むことについて。秋峰昴に榊原陽が否定派。あんたが無理矢理推し進めていた強硬派、とでも呼ぶか? そしてお前の息がかかった新見閑歌、といったところか」
シランの台詞にギョッとする。シズカが何だって? しかしロウまでそれを受けて喋り出す。
「シズカさんはスバルさんを大事に思っていることくらい知ってたよね? なのに何で中途半端なスパイみたいなことさせるの?」
怒りのこもった黄玉の瞳は、夕焼けに照らされ、燃えているみたいだった。
「……いいわ。器用だからよ。秋峰では出来ないことをして貰うために必要だったから。今回はあまり機能しなかったようだけれどね」
「スバルさん情報?」
「ええ」
スハラは涼やかに答えた。でも何だかオレは嫌な気分になって、変な顔になった。とにかく我慢ならなくて口が勝手に動く。
「よく、わからないけど、あんたはシズカとかスバルを傷付けるようなことしたんだよな。それにハルにもひどいこと言ったんだ」
「そうね」
その、短い、簡潔過ぎる答えがとてつもなく悲しい気分にさせる。虚しくて、切なくて、泣きたい。
「お前は人を、仲間を、何だと思っているんだ?」
震える声が、俯いたオレにのし掛かるように響いた。シランの声だ。足まで震えているのが見えた。
「駒よ。たくさんの住人を守るための歩兵。効率良く動かせなければ死が待っている。それくらい知っているでしょう?」
ぴたりとシランの震えが止まった。思わずオレは顔を上げた。
目に入るのは信じられないという驚愕。怒りを通り越した表情だった。口は何を言っていいかわからず半開きだ。
「貴女は世界をチェスの盤面にするおつもりですか?」
春風のようにそっと、柔らかな声が差し込まれた。
「例えよ」
「貴女が動かせるのはゲームの駒ではなく、生身の人間です」
「ええ」
「なら何故彼らの心を、汲み取って下さらないのですか?」
「…………」
スハラは口をつぐんだ。ヨミは一歩前に出て、しん、とした空気を背負うように立った。
「どうしてわかっていて無下に扱うのですか? 貴女の思いまで圧し殺して──」
風船が割れた。ような音が鋭く響いた。
「なん、で? ……違う」
スハラは振り切った手は掲げられたまま止まった。ヨミはよろけて尻餅をついた。
「かっ、勝手なことを言わないでと言ったでしょう!」と静まり返った世界を破るように、迷いながらもスハラは叫んだ。
「そうやったそうやった。すまんかったな美智乃」と背中からもわかるへらへら笑いのハルがそれに応えた。
ヨミを庇ってビンタを受けた自分の頬を押さえて。
「ハ、ハルさん!? 大丈夫ですか!」
「んー平気平気。こんなんナイフでグサーに比べたら虫に刺されたようなもんよ。気にしなーい気にしなーい。な、美智乃?」
能天気過ぎるハルに、スハラは唇を強く噛み締め、固く目を瞑った。
「美智乃?」
「客室が、用意されているわ。疲れているでしょう。ゆっくり休んでください。本題は明日にしましょう」
それだけを早口に告げると、机上に設置されていたベルを乱暴に二度押した。すると入るのに使った扉が外から開けられ、制服の女の人が顔を覗かせた。
「ご案内致しますね」
「頼むわ」
「はいっ。では皆様こちらへ」
案内を任されたその人はすっと指を伸ばし、手のひらを上に向けて扉を示すと、笑顔と共に小さく首を傾けた。
「客室へご案内致します」
困惑顔のオレ達はハルに背を押され、案内に先導され、司令室を出たのだった。
● ● ●
「こちらが観月様のお部屋となります」
にっこりと紹介されたその部屋は無茶苦茶広かった。もしかして百人くらい住めるんじゃねえ?
「いや、それは無理だろう」
と冷静なシランに突っ込まれながら、オレ達は部屋に踏み込む。床はなんか焦げ茶色の絨毯が敷かれているし、大きな窓にはクリーム色の分厚いカーテンが備えられている。左手にはベッドが四つ並んでいるし、右手には木製の丸テーブルと四脚の椅子まであって。
なんだこれ? これ部屋なのか? 施設とか店じゃなくて?
