小説は奥が深い
「まったくもう。おねぇ様は加減ってものを知らないの?」
ぷりぷりと怒ったエミリーが文句を言う。
「いくらなんでもやり過ぎよ。ちょっと魔物を引き入れるだけって言ってたじゃない。国が滅亡しちゃいそうなほど引き入れてどうするのよ」
「あなたがそれを言うの?」
フッと鼻で笑って見せると、エミリーは片手で頭を抱えた。
「……はあ。意地悪ね。おにぃ様にはもっと優しいお嫁さんを貰って欲しかったのに……」
「………………」
「解っているわよ。おにぃ様はおねぇ様が良いんでしょう?別れる演技をするだけであんなに号泣する程、おねぇ様が好きなんでしょう?」
「あの時は、セロがあまりにも本気で泣くから私まで涙を堪えられなかったわ」
「………………」
「もう。何度も言っているでしょう?あれは演技だったのよ。私があなたと離れられるわけないじゃない。ほら、あなたがくれた髑髏の指輪も私の指にちゃんと嵌ってるでしょう?」
「…………」
「これからもずっと一緒よ。これであなたを脅かすものは何もなくなったんですもの」
「…………」
抱き締め合った私達を見て、エミリーが呆れた溜息を零す。
「本当によくやるわよね。おねぇ様に捨てられた演技をして生ける屍と化したおにぃ様を部屋まで運んで、おにぃ様ソックリのゴーレムと入れ替えて、おねぇ様の部屋まで秘密裏に送り込んであげたのは誰だと思ってるの?」
「あなたには感謝してるわよ、エミリー。ご苦労様」
「…………」
「どうせ2人は部屋に籠ってイチャイチャしてただけなんでしょう?その間に私がどれだけ大変だったか解る?
エカトリーナを断罪して処刑台に送って、ニコラスと魔物退治に行って国を守って……」
「はいはい。解っているわよ。けどあなただって、目的を遂げたんだからいいじゃない」
まるで私ばかりが異常だとでも言いたげなエミリーにそう言うと、彼女は悪役令嬢らしくニヒルに微笑んだ。
「これからが本当の始まりよ。やっとここまで来たわ!あー、長かった………………本当に本当に長かったわ……」
その目には、心なしが涙が滲んでいるように見えた。
私が入り込んだこの小説の作者は、複数の悪役令嬢ものを手掛けている。
私が憑依した『悪役令嬢に転生したので婚約破棄しようとしたら王子様から溺愛されました』みたいな王道ものから、少しシリアスなサスペンス風味のものまで幅広く。そしてこの作者の書く小説で特徴的なのは、小説の中の世界が、全く関係のない別作品と何かしら繋がっているということ。
この作者の別作品の一つに、『悪役令嬢は復讐のため舞い戻る』という小説がある。
兄と恋人を殺された主人公が逆行し、黒幕への復讐の為に悪役令嬢を演じるというその小説。
セロの従妹であるエミリー・メイヨールこそ、その小説の主人公なのだ。
そして主人公の復讐の動機となった、非業の死を遂げた兄こそが、『悪役令嬢に転生したので婚約破棄しようとしたら王子様から溺愛されました』に名前だけ出てくるセロ・シャロンこと、セロ・メイヨールだった。
この小説では出番のない脇役だったセロは、他の小説では主人公とヒーローに次ぐそれなりに重要な役で、最後には主人公を庇って命を落とす運命だったのだ。
全ての悲劇の元凶は、あのクリケットボール。
クリケットボール事業に失敗したシャロン伯爵は、事業で負った借金を返すために無理な魔物討伐に出て帰らぬ人となってしまう。伯爵夫人もまた、夫の死のショックで寝込み、借金の心労も溜まって正気を失ったまま夫の後を追うように息を引き取った。
借金を抱えたシャロン家は取り潰しとなり、シャロン領は魔物の増加が止まらない魔の地とされて閉鎖され、残された幼いセロは母方の叔父で隣国の貴族であるメイヨール伯爵夫妻に引き取られる。
子宝に恵まれなかったメイヨール伯爵夫妻は元々養子をとるつもりだった為、まだ幼い身で天涯孤独となったセロをとても可愛がった。そしてリンムランド王国に連れ帰り、領地まで向かう道中。休息地として寄ったクッセル湖畔で、一家は幼い女の子が溺れているところに遭遇する。
この時溺れていたエミリーは日本人とフランス人のハーフで、家族旅行中に飛行機事故に遭い、海に投げ出されて濁流に飲み込まれ異世界へと転移した転移者だった。
