転生と逆行と憑依はややこしい
それから暫くは、色々と楽しませて頂きましたわ。
というのもただのモブだと思っていたモヴィアンヌが想像以上にいい仕事をしてくれたのだ。
モヴィアンヌ・ラ・ランジェルフォン。マリアンヌと同じ侯爵令嬢である彼女は、それはそれはもう積極的にレオンを狙ってアレコレと画策してくれたのだ。
「レオン様、ランチをご一緒にどうですか?あら、マリアンヌもいたの?影が薄くて気が付かなかったわ〜」
「マリアンヌったら、オドオドしてとても王族の妻になるような器があるとは思えないわ。レオン様の伴侶にはもっと相応しい者がいるんじゃなくて?」
「レオン様〜、今日の課題で分からないところがあるんですの、教えて下さらない?……アンタはあっちに行ってなさいよ、マリアンヌ!邪魔よ!」
とまぁ、モブの分際で見事な悪役令嬢ぶりを発揮して私を存分に楽しませてくれるのだ。
すごいわ。これぞ本物の悪役令嬢よ。本の中のヒロイン・アリスが転生主人公・マリアンヌを虐めた時と全く同じことを言ってるわ。
そしてもっと凄いのがレオン。マリアンヌを気にしながらも、モヴィアンヌに強く出れない典型的なダメ男。というか、育ちのせいでフェミニスト過ぎるのよね。女性の誘いを断ったり、叱責したりって発想がないみたい。
そんな彼の曖昧な態度にますます不安を募らせていくマリアンヌは『ザ・物語の主人公』だし。
そして何が楽しいって、モヴィアンヌがいくら掻き回したところでマリアンヌとレオンは婚約者同士の両片思いな上に身体の関係までできてしまったものだから、どう足掻こうとモヴィアンヌに勝ち目はないのよ。それを分かってないのはマリアンヌとモヴィアンヌだけなのよ。
そもそも名前負けしてるのよね。マリアンヌとモヴィアンヌって。いかにも主人公とモブじゃない。
それにレオンに至っては、自分が秋波を送られてることにすら気付いてなさそう。それよりも落ち込んでいくマリアンヌが心配で嫌われたかもしれないって言う勘違いを暴走させてるのよね。まあ、その勘違いが後にいい仕事をするんでしょう。楽しみだわ。
これはいい結果が期待できそうだとご機嫌な私の横で、同じように機嫌の良さそうなセロ。クリケットボールをお手玉のようにポンポン投げてる。可愛い。愛おしい。
「レオン様!今日もランチをご一緒しましょう!」
そんな中。楽しそうな展開が到来する。
「あー。モヴィアンヌ嬢、申し訳ないんだが。今日はマリアンヌがサンドウィッチを作ってくれたんだ。婚約者としてこれを食べない訳にはいかない。味を吟味して脳裏に焼き付けなければ。今日は遠慮してくれるだろうか」
モヴィアンヌがちょっと鬱陶しいレオン。何としてもマリアンヌの手作り料理を食べたいレオン。普段は曖昧に流されるままの彼が、初めて断固とした態度を見せたのだ。
「……!……酷いわっ!!」
泣きながら走り去ったモヴィアンヌを、レオンは見ていなかった。その目は完全に妄想の中のマリアンヌの手作りサンドウィッチに注がれていた。どこまでも残念な男ね。
こうなってくると可哀想なのが、モヴィアンヌよ。流石に見てたら多少情が湧いてしまったわ。あんなにイタイ女、なかなかいないもの。
「セロ、ちょっとだけ待っていてくれる?」
「………………」
「ありがとう」
渋々ながらも了承してくれたセロに微笑んで、モヴィアンヌが去って行った方へ向かう。
それから1分も経たないうちにモヴィアンヌの居場所が解った。だって中庭でギャン泣きしてたんですもの。
「……あの、大丈夫?」
取り敢えず無難に声を掛けてみると、嬉しそうな顔でこっちを見たモヴィアンヌは私の顔を認識した途端、鬼の形相になった。
「大丈夫ですって!?大丈夫な訳ないじゃない!!この泥棒女!返してよ!私の体を返しなさいっっ!!」
ハッとして手で口を覆うと、モヴィアンヌがヒステリックに叫んだ。
