020□図書館のケモノ【真】
さて漸くここまでやって来ました。あの子がやっとこさ登場です。今まで男ばっかりでむさ苦しかったでしょう。シズカいたけど。
とにかく二十話目です。シン視点でどうぞ。
第一印象としてはえらく中途半端な場所。
そこは一応第十六特区の管轄らしいが、発展した街を中心にある程度の人が集まり、何となく特区というくくりでまとめただけだそうだ。周りの村や町はついで。数合わせ程度でしかないのだろう。
言うなら広く薄っぺら。
確かにオレがいつも行く第十六特区とはまるで違う街、いや村だった。話は聞いていたが、今この目で見て、ようやくちゃんと理解出来た気がする。
スバル達の用があるのはその特区の端の端。整備などされていない、小さな村のような、簡素な家が疎らに建ち並ぶところだった。第八特区とは大違いだ。あそこはみんなで協力して生きていこうという街だけど、ここはそんな思いやりが一欠片も感じられなかった。例えるなら家族に無関心な人ばかりの家。さみしいな、と閑散とした村を見て思った。
「……」
「無言で責めるなよ。俺だって仕事じゃなきゃ嫌がる奴を無理矢理説得して連れてくなんてこと、したくねぇんだ」
「……わかっている」
そう。もう一人スバル達のボスが呼びたい人がここに居るのだ。シランが嫌な顔するのもわかるし、板挟みになってるスバルも複雑なのはわかってる。だからオレは黙ってシランの傍にいた。
この話を聞いたのは昨日の晩、夜営の準備も夕飯も済み、ゆったりしていた時だ。シランはただ一言。
「遅い」
だった。
言うのが遅い、ということだ。
スバルはしきりに謝っていたので流石のシランもそのことについては許しただろうが、納得が行かないのも分からなくもない。スバルたちのしつこい勧誘に困る人が他にもいたのだから。しかしスバルたちも仕事は仕事。皆あまり割り切れない気持ちがある。仕方ないと言ってしまえば片がつくと言えなくもない、のかね。
柄にもない考え事をしているといつの間にか目的の場所についていた。
「まあ、無用な誤解を受けるのも面倒だろう。あんたらはその辺で待っててくれ」
と言われ、結局茂みに隠れるまではしなかったが、大分離れたところでオレたちは立ち止まった。スバルたちの背を見送る。
彼らが目指す建物は村の中でも一際目立つものだった。別にどきつい色とか変な装飾があるからではない。逆だ。黒と白のとても質素な外観は、品、みたいなものがあって、他の建物とは雰囲気からして違うのだ。でも一番の理由は。
「大きいな、あれ」
「図書館だなっ」
「雰囲気としてはそんな感じだな」
「ああ、そういや本の匂いがするな」
「でしょ?」
「……相変わらず凄い嗅覚してるな」
確かに本独特の、乾いた埃っぽい妙な匂いが微かにする。しっかし、図書館か。
「司書さんに用があるのかなぁ」
「……どちらかと言えば目当ては書籍だろうな、恐らく」
シランが眉間に深く皺を寄せて言った。気に入らない、といった顔だ。本当にそういう感情は全く隠さないよな、シランは、と思う。普段は仏頂面過ぎて、喜んでいたりしても慣れた相手しかわかってもらえないのに。あ、隠さないじゃなくて隠せないのか。
「シランの仏頂面も困ったもんだよなー」
「……なんで今言う」
「何となく」
しかしちょっと皺が緩和された。今のやり取りでちょっと力が抜けたみたいだ。良かった良かったと、再び視線を大きな建物、多分図書館に戻した。
そして丁度、スバルが動いたところだった。コンコンと控えめなノック。
…………。
分厚い扉に音は呑まれてしまったらしい。反応なしだ。スバルもそう思ったらしく、大きく拳を振りかぶり、扉を叩く──。
バンッ。