幼い女の子が溺れているのを見たセロは勇敢にも湖に飛び込み彼女を助け、身寄りのないエミリーは伯爵夫妻の2人目の養子として迎えられた。
こうしてセロとエミリーは天涯孤独から一変して優しい両親の元で幸せな家族生活をスタートさせた。
無口だけど心優しいセロと、賢いけれどお転婆なエミリー。心に傷を抱えた2人は、成長するごとにとても仲の良い兄妹になる。
しかし、悲劇は突然起こった。
2人が兄妹となってから数年後のある秋の日、成人後初めて夜会に参加するという兄の為、エミリーはあれこれと世話を焼いていた。
『おにぃ様のお顔はとても綺麗ですもの。前髪は上げた方がいいわ。』
『…………』
エミリーに言われるがまま支度を終えたセロは、それはそれは美男子に仕上がり夜会へと送り出された。
エミリーはその夜、明日になればセロから夜会の話を聞けるととても楽しみに眠りにつく。
しかし、翌日セロが帰ってくることはなかった。その翌日も、そのまた翌日も。セロが帰ってくる事はなかった。
そうして5日が経ち、養父であるメイヨール伯爵に兄の死を告げられたエミリーは、悲しみに泣き暮れた。
兄の葬儀では棺の中の兄の顔を見ることすら許されなかった。何もかもが非現実的で、兄の遺体が入っているという棺が埋められるのを、無心に見つめ続けたエミリー。
メイヨール伯爵夫妻は兄の死の真相をエミリーに話さなかった。これ以上娘にショックを与えたくなかったのだ。
しかしメイヨール伯爵夫妻のこの行動は、エミリーの憎しみに火を点けた。
兄に何があったのかを突き止める。そして、もしも兄を害した"悪"がいるのなら、必ず復讐をする。その為にエミリーは夜会が開かれたリンムランド王国の王宮に出仕することを決めた。
養父母の反対を押し切りエカトリーナ王女の侍女となったエミリーは、清廉潔白な淑女として知られるエカトリーナ王女が侍女に暴力を振るう悪女であることを知る。
機嫌の悪いエカトリーナ王女に殴られても、蹴られても。エミリーはどうでも良かった。ただ兄に何があったのかを知りたかった。
そうして王宮に出仕する傍ら、兄や自分と同じような境遇の孤児に食べ物を分け与えていたエミリーはある日、聖騎士ニコラスに出逢う。
ニコラスはサンタマリーニ神聖国の名門貴族の出自で、政争により家門が取り潰しとなって家族が処刑されていた。ニコラス自身は聖騎士の身分の為、処刑は免れ国外追放された身だった。
家族も家名も失ったニコラスの姿に兄を重ねたエミリーは、逢瀬を重ねるうちに次第にニコラスに惹かれていく。ニコラスもまた、エミリーの明るい笑顔に絆され2人は想いを寄せ合うようになっていった。
そんなある日のこと。エミリーの挙動を不審に思ったエカトリーナ王女は彼女に監視を付け、ニコラスとの逢瀬を目撃する。ニコラスの美しさに興味を持ったエカトリーナ王女は、彼を差し出すようにエミリーを脅した。
エミリーが拒否し、ニコラスもまたエカトリーナ王女を拒むと、逆上したエカトリーナ王女はニコラスを敵国のスパイであると宣言し、捕らえて処刑するよう命じた。
ニコラスはエミリーを守るため抵抗せずに従い、2人はその後二度と会う事はなかった。
再び絶望に暮れるエミリーは、古参の侍女仲間が酔って話した噂話を聞いて涙を止めた。
数年前のある夜会の日、エカトリーナ王女はとある見目麗しい令息に目を付けた。しかしその令息はエカトリーナ王女を拒否し、あろう事か一言も話そうとしなかった。それに腹を立てたエカトリーナ王女は、部下に命じて彼に毒を飲ませ殺害したのだという。
兄の事だとすぐに判ったエミリーは、兄と恋人を殺したエカトリーナ王女への復讐を誓う。
そうしてエミリーは、子供の頃に兄と見つけたクッセル湖の湖底にある魔穴を解放し、リンムランド王国を滅亡へと導いた。
エカトリーナ王女の死を見届け、魔物に覆い尽くされた王国で涙を流しながら笑うエミリーは、混乱の中魔物から逃げる黒猫を助けて重傷を負う。
もう一度、始めからやり直せたら……復讐と引き換えに国を焦土と化し、本懐を遂げても虚しさばかりが募る中、叶わぬ夢を願うエミリーは、黒猫の黒さに引き込まれるように眠りに落ちた。
