エピローグ〜猫の恩返しは壮大〜
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庭園でレオン様を待っていると、見慣れない黒猫が目の前を横切った。
横切る途中、紫色の目がこっちを見た気がした。
ニャーとも鳴かないその黒猫を見ていると、誰かを思い出すような気がするわ……。無口で、黒くて、ちょっと不気味なこの感じ。
……そうだ!幼い頃、お父様に連れられて行った伯爵家で出会った幼馴染、セロ・シャロン。彼に似てるんだわ。
無口で根暗で魔法オタクだった男の子。
そう言えばお父様の事業が失敗してから彼には会ってないわね。学園にもいないし、いったいどこに行ったのかしら。
「アリス、待たせたな」
「レオン様!ちっとも待っておりませんわ。ほら、早く行きましょう?」
〜『悪役令嬢に転生したので婚約破棄しようとしたら王子様から溺愛されました』劇中作『薔薇乙女物語』第四章より〜
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まるで値踏みするようなその紫色と目が合う。
図書館に猫なんて、珍しいわね。
そう言えば、原作の『薔薇乙女物語』の中にも黒猫が登場するシーンがあったわ。
真っ黒で鳴かない猫を見て、ヒロインは無口で根暗で魔法オタクな幼馴染の男の子を思い出すのよね。確か名前はセロ・シャロン……伯爵家だったと思うのだけれど。
おかしいわね。シャロンなんて家門、聞いた事がないわ。セロ・シャロンとはどんな男の子だったのかしら。
考え込んでいるうちに、黒猫は満足したのか姿を消していた。
〜『悪役令嬢に転生したので婚約破棄しようとしたら王子様から溺愛されました』第七章より〜
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「おにぃさま、なにをなさっているの?」
クッセル湖畔の森を散策していたエミリーは、新緑の中に見える黒色に向かって呼び掛けた。
「…………」
今日も全身真っ黒な兄のローブの袖の隙間から、紫色の瞳が覗いていてエミリーはギョッとした。
「な、なに?…………こねこ?」
兄であるセロ・メイヨールの黒色のローブから顔を覗かせたのは、兄に負けないくらい全身真っ黒の仔猫だった。
先程の夕立ちにやられたのか、濡れて固まったような毛並みと震える小さなその体を、兄は優しく抱いていた。
「もしかして、おにぃさまがたすけたの?」
こくん、と頷いた兄は、まだ幼さの残る顔をほんの少しだけ緩めていた。いや、正確には口角が1ミリ程上がっただけだったのだが、エミリーには兄が笑っているように見えた。
「おにぃさまは、とってもやさしいわね」
エミリーもまた、小さな子供の手で仔猫を撫でた。目を細めるだけで少しも鳴かない黒猫が、エミリーには兄の分身のように見えた。
それから暫く、クッセル湖畔を離れるまで、幼い兄妹は黒猫の世話をして過ごした。
〜『悪役令嬢は復讐のため舞い戻る』第一章より〜
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「危ない!!」
エミリーは咄嗟に飛び出していた。
兄との思い出が残るクッセル湖畔の森で、逃げ遅れた黒猫が魔物の鋭い爪に切り裂かれそうになっているのを見て、思考よりも先に体が動いていたのだ。
最初に感じたのは、外気の冷たさだった。それから燃えるような痛みと、血が噴き出す生温い感覚。
猫を庇い大きく切り裂かれたエミリーの背中は、服ごとズダズタになり、ドクドクと血を流し続けていた。
「ふふふ、あぁ。もうこれで本当にお仕舞いね」
エミリーは血と共に自分の命が流れ出していくのを感じた。最期を自覚して感じるのは、ただの虚しさだった。
兄と恋人の復讐の為、魔穴を開いた。そうして溢れ出てきた魔物がエカトリーナを殺してくれた。復讐を遂げた後に残ったのは、焦土と化した国。
いったい自分は何がしたかったのか。優しい二人がこんな事を望まない事は解っていたというのに。この惨状は自らへの罰なのだとエミリーは悟った。
そんなふうに独りで死ぬと思っていたエミリーの傍には、いつの間にか先程の黒猫が座っていて、その紫色の瞳でエミリーを見ていた。
「危ない目にあわせてごめんね……」
最早エミリーは、痛みすら感じなかった。ただ寒くて眠い。そうして、眠ってしまえば楽になれる気がした。それでも独白せずにはいられなかった。
虚しい最期の餞に、懺悔を聞いてくれる存在がいることが、とても有難かった。
「私が……張り切らなきゃ、おにぃ様は死ななかった。私が惹かれなければ……ニコラスは死ななかった。
私がこんな事をしなければ、あなたも危険な目にあわずに済んだ。
全部私のせいよ……私の……」
血に濡れた頬に、涙が伝う。
「私は……二人のところにはきっと逝けない……、もう一度、もう一度、始めからやり直せたら……おにぃ様もニコラスも、私が守るのに……」
自分を見つめ続ける黒猫へ手を伸ばし、霞む視界の中でその黒色だけを目指して、エミリーは感覚の失くなった体を引き摺った。
「全てをやり直したい……」
黒猫の黒に吸い込まれるように、エミリーは意識を手放した。
そうして次に目を開けた時。エミリーは、天蓋付きのベッドを見上げていた。
