026□図書館の守護者【狼】
たくさん悩んだ、いっぱい迷ったその先には、きっと幸いが待っている。
そう信じたいし、そうするために今日も考え抜こう。今と未来を。
ヨミが笑って歩き出す第二十六話です。
「お前ら行かなくていいのか?」
「行けるわけねぇだろうが!」
スバルさんがやけくそ気味に叫んだ。確かに余所者が入って行ける雰囲気ではなかった。皆の視線の先には多くの人を前に、頑張って話すヨミがいた。ヨミはシラン達と一緒に行くことを選ぶのか否か。そんな大事な相談をしているところへ乱入なんて出来る訳がない。だからスバルさんの叫びももっともだったが、それをいつもの顔で聞き流すシラン。シランって案外、感心のない人には冷たいよな。もうちょっと優しくしようよ、と思う。まあシンがカバーするんだけど。
「よそもんが入って行ける感じじゃないもんなー。まあ明日返事聞けば良いんじゃないの?」
ニコニコとシンがそう言うと、スバルさんの表情も多少和らいだ。
「そうだな……まあ日暮れ頃にもう一度訪ねてみるか」
しかしそれをまぜっ返すのが彼らだ。
「そうですよね、押しがちょっと弱すぎるリーダーがあそこに入って行くのは厳しいですもんね」
「大人しく出直しましょうぜ、リーダー」
「だから何で君らはそう言う子供の言い訳に乗ってあげた大人みたいな対応なわけ!? 俺リーダー! 君らも言ってるようにリーダーなんだぞ一応!」
「一応がつくところがリーダーらしいですよね」
「うあぁあああ」
「……お前ら、ほどほどにしとけよ」
さすがのシランも憐れむような顔で二人に注意した。でもその返事が元気良すぎる「はーい」だったのが引っ掛かるなぁ。シランも同じことを思ったようだが、結局面倒臭そうに眉を曲げると。
「帰るぞ、宿に」
とだけぼそりと言うと返事も待たずにすたすた歩き出してしまった。シンが待ってよ、と追い掛ける。ロウもそれに続くが、その前にスバル達を一度振り返った。
「心配しなくてもなるようになるから大丈夫だぞ」
「どういう意味ですか?」
シズカさんが不思議そうに問い返したが、ロウは誤魔化すようににっこりと笑むと背を向け、シラン達の後ろ姿を追い掛けたのだった。
□ □ □
「んんんーっ」
と伸びをする。それから全身をほぐすように身震いをすると、ぱつちり目を開いた。
「朝、だぞ」
「ふぉーはな」
「んん?」
寝惚け気味な第一声に入った妙な相槌に目を向けると、シンがパンをくわえた状態でこっちを見ていた。どうやら朝食の真っ最中のようで。シンはゆっくりとパンを咀嚼すると、改めて口を開いた。
「わりい。おはよロウ。良い朝だな、雲も薄くて明るい朝だ」
抜けるような笑顔のシン。どうやらさっきの発言は肯定の意味だった模様。次いで違和感を感じ、室内をキョロキョロと見渡した。案の定。
「シランは?」
「ちょっと前に出てった。今はヨミんとこ。朝飯いる?」
「いるー」
しかしシランと離れている割りに冷静だな、と思った。見知らぬ土地でバラバラになるのは嫌がりそうだと思ってたんだけどな。
ヨミがいるからかな。
「じゃあこれ残り食べて良いから。オレはシラン追い掛けるよ。ロウも終わったら図書館に来なよ」
「そうする。ありがと、シン」
「うん」
どこか上の空な返事。引き留めちゃ悪いかなと思いつつも、ついそんなシンに尋ねていた。
「どうしてシランは一人でヨミのところに行っちゃったんだ?」
すると上着の袖に手をかけたところのシンがきょとんとした顔で止まった。それから眉を困ったように曲げる。
「なんでって……謝るためだろ?」
「謝る……?」
シランがヨミに? どうして? と首を傾げていると漸く合点がいったようで「ああ~」と勝手に納得した顔で頷き始めるシン。中途半端だった上着をさっと羽織るとロウに向き直った。