重厚な木の扉は、軽々と勢い良く開いた。最早お約束。扉は吸い込まれるようにスバルの顔面へ一直線に。そうして吹っ飛ぶスバルに対し、黒い扉は解き放たれた。
それはまるで雪のような純白で。
灼け付くような強い意志の赤が煌めいた。
「私は行きませんよ! 貴方たちと話すことは一つもありません! 帰ってください!」
ものすごい勢いでそう叫んだ少女は小さな赤い瞳を、しかし弱々しさなんて微塵も感じさせない雰囲気で言った。
立ち止まり、勢いで浮き上がっていた髪がふわりと肩に降りた。それは透き通るような白で、ひどく細く、光を反射してキラキラして見える。
白と赤。
そのコントラストだけで十分目を引くが、もう一つ特徴を挙げるとしたら、それはぴょんぴょんと自由に跳ねる癖っ毛だ。長い髪がまるで意思でも持っているみたいに見事な跳ねっぷりを見せていた。
「は、話だけでも、聞いてくれないか……」
「お断りします、帰ってください」
顔、というか鼻を押さえてよろよろと立ち上がりながら言うスバルに、冷たく言い捨てる少女。どうも凄く怒っているみたいだ。オレだって流石にあれは思わず謝ったけど、あの子は流されないらしい。いや、怒り心頭で冷静じゃないだけかもしれないが。
流石に二十歳は行っていないだろうが、整った顔に凛とした雰囲気で大人びて見える。背はシランよりほんの少し低めで随分とほっそりしている。でも軽々と、勢いよくあの重たそうな扉を開いてみせたのだから、見た目は当てにならないんだろう。普段はちょっと垂れ目気味そうな目が今は吊り上がり、相当な怒りなことは容易に察することが出来た。
「とめる?」
「……どっちを訊いているんだ」
「もちろん両方」
「もちろんか?」
「だってどっちの味方もやるつもりないなら、ここはケンカ両成敗、ってやつじゃない?」
「シン、ケンカじゃないし、成敗しちゃダメだよ」
「あ、そっか」
でもじゃあどうすんだよー、と口を尖らせていると向こうでも何やらアクションがあったようだ。
「諦めてください。私はここを離れるわけには行かないんです。その旨はそちらにはすでに伝えましたよね? ……これ以上ここに居座ると言うなら実力行使もやむを得ないと見なします」
「ひっ」
スバルが遠目にも青くなったことがわかった。事前知識として知っていたのか、さっきの登場で察したか。とにかくスバルもその実力行使がやばいということだけはわかったようだ。
ここで退かなきゃ本気でオレらが割り込む必要がありそうだった。スバルの数歩後ろに控える二人も緊張の面持ちだ。
しかしスバルは明らかに及び腰だったが言った。交渉のために武器を部下に預け、丸腰で怖いに決まっているのに、逃げなかった。
「本当に、すまない。でも仕事なんだ……明日、また訪ねよう。その答えを聞いて納得出来たら俺が代わりにそれを上に伝えて、もう人を寄越さないよう、嘆願しよう」
スバルは真っ直ぐに少女の鋭い赤い目を見て、振り絞るように、けれど逃げることなく言い切る。
「だから今日一日、真剣に考えて欲しい。明日、その答えをくれ……失礼した」
深々とスバルは礼をした。目の前の少女に恐怖しているのは間違いなかった。でもその気弱な顔には申し訳なさも含まれていることも間違いなかった。
「……わかり、ました」
小さな小さなか細い声がスバルの頭に降り掛かった。そして扉はゆっくりと閉まり出し、慌てて下がったスバルを待ってから堂々と元の位置に帰った。
スバルはもう一度、改めて感謝するようにその場で頭を下げると後ろに控えた二人に目配せをし、それからオレたちの方へと歩いてきた。
□ □ □
「らしいな、お前らしい」
「ああいう風にしか出来ないんだ。不器用だからな」
迎えたシランの言葉に苦笑して答えるスバル。それから何故か妙に神妙な顔になるとシランの顔を窺うように見た。