そうして再び目を覚ますと、この世界に転移した日の翌日、兄に助けられたクッセル湖畔の別荘で天蓋付きのベッドを見上げて目を覚ました朝に逆行していた。
やり直しを許されたエミリーは綿密な計画を立てる。兄には人前で顔を晒すことと夜会に出ることを厳禁とし、自ら志願して幼いうちからエカトリーナ王女の侍女となる。
着実にエカトリーナ王女の弱味を握るため、エミリーはエカトリーナ王女へとある提案をする。
エカトリーナ王女の悪行を全て自分が背負い、悪役令嬢を演じる、と。
エミリーの献身に気を許したエカトリーナ王女は、エミリーに今まで犯してきた悪行の数々を告白し、それらを全てエミリーが行った事だと偽装させた。
こうして悪女エミリー・メイヨールの名は諸外国まで響き渡る事となる。
メイヨール伯爵夫妻も、そして今回はエカトリーナ王女の毒牙を免れた兄も、エミリーのする事に反対しなかった。信じて見守ってくれる家族に迷惑を掛けぬよう、家族から距離を置くエミリーの元に現れたのは、ニコラスだった。
聖騎士であるニコラスは、人よりもその魂が高潔であり、回帰前の記憶を覚えていた。悪女に身をやつし孤独に耐えるエミリーを放ってはおけないと、寄り添ってくれるニコラスにエミリーは再び恋に落ちた。
そうして悪役令嬢エミリー・メイヨールは、エカトリーナ王女の不正と悪行の数々を証拠とともに告発し、真の悪女エカトリーナを断頭台へと送る。
今度こそ、兄も恋人も国も失わずに復讐を遂げられた。万感の思いで連行されるエカトリーナを見ていたエミリーは、エカトリーナが護衛を振り切り逃げ出す様をスローモーションのように見た。
逃げ出したエカトリーナは、悪魔のような形相で剣を奪いエミリーへと真っ直ぐに向かって来た。時間を巻き戻し、未来を変えた代償に死ぬのなら本望だと目を閉じたエミリーは、感じるはずの痛みを感じず目を開けた。
そこには兄の背中があった。無口だけど心優しい兄は、今世でもよくエミリーのことを気に掛けてくれていた。その真っ黒な服の裾から、血が滴っているのに気付いたエミリーが悲鳴を上げるより前に、兄は膝をつき倒れた。
エカトリーナは取り押さえられ、泣き叫ぶエミリーを見上げた兄は口を開いて何かを言いかけ、そのまま動かなくなった。
ニコラスに支えられていなければ、エミリーは正気を保つ事が出来なかった。再び兄を失った悲しみの前に、これで皆が幸せになれると思っていた希望など霧散する。
物語はここで幕を閉じ、エピローグで兄の墓前を訪れたエミリーは、いつかの黒猫と再会し目を閉じる。そして再び目を覚ますと、天蓋付きのベッドを見上げていたのだった。
ここまでが、『悪役令嬢は復讐のため舞い戻る』の小説の内容だった。
つまり私は、マリアンヌが主人公の『悪役令嬢に転生したので婚約破棄しようとしたら王子様から溺愛されました』の小説の中に憑依した事で、セロの存在を通して繋がっていたもう一つの小説『悪役令嬢は復讐のため舞い戻る』の世界にも足を踏み入れていた。
そしてセロと出逢い、彼との間に運命を感じて2つの小説の内容を変える為に奔走したのだった。
その為にセロの実家を取り潰しの危機から救い、エミリーと秘密を共有し、レオンとマリアンヌの仲を取り持って、セロの死に繋がるエカトリーナ王女を永久に葬った。
エカトリーナ。あの女だけは絶対に許さない。なんと言ったって、私のセロを二度も殺したのよ。原作と同じように着飾ったセロを見たら喰い付いてくると思っての夜会作戦だったけれど、案の定私からセロを奪いに来たもの。
首を切り落とすくらいじゃ生温いわ。エカトリーナの処刑方法は私に一任されている。さて、どうしてあげましょうか。せいぜい生まれてきた事を後悔するがいいわ。
「本当に驚いたのよ。三度目の人生で、目が覚めたらおにぃ様が居ないんですもの。まさかシャロン家が存続してる世界線に戻るなんて思ってもみなかったわ。
しかもこんなにラブラブな恋人まで見つけているんですもの。おにぃ様に何があったのかと思ったら。何もかもおねぇ様の仕業だったのよね」
「でも、これであなたの望みは全て叶ったでしょう?」
微笑んで見せると、エミリーはセロに視線を向けた。
「そうね。……おにぃ様が幸せなら、私はもうそれだけで充分だわ」