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蒼天の真竜  作者: 逢河 奏
第三章
29/43

028●君に捧ぐ詩を【紫蘭】

その笑顔のために。

共に在るために。

ただそれだけを願った兎の詩。


第三章に突入です。シラン語りの第二十八話をどうぞ。

 森を抜けて現れたのは、簡素な二メートル程の柵だ。検問所と思われる小さな建物が柵の間に小ぢんまりと置かれていた。その向こうには大小様々な木造の建物が建ち並んでいるが、勝手口が見えるだけで人影はなかった。


「ここ外縁部、なのか?」

「いや、ここが入り口だろうから、第八特区で言う防護壁だろうな」


 第八特区は五つの区域に分かれているが、特に守衛区を外縁部、中央区や農業区のある内側を内縁部と呼ぶ。それを区切る明確な境界線が防護壁という巨大な壁で、最終防衛ラインだとされている。言っておくと、この柵なんて目じゃない。十メートル以上あるような壁だ。だからシンが外縁部と特区外の境界にある柵とを勘違いするのもわからなくもない。


「……あのぉ、第八特区と比べないでくれます? あそこに勝てるとこがそうそうあると思うか?」

「思わないな」と俺。

「確かにあんまりうちんとこみたいなとこはないなぁ」とシン。

「後ろに同じー」とシンの後ろにいたロウは簡単な賛同をしただけだった。


 ヨミは行ったことがないのでわからないらしく、眉を落として小さく首を傾けるに留めた。昴さんは俺たちの返答に頭が痛いとばかりにため息を吐く。


「あそこはもう頭がおかしいんじゃないかって程の理想主義の現実主義者が創った都市だからな。しかもそれが未だに設立者の意志の下に運営が成り立っているっていう事実が本当に化物染みてるよ、あんたらの初代はよ」

「素晴らしいと同時に現実的な説得力を持つ理想だったからこそ、今でも皆努力し、理想を掲げ続けているだけだ。頭はおかしくないし、初代は化物ではない」


 そう言って俺は容赦なく昴さんを睨み付けた。引きつった顔で謝罪をする昴さんに、こそこそと後ろで囁く部下二人。うざったかったのでついでにそちらも睨むと丸太さんは困ったように頭を下げ、閑歌さんはニコニコと手を振ってきた。


「シズカって神経図太いな。怒ったシランに手を振るなんてさ」

「そういう人みたいだからなぁ。怖いもの知らずとは逆な感じだぞっ」


 隣とその後ろまでこそこそと内緒話だ。思わず顔をしかめると、まるでそれが見えているかのようなタイミングで後ろを歩くヨミがクスクスと笑い出す。


「シランさんは怖くなんかないですよ? ちょっと表情が固いだけです」

「悪かったな、仏頂面で」

「怒ってますか? シランさんの素敵なチャームポイントじゃないですか、不器用さが滲み出ているその顔も」


 それもまた答え難く、俺は眉を潜めた。チャームポイントってなんだ、チャームポイントとは。


「……笑うな、シン」

「だって、だってよ、チャームっ、あははは、くふふっ」


 しかも何故かシンが笑い出す。わかっているさ、そもそも俺に『チャーム』となる点がない。笑われても否定出来やしない。ふん、とふて腐れたようにそっぽを向く俺。それが余計おかしかったのか、ヨミは笑いを堪えきれていなかった。


「ふふふ、シン君シン君。誤解がないように言っておきますとね、『チャーム』とは魅力という意味なんですよ。別に可愛いところだけに対して言うものでもないと、思うのですよ」