「……なんだ?」
「……さっきの会話、聴こえてたか?」
「ああ、把握している」
それは微妙に嘘とも言えなくもない。何故ならやっぱり普通の人間の耳ではこの距離は離れすぎていたから、シランには会話が全て聴こえていたわけではない。だがオレとロウが通訳みたいなことをしていたから、シランも内容を知ってはいる。
しかしスバルはそんな裏話は知らないので神妙な面持ちのまま、続けた。
「勝手に約束してしまったことは謝る、すまない。でも一日、時間が欲しいんだ。……頼む」
明日答えを聞くというあれのことだろう。どこまでも腰の低い人だなあ、と感心だか呆れだかを抱いていると、シランは予想通り即答した。
「長くて明後日までだ。それなら待とう。良いな?」
「……ああ、有り難い」
少しほっとした顔でスバルは頷いた。でも実はオレもちょっと意外だった。即答するだろうとは予想していたが、明後日まで待つと言うとは。譲歩しても精々一日かと思っていたから。でも話を聞いた時から決めていたのだろう。シランは考えることもなく、泰然としていた。
シランの快諾もあり、徐々に余裕が戻ってきて表情が柔らかくなったスバルが微笑しながら皆を促す。
「じゃあ宿に行くか。一応こんな時のために宿屋は把握しているからよ」
それに呼応した皆は歩き出したが、オレは動かなかった。なぜならシランが歩こうとしなかったからだ。
「俺は図書館に用がある」
スバルがパッと振り返った。驚きの表情。しかしシランはいつもの仏頂面で淡々と答える。
「言っておくがお前らの仕事のためにオレが動くことは決してない」
「……だよなぁ」
スバルが頷く。それが落胆ではなく安堵だったのは、早くもシランの性格を掴み始めているからか。確かにこの場合のスバルたちにシランが協力するわけがない。
でも。優しいシランは何だかんだで助けられるなら助ける。事情にもよるが、何かしらスバルたちを助けることをしそうだとオレは思っていた。口にはしないけどな。
「それは良いが、宿屋の場所は知らないだろう? 迎えに来てもそりゃ良いが……」
「大丈夫だ。この村の中の宿屋か?」
「ああ。一つしかない、って、なら誰かに聞きゃわかるか」
一人で納得するスバル。まあでもオレかロウがいればそうじゃなくてもスバルとかの匂いを辿って行ける。だからシランは迷う必要がないんだろう。
「二人も良いか? 先に宿に行っていても良いんだが」
「シランといるに決まってんだろ」
「ロウも図書館行きたいぞ」
オレは当たり前だったので直ぐさま頷いて、ロウは目を輝かせて声を上げた。
「決まりだな」
「では何かあったら宿に来てくださいね。誰かしら居るようにしますので」
微笑んでシズカが言うと、スバルとマルタも適当な挨拶をしてから村の奥へと足早に歩いて行き、直ぐに見えなくなった。
「なんか急いでるな」
「作戦会議でもするんじゃないか」
どうでも良さげな顔でシランは呟くと、図書館へと足を向けた。そしてゆっくりと扉を叩く。気負いは一切ない。そして分厚い扉の向こうから冷ややかな声が返ってきた。
「……どなたですか、何のご用でしょうか」
「ここの本が読みたい。それとお前と話がしたい」
「……さっきの人のなか──」
多分「仲間ですか」とでも言おうとしたのだろう。しかしシランは頓着しない。
「関係ない。俺はどうしても知りたいことがあるんだ。守りたいものがある。どうか話を聞いて欲しい」
「……」
沈黙。長い長い沈黙という返事に、シランは静かに唇を噛んだ。よっぽど知りたいことがあるらしい。ならオレもそれを望む。オレだってこんなの悔しいからな。
「なあ、シランの話聞いてくれないか。シランは悪いやつじゃないんだ。そりゃいっつも不機嫌な顔してて愛想ないし、怒ってるみたいなしゃべり方でこわく見えるけど」