「──と、こちらに点灯スイッチがありますのでご自由にお使いください。では失礼致します」
簡単に何か説明のようなことを口にすると案内人はヨミを伴って行ってしまった。
ハルはいつの間にか居なくなっていた。
「『転倒する位置』がある、ってどういう意味だあ?」
「シン、多分『点灯スイッチ』、つまり灯りを点けるためのボタンだぞ」
「点灯、ああなるほどー」
ふむふむ、とロウの解説に納得しているとシランが壁をしげしげと眺めていた。
「これがスイッチか」
「どれどれ?」
シランの見ている箇所を見ると、小さな棒みたいなものが壁から生えていた。
「……なにこれ?」
「だからスイッチだろ?」
「どこの?」
「……あれかな」
シランが指差したのは天井の大きな花の飾り。よく見れば確かに電球がある。
「でもならなんでスイッチってのがこんなとこにあるのさ?」
「……さあ?」
「ほんとに点くの~?」
疑うようにただのつまみにしか見えない『スイッチ』とやらを見る。そんな問答をしていたらロウが覗き込んできた。
「なら使ってみればいいじゃない」
「どうやって?」
「多分ー、こうやっ、て!」
ロウがつまみを人差し指と親指で挟むと、くいっと押し上げた。
「うわっ、ロウ壊した!」
「ロウ壊してない! ほら、ほら!」
「え?」
ロウに促され天井を見ると、なんと光っている。花のようなデザインの中にあった電球が黄色みを帯びた白い光を放っているではないか。
「す、すっげえ! なんで! こんな遠いのに点いたあ! うそみてぇ。マンガみてぇだ!」
「ほらロウ壊してないー。ロウ凄いー」
「うんスゴいスゴい! ロウスゴい!」
有頂天になって跳び跳ねていたらシランにぽかりと殴られた。
「静かにしろ」
「うー、はぁい」
「ごめんなさいシラン」
スイッチはわかったので消し、窓辺に駆け寄る。夕焼けも紺色に呑まれつつあるようだ。でも今は一際赤く太陽が輝いて見えた。
「雲と地平線の間にあるこの瞬間が一番太陽が見えるなあ。しかもこの四階からの眺めは格別やで。沈んでいく太陽がよう見えるんや」
「確かに。スゲー……て、あれ?」
窓から目を離し、隣を見たら。
「や、少年」
「うぁあああ!」
いつの間にかまたハルがいた。すんごいフレンドリーに手を上げて笑い掛けられる。
「いつ入ってきたんだよ!」
「今や今。ちゃんとノックしたし挨拶もしたでぇ」
「うそだぁ」
「嘘やない。どないしてそないしょうもない嘘吐く必要があるんや」
「そうだけどさ」
でも本気で気付かなかった。自然過ぎる。何この人。気配ないのか? しかし対峙すればこの人程自己主張が激しい人も滅多にいないというくらいの存在感を振り撒く人なのだが。
やっぱり謎な人だ、ハルは。
にっこり笑って首を傾げるようにして瞳を覗き込んでくる。どうも揺れたり首を傾げるのはハルの癖みたいだ。ちょっと下から見上げるように真っ直ぐな視線。嫌いじゃないけど苦手かもなぁ、と苦笑する。
「夕焼けもええけどな、シンもこっち来てみい。おもろいことになってるで」
「おもろいこと?」
ハルに促されるまま部屋の中、ドア付近でシランとロウとヨミが何だか揉めているようだった。ヨミもいつの間にか戻っていたようだ。オレはなんだなんだと輪に入っていく。
「どうかしたの?」
「一緒に寝たいんです!」
「断固として反対する」
「……はい?」
両拳を握り締め、それをブンブンと振って主張するヨミ。肘を張り、仁王立ちでしかめっ面なシラン。二人の間で乾いた笑みを浮かべて取り成そうと頑張っているロウ、の図。
「あのな、ヨミは一人で寝るより皆で固まっていた方が安心だからここで寝るって言ってるの。それに知らない場所で一人は寂しいからな。でもシランが駄目だの一点張りなんだぞ」とロウが親切に教えてくれてようやく把握だ。
シランは堅物だからあんまり融通が利かないんだよなあ。と不安を胸に二人を見守る。
「とにかく年頃の女子を男子三人と一緒にする訳にはいかないだろう」
「私は気にしませんよ?」
「俺は気にする」
睨み合いの膠着状態。なんか今日はこんなんばっかだ、と嘆息した。ロウも眉をへの字にして助けて光線を目から出している、気がする。仕方ないのでオレはずかずかと二人に割って入った。
「待てよ二人とも。一緒に買い物して仲良くなったんじゃなかったのか?」
「私はもっと仲良くなりたいんですっ」
「買ってやっただけだろう。これとそれとは話が別だ」
「シランさんの分からず屋!」
「分別を弁えろ、子供じゃないんだから」
「まだ私は子供ですっ! だって十六歳ですもの!」
それにシランは虚を突かれた顔をした。オレも多分似たような顔になっているだろう。ヨミは細く白い眉を落とし、桜色の唇をツンと突き出して不満そうな声で言った。
「何か文句でもおありですか? 言っときますが、私は三歳くらいにはもうこの姿でサイズでしたよ。今はたまたま実年齢と一致しているのであまり違和感がありませんが」
「……十八かそこらに見えたが」
「そうですか? 我ながらまだまだ子供っぽいと自認しているのですが」
とぼけた顔でシランの言葉に相槌を打つヨミ。
「おいおい、そんなこと言ったらロウは何歳だよ?」
「さあ? ロウも知らないぞ」
とこちらの疑問など解さず、涼しい顔のロウ。そんなロウにオレは力が抜けてしまった。ロウはそういうの、全く気にしてないみたいだなぁ。
「そう言うお前だって年齢わからず、やはり気にしていないじゃないか」
何故かシランに白い目で見られた……なんでだ?