「え、そうなのか? ヨミは物知りだなー。でもシランの魅力……ぷっ」

「笑うなと何度言えば良いんだ」


 シンとヨミにうんざりした俺はもう前だけを見ることにした。しかし真っ先に目に入ったのは昴さんのすがるような視線。


「……まだ、気にしていたのか? 怒らせたことを」

「え? あ、いややや、あはは、んな訳ねえですよ、俺はこれでも年長者だからな、そんなお客だからってそんな反応窺ってびくびく行動するなんて、そんな訳ありませんよー」

「酷く目が泳いでいる上に、発言もかなり乱れているが?」


 昴さんの挙動不審ぶりに半眼になる俺だったが、その隣で。


「リーダーったらあんなにおどおどしちゃって可愛いですー」


 と変な嗜好を持った女性が至福の笑みを浮かべていたので、何だかどうでも良くなりため息を吐き捨てると前進を提案したのだった。



● ● ●



「はぁ!? ちょっと待ってくれよ、そんな話は聞いていない!」


 昴さんが怒りに任せてダン、と机を叩く。しかしどうも思ったより痛かったようで、手をブンブンと振っていた。相変わらず何となく締まらない人だ。

 そんな昴さんと対峙するのは、丸太さんとサイズ以外はお揃いな若草色の制服を着ている細身の若い男だ。胸には『片桐』と書かれた名札がぶら下がっていた。

 男、片桐さんは困ったように眉尻を落とすと、落ち着いた調子で昴さんを諭すように言った。


「しかし部隊長には次の仕事があるので至急そちらへ行くようにとの指令書が」

「ボスは鬼かぁ……」


 新日本政府自治区。その境界の柵に挟まるようにしてあった詰所に来ていた。ここで手続きをすれば直ぐに本拠地に着くらしいが、何やら揉めている模様。苛々と机を鬱陶しく叩く昴さんを俺達は後ろの方から黙って見ていた。


「じゃあ丸太、紫蘭殿らを──」

「えーとですね、補佐を残すようにとのお達しが……ありまして」

「あーもー、閑歌! 絶対紫蘭殿とヨミさんに不利になるようなことはするなさせるな! いいな、頼んだぞ!」


 今にも地団駄を踏みだしてしまいそうな昴さんの叫びに、どこ吹く風な閑歌さんはのんびりと「では今度甘蜜堂のババロア奢ってくださいね?」なんてことを言って微笑んでいた。昴さんは信用していいか不安に思ったようで、しばらく視線を上の方に彷徨わせていたが、やがて諦念混じりに嘆息した。


「わかったよ。おい丸太行くぞ。……すみません、ここまで連れてきた責任は俺が持たなきゃいけなかったのに……」


 昴さんが申し訳なさそう振り返って頭を下げた。それにいち早く反応したのはシンだった。


「だいじょーぶっ、シランにはオレがついてるからな! それにシランは別にスバルが来てくれって言ったから来たんじゃなくて、自分の意志で行ってみたいと思えたから来たんだから、そんなに責任感じなくていいと思うよ」


 それは『昴さんは全く関係ない』と言っているわけで『無関係なのに責任感じてるの?』のようにも取れて……とにかく無邪気に結構グサリと来ることを言っているな、シンは。昴さんも同じことを思ったのか、胸を押さえていた。シンには理解不能な行動だったようで首を傾げている。

 続けてロウがぴょんと跳ねるように昴さんの前へ進み出た。ロウだって察しているだろうからフォローの言葉だろう、とそれを横目で追った。

 ロウは太陽の笑顔を見せると口を開く。


「大丈夫だぞっ。他に仕事があるなら仕方ないし、スバルさん達を頼るつもりは全然ないから安心していいぞ!」


 ……ただの追い討ちだった。

 昴さんはもう何も言わず、哀愁漂う丸まった背中を向けて出て行ってしまった。丸太さんは引きつった愛想笑いを顔面に張り付けて会釈だけすると昴さんを追い掛けていった。

 凍り付く部屋の空気。理由が今一わかっていないのが二名。わかっていて尚呑気な笑みを浮かべているのが一名。俺は片桐さんと目を合わせ、渇いた笑い声を溢すのだった。



● ● ●



 検問所を出た先にあったのは市場だった。大人四人程度なら悠々と寝転べそうな幅の広い道を挟み、様々な店が並んでいる。天幕を張って店を開いている者がいれば、ただ風呂敷を広げただけのような店まであった。


「ここが南市通りです。入口の方は主に露店、奥は自治区に住む方々の住居兼店舗となっているものが多いですね」


 誰に頼まれたでもなく勝手に閑歌さんが解説を口にする。

 しかしロウはあまり興味なさそうに、それどころか縮こまるようにして俺の後ろを歩いていた。俺を守ると息巻いていたシンですらちょっと不安そうに忙しなく視線を動かす。人が多いせいだろう。しかもここは特区と違い知り合いが全くいない。挟み撃ちされてるとでも思っていそうだ。

 斜め後ろへ目を向けてみると、これまた違った反応のヨミがいた。やっぱり忙しなくキョロキョロとしているのだが、その赤目は輝き、時たま足が止まり食い入るように陳列物を凝視していた。