「ほらシラン、暴走モード入っちゃったじゃん?」
「暴走って……それっていつも以上に遠慮がなくなってる感じだったあの昨日のシラン?」
「そうそ、それ」
と軽く相槌を打ちながらシンはベッドの上に腰を落ち着かせた。因みにロウは全く動いておらず、未だにシンの腰掛けたベッドの隣のベッドの上に座ったままだ。会話は成立するけどまだちょっと寝惚け気味。
「あれになると暴言だらけっつか、しかなくなるんだよね。普段面倒だったり、一応遠慮して言わないようなことをズバズバ言っちゃうんだ」
「で、後々冷静になると反省しちゃう?」
「そうそう」
案外普段がアレでも遠慮するとこは遠慮してるらしいんだ、とニシシと笑いながら言うシン。ちょっと意外だなと思った。だってシランだ。あんまり後悔とか遠慮とかしないと思っていた、シランとは縁遠いものだとばかり思っていたが──。
「シランも人の子だったんだなぁ」
「ロウ……お前はシランのことなんだと思ってんだよ?」
呆れたように言われてしまったのでアハハと誤魔化すように笑った。ちょっと納得行かない顔をしていたシンだったが、話は一段落ついたと見て。
「んじゃ先行ってるぞ」
と腰を上げた。止める理由もなかったので、食べ終わったらロウも行くな、と軽く手を振って応えた。
ぱたん、と軽くドアの閉まる音を聴くと改めて自分の格好を見て、一人呟いた。
「着替えよ」
まだ寝間着代わりのシャツのままだった。くしゃくしゃだ。
しかしふとベッドを降りる前に、シンが残してくれたという朝食が気になり、上から覗き込むようにベッドとドアの間のスペースに置かれたテーブルを見やると──。
「……大、きいね」
なんか握りこぶし程の厚さのパンが二個、皿に乗っていた。いや、パンの厚さ自体は頑張っても親指程しかない。問題なのは。
「ジャム……やシロップ漬け?」
淡い、少し透き通る感じの黄色の果物が挟まっていた。それがでかい、ゴロゴロしてる。そのせいで凄いインパクトのある朝食となっていた。隣に置かれた水入りのコップが酷く小さく見える。
近付いてみるとちょっと光沢があるのがはっきりとわかった。これは……なんだろう。素材まるごと感がびしびしするのだけど。なんの果物だろう。桃、いや杏とか?
暫しのにらめっこ。
サンドイッチの大半以上を具が占める朝食。しかし……。
「美味しそう」
キョロキョロと辺りを見渡す。うん、誰もいない。はしたなくても気にする人はいない。
し、仕方ないよね、こんなに大きなサンドイッチなんだもの。だからロウは丁寧に手を合わせ。
「いただきます」
と一人、厳かに言うとサンドイッチを持ち上げ、大きく大きく口を開けると。
ぱくり、と食べた。
普段だったら視線が恥ずかしいポーズだけど誰も見てないもの。あ、あの鹿とか、狩りに関しては別だからな。あれはしょうがない。これはまた別……だけど、良いよな、かぶり付くしかないじゃないか。
と一人言い訳を内心ぶつぶつ言いながら二口目のために再び大きく大きく口を開けて。
扉から覗く一対の黒瞳と目が合って閉じた。
一度、目を閉じてみる。ちょっと待って。あれ、多分あの人だよね。目、合っちゃったよね。見られたよね。上機嫌で大口開けてる間抜け面見られたよ。完全に油断してたぞ。本気で視覚以外の確認、忘れてた。いやでもあの人気配なさすぎでしょ。忍者ですか? トバさんですか? あ、トバさんは隣の第五守衛地区の副地区長さんなんだぞ、ってうわ、ロウ混乱してるな。
「どうぞ」
「あ、いいんですか?」
「……手遅れだし」
「では遠慮なく」
宣言通り、全く気負った風もなくあの人、シズカさんが部屋に入ってきた。それがデフォルトなのか、いつものほんのり笑顔な人だ。こういう気まずい時に笑顔を見ると笑われている気がする。まあ、多分被害妄想だけれど。
「で、何の用か?」