ぎゃいぎゃいわいのわいのとしている内に本題はどこかへ流れていく。それを。
パンパン、と。
まるで仕切り直すように柏手が二度打たれ、一斉に皆の視線が一所へ集められる。ハルはにたぁと笑ってそれを迎えた。
「解決策を教えてたるで?」
「こいつらの生きてきた年数がわかるのか?」
「ちゃうわ! お前さんらマジでさっきの話題忘れとらん?」
「……ああ、ヨミが一人で寝られないという話か」
「そうです! 私子供なので一人じゃ寝れませんっ!」
開き直ったのか、ピシッと背筋まで伸ばして挙手するヨミ。見ない振りをするシランに対抗するようにぴょんぴょんと跳ねながらシランにまとわりついている。
「ああもう……解決策とはなんだ榊原?」
「ふっふっふー、よくぞ訊いてくれたね観月くん!」
ハルは自慢気に目を細めて笑い、人差し指をチッチッ、と振る。明らかにシランの頬が引き吊っていたが、何とか堪えたようだった。
「ズバリッ、うちの部屋にヨミが泊まる!」
「却下。信用ならん」
「ならうちがヨミの客室に泊まる!」
「却下。以下同文」
「ならなら添い寝を──!」
「何故そうなる! 却下と言ったら却下だ」
「シランさん、私は気にしませんよ?」
「頼むから少しは気にしてくれ……」
シランは疲れたようにふらふらと椅子の方へ行くとどっかりと腰を落とした。シランは本当に心配性だなぁと思いつつ、ベッドの間に置かれた台にあった水差しを手に取り、少し注ぐとシランに出した。オレはシランの隣に控えることにする。
「ありがとう。……ふう。とにかくお前は何を考えて動いているかわからない。そんな底の知れない相手にヨミを預けられるか」
「でもシランさんも私にとってはまだ数日の付き合いでどっこいどっこいですよ? まあシランさん達はとってもわかりやすく、裏表がないので助かりますが」
「…………そりゃあ、良かったな」
複雑な心境はまるで苦いものでも食べたみたいな変な顔で表されていた。
「シランさんってやっぱり過保護ですよね」
「せやろせやろ? こんな面倒人間よりうちのが楽やで~」
ハルが粘っこい笑顔をヨミに向けて誘う。それにヨミはニコニコ微笑み、机の方へ一歩進んだ。
「それは素敵なお誘いですねぇ」
「面倒な人間でわるかったな」
言って口を真一文字にするシラン。しかしヨミは静かに首を左右に振った。
「いえ、私はそんな自他共に面倒臭いと思うような感情でも捨てずに胸を張って生きている、シランさんのそんな不器用なところが好きなんですよ」
あ、誉めてるんですよ? と付け足しながらヨミはまた一歩近寄る。シランはやけくそ気味に水を煽った。ヨミはそれに微笑み、また一歩進むと純白な毛糸の束のような髪を浮かせ、くるりとオレたちに背を向けた。
「でもシランさんの言う通り、釈然としない部分があるんです。ハルさん、どうか貴女が誤魔化す大事な欠片を一つでいいからお見せいただけませんか?」
ハルを真っ直ぐに見詰めてヨミは問い掛けた。ハルはまるで撃ち抜かれたようなハッとした顔で固まった。迷っているのか、はたまた単に驚いているのか。
沈黙の間にロウがオレたちテーブル組のところへやって来ると、シランのコップから勝手に水を飲んだ。それに「ロウはマイペースだな」と言うと「お互い様だぞ」と返された。うーん何でだろ、と内心唸りつつも水を注ぎ足すオレ。
そんなことを外野でやっていると唐突にハルが叫んだ。
「よっしわかったで!」
何か吹っ切れたのか、ハルは迷いなくずんずんとヨミに近付くと意気揚々と雪のような白い手を掴んだ。
「お前さんらに遠回しは逆効果! ならうちはド直球で行くしかあらへんやろ! つう訳でヨミ!」
「は、はい」
「友達になってください!」
ハルは大真面目に言い切った。
「…………はい?」
「ダチ、フレンド、親友、悪友、腐れ縁、友人、友。自由に呼べばええよ。な、うちと友達になってくれやヨミ」
ハルはヨミの手を両手で握り、目線をがっちり合わせると真剣な面持ちでそう頼んだ。
