015■やがて辿り着く場所【真】
視点はシンに戻ります。
さて、第十五話をどうぞ。
パンッ。
肩を掴む手が力んだ。
ちっとも痛くないがスゴく痛い。その手から伝わってくる思いが痛くて重くて、結局俺は出遅れた。
しかし、女も似た理由で出遅れていた。
そうしてこの場にはただただ間の抜けた空気が漂い、気の抜けた音だけが響いたのだった。
「喧嘩しちゃ駄目じゃないか。しかも僕の家の前で」
張り詰めた糸を切ったのはただの手拍子だった。続いて割り込んだやたら緩い場違いな声が、緊迫した空気を完全に破くこととなった。
「地区、長……」
「また拳銃抜いちゃって、美那ちゃんたら血の気多すぎだよ。せっかくの美人さんなのに、どうしてそう直ぐ実力行使に出ちゃうかな?」
「すみません……でも、侮辱されるのは見過ごせません」
「悪気ない時もあるんだよ? 少しは分別を持とうね、良い?」
「……はい」
そんな会話により女は肩を落とすと、大人しく黒い怖いものを下ろした。そうしてようやくオレとシランが解放される。ほっと息を吐いたのは多分二人同時。肩の力が一気に抜ける。
ふと闖入者が振り返った。何だかほわほわとした笑みを浮かべながら、でもちょっと困った感じの声で言った。
「迷惑かけてゴメンね。ほら、美那ちゃんもちゃんと謝る」
「……すいませんでした」
素直に謝った女を見ても何だか怖くて、とりあえずシランの近くにいようと心に決める。またあの危険なのを出された時でも対応出来るようにと。そうしてようやく助けてくれた声の主をちゃんと見ることが出来た。
薄い茶色の髪に、同じ色の瞳は優しげに緩んでいる。一見若そうだが、何だかおじいさんのようなゆったりとした時間の流れを纏っている感じで、年齢ははっきりしない。とにかくにっこり笑顔だ。
「君たちが真太郎君と紫蘭君かな?」
「なんで名前を……」
「初めてそう呼ばれたかも!」
「…………」
真太郎って。
自己紹介でも滅多にフルネームを名乗らないし、最初に呼んだシランが「シン」だったのでそれで良いかな、と納得していたし気に入ってもいた。周りもシランが呼ぶのに習っていたから今までその呼び方をした人は多分いない。
「あ、そうなの? やった、一番乗りだね」
「だな!」
「……あの、話戻してもいいか?」
「どうぞ」
シランの申し出ににこやかに応じる男。そういやオレ達のことは何故か知ってるみたいだが、オレはこいつを知らないぞ? シランも同じことを思ったらしい。でも少しはオレよりわかっていたらしい。
「あん……や、あなた、が第四地区長、ですか?」
途中女に睨まれて慌てて言葉を修正するシラン。オレは女を睨み返す。シラン睨むんじゃねえよ!
険悪なムードで睨み合う二人。しかしこっちの雰囲気なんて気付かないように、男は変わらずにこやかに答えた。
「そうだよ。僕が地区長の三好小々路。こっちが僕の補佐役をしてくれる副長の椎名美那ちゃん」
「あ、俺は観月紫蘭でこいつが巽真太郎で」
「うん知ってる」
「……何故、ですか?」
「まー……あ、いや。正哉君から聞いてるからね。君たちのことは」
イナギマサヤ守衛区長をマサヤ君なんて名前で呼んでる人、初めて見た。新鮮だな。つか本当にこの人何歳だろ? 確かイナギさんは四十八だって聞いたな。……同じくらい、なのかな?
