異世界に行ったから、某野球ゲームみたいに筋力と敏捷ばっかり上げてたら全然技術を体得できてなかった。誰か技術を教えてくれと言ったら、大量にコーチが集まってきた話
目が覚めると、異世界だった。
枕もとのスマホを見ると、信じたくない量の地震速報が来ていた。どうやら俺は地震に巻き込まれて、この世界に辿り着いたらしい。
草原の中に、角が生えたウサギや、火を吐きながら走り回る狼など、元の世界では出会えない数々の魔物を見て、これはどうやら力を付けないとこの世界では生きていけないぞ、と思った。
冒険者と言われる人たちに助けられながら、町へ行き、すぐに冒険者ギルドというところに向かう。そこで、仮の身分証明書の発行をしてもらった。
「ここで働かせてください!」
別の世界に来たら、必ず言わないといけない言葉だと聞いていたので、一応言うだけ言ってみると、掃除夫としてなら働いていいし、寝床と飯も用意してくれるという。
「働いていいんですか?」
「いいわよ」
カウンター越しに冒険者ギルドの職員である猫耳のお姉さんはあっけらかんと言った。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「仕事は朝と晩の二回だから、他の時間は寝ててもいいし、冒険者になりたかったら、訓練所を使ってもいいからね」
異世界に来たばかりだというのにジム付き、飯付きの社宅をゲットしてしまった。
早速、掃除夫の先輩の老人から、掃除に使うブラシやバケツを見せてもらう。
「まぁ、朝早く起きるのが難しかったら、夕方起きる生活にすれば慣れるよ」
とのこと。とにかく皆、優しい。
どうやら俺と同じような異世界から来た人たちがとっとと町を出ていって、そのままいなくなってしまうケースが相次いだらしい。
「失踪なのか、それとも魔物に食われたか。魔物が人の味を覚えると、こっちも大変だからな。人には優しくするもんだよ」
町に魔物が発生すると、町自体が崩壊する可能性があるのだという。
せっかくなので、訓練所でトレーニングをしてみることにした。
職員扱いなのでコーチは付かなかったが、ジムの自主練コースだと思えばいい。
前の世界でも使っていたような器具はなかったので、自重トレーニングから始めた。コロナ禍の暇なときに、刑務所の中でやったというトレーニング法の本は読んでいたし、動画も見ていたので、これについてはきっちりやっておく。
さらに、ダンベルやボールに似たものを作ったり、代わりの素材を探してきたりして、とにかくトレーニングをしてみる。
そして、俺は信じられない便利なものを発見する。
ステータスだ。
「おいおい、そんなに追い込んだらステータスが0になるぞ」
掃除の先輩が声をかけてきた。
「ステータス? ってなんですか?」
「カードに書いてあるだろ」
身分証を作る時に血を一滴垂らしたカードを確認すると、自分の体力ゲージが表示されていた。心拍数の欄まである。この世界の技術はもしかしたら、現代よりも発展しているのかもしれない。
詳しく先輩に聞いてみると、筋力量や敏捷性もギルドの職員に聞けば教えてくれるのだとか。
「最高のジムじゃないか」
そこで思い出したのが、選手を成長させて試合をすることにより経験値が溜まる某野球ゲームだった。
もしかしたら、仕組みは同じではないかと思い、とにかく体力ゲージが0になる直前まで自分を追い込み、ウサギ肉の塩スープと固いパンで腹を満たしてから寝るサイクルを組んでみた。
仕事は冒険者ギルドの清掃だけなので、ほとんど負荷はないが、酔っ払いに絡まれたり、ゲロの始末などは結構精神的に来るものがある。ただ、朝日を浴びて、瞑想をすると、心が洗われたような気分になる。
前世でも異世界でも瞑想はマインドコントロールに役に立つようだ。
そんな生活半年ほど続けていたら、筋力と敏捷の数値が、桁違いになったらしい。作った木製の器具も、ほとんど壊れてしまっているが、流した汗の結晶だ。
「こんな新人見たことないよ!」
猫耳のお姉さんは驚いていた。
「いい加減、外に出て見たら?」
「外?」
この時すっかり忘れていたが、ここは魔物が跋扈する異世界だ。筋トレをいくらでも続けていれば最高という世界ではない。
「でも、俺、技術とか変化球とか身につけてないですよ?」
「変化球はよくわからないけど、技術を教えるコーチなら幾らでも訓練所にいたでしょ。少し給料を上げてあげるから、習ってみたら」
「わかりました」
わずかな給料を受け取り、訓練所に行き、誰かコーチになってくれる人を探す。
「どうかしたか?」
冒険者のコーチの一人が珍しく筋トレを始めない俺を見て、近づいてきた。
「いえ、俺、技術練習や変化球の練習をしてなくて、このままだと外に出られないので、誰か教えてもらえませんか?」
「だったら俺がやるよ」
「いや、待て! 俺が教える。こいつが半年筋トレしていたのをずっと見てたんだ」
「それを言うなら、ワシだって見ていた。こんな素材滅多にないのじゃから、一人でコーチするなんてズルいぞ」
「だったら私だって、注目していたんだから、やるわよ!」
なぜかコーチ陣が俺の前に並んでしまうという奇妙な光景が発生した。
「じゃあ、とりあえず、スケジュールを組みますから、皆さんで教えてもらっていいですか。食事と睡眠は絶対に外せません。ただ、体力の限界までは訓練できるので、優しい訓練は困りますので、よろしくお願いいたします」
結局、その冒険者ギルドでも珍しい、俺は師匠が多い冒険者となった。
外に出るのは再び半年後と決め、技術と変化球の練習を始めた。変化球というジャンル自体なく、投擲と魔力操作と呼ぶらしい。
とにかく、俺は冒険者の役職の中にプロ野球選手という肩書を作ろうと頑張っているところだ。