 俺はそんな姿に目をしばたたかせる。


「何か気になるものがあるのか?」


 何気ない問い掛けだった。しかし予想に反した食い付きの良さを見せたヨミは、獲物を見付けた肉食獣のような勢いで俺に迫る。


「はいはいはい!」

「な、なんだ?」


 パタパタと振られる尻尾を幻視する程嬉しそうに顔を綻ばせると、ヨミはあちこちを指差し始めた。


「あれとこれとあちらにありました丸い物とそちらと、あ、あとあと、あの良い匂いがするものと!」

「待てヨミ、そんなに言われても俺は把握しかねる」

「ふはっ! す、すみません、つい興奮してしまいましたっ。反省です」


 我に返ったヨミが途端に真っ赤になる。頬に手をあて、あたふたあたふた。


「お気に召した物がありましたか? 少し戻りましょうか、買いたいものがありましたら言ってくだされば立ち止まりますよ」


 話を聞いていた閑歌さんが微笑と共に問うと、ヨミは慌てて手を振る。両手を突き出してぶんぶんと。


「い、いえ、買うお金もないので見るだけです。お気になさらず……」


 恥ずかしそうに、ロウ達のようにヨミまで縮こまってしまう。俺は顎に手をやると黙考。遠慮の塊になっても気になるものは気になってしまうようで、そわそわと目を行ったり来たりさせているヨミが視界の隅に映り、迷うのはやめることにした。


「ヨミ、程々の値段のものなら買ってやる。それに様々なものに興味を持つのは悪いことではないんだから、そう恐縮するな」

「ほほほ本当ですか!」


 耳のように跳ねた癖毛を揺らし、グッと拳を握り締めたヨミが瞳に再び輝きを宿して俺に詰め寄った。どうして良いかわからず顔を背けると、思わず不機嫌そうな声が飛び出す。


「嘘は言わん」


 しかしテンションが急上昇中のヨミにとっては些細なことだったのか、満面の笑みを顔に広げると雪のような肌を赤く染め、「ありがとうございます!」と叫びながら俺の手を掴んだ。今にも一緒に踊りましょうとか言い出しそうな舞い上がりぶりだったが、流石に分別はあったようで俺の手を三度程力強く振るとパッと放し、一人で万歳をしていた。怪しい。


「ヨミのことだし遠慮するかと思ったけど、杞憂だったね」


 とロウが囁くように言った。まるでヨミが断ったらどう説得するかを考えていたかのような物言いだ。


「それは俺がこう提案すると予測していたということか?」


 俺が眉を潜めて問うと、ロウは「さてどうでしょう」と誤魔化すように言って小さく笑った。納得が行かなかったが、隣を歩くシンが。


「やっぱりシランは優しいな」


 にへらと笑って何だか嬉しそうに言い出したので更に眉間に力が入る。どうしてこいつらはそういうことに繋げるのか。

 俺が嘆息していると、肩をつつかれた。さっきから俺は何度振り返っているんだと思いながらも素直に後ろを見ると、ヨミがもうぐにゃぐにゃな浮かれ顔をして立っていた。


「あのですね~、さっき通り過ぎたものが……欲しいんです」

「わかった。わかったからその顔、何とか出来ないのか?」

「う~ん、さっきから直そうとしているんですが無理みたいです~。暫くは我慢してくださいシランさん」


 締まりのない笑顔のヨミ。完璧なアホ面だ。でも図書館で初めて会った時よりも全然いい顔をしている。生き生きとした、今を楽しんでいる表情。そのためなら金は勿体無いと思わないし、まあ、アホ面でも良いだろう。


「少し待っていてくれないか? 直ぐに戻る」


 三人は快諾し、俺はヨミを伴って来た道を戻ることにした。


「にしても人が多いな」

「ですね~。政府自治区という扱いになっている街も割と多いようですし、安定した、信頼性のある場所なので人が集まりやすいんでしょうね~」

「そうなのか」

「そうなのです~」


 へにゃっとした笑顔で応えるヨミには悪いが、ロウやシンに次ぐ人混みを苦手とする人間なのでつい不機嫌そうになってしまう。早く済まそうと早足になると、急にぐいっとヨミに腕を引かれる。