「おい」
「でもなでもなっ。嘘吐かないし優しいし、無駄に甘党で体に悪いから止めろって言っても聞かねぇし、器用だけど不器用で、頑固で納得できないことは曲げないし、寝起き悪いしお説教長いけど! ってあ、あれ、悪口になってる? や、で、でもでもっ、違うの、案外素直なとこがあったり、いろいろ気づいて助けてくれたりして、良いやつなんだよ、シランはほんとーに」
「……おいシン」
何だかシランに睨まれてる気がするけど気にしない。言葉を物言わぬ木の壁にぶつける、その向こうへ投げる。とどけ、おもい。そう願う。
「なぁ、なぁ! シランと会ってくれよ、頼むよ」
しかし答えは。
「…………」
切なくなってきた。そんで延々と返事のない扉に向かって話していると何だか悲しくなってきた。だからか、段々と声が上擦ってくる。
「返事くらいしたって、いいだろ? ……そんなに、シラン嫌いなのか? オレもロウも、嫌われちゃったのかぁ?」
「シン、もう──」
シランが見兼ねて優しげな声音で言おうとするが、オレはそれをキッと睨むようにして制した。
「良いのかよ、訊かなくて良いのかよ! 大切なことなんだろぉ? 何訊きたいのかオレ、知らねえけどさ、でもやだよ、諦めんの。いやだ」
「……俺は──」
俯いたシランが口を開いたその時だ。
ギィ。
と蝶番の軋む音が鈍く鳴った。はっとなって扉を見るとほんの少しだけ開き、赤い目が覗いていた。
「あ、なたはどうして、どうして目的もわからないその人の願いを叶えようと、泣くのですか?」
否定よりもまず先に、いや、勝手に口は動いていた。
「大切な人だから。シランを知っているから。だから手伝いたいし、諦めて欲しくない。シランが諦めるとこなんて見たくないんだよ」
真っ直ぐに赤い目を見返す。キラキラと寂しげに揺れるその小さな瞳は、最終的にシランで止まった。
「何を、訊きたいんですか?」
しかしシランは答えず、黙ってオレを見て、ロウを一瞬見た。なんだろ、と首を傾げるオレ。ロウも一瞬だったがその視線に気付いたようでシランをやたらと静かで澄んだ目で見返したが、それだけだった。ロウは意味をわかっているみたいだ。しかも何故だか赤い目の女の子にも伝わったようで直ぐに黙考に入り。
「……私に危害を加えないと誓って貰えるのなら、多少はお話しても良いですよ」
それにオレは目を見開いた。
「ホントか! ありがとう! シラン良かったなぁ」
「……お前はオレの保護者か何かか」
シランは苦笑していた。しかし怒ったり呆れたりはしていなかった。オレは胸を張って答える。
「似たようなもんだろ」
「逆だろう」
「いんやっ、シランの世話してるのはオレだもんね」
にしし、と笑い返す。すると近くでクスクスと小さな笑い声がした。赤い目の女の子だ。いつの間にか扉は開き、再び姿を見せていた。
真っ白い髪は何だか雲の向こうから射す月の光を細く束ねたみたいで。赤い目は何だかトマトみたいな色だとオレは思った。力強い、きれいな瞳。一発でその目が好きになった。柔らかくて夏の夕暮れに照らされたトマトって感じ。優しい感じ。
オレとは違ってとても澄んでいる赤だった。オレの目も赤だけど濁ったような、赤茶色、赤銅色って感じだからなんだか羨ましい。そんなことを考えながら見ていたからか、女の子が照れたように白い頬を赤くして言った。
「あの、そんなに見られると恥ずかしいですよ」
「あ悪い。オレはシンっていうんだけどさ、あんたは?」
「あ、はい」
赤い目の少女は小さく笑むと、澄んだ、でも弱さなんてこれっぽっちも感じさせない芯のある声で言った。
「ヨミといいます。姓は夢見を名乗らせていただいてます」
やわらかな朝日がトマト色の瞳を照らし出していた。