〜『悪役令嬢は復讐のため舞い戻る』第三章より〜
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兄の墓前に花を手向けようとしたエミリーはふと足を止めた。
そこには先客が居たのだ。
今のエミリーと同じように、全身真っ黒の猫。行儀よく墓前に座るその姿は、まるで墓参りをしているようだった。
「…………また会ったわね」
花輪を墓前に供え、猫の隣に跪いたエミリーは、小さく呟いた。
猫は何も言わない。
「………………ダメだったの。今回も、失敗してしまったわ」
猫は動かず、ただジッとその場に座っていた。
「私ではおにぃ様を救えないのよ。折角チャンスを貰ったのに。私ではダメなの。
もっと強い誰かが……おにぃ様を心から愛し、何があってもおにぃ様の事だけを考えてくれる、破茶滅茶なくらい想いの強い人が居てくれたなら。
今度こそおにぃ様は、幸せになれたのかしら」
鳴かない猫は、エミリーの自嘲めいた幻想に応えることはなかった。
返事を期待していた訳では無いエミリーは、墓前を見据える黒猫の横顔を見ながら目を閉じた。瞼の裏に残る紫色の瞳が、兄の瞳と重なって懐かしい。
綺麗な紫色の目を覆い隠すあの前髪を、気兼ねなく上げてしまえるような。そんな人と、兄には出逢ってほしかった。
追憶の中の兄を求めるうちに、エミリーの意識は深く落ちていった。
そうして次に目を開けた時。エミリーは、再び天蓋付きのベッドを見上げていた。
〜『悪役令嬢は復讐のため舞い戻る』エピローグ〜
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かん、こん、たん。
「…………」
新郎の控室で座っていたセロ・シャロンは、奇妙な音に顔を上げた。
たん、かん、こん。
音の出所は控室の扉。下手くそなノックのように聞こえなくも無かった音が、もう一度響く。
立ち上がり扉を開けたセロ・シャロンは、想定よりも随分と低い位置にあった訪問客の瞳と目が合った。
「…………」
「…………」
互いに黙したまま。全身黒尽くめの新郎と、同じくらい全身真っ黒な猫が、向かい合っている。
「…………」
身体を開けて訪問客を招き入れたセロ・シャロンは、トコトコと入って来た黒猫が咥えていた草花を優しく受け取った。
そうして、行儀よく座る黒猫の頭に手を伸ばす。くりんと頭を撫でられた黒猫は、黒尽くめの新郎へと瞬きを一つ寄越した。
コンコン
「セロ、もうすぐですって」
軽やかなノックと共に現れたのは、こちらも全身黒尽くめ新婦、アリス・オルレアン。もうすぐアリス・シャロンとなる彼女は、先客の存在に気が付き足を止めた。
「まあ、可愛いお客様ね。セロのお知り合いかしら?」
「…………」
「あら、古いお友達なの?私と出逢うずっとずっと前からの付き合いですって?それはきちんとご挨拶しないとね。
初めまして、私はセロの花嫁ですわ」
黒猫に丁寧に頭を下げるアリスは、黒猫の瞳が愛する恋人と同じ色である事に気付く。
アリスはその時、とても奇妙な既視感を感じた。まるで読んでいた物語の1ページ目の最初の一行に戻らなければいけない気がするような、本当に奇妙な感覚だった。
「……もしかして、お会いした事があったかしら?」
「…………」
「…………」
「……お気になさらないで。最近少しだけ、記憶が曖昧な事がございますの」
死んでこの世界に憑依したアリスは、宿敵のエカトリーナが処刑されてから前世の記憶を思い出せなくなっていた。
自分がどうやって死んだかも思い出せない彼女は、自分が憑依者であったことも少しずつ忘れ始めている。
「それよりも、セロ。その手に持っているのは何かしら?」
新郎の手の中を覗き込んだアリスは、色とりどりの毒草を見て目を輝かせた。
「もしかして黒猫さんからのプレゼント?」
「…………」
「本当に?可愛いだけじゃなくて、とってもセンスがあるのね。流石セロのお友達だわ。
本日はわざわざお祝いに来てくださったの?」
「…………」
「お祝いと、……恩返し?……助けて貰ったお礼?
律儀な猫さんなのね。では、この素敵な花束が恩返しかしら?」
新郎が首を横に振る。
「違う?これは結婚祝いで、恩返しはもっと良いものを貰った?……そうなの?何だか解らないけれど、良かったわね。何を貰ったのか、教えてはくれないのかしら?」
楽しそうな新婦に向かい、新郎と黒猫は同時に瞬きをした。
「……?秘密、と言うこと?」
首を傾げるアリスの足元に擦り寄り、黒猫が尻尾を揺らす。
「まあいいわ。今度教えて頂戴ね。それより本当に可愛らしい猫ちゃんね。
ねぇ、セロ。結婚式に招待するのは勿論だけれど、私達の屋敷にも来て頂いたら?
鬱々ジメジメとしていてとっても素敵なの。気に入ってもらえたなら、好きなだけいて下さって結構よ?」
「…………」
微笑む新婦と、頷く新郎に囲まれて。黒猫は声を出さずに鳴いたのだった。
〜『悪役令嬢に転生する系小説でざまぁされるヒロインに憑依した私が栽培するヤンデレは今日も美味しい』エピローグ〜猫の恩返しは壮大〜完〜
これにて完結です。
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