「そうよ!私が本物のアリスよ!逆行して8歳の時に戻ったら、次の日にはあんたに体を乗っ取られてた、哀れな悲劇のヒロインよ!」
ここに来てまさか、ヒロイン・アリスの本当の人格が出てくるだなんて。元の魂がどうなったか気になってはいたけれど。こんなに近くにいたとは考えもしなかったわ。
「じゃあ、あなたは逆行したと思ったら、その体に憑依してたってこと?」
そう問い掛けると、開き直ったモヴィアンヌはペラペラと喋り出した。
「ええ。その通りよ。逆行前の人生で、私は困難を乗り越えてレオンと結ばれた。周りから愛され、チヤホヤされて幸せになるはずだったのよ。だけど、王室入りしたことで山のような公務を押し付けられて、失敗すれば基本がなってないとあれこれマナー講習やら語学勉強やらしたくもないことばっかりさせられて。
今度はそれが上手くできないと私が子爵令嬢だからって、見下す人ばかりだった。挙句の果てには身分が低いから正妻にはなれないと言われたわ。頼みのレオンは頑張れば報われるかもしれないから努力してくれって言い出すし。忙しいからって私に構ってくれなくなるし。もう何もかも嫌になってやり直したいって強く願ったら、8歳の時に戻ってた。
とっても嬉しかったわ。もう一度レオンと始めて、前よりもっと優しくしてもらおうって決意した。
なのに……もう一度始めからと思ってた矢先に……次の日の朝起きたら別の体になってたのよ!
本当のモヴィアンヌは8歳で死ぬはずだったの。逆行前の人生ではそうだった。侯爵令嬢が1人だけだったから、マリアンヌが散々調子に乗ってたもの。きっと、私が逆行したのと同じタイミングで死んだモヴィアンヌの体に私が入ってしまったのよ。そこに運良く転がり込んで来たのがあんたなんでしょ?
私がどれだけ絶望したか、あんたに解る?何の為に逆行してまで戻ってきたのかって泣き暮れたわ」
涙ながらに語るモヴィアンヌは痛々しいけれど、聞けば聞くほど自業自得な話だわ。認められたいなら努力くらいしなさいよ。
勿論、こういうメンヘラは刺激すると過剰反応するので言わないけれど。
「私は全てを諦めていたのに、私の体を奪ったあなたはレオンの事なんか気にも留めないでセロとイチャついてるし、レオンはマリアンヌが好きみたいな態度をとるし……意味が分からなかった。
何もかもが逆行前と違ってて、私以外は幸せそうで。私の存在意義なんてないじゃない。そう思ったら、何もかも壊してやりたくなったのよ!
だからレオンを誘惑して2人の中をぶち壊してやろうと思ったのに!」
とうとうモヴィアンヌは、泣きながらワンワン言い始めた。本当にワンワン言ってるわ。漫画みたい。
楽しませてもらったけれど、このまま泣き喚く彼女を見てるのは色んな意味で辛い。私は何かいい方法がないか、そのビックリするくらいの声量を聞きながら考えた。
もうレオンとモヴィアンヌをくっつける?いやいや、私のせいでマリアンヌは傷物になってしまったんだったわ。今更あの2人を別れさせるのは酷よね。じゃあやっぱり、モヴィアンヌに現実を見てもらわないと……
「いい方法があるわ!」
マリアンヌにはレオンが彼女を愛しているのだと自覚させ。レオンには自分の気持ちをマリアンヌに伝える機会を与え。モヴィアンにはレオンへの歪んだ執着を断ち切らせる。
転生と逆行と憑依が入り乱れてこの上なくややこしく拗れまくったこの糸を解くには、この方法しかないわ。
「私に任せて頂戴」
泣き暮れるモヴィアンヌにそう宣言して、私はセロの元へと戻った。
「セロ、欲しいものがあるの」
「………….」
「自分で買うからお金はいいのよ。ただ、どうせならあなたと一緒に持ちたいと思って」
「…………」
「本当?じゃあ、早速買いに行きましょう!」