「紫蘭さんに続いてシンさんも出掛けたようなので、残ったロウさんに状況をお尋ねしてみようかなと思いまして」
「つまり返事を訊きたいから催促、ってわけかな?」
「お好きなように解釈して頂いて結構ですよ」
食えない笑顔に渋い顔になるロウ。ため息を吐きつつ、投げやり気味に答えた。
「帰って来たらどんな結果であれ出発。それは変わらないぞ。ロウも今から行く。シズカさん達はここから動かないで待つのが吉だぞ」
言うだけ言うと残りの朝食を口に、というか胃に放り込むと立ち上がった。掛けていた上着を手に取ると、さっと羽織る。そんな一連の動作を静かに目で追ってから、シズカさんは何気なく言葉を投げ掛けた。
「冷たいですね、ロウさんは」
「あなたは得体が知れないから苦手なの。スバルさんみたいなお人好しとは違うみたいだから……」
「よく見てますね。でも私がリーダーを裏切ることはありませんよ。私は自負する程に嘘つきではありますが、リーダーを裏切る形になることはないですよ」
その『裏切る』というのはきっとスバルさんには嘘をつかない、ではないだろう。多分、スバルさんの本心に反することはしない、嫌われたくないってことでもあるのかな。でも、そこは信じられる。
「本当にスバルさんが好きなんだね」
「その言葉は紫蘭さんに置き換えてロウさんにお返ししますよ」
では邪魔者のようなので失礼させて頂きます、と嘘臭く笑ったシズカさんはさっさと部屋を出て行った。本当に気配を良く消す人だなぁ、とちょっと呆れながら音もなく閉じたドアをぼんやりと見ていた。動作が不自然なまでに自然だから気付きにくいのだ。
「困る人だなあ」
対応に。といった感じ。何だかスバルさんとは違う目的みたいなものを持っているような印象で──。
「あ、一つご忠告を。お出掛け前に自分の格好をきちんと見ることをお勧め致します」
ガチャ、と扉が閉まる音を呆けた顔で聞いた。自分の姿を見返す。ほんとだ、朝食を優先して着替えてなかった。その上にコートを着てしまっていた。
「あー」
羞恥に思考が持っていかれる。
しばらく悶絶してた。
□ □ □
やっと復活してロウは部屋を出た。宿からとっとと出てヨミの図書館へ行くのだ。さっきのはあまり深く考えないことにする。
外の空気を胸一杯に吸い込む。朝の空気は澄みきり、くもり空でさえ輝いているような気にさせる。
「よし復活」
自分に言い聞かせるように言うと走り出した。あまり人はいないので遠慮なく走れる。本当にあっという間に図書館に着いた。ノブに手をかけるが、中から漏れ出した話し声が耳に入り、一時停止だ。
「よろしくね、シン」
「ありがとう! よろしくな!」
凄い、和やかな雰囲気。ヨミの声が前者、後者がシンだ。ヨミがシンを呼び捨てにしている……。さすがシンと思うが、なんだか入って行きづらく思った。仲間外れにされたようで、ついふて腐れた気持ちになる。二人だけ仲良くなるなんてずるい。ロウはまだ「ロウ君」なのに。
しかも続いて照れたヨミの声がしてきて口が自然とへの字になった。
「こちらこそ……ありがとう」
しかしそれをぶち壊すような馴染みの不機嫌声が割り込んだ。
「おい」
シランだ。気に食わないといった顔、になっていそうな声だった。思わず苦笑してしまうが、同時にこっそり感謝した。
おかげで入りやすくなったから。
「一人だけ除け者にされてふて腐れてるのかなシラン? ロウを置いてくから悪いんだぞっ」
扉を開けると意気揚々と言い放った。ヨミとシンは既に気付いていたので普通に挨拶。シランだけは驚いた顔でロウを迎えた。
「いつから居たんだ?」
「ついさっき来たの。シランありがとー」
「何を感謝されているんだ?」
「それは秘密っ。おはようヨミ、シラン。良い天気だな」