「シランさん通り過ぎてしまいます。これなんですこれっ」

「ああ悪い。これ……これか」


 ヨミが指をぴんと伸ばして示したのはぬいぐるみだった。カラフルな……いやもう毒々しいの域に入っている、やたら色の種類の多い人形だ。ゾウ、だろうか。大き過ぎる耳が体の大半を覆ってしまい、耳の合間から覗く黒い目が正直怖い。しかも継ぎ接ぎだらけで歪だ。だからグラデーションがおかしなバランスになって毒々しく感じるのだろう。

 しかしヨミが元気よくこう評した。


「虹色で可愛いウサギです!」

「ウサギ、か……」


 しかも可愛いと……駄目だ、わからない。ヨミの可愛いと判断する根拠がまずわからない。怪物と呼んでも間違いにならなそうだというのに。


「……他は」

「はい?」

「他にまと──欲しいものは、ないのか?」

「ありますけど……どうしてですか?」


 他にまともなものはないのか、と訊くのは流石にまずいだろうな、とは思った。……しかし本人が満足ならこのぬいぐるみで良いのでは……しかし。

 そんな堂々巡りをしている傍ら、ヨミは首を傾け何やら思案する素振り。そして。


「そうですよね、わざわざシランさんにお金を出して貰うんですもんね。わかりました。実用的なものにします!」


 と宣言するとまた俺の腕を取り、ぐいぐいと引っ張った。抵抗する理由も、抵抗する余地もなかったので大人しく連行されていく。少しまだごちゃごちゃした思いはあったが。

 次に連れて行かれたのは馬車を店代わりにしたところだった。積み降ろしの口に物を並べ、その脇に初老の店主が座布団を敷いて座り込んでいた。置かれた商品は大体が小さな箱の形をしていたが、たまに人形や剥き出しの機械も並んでいる。


「オルゴール、か?」

「ですよねですよね! はぁ、実物初めて見ました~」


 うっとりと、細かな細工がされた木箱やオルゴール本体を眺めるヨミ。実用的かと疑問に思うが、夢中なヨミに無粋な言葉は言えず沈黙する。

 座布団の上でうとうとしていた無用心な店主が目を開いた。白くなった眉を重たげに押し上げると、オルゴールに夢中なヨミに目をやり、立っているだけの俺を見る。


「なんだい、何台か欲しいんかい?」

「……一台、だが」

「ケッ、ツッコミも出来んただの馬鹿正直木偶の坊かいな。ヘドが出るわ」


 何故かボロクソ言われた。店主は本気で侮蔑の目をしているようだった。確かに詰まらない返答だったが、何故初対面の相手から笑いを求められなきゃならない。何か言い返そうと口を開く前にヨミがぴこんと跳ねるように立ち上がった。

 その時ちょうど俺の真後ろでも足音が止まった。そして誰かがひょいと顔を覗かせてヨミと同時に喋り出す。


「喧嘩は良くないのです!」

「喧嘩はあかんで~」


 前後から挟まれた俺は呆気に取られた。誰だヨミと微妙にデュエットしたのは?


「あらら、余計なお世話だったっぽいね。すまんなー」


 全く謝罪する気のない謝罪の言葉を口にしながら背後の人物が並び立つ。

 シンより背が低く、俺よりは悠々高い。茶色のふんわりとした髪を後ろで長い一本の三編みにしている女だ。細くつり上がった狐目の奥は悪戯好きそうな光が隠す気もなく灯っているのが見えた。