オレは思わずシランにどういうこと? とばかりに顔を向けたが、シランはロウに似たような視線を送っており、ロウは肩をすくめて困惑顔で応えた。
言われた当人はと言うと、俯いてぶるぶると武者震いみたいになっている。まあ武者震いではないだろうとは思うけどな。
「ヨ、ヨミ?」
「わ、わ私!」
「ふあい!」
ヨミは急に顔をあげるとハルにグイッ、と顔を近付けた。肉薄したと表現した方が良さそうだ。唐突なヨミの勢いに、ハルが裏返った声で応える。
「私、そんなこと言われたの初めてです!」
「そんなって」
「友達のお誘いです! 私はとっても嬉しいんです!」
「あ、ありがとお」
ハルが押されてるよ、と唖然とするオレたち。しかしヨミも我に返ったようで、すっと身を引くと唇に指を当て、不思議そうに言った。
「あの、でもどうしてそう思ったんですか?」
ようやくヨミが落ち着いて、ハルはふうと息を吐くことが出来たようだ。そして早速水を得た魚のように意気揚々と話し始めるが、心なしかさっきよりも声が大きい気がした。
「そうやな! 理由も明白にしなきゃあかんもんな。ま、一つ目はヨミが可愛いからに決まっとるわー」
「お前はそれしか言えないのか?」
シランが呆れる程、本当にハルはヨミを大プッシュだ。調子が戻ってきたハルは、仕方あらへんやろ~、とにやけた顔でぱたぱたとシランに向かっておざなりに手を振った。シランも諦めたように嘆息だ。
「他にもあるんでしょ、理由?」
「おう、わかっとるなロウ君は。二つ目はな、あんさんらの味方になりたいからや。なら仲良くなっときたいやろ?」
「じゃあどうして味方になりたいの?」
ロウの素朴な疑問に、ハルは軽妙な顔で答える。
「いやぁ、あんまり印象よろしくあらへんやろうが、でも正直に言えば美智乃のため、やなぁ」
「それで好転するとはあまり思わないけど?」
淡々と、容赦ない問いをするロウは顔色一つ変えない。でもハルはやっぱりへらへら笑うだけ。見てるこっちが何だかもやもやする。シランも心なしか不機嫌度が上がってるし。
「ま、いろいろあるんよ。三つ目もあるけどこれはプライバシーの問題になるからな、言わへん」
「ふうん。強要はしないぞ。まあ、良いんじゃない?」
「おーおーおおきにな、ロウ」
締まらない笑顔をロウに向けるハルに嘘はないように見える。
まあなぁ。
「うさんくさい人だけど、悪い人じゃあなさそうだよな」
ここに来るまでもいろんな店を教えてくれて、楽しい話を絶えずしてくれて、しかもロウやオレが人混み苦手なのも察して人通りの少ない道を選んでくれたり、気をまぎらわせてくれたり。
凄い気遣ってくれた。さりげなさすぎるし、こういうキャラだと言われたら信じてしまいそうになるが、本当は物凄い人なんじゃないかな、と思う。でもちょっと損な役回りの人、でもあるようだ。司令室然り、ここでのやり取り然り。
何だかオレは思う。
「ほんと、ハルってシランみたいに不器用な人だよなっ。な、シラン?」
自然と笑っていた。シランはオレの言葉に苦い顔だが、否定はしない。シランの沈黙は概ね肯定だ。シランはただただ二人を見ていた。主にヨミを。ロウも同じ真っ直ぐな視線を送っている。
待っているのだ。
だって最後に決めるのはヨミだから。
「私で、いいんですか?」
「我が儘言っとるんはうちやで? ヨミ自身を気にすることはあらへんやろ」
「でも、ですね……」
と言いながらヨミは何故かロウをチラチラと気にしている。ロウもそれに気付いたようでにっこり微笑んだ。
「ヨミ。心配しなくてもロウは嫌なことがあればちゃんと言うし、間違っていれば訂正するぞ。だからヨミは思ったことを素直に言葉にして」
優しい声に背を押され、ヨミはキュッと小さな拳を握り締め、ハルに挑む。きょとんとしたハルに。
「ハルさん! 貴女は知ってらっしゃるかもしれませんが、私は人間ではないんです。変異したウサギと人間を掛け合わせた生物の中でも、異様な力を持って生まれてしまった私は……私は!」