ニコニコと微笑んで相槌をうつヨミに対して、曇り空な不機嫌顔のシラン。さっきのロウの台詞が嫌だったのかな、と思う。しかし切り替えたのか、そんなことより、という風にヨミに向き直るとシランは口を開いた。
「支度は?」
「あ、はい、出来てますよ。決めたあと直ぐに荷造りしましたから」
「あ、やっぱり行くことになったんだな」
さして意外そうでない表情でロウが言うと、ヨミは力強く口の端を上げて応えた。
「ええ。後悔しないためにも」
「あはは、前向きなんだか後ろ向きなんだか、わからなくなる発言だなっ」
「前向きだよきっと!」
「しかし『したくない』のために行動しようと思うのは果たして前向きなのか?」
「シラン難しいこと言わないでよおー」
シンが頭を抱えて、シランは仏頂面で放置、それをロウは笑顔で見守る。するとヨミはニコーと微笑みながら。
「やっぱり変な人達ですね!」
と言った。ロウ達はなんとも言えない顔で、きっと三者三様な表情でヨミを見ていた。ヨミはそれがおかしかったようでとうとう吹き出して笑い出してしまった。もうきょとんとするしかなかった。
しばらくしてヨミが落ち着くとようやく会話が再開される。
「それで、挨拶は済んだのか?」
「はい。昨日決めて、ちゃんと挨拶回りも荷造りも済ませてありますよ。今すぐ出発で大丈夫です」
さすがヨミ。準備は万端の様子。シランは頷くとロウとシンを見た。お前らもいいな? という確認だろう。ロウは頷き返し、シンは目が合う前から笑顔で肯定を表していた。
「ならとりあえず宿へ行こうか。昴さん達も待っているだろうし」
「はい。今荷物を持ってくるので、表で待っていて貰えますか?」
と言われたのでぞろぞろと素直に図書館を出るロウ達。ちょっと気になっていたのでシランを見た。シランはなんだ、と不機嫌そうに眉を上げた。
「シランは納得したのかな、と思って」
「俺がヨミの決定にどうのこうの言う権利はないし、そもそも立場でない」
「それでもシランは納得しなきゃあんなあっさりとは話を進めないでしょ?」
シランはロウを睨むような目付きで見ていたが、やがてふっと力を抜くと答えてくれた。
「お前も聞いただろう。あれが答えだ。あいつはもう逃げない」
「……そっか。なら大丈夫だね」
ちょっとほっとした。昨日最後に見た表情がかなりの困惑顔だったから。それにまるで図書館の何かに縛られているような印象を受けていたから、気になっていたのだ。きっと思い出とか、そんなもの。ロウには求めても見えない鎖をヨミは持っていた。でも振り切れたようだ。
「なぁに言ってんだよ。ヨミは強いんだぞー? そんな心配しなくたって大丈夫だよ」
「どこから来ているんだその自信は」
「勘だ!」
シランは呆れた顔でシンを見たが、頭を振ると気を取り直したように言った。
「ヨミはまだか」
「スルーしなくてもぉ」
「明らかな話題転換は残酷だね」
「お待たせしました!」
不意にヨミの元気な声が響いた。一斉に三人の視線がヨミに向く。荷物は意外とコンパクトで、小振りのリュックサック一つ背負っているだけだった。
ただ。
「……ヨミ、太った?」
「ええ!」
流石のシランもロウもつっこめなかった。だって、ねぇ。
「凄い着膨れしてるね」
「変異種の兎のあごしたみたいだな」
「え、と……肉垂って言いたいんですよね?」
困惑気味に問い返すヨミに二人揃って頷いた。『肉垂』という言葉は知らないが、ようはあの兎のやたらモコモコした胸毛というか、顎下の毛のことだよね。シンはシランに同感なのかしきりに頷いている。
ヨミは何枚重ね着したらそうなるのかと解説を求めたくなるほど一番上に着たコートはパンパンだった。あんなに細かったヨミが数分の間に肥えた豚みたくなってしまっている。横幅は三倍近いのではないか。しかもご丁寧にフードまで重ねているようで、とりあえず三枚ほど判別可能だ。つまり最低三枚は上着を着ていることになる。