「で、こんなとこに居るなんて、何か用かな?」
「あ、そう、守衛区長に会いたくて来たんです」
「ああー、なるほど。彼ならまだ葉月君のところだね。まだ来ていないのなら」
「ハヅキ、君?」
「上野葉月君。守衛区の第三地区長だよ」
「ああ……わかっ、りました。そっちに行ってみます」
シラン敬語とか苦手だからな。今の不自然なとこは多分「わかった」と言い掛けたところを直したんだろう。ま、オレはシラン以上に敬語とか使わねえけどな。
「うん、気を付けてね」
「……はい」
一番の危険人物はあんたの隣に居るよ! と叫びたかったがこれ以上シランが狙われる理由を作りたくはない。早く行こうよ、とシランに目配せする。
しかし何故かシランはそれを無視し、なんとオレの前に出た。ギョッとして慌てて戻そうとしたが「大丈夫だ」の一言で聞いてくれやしない。確かにミヨシってやつが出て来て大人しくなったけど……不安なんだよ。
だからオレはせめてシランの隣に立ち、いつでも庇えるように構える。
「椎名さん、でしたか」
「……何でしょうか?」
まだ怒りが残っているようで、女、シイナは睨むようにシランを見た。
「さっきの会話、言葉はあなたを侮辱するつもりで言ったものではありません」
「……」
「でも誤解させたのなら、謝ります」
「え……?」
「すいませんでした」
抵抗なく、シランはすっと頭を下げた。逆にシイナはきょとんとして呆気に取られている。謝罪は全くの予想外だったんだろう。オレだって予想外だ。
「許してもらえ、るか?」
敬語はやめたらしい。顔を上げたシランは真っ直ぐにシイナに向き合った。シイナは戸惑っていたが、ミヨシに小突かれてようやく口を開く。
「そういうこと、でしたら、あの……」
あたふたと意味もなく手を動かしていたが、直に落ち着くところを見つけたのか、栗色の瞳で黒瞳を見返した。
「私の早とちりで銃を向けてしまい、申し訳ありませんでした」
はっきりそう言うと、綺麗なお辞儀をした。花が日が落ちるのに合わせてゆっくりと頭を垂らすように。そして太陽に照らされた花が起き上がりゆっくりと開くように。シイナは顔を上げた。
それを見て、シランはほっと表情を緩めた。安堵の息を一つ吐くと、また口を開く。
「申し訳ないと思っているなら一つ、約束して欲しいんだが……」
「……何でしょうか?」
「……どんなに怒っても、銃を撃つのは最終手段にしてくれ」
げんなりした顔で心底そう願う、といった口調でされた申し出に、シイナはちょっと驚いたような顔をしてからクスッと小さく笑うと、了承するように微笑んだ。
「わかりましたわ」
「ありがとう」
「本当に大丈夫、美那ちゃん? 約束できるの?」
「善処致します」
怪しいよなあ。だって多分地区長のミヨシにも散々注意されてるだろうし。大丈夫かあ? と思ったが。
「俺は信じる。だから約束守ってくれよ」
「はい」
楽しげに笑って答えるシイナ。何だよさっきまで睨んでた癖に。シランもあっさり許しちゃってさ……ったく。
「ほらシラン行こうぜ。オレはシランの安全を確保する義務があるんだ!」
「義務はないだろ」
「うるさい! それより……」
我慢して来たがシランの顔を見たらやっぱり心配になってきた。真剣な視線を感じたシランがちょっと怯む。
「な、なんだ?」
「流れ弾! 来てないよな? 大丈夫だよな?」
と言いながらももう勝手にチェックを始めてしまう。顔とか腕をぺたぺた触って確認、確認。
「お前なあ……大丈夫だ。お前が守ってくれたからな」
「ほんとか? 本当に痛いとこないんだな?」
「それよりお前は大丈夫だったのか? 弾丸、どこで受けたんだ?」
「あ? 腕だけど」
言いながら一応腕を見てみる。鱗はミヨシが割り込んで気が緩んだ頃に引っ込んでしまったので、今は普通の人間みたいな皮膚だ。でも特に傷痕はないし、違和感もない。そもそもあんな小さい弾くらいじゃ貫通出来るわけないし、傷もねえよ。だから簡潔に答える。
「鱗で受けたから平気」
「そう、か……良かった」
シランもほっとしたらしく、不機嫌な中に喜色が滲む。慣れないとわかりにくいけどな、シランの表情の変化は。
「怪我がないようで良かったよ。美那ちゃんも、約束したからには本気でその癖治して行こうね?」
「はい、地区長」
癖なのかよ……なんつう物騒な癖なんだ。シランも苦笑いだ。
「では失礼します」
「良かったらまた遊びに来てね。美那ちゃんのケーキはとっても美味しいから」