 枯れ葉色のコートの下に、薄桃色のセーターが覗く。頭にはアルファベットが模されたキャップ。何だかちぐはぐな、妙な人だと思った。年は多分俺より少し上程度だろう。


「何や揉めとる雰囲気やと思ったけどちゃうんか?」

「こんなワラジムシ兄ちゃんと揉めるわけねえやろ。嬢ちゃん頭大丈夫かいな」

「あっははは、ワラジムシなー、お客さんにそりゃないわ爺ちゃん。そんなんだから物が良くても売れないんだよー」

「あほ抜かせ。客の見る目がないだけや。嬢ちゃんの余計なお世話はいらんちゅうてるやろ」


 腕を組み、尊大な態度で三編み女を鼻で笑う店主。だが女は一切気にしていないようで今もケラケラ笑っていた。そんな二人を見ているだけの俺の横。


「ヨミ、笑い上戸なのか?」

「だってシランさんがワラジム──っぷ」

「……はぁ」


 ヨミにまで笑われると流石に無視出来なくなってくる『ワラジムシ』発言。深々とため息を吐き出していたらいきなり背中をバシバシと叩かれた。


「まあまあ、そう落ち込まんといてえな兄ちゃん。爺ちゃんの粋なジョークや、笑っとけ笑っとけ。本気にしたら負けやで?」

「……痛いのだが」

「あはは、悪い悪い。そうやな、兄ちゃん細っこいもんな。力加減間違えてもうた。すまへんな」


 もう俺は完全に沈黙した。細っこい……まあ自覚している。しかし割とスレンダーな女性にまで言われるとショックが大きいのだが。

 しかしやはり三編み女は頓着しない。今度はヨミに顔を向けた。


「そや、何か欲しかったんやないの? どないなオルゴール探してんや? ここ店長は性格悪いけど、腕はええし種類はあるで~」

「性格は余計や」


 ぼそりと抗議の声が上がったが、女は聞いちゃいなかった。耳が良いはずのヨミまで華麗にスルーすると、頬を赤らめ、手をバタバタさせてぎこちなく口を開く。


「あ、あのですね、これが欲しいというのは……実はないのです。でも本で見て実物見てみたいな、聴いてみたいなって、憧れていたんです!」


 えへへ、と照れ臭そうに笑うヨミ。かわええなぁ、と何故かでれでれしている三編み女。もしや危ないやつなのか、と一応警戒する。


「そうやな、小さいのが良いかねえ。大きいのは嵩張るし、馬鹿みたいな値段やから」

「あ、因みに小さいものはいくらなんですか?」


 すると三編み女はにたー、と怪しげな笑みを浮かべるとおどけたように。


「ありゃ聞く? 聞いちゃう?」

「訊いてはいけないことだったのですか?」

「いんや、訊いても大丈夫やで。ただ買えなくなっちゃうかもなぁ。それは嫌やろ?」

「やです、けど……」

「なら黙っとくが吉やで~。な、兄ちゃん?」

「…………そうか」


 何となく読めた。相当高いのだろう、オルゴールというものは。ヨミが冷や水を浴びたように我に返って遠慮を思い出してしまう程。てか何故俺が金を出すことを知っているような口振りなんだ?

 いぶかしげな視線を送るがどこ吹く風。女は上機嫌にヨミを見て、あの曲好きそうやな、あれが似合うんやないか、と提案しては老店主に持って来させていた。人使いが荒いやつだ、と呆れて見ていたが、店主も嫌々という雰囲気はない。きっとヨミが本当にオルゴールを楽しんでいるからだろう。職人冥利に尽きる、というのはわかる気がする。

 そんな感じにしばらく取っ替え引っ替えやっていると、とうとう「ならとっておき見せたるで!」と店主が言い出した。ヨミを相当気に入ったようで、馬車の奥の梱包の山の更に奥。何だか大規模な発掘作業の末、店主は目当ての『とっておき』を掘り出すと自慢げにそれをヨミの手にちょんと置いた。


「わしが作ったもんやないけどな、かなりの上物や。爺さんから貰ったがまだまだ死なん、ごっつうもんよ」


 それは手のひら大の、塔のような形をした箱の上に青い兎が座ったオルゴールだった。脇にネジがある。促されるままヨミが丁寧に巻くと、奇妙な曲が流れ出した。俺に音楽はわからないが、しかしリズムがでたらめじゃないかと思った。


「壊れていないか?」

「いんや、壊れとらん。確かに三拍子四拍子、三拍子三拍子、かと思えば二拍子と、聞き慣れんとおかしく聴こえちまうかもしれへんけどな、これがこいつの歌や」


 ふん、と腕を組んで睨む店主。一方ヨミは惚れ惚れとした表情で聞き入っていたが、隣でヨミの手を覗き込んでいた三編み女は何か引っ掛かったように唸ると。


「爺ちゃん、これ曲になっとるん? なんか伴奏だけ、てな風に聴こえるんやけど」

「そや。相変わらず鋭いの、嬢ちゃん」


 にやっ、と愉しげに笑って応えた店主は、動きを止めた兎のオルゴールを手に取り、語り出した。


「こいつはな、二つで一つの曲を奏でるオルゴールなんや。曲名は『蒼い兎と玄い兎の詩』。蒼が伴奏、玄が旋律だと伝わっちょる。それ以外は全くわからんがな」

「たった一人、メロディを歌える相手を待ち続けとる兎、なぁ……ロマンチックやんか。ええやん、これにしたらどや?」


 三編み女がヨミの肩をぽんと叩く。ヨミは迷っているようだった。目線は兎のオルゴールに釘付けなため、ヨミが気に入ったことは誰の目にも明らかだったが、恐らく私なんかが持っていいものなのか、とかとごちゃごちゃ考えているようだ。しかし俺は別のところが気になったいた。