「どうしたんだヨミ、そんなにまるっこくなっちゃって」
「変ですか? 外は寒いじゃないですか。太陽は気紛れにしか私たちを暖めてはくれないんですよ?」
「限度、ってものがあるだろう」
「シランさんまで……」
ちょっとショックだったようで、項垂れてしまった。しかしこっちとしても衝撃を隠しきれない。思わず三人、顔を見合わせる。最初に動いたのはやっぱりシンだった。
「ごめんて。ちょっとびっくりしただけ。まるっこくなったヨミもかわいいよ?」
「シン、それあんまりフォローなってないぞ」
「え、ダメ?」
「もういいです、いいですから行きましょうよぅ……」
折れたのはヨミの方だった。ちょっと涙目なヨミだった。
□ □ □
「あのー……頭、上げて頂けますか?」
「他に感謝の意を表す方法を知らん私を赦してくれ」
「いや、あの……シランさん~」
「俺は助けないからな」
面倒臭いという感情を微塵も隠さないシランは、不機嫌そうに言い捨てた。ヨミは困り顔で前、というか足下を見た。ロウも一緒に見る。
そこには凄い綺麗な土下座をする人がいた。てかスバルさんだ。頭が床にめり込みそうなほど深々と頭を下げていた。このまま一週間生活させて頂きますとか言い出しそうな勢い。流石にないと思うけど。対するヨミは完全に困惑顔で、何だか慌てていた。
「あ、あの、そこまでする程の者ではないでしょう? 私は。だからもう十分です、どうか顔を上げてください」
「いえ! 今回の無茶な願いを聞き入れて頂いたことはもうこんなことじゃあ足りません! おいお前ら! もっと気合い入れて感謝しろ!」
「オッス!」
「はい!」
「うあぁ、シン君ロウ君助けてください、どうか三人を止めてくださいよぉ」
しかもシズカさんとマルタさんまで土下座モードなのだから無理もない。またちょっと泣きそうなくらい困り果てているヨミだった。しかし三人は感謝の意を表したいだけで悪気は一切ない。
どっちの味方をしてもしなくても申し訳ない気分になれそうだ。これは傍観が楽だよなー、と思いながら横目にシンとシランの様子を窺おうとすると、案外のほほんとしたいつもの顔のシンがいた。
「でもよー、多分気が済むまでやって貰わないと度々こんなことになるんじゃねえの?」
あっさりとそんなことを言ってしまうシン。せっかくなので便乗しちゃえ。長引いた方が面倒だという判断したロウも畳み掛けるように言葉をつむいだ。
「不可能と思われてた結果だからね、喜びもひとしおなんだよきっと。良かったね、スバルさん。ってことで多分もう気持ちは伝わってるから顔上げようよ、ね?」
しかし何故か事態は全く改善されず、ヨミの困惑度が上がっただけだった。
結局そんなこんなで十分後。ヨミが懇切丁寧にお願いして、というか逆拝み倒しをしてなんとか全員が通常スタイル、つまりは二足歩行に戻り、ようやく普通の光景が戻ってきた。ヨミの安堵は半端なかったようで、疲れた笑顔も晴れやかだった。
「じゃあ明日出発で──」
「リーダーリーダー! ちょっと待ってください、紫蘭さんとの約束は……」
意気揚々と翌日出立、と宣言しようとしたスバルさんに、シズカさんがストップをかける。すると瞬く間にスバルさんが蒼白した。何か思い出した様子。
「そうだった、三日目の今日までという約束だったな……」
ズンと沈んだ顔になるスバルさん。しかし非常に軽い調子でそれを打ち砕のはくシランだ。
「もうヨミの支度も終わっている。ヨミが良いのなら今日出発しようかと思うが」
「そ、そうなのか!」
スバルさん復活。期待の眼差しを向けるスバルさんに、ヨミも思わず苦笑しつつ、柔らかな物腰で応じた。