ヨミは目をつむり、絞り出すように叫んだ。
「化物なんで──」
「ふざけるなっ!!!」
「化物やあらへん!」
「何言ってんだよ!」
化物なんです、なんて、言わせる訳がなかった。
ヨミは立ち尽くす。
その肩をハルは掴んだ。シランは椅子を蹴り飛ばすように立ち上がった。オレは一歩踏み出すのが精一杯で、泣きそうだった。そしてロウは。
「お前もお前だロウ! どうして怒らない、どうして否定し訂正しない!」
「ったぁ……」
シランの逆鱗がゲンコツになってロウの頭に落っこちた。ロウは殴られたところを痛そうに擦りながら、迷いなく言い返す。
「間違ってない、ロウに関しては」
但し夜色の瞳から目を反らして。
ガタン、とテーブルが揺らされた。
「この、アホがっ。俺は絶対に肯定してやらん。何が私は化物だ、自分もそうだだと? 言語を解し、誰かを慮り、弱々しい笑顔が精一杯なお前らが、お前らごときが『化物』だと? 笑わせるな。お前らは弱い弱い人間の一人だ。俺の定義に何か文句がある奴はいるか?」
日本刀のように鋭く澄んだ瞳が炉で燃え盛る火のごとき怒りを湛えていた。力任せにテーブルを叩いた右拳は解かれず、ギリギリと苛立ちを表すように強く握られていた。
「……不満はある。けど」
「あるなら言え」
「……ロウは弱くなんかない」
「そういうところが弱いと言うんだ」
浴びせられた言葉に、ロウは何も言えなかった。俯くロウは見てられない。
「シラン言い過ぎ!」
思わず非難するような声を上げてしまう。シランは一瞬オレを横目に見ると背を向けた。ロウもオレもヨミもハルもいない、ただの淡いシンプルな縦縞模様の壁を見詰めて言った。
「……とにかく、お前らが思ってる程、お前らは人間離れしちゃいないんだ……」
それが自分に言い聞かせるような台詞に聞こえて、何だか居たたまれない気持ちになった。でも確かにロウとヨミは、オレなんかよりはずっと人間に近い。だってオレは……。
パンパン、と気の抜けるような音がぐちゃぐちゃもやもやした空気を払うように打ち鳴らされた。何だかデジャヴだ。
「まあまあ。うちは人間やけど化物や呼ばれるからな。そんなん気にしちゃあかんでヨミ。何と呼ばれようが榊原陽は榊原陽やし、何と思おうが夢見黄泉は夢見黄泉やで。何も違わへんやろ。ならポジティブに考えようやないの」
ハルは打ち合わせた手を合わせ、な? とヨミに笑い掛ける。ヨミはぽかんとそれを見ていたが、直に肩を揺らし、小さな笑声を溢し出した。
ハルと向かい合っている小さな背中は、ほっとした空気を漂わせているようにオレには見えた。
「随分と大雑把な考えですね」
「ええやん。難しく考えたって能天気に捉えたって、生きてることには変わらへん。大事なんはスマイルやで! 可愛い子が笑顔なら皆幸せ、素敵やろ~、世界平和も夢やないでえ」
なあヨミ、と言ってヨミの手を取ったハルに。
また馬鹿なことを、と呆れるシランがいて。ハルさんの夢は大きくて本当に素敵ですね、と日溜まりのような笑顔のヨミがいた。ハルの根っこはやっぱりそれなんだな、と苦笑いのロウもいるし。うんハルらしいな! とオレは笑顔で言えた。
ハルはすごいと思う。
刺々しかったシランも、寂しそうだったヨミも、俯いてたロウだって顔を上げてた。ハルの言葉が優しい空気を作ったんだ。
だから今のハルはとっても良い笑顔だ。
ハルはすごい。
だってもう皆と友達になってしまったから。明日がどうなるかなんてわからないけど、とりあえず今は平和だ。ハルの願った世界はこの瞬間、現実になった。皆、それぞれの笑顔でいられてる。
でも。
ハルが本当にそう在って欲しいと願う未来は、世界はなんだろう。
一生懸命なハルの声が虚しく響いた冷たい部屋。
それを思い出し、オレは心の隅っこでハルの笑顔が全部本物になれる未来になりますようにと願った。