そんなにっこり笑顔の地区長と、ちょっと表情が柔らかくなった副長に見送られ、オレ達は恐らくゴールへとなる家へと足を向けたのだった。
■ ■ ■
「この辺り、のはず。……もう一人くらい訊いてみるか」
そんな風に一人つぶやくシランを揺すって名前を呼ぶ。鼻がわかっていることを教えるために。シランはいつもの皺の寄り気味な顔で振り返る。
「シランシラン」
「……なんだ?」
「あの家だって、多分」
「どうしてだ?」
「イナギさんの匂いするから」
「……そうか、流石だな」
納得すると素直に感心したように頷くシラン。イナギさんの匂いが近い、強い。だからあの家にいるんだとわかる。
「へえ、君、鼻が良いんだね」
「ん?」
振り返ると男が一人立っていた。気付かなかったけど、一体いつから居たのやら。
無駄に意味ありげな風に宵闇色の目を細めた男は、真っ黒な外套を纏っていた。背はオレよりも高い。てか足がすらっと長い。口を愉快そうに歪めた黒髪の男は、オレを真っ直ぐに見ていた。
「やあ」
「……? 誰だお前?」
「まあ、初対面だからね。俺は遥。よろしくね」
「ハルカ? オレはシンだ。えと、よろしく?」
「じゃあついでに狼君にもよろしく言っといてね」
「あ? それロウのこと? お前何なん──」
とオレが問い詰める前に、既に用は済んだとばかりに男は口を閉じると、深みのある笑みを口元に浮かべたまま背を向け、直ぐにスタスタと歩き去ってしまったのだ。
……何だか消化不良と言うか、納得行かねえ会話だったな。
「何だったんだ、あいつ?」
「……わからない。しかし鼻が良いな、と褒めていたということは、お前の判断は正しい、ということじゃないか?」
「うーん、まあそうだな……入るか」
さっきのことはあまり気にしないことにした。確かにあいつは肯定してたからイナギさんは間違いなくあの家に居る。ならシランの目的が果たせる訳で、なんも問題ない。うん、よし。
「行こうぜ」
「ああ」
シランはオレがさっき指差した家へ真っ直ぐに向かった。しかしふと予感がしたので手を伸ばすと。
「わっ」
シランの襟首を掴み引き戻した。そこでまたふと思った。シランは安全圏に入ったけど、オレはどうするんだ? その答えが出る前にそれは勢い良く──。
ごつ。
丁度シランと入れ替わり自然と前に一歩踏み出したところだった。そこへほぼ同時に踏み込む人がいたのだから……まあそうなるに決まっている。そして幸か不幸か背の高さはあまり変わらなかった。
だから盛大にぶつけたのは互いに額、頭だった。
「ってぇ!」
「っ! っ、っ──!?」
火花みたいなのが見えた気がする。目がチカチカするぞ……。オレは数歩後ずさると頭を押さえ、顔をしかめた。
しかし相手の方が勢いがあったせいか、声も上げる余裕すらないらしく、尻餅を付いたまま深く踞ってしまった。
「……大丈夫か二人」
「オレは平気だけどよぉ」
最初は痛かったが直ぐに痛みは引っ込んでしまった。ドラゴンならではの回復力。だけど衝撃やら痛みで危うくドラゴンの鱗が出てしまうところだった。銃弾もへっちゃらな鱗に人間の頭が思いっきり衝突したりなんてしたら……どうなるんだろ?
「ぅう……すみません、慌てました」
ようやく痛みから復帰しつつあるようで相手も顔を上げた。シランくらいの年だと思う。薄い黒の少し野暮ったい髪の青年は、つり目に涙を溜めてオレを見上げた。立ち上がる程は立ち直れていないらしい。
「オレの方こそ何か、ごめん」
今日は何だか扉と縁があるのかね、と思いながら青年が飛び出して来た扉の方に目をやると、武骨な困った顔にぶつかった。
「あー……まあ、なんだ」
扉の向こう、つまり青年の出てきた家の中に立つ大男は、その巨体に似合わず何だか安穏とした雰囲気を纏って言った。
「まずは落ち着こうか、お前ら」
■ ■ ■
「でも!」
「まだ子供だったんだろ? 気を付けるように他にも言っておく。それで良いだろ?」
「良くありません! 危険度を貴方もご存知でしょう!」
「だが子供は脅威ではないだろう」
「成体になってからでは遅いんです! だから俺が──!」
「……なあ、イナギさん」
「なんだ?」
「いつまでこれやんの?」
「うむ。上野が落ち着くまでだな」
「わかった」
「わからなくて良いです離してください〜」
何故かイナギさんの命令で青年・ウエノを確保していた。つか羽交い締めだ。結構力のある抵抗が返ってくるが、本気で押さえてしまえばオレに断然分がある。……でも何だろう、この状況?