セロがたまに手にしているクリケットボール。実はこれには、ちょっとした逸話がある。
セロの家門が治めるシャロン領は険しい山脈と魔物の巣窟と言われる渓谷を有する少し厄介な土地。
その為、シャロン家を始めとして魔物討伐を専門とする集団や、倒した魔物の皮や角等を販売する商人なんかが多い。
10年程前からシャロン領ではドラゴンが大量発生し、ドラゴン革が新たな特産物として認知されるようになった。
そして私のオルレアン家は、職人が多いオルレアン領を統治している。特に私とセロが出会った頃、オルレアンでは皮加工業に力を入れていた。
ドラゴン革を売りたいシャロンと、加工したいオルレアン。両家の行き来が多かったのは、この新たな事業を進める為だった。
そして私とセロが出会い、仲良くなる事で両家の絆は深まり更に事業の話は進展した。……のだけれど。
どういうわけだか。私達のお父様方……シャロン伯爵とオルレアン子爵が、最高級のドラゴン革と最高峰の革職人を使って売り出そうと考案したのが……このクリケットボールだったのだ。
いや、なんで?と思いましたわ。
他にもっとあるでしょう。どうしてクリケットボールにそこまで拘るの?クリケットボールにいくら投資する気なの?何を根拠にクリケットボールで事業が成功すると思ったの?正気?
私とセロの未来の為に何とか軌道修正を図らせようと、間接的にヒントを出してみたけれど。想像以上に父2人のクリケットボールに対する情熱は熱く、クリケットボール研究の為に借金まで作ろうとしたお父様を見て、私はとうとう最後の手段を使った。
『ねぇ、セロ。ドラゴンの皮は破れにくいだけじゃなく、火にも水にも強いと聞きましたわ。これで手袋やブーツが作れればとても便利だと思わない?
熱いものも持てるし、水溜りはもちろん、火の上も歩けるようになるかもしれないわね。』
『…………』
敢えて伯爵とお父様がいる前で、私はセロに向かってそう言った。勿論セロはコクコクと頷いてくれて、それを見た伯爵とお父様は目から鱗が落ちたような顔をして慌てて駆け出して行ったのだった。
そうして今、シャロン産のドラゴン革で作られたオルレアン製手袋とブーツは国内で大ヒットとなり、特に騎士団には無くてはならない必需品として国家が騎士一人一人に支給している。
火の中に飛び込み焼け死のうとも、水の中に飛び込み溺れ死のうとも。手と足だけは無事に家族の元に帰れます!を売り文句にしただけあるわよね。
つまりは国家と取引する程の事業として大成功を収めたのだ。
なので原作小説の中では貧乏だった私の家門も、セロの家門も。原作の百万倍ぐらいの資産を有している。そしてビジネスのヒントを出した私に頭の上がらない伯爵とお父様は、私が言えばいくらでもお小遣いをくれるのだ。
ちなみにクリケットボールへの情熱を捨て切れなかった2人は、その後も密かに開発を続け。完成したのが、人体に当たっても内出血を起こすだけで絶対に流血しないという、良いんだか悪いんだか解らないこのクリケットボールだった。
そしてその売れ行きはというと……一部のクリケットボールマニアと、一部の危ない界隈の人達―――処理が面倒な流血を伴わずに他人を痛め付けたい方々―――の間ではそれなりに人気があるみたいだけれど、一般的なヒットとは程遠い結果となった。
セロも気に入ったのか、よく持ち歩いているのよね。何に使ってるのかは謎だけれど。たまに私に声を掛けてきた殿方が血を出さずに気絶してることはあるんだけど、まぁ関係ないのでしょう。
というわけで何を言いたいかというと。私達にはそれなりにお金が有る、ということ。
「別荘を購入したので、皆さんを招待致しますわ。夏季休暇の際には是非お越しになって」
私とセロが招待状を差し出すと、マリアンヌ、レオン、モヴィアンヌの3人は信じられないものを見るような顔で固まったのだった。