「はい、準備は出来ていますよ。昨日ロウ君に、翌日には出発するつもりだから、行くと決めたら出来るだけその日の内に荷をまとめとくように、と教えて頂いたので」
すると何故かシランに視線が集まった。その意味はきっと「ロウに頼んだのはシラン?」みたいなものだと思う。しかしシランは目線を誰一人として合わせず、不機嫌な表情をより深めていた。まあそうだよな、それはロウの勝手な判断で、シランはすっかり忘れていたんだから。
しかし皆が困惑顔な中──若干名不機嫌顔な人がいるが──、一人だけ別の行動を取った人がいた。シンだ。
「えらいなぁロウは」
そう言って優しく頭を撫でてくれた。どうやらシンには全部お見通しな模様。それを皮切りに、シランが素直に頭を下げた。
「……確かに、言うのを忘れていた……すまん」
「あ、いえ大丈夫ですよ」
「ロウのフォローのおかげでな」
シンのとどめの言葉にぐったりしたシラン。たまにシンって容赦ないよな。しかし流石シン。フォローまでそつなくこなす。
「まあでも、明日出発じゃなくて明後日出発にしたのは一応行くことになったヨミがゆっくりやることをやれるようにみたいな理由なんだろうけどな」
「お心遣いありがとうございます、皆さん」
「……中途半端ですまない」
意外と堪えたようでぐったりしたままのシランがヨミに謝罪する。ヨミは苦笑していた。
「さてと。なら話は早い。出発で大丈夫ですかな?」
異存のある人はいないようだった。
□ □ □
「ヨミちゃん」
「ヨミ姉!」
「ヨミっ」
「……はい?」
宿を出ると老若男女、様々な人が待ち構えていた。ざっと二十はいくだろう。ヨミは目を丸くして棒立ちになってしまったが、そこは関係ないらしく、彼ら彼女らはぞろぞろとヨミの周りにやってくる。なのでロウ達は空気を読んで場所を空けた。
どうも見送りのようだ。もう済ませたと言っていたヨミも不意討ちだったらしく、言葉もなくおろおろしていた。嬉しそうに困っていた。
「あったかくていいとこだな、ここ」
シンがそんな様子を見て、顔を綻ばせて言う言葉に、ロウとシランは素直に頷いた。ヨミの人徳と住人の人柄なんだろうなと思う。
「でもちょっと心配性かもね」
「まったくだな」
シランの呆れた声が相槌を打つ。それもやはりどこか優しげで、苦笑といった感じだった。
「うーん、でもオレだったらそんなに心配なら意地でも行かせないけどな」
「知ってる」
「うん知ってるぞ」
「な、なんで!」
衝撃を受けた顔をシンはするけど、だって、ねえ? 出発当日の説得は最終的に脅しだったし。本気でシンだったら閉じ込めてでも行かせないだろう。
「むー、これがウワサの読心術というやつかぁ」
「違うからな」
完全に呆れた声でシランが言うと、シンは首を傾げて悩み始めてしまった。そんな深く悩むことじゃないよと言うべきか。
「ちょいとお前さんら」
「ん?」
不意に何故か胸板をトントンと叩かれた。つまり相手は真正面にいるのだ。それはさっきまでヨミの傍で話していたおばあさんだった。背筋はピンと張っているがやたらと背が低く、ロウとあまり変わらない。でも変わらないならそんなところ叩かなくてもと思うが……誰にも気にされず話が始まる。
「ヨミちゃんと行くのはお前さんらでっしゃろ?」
「うん、そうだよ」
シンが頷く。おばあさんはそれににっこりと笑うと、手提げかばんからごそごそと何かを取り出した。それは綺麗に織られた布を縫い合わせた、四角いシルエットのもの。上の部分は白い紐で閉じられていた。手のひらにすっぽり収まる程度の大きさの、小さな平べったい袋。
「御守り、か」
「おまもり?」
シンが首を傾げてロウを見るが、残念だが首を横に振ってみせることしか出来ない。
「なぜ鹿威しがわかって御守りがわからない……」
シランから変な視線が。そんなのたまたま「御守り」というものに今まで遭遇しなかっただけだぞ?