落ち着けと言ったイナギさんを無視して走り出そうとしたウエノを止めろと言われたので、ついつい素直に捕まえてしまったらこうなってしまった。身動きの取れないウエノが大男なイナギさんを見上げる形で抗議している。因みにシランは後ろで沈黙だ。
イナギさんは尚も暴れるウエノを見て、深々とため息を吐くと、とどめとばかりに言った。
「お前は地区長なんだ。もう少し泰然と構えろ。仲間が不安がるだろう?」
「そう、ですが……」
「副長はもう卒業したんだ、自覚を持て、上野」
「……はい」
随分と厳しいな、と思った。こんなイナギさん初めて見た。いつも怖そうな顔だけど、普段から優しくて穏やかな人だから。仕事の時はやっぱり別なんだな、と思った。
しかしウエノがようやく落ち着くと、ほんのちょっと顔が緩み、空気が和らいだことを感じる。
「とにかくその件は保留だ。まあ、暇な時間に無理のない程度であれば俺がとやかく言うことじゃないがな」
「はい! あの、取り乱してしまい、すみませんでした……」
「シン、もう離して良い」
「わかった」
抵抗はもうなかったので普通に解放した。すると直ぐにウエノは振り返るとオレをまじまじと見てきた。
「なんだ?」
「あんなに抵抗したのに全く外れませんでした……」
どうも驚いてるらしい。確かにこの男自身も見た目に反してかなりの馬鹿力だ。だからそれなりの自信はあったのだろう。
「他地区の人、ですよね? 見掛けない顔ですし」
腰の刀に目を向けて言う。まあ武器を持っていればほぼ間違いなく守衛区の住民だからな。傭兵とかもあるけど、服装や装備からして違うことは一目瞭然だ。
「そうだけど」
「……刀。もしかして観月さん?」
「……観月は俺だが」
とようやく隅に居たシランが前に出た。やっぱりシランは割りと有名だよなー、と思う。
「ああやっぱり。鐵さんの面影がありますね」
ウエノは顔を綻ばせて言った。クロガネ、というのは確かシランの父ちゃんの名前だったはずだ。しかしシランはムスッとした顔で答えた。
「そうですか」
良くは知らないが、あまり父ちゃんのことが好きじゃないらしく、シランは父ちゃんの話になると不機嫌度が上がるのだ。それを感じたのかウエノもそれ以上は言わなかった。
「じゃあ君が紫蘭君なんだね。噂には聞いていますよ。でもじゃあ彼は……?」
オレを不思議そうに見るウエノ。何か言う前にイナギさんが口を開いてしまった。
「半田から聞いただろう? シンだ、ドラゴンの」
「ああ! 彼がそうなんですか!」
目を丸くするウエノ。対称的に渋い顔になるシラン。
「半田さん……」
「心配するな。別に言い触らしているわけではないぞ。必要な時に対処出来るよう、限られた人にしか彼は教えていない」
「そう、ですか」
何だか思い詰めたような顔で俯くシラン。心配になって声をかけようとしたが、その前にイナギさんが苦笑した。
「お前も背負い過ぎだ。もう少し軽く考えろ。二人分も背負ってたら潰れちまうぞ? そんなに頼りないか、俺達は」
「……俺が弱い、だけだ」
「お前も大概、不器用だなぁ」
苦く笑いながらイナギさんはくしゃくしゃとシランの頭を撫で回した。それを見て、何だか寂しくなった。理由はわかんないけど、やっぱり寂しい気がした。
「守衛長ってお父さんみたいですよね」
いつの間にか隣に並んで立っていたウエノが微笑んでオレに言った。でもオレは答えられない。答えを知らない。ふて腐れて見せるという虚栄すら出す余裕もなく、ただぼんやりと呟いた。
「おとうさん……」
オレの知らないものだ。