「爺さん、これは売り物なのか?」


 『とっておき』だ。それに話を聴く限り一つしかないのだろう。大事そうな物だし、果たして売る気があるのか。


「なに辛気臭い顔しとるんや。売る気はあらへんで」

「そ、そうですよね、あはは」


 それを聞いた途端にヨミはしゅん、と項垂れて空笑いしだす。どうしたものとか思っていたら「ちゃうちゃう、ちゃうでお嬢さん」と店主が言うので二人揃って首を傾げた。


「お金貰う気はあらへんつうことや。やる。貰っとくれ」

「うぇええ! い、いいんですか?」

「ええ、ええ。貰ってくれるやつ捜してたとこや。ごっつう気に入ってくれたようやし、男に二言はねえ!」


 目を真ん丸にして驚くヨミ。言い切った店主に、さすが店長男前~と三編み女が囃す。

 何だかよくわからない内にヨミは蒼い兎のオルゴールを手に入れたのだった。


「はぁ~、良かったんでしょうか?」

「ええんやええんや。店長の言質も取ってるしなっ」


 何度そのやり取りをする気だ、と尋ねたくなる程繰り返された問答にちょっとうんざりする。しかも親切なんだかただの物臭なのか、ご丁寧にも三編み女が全く同じ台詞を返すのだからもう頭が痛くなる。そもそも、だ。


「お前、いつまでついて来る気だ?」

「おやおや~、お邪魔虫やったかな、うちは」

「……別にそういう訳ではないが」

「なら暫くはおるで~。なんてったってこんな可愛い子がおるんやもん。親しくならんと嘘やでぇ」


 上機嫌にヨミの隣を歩く女はにへらと相好を崩した。女のはずだが……なんか無性に親父臭いのは何故だろう。


「そや、まだ名乗っとらんかったな! うち、榊原陽さかきばらはるいうんや。よろしくー」


 ぱたぱたと手を振る動作付きでやっと自己紹介してきた限りなく怪しい謎の三編み女、改め榊原は、やはりへらへらと笑っていた。しかし挨拶されたら返すが礼儀。渋々といった感じに俺も名乗る。


「観月紫蘭だ。第八特区から来た」

「私は夢見黄泉と申します」


 ぺこりと丁寧に頭を下げたヨミとは大違いだったが自己紹介は済ませたので俺は視線を彷徨わせ、目的のものを探し出した。


「ほうほう、ヨミちゃんにシラン君やね。うんうん。で、シランは何探してはるん?」


 ……何故フルネームで名乗ったにも拘わらずいきなり下の名前で更に『君』付けで呼んでおきながら次の瞬間で呼び捨てになる。


「あれ、何か気に障った? ものごっつう仏頂面なんやけど」

「……、…………」

「あ、無視決めたやろ! 全く意地悪でツンデレなんだからしょうがないねえシランは」

「……誰がツンデレだ」


 つい言い返すと、勝ち誇ったような顔で指を差された。


「意味知ってるんや。あはは、おもろ。やっぱりツンデレなんやなシランは」


 とりあえず無視することにする。顔を背け、榊原の言葉は左から右へと受け流すことにし、目だけ探し物続行だ。

 そしてやっと見つけた。一応確認のため、ヨミの手を掴むと「ちょっと」、と店先まで連れていく。


「これ、まだ欲しいか?」

「あわわわって、はい? あ、はい! 欲しいですっ、けど?」


 混乱しているヨミ。だが欲しいのは本当のようなので、そこで店番をしていた子供に買う意思を伝えた。


「まいどー」


 高くよく通る少年の声に背を押され、再び通りを歩き出す。

 呆けた顔のヨミの腕には兎のぬいぐるみがあった。


「やるやん彼氏さん」


 榊原のおちょくるような台詞。

 俺とヨミは息もぴったりに叫んだ。


「付き合ってない!」


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