「で、おまもり、ってなんだ?」
「まあ読んで字の如く、守って欲しいという願いが込められたものだな。神社や寺なんかで神の加護があるようにと売られていたが、今ではほとんどないようだ。でもたまに第八特区でも出回っているぞ」
「ふへー。神さまなのか」
「ごめんなさいねぇ。これはおばあちゃんお手製だから神様の加護なんて大層なもんはないんねぇ」
苦笑すると目尻に年月を感じさせる皺ができた。優しげな、くしゃっとした笑顔だ。
「でも神頼みなんかじゃない想いが込められている。俺はその方が効き目がありそうだと思うがな」
「ほう兄さん、かっこええ顔して良いこと言うと様になりますなぁ」
「…………」
シランが不機嫌な顔になる。まあ照れ隠しなのだが。おばあさんもそれがわかっているのでニコニコとしたままだ。
「では貰っていただけますかねぇ?」
その言葉に驚くのはロウ達だ。目を見張り、耳を疑う。
「……ヨミに、渡してやってください」
「いんやいんや、ヨミちゃんには渡しましたとも。あんたさんらにも持っていて欲しいと思いましてな。生憎、これ一つしかないだけどねぇ」
三人の真ん中にしわくちゃな手がやってくる。シランが何か言おうとしたが、シンとロウが息もぴったりに左右に分かれ、道を開けたのでそれも止まる。
「……何のつもりだ?」
「シランが持ってれば皆一緒に守ってもらえそうだからだぞっ」
「何故にそうなる」
ぼやくように言うが、シンの輝く瞳と目が合ってしまい、ため息混じりにシランはおばあさんの前へ出ると、深々と丁寧に頭を下げた。
「……有り難く、いただきます」
「そんな堅くすることじゃあないですよ。婆の我が儘、受け取ってくれてありがとうね」
しわくちゃの顔をより一層くしゃくしゃにすると、お婆さんはあちらの集団に戻って行った。
遠くからもわかるヨミの綻んだ顔が微笑ましい。こんなにも想われているヨミが眩しく見えた。
「ヨミと旅するの、楽しみだな」
「うん。それに頑張んなくちゃな。あの人たちの想いの分まで」
「あまり気負うなよ」
少し心配そうなシランの声。多分慣れた人しかわからないものだけど。シンはそんなシランに、ニシシシ、と笑った。
「シランこそ心配性だよ」
シランは口元までへの字にさせて、とても不服そうだったが、駆け寄ってきたヨミを見て口をつぐんだ。
「すみません、お待たせしました!」
「もういいのか? もっとゆっくりしてても良いんだぞ?」
「いえ、あんまり居ると行きにくくなってしまいますから……行きましょう」
切なさを噛み締めるような笑みだった。ロウは静かに頷き、シンは笑顔で肯定した。シランはキュッと御守りを大事そうに握り締めると、腰のポーチに滑り込ませてからヨミに向き直った。
「ああ、行こう。このたくさんの想いを背に、な」
「はい」
はにかむようにヨミは笑った。それはとても晴れやかで、幸せそうだった。
そして出立の最後の最後。さっきのお婆さんがヨミに歩み寄ると、ゆっくりと言葉をつむいだ。
「いっぱい迷いなさいな。迷わなきゃ見つからんもんもあるんですよ。決め付けちゃいけんよぉ。大切なものは少ないようで多い上になあ、本当に大事なもんは分かりにくい場所にあるものなのよ」
お婆さんはヨミの手を握って、真っ直ぐな眼差しを向けて、願うように言った。
「そうしてお前さんの『本当』を見つけんしゃい。それは真実でなく、揺らがんもんでないかもしれん。でも必ず最後に辿り着く答えは、きっとヨミちゃんにとっての真実なんよ」
「……はいっ。ありがとう。……行ってきます」
「気を付けてぇな」
そうして背を向けたヨミは、涙ぐんでいた。ちょっと恥ずかしそうにロウの視線に笑い返すと、ヨミは真っ直ぐにロウ達の横を通り、ずんずんと前へ歩き出した。
ほんの少し出掛けるだけ、で終われば良い。抜けるような笑顔で、ヨミが「ただいま」と言えれば良い。そして彼らが安心して「おかえり」と迎えられるなら、それはハッピーエンドだ。
ロウはそれを、ただただ願うよ……。
「ヨミの笑顔はオレが代わりに守るっ!」
びっくりした。ヨミも驚いて足を止め、思わず振り返っていた。呆れたように笑むシランの隣。村の方を向いて仁王立ちしたシンがいた。
「だから笑顔で『行ってらっしゃい』って言ってあげてくれ。それがヨミの強さだからな!」
背中しか見えなくてもわかる。超笑顔なシンがいることが。だからロウはアハ、と破顔した。シンが居ればどんな不安だって一瞬で吹き飛んでしまう。その隣にシランまでいたら百人力だ。ロウも心置きなく笑っていられる。
そうして一人で戦っていた、怖がりの癖に強がりな図書館の守護者は、第十六特区を旅立った。世界中の人を起こしても足りず、地面の下の死者までびっくりして飛び起きてしまうんじゃないかって言うほどの、特大の『行ってらっしゃい』を背にして。
「行ってきます!」
共に旅する仲間と肩を並べて。