憑依者は染まらない
「アリス……こっちの白いドレスの方がいいんじゃないかい?」
「いいえ、お父さま。わたくしはこれがいいのです」
「ねぇアリス、それはそれで素敵だけれど、あなたのピンクの髪にはこっちのお花の髪飾りが似合うと思うのだけれど」
「いいえ、お母さま。わたくしはこれがいいのです」
意固地な私を見て、両親が溜息を吐く。
「いったいどうしたと言うの……大泣きしたあの日から、急に趣味が変わるだなんて」
両親の困惑は尤もだと思うけれど、だからと言って譲るつもりはない。
このお花畑みたいなピンク頭だけでも気が遠くなりそうなのに、そんな白くてピラピラしたドレスやカラフルな花飾りなんて冗談じゃないわ。
今私が身に付けているのは黒いレースのドレスと銀細工でできた蛇型の髪留め。
ふわふわクルクルだった髪は引き伸ばしてストレートにし、部屋のあちこちに飾られていたファンシーな飾りは焼き払った。
それでも次から次へとキラキラかわいいを押し付けられて吐き気がする。
「やっぱり頭を打ったんじゃないか?」
「お医者様は問題ないと仰ってたわ」
「なら変なものを食べたとか」
心配そうに話し合っている両親には悪いけれど、憑依したからと言って趣味じゃないものを無理に我慢する必要はないと思うの。
文句があるなら私をヒロインに憑依させた神様に言って。
状況を整理すると、私の名前はアリス・オルレアン。ロムワール王国の貴族、子爵令嬢。8歳。
この名前と容姿の特徴、子爵家という家柄、そしてこの国の名前や魔法が存在する世界線。
色々と踏まえて前世の記憶を呼び起こした結果、私が転生したのはおそらく、『悪役令嬢に転生したので婚約破棄しようとしたら王子様から溺愛されました』という小説の中だ。
似たような名前と内容の小説が百万通りくらいあるのでタイトルが合ってるか曖昧だけど、大筋の流れは覚えてる。
悪役令嬢に転生した主人公が、8歳の時に王子と婚約した瞬間、前世の記憶を思い出し自分が前世で読んだ本の悪役令嬢として転生している事に気付く。
そして未来の断罪を回避すべく婚約を破棄しようとした結果、急に態度の変わった悪役令嬢に興味を持った王子から溺愛されると言う、この上なくお決まり展開オンパレードな話だったはず。
順調に王子に溺愛されつつ鈍感な主人公はそのことに気付かないまま学園に入学し、本来のヒロインが登場した事によって不安が募り、王子への想いを押し殺そうとする主人公とそんなしおらしい姿にさらに溺愛が深まる王子の王道すれ違いラブコメ。
この話に出てくるヒロインは実は逆行してて、自分に靡かない王子を奪おうとあれこれ画策し、主人公の罪をでっち上げて悪役令嬢として断罪しようとしたところを逆転『ざまぁ』されて国外追放になり、悪役令嬢と王子は結ばれるというテンプレ満載の話。
そして私はどうやら、その『ざまぁ』される側のヒロインに憑依してしまったらしい。
このヒロインも気の毒ね。逆行してこれからって時に別人格に憑依されちゃうなんて。浮かばれないけど私だって好きで憑依したわけじゃないのよ。どうせ悪役令嬢にやり返される運命なんだから、こうなって感謝してほしいくらいだわ。
確認したところ、今は王子がもうすぐ婚約する時期。ちょうど悪役令嬢と王子が婚約してこの小説がスタートする段階。
つまり、物語はもう走り出しているわけで。
今更どうこう頑張った所で。何がどうなるって言うの?
そもそも私、キラキラが嫌いなの。この小説の王子は王道のキラキラ系だったはず。興味ないのよね。
投げやりを通り越してどうでも良くなってくる。
だって考えてみたら、転生した悪役令嬢と王子は私の横槍がなければそのまま障害もなくゴールインするのよ。それでいいじゃない。最初から最後まで正規の婚約者同士で結ばれるんですもの。わざわざ掻き回すほど、私も暇じゃないし。王子に興味なんてないし。
異世界に憑依して何もしないっていうのもどうかと思うけど、何かしなきゃいけないっていう決まりがあるわけでもないもの。そんな憑依者がいたっていいじゃない。
というわけで、私は悪役令嬢にも王子にも関わらない人生を生きる事にした。
「アリスのことは暫く様子を見よう。きっと何か辛いことがあったんだ。
私はそろそろ仕事に行くよ。今日はシャロン伯爵と新しい事業の件で話があってね。上手くいくといいんだが」
娘の変化に疲れ果てていたお父様が口にした、シャロン伯爵という名前に私は弾かれたように立ち上がった。
思い出した。百万通りくらいあるテンプレ小説の中で、どうしてこの小説のことを覚えていたのか。
「お父さま、わたくしもつれて行ってください!」
涙目で見上げれば、娘に甘いのだろう。お父様は困ったように時計と私を見比べた。
「アリス……お父様はお仕事に行くのよ。我儘を言ってはいけないわ」
「でもお母さま……わたくし、お父さまと一緒がいい」
「アリス!なんて可愛いんだ!」
感激したお父様は渋るお母様を宥めて私を抱き上げ、馬車に乗せてくれた。顔が可愛いと色々便利ね。
「シャロン伯爵にはアリスと同じ歳のご子息がいたな。いい機会だからご挨拶させてもらおうか」
ニコニコしながら私を同行させてくれたお父様。私はバレないようにほくそ笑んだ。そう、そのシャロン伯爵の1人息子。
セロ・シャロンこそ、この小説の中で私が唯一心動かされる希望だったのだ。