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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第二章

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ささやかな願い


「はん、大袈裟な奴ね」

 睦月花子は呆れたように肩をすくめた。

 夏真っ盛りの放課後は青い日に明るい。期末テストを明日に控えた生徒たちは既に下校しており、僅かに残った生徒も空き教室や図書館を利用して勉強に励んでいた。

「モブ女の何が恐ろしいってのよ。年がら年中発情してるだけのウサギ女じゃない」

 超自然現象研究部に休みはなかった。常に忙しい彼らはテスト前日といえどその限りではなく、放課後は会議の最中にある。

 徳山吾郎は窓の外を見つめた。縁のひび割れたオレンジ色のプランターでマリーゴールドが陽に揺れている。部活に励む生徒はおらず、桜並木の青葉がひとときの静けさを楽しんでいた。

「はは、ウサギか……」

 吾郎の声は震えていた。目を細めた花子は腕を組む。

「そうよ、ウサギよ。ウチの憂炎と新九郎に色目使うだけの発情ウサギよ。で、男になったところで何も変わってないじゃない。麗奈ちゃーんって叫び回ってるだけのモブウサギよ、あんなの」

「麗奈ちゃーん、か……」

「そうよ、麗奈ちゃーん、麗奈ちゃーんって……あれ?」

 ふとした疑問だった。何やら手鏡で覗き込んでいる三原麗奈の横顔をチラリと見つめた花子は親指を唇に当てた。

「ねぇ憂炎、それってどういう性癖なの?」

 花子は首を傾げる。太郎は「はあ?」と眉を顰めた。

「あのモブ男って三原麗奈なんでしょ? アイツ、自分に欲情してんの?」

「……いや、俺に聞くなよ」

 太郎は肩をすくめた。グルンと花子の瞳が五郎に向き直る。

「徳山吾郎! いったいアイツはどんな性癖してんのよ!」

「性癖ではないさ。何か他に理由があるのだろう」

「はあん? 自分に腰振りまくるあの行動が異常性癖じゃないってんなら、いったいなんだっつーのよ!」

「麗奈さんは計算高いんだ。役者なんだよ。その行動には必ず意味があるんだ」

 吾郎がまた窓の外に視線を送ると、舌を打ち鳴らした花子はイライラと足を揺すり始めた。

「いったいアンタは何を知ってんの?」

「色々と知っているよ。その真意を窺い知ることは難しいがね」

「じゃあ何が怖いってのよ!」

「冷酷なんだ。麗奈さんはね、他人に対して何処までも非情になれるんだ」

「冷酷って、ちょっと大袈裟過ぎない?」

「大袈裟なんかじゃないさ」

 メガネのテンプルを掴んだ吾郎の目がひん剥かれる。花子がギロリと睨み返すも吾郎は視線を外さなかった。

「冷徹で残忍、抜け目無く計算高い。麗奈さんは本当に恐ろしい人なんだ。でもね、それでも彼女は女性だった。女性である彼女の願いはささやかなものだったんだ」

「何よその願いって?」

「自分と自分の周りの小さな世界を守り続けること」

 ふわり、と窓の外のマリーゴールドが夏風に揺れた。それを横目に花子は腕を組む。

「ふーん」

「だが、先ほども言った通り、吉田くんの中で男性化した麗奈さんはタガが外れてしまっているような気がするんだ。ささやかだった彼女の願いは今や、途方もない何かに変貌を遂げてしまっているかもしれない……」

 やれやれと花子はため息をついた。

「たく、所詮はモブガキでしょーが。高校生に出来ることなんてたかが知れてるっつの。それともアンタまさか、あのモブガキが何か仕出かすって本気で思ってんの?」

「ああ、思ってるよ」

「具体的に何よ?」

「そうだな、彼女の事だから先ずは心霊現象研究部を潰そうとするだろうね」

「超自然現象研究部を潰したみたいにですか?」

 そう呟いた宮田風花はすぐに自分の失言に気が付いて口元を押さえた。

 シンッと凍えるような静寂が理科室を包み込む。斜陽が廊下側の棚に届くと、つるりと透明なビーカーに乱反射した陽が棚の奥に明るい光をもたらした。

 時が止まったかのような静けさである。黒い机に舞い散る埃。暫しの間、校庭の黄金色の花を眺めていた吾郎はやっと決心したように頷くと、ほんの僅かずつ視線を花子の方に動かしていった。同様に太郎も横目で花子を見つめており、今や会議のメンバーたちは花子の一挙一動から目が離せない状態にあった。

「え?」

 花子の視線が太郎に向けられる。キョトンとしたその表情は子供のように無邪気であり、またその無邪気さが、か弱い羽虫を叩き潰す子供の無情さを暗示させていた。

「ねぇ、どういうこと?」

 太郎は答えられなかった。恐怖心が舌の動きを止めてしまっていたからだ。そんな太郎からの返事を待つ花子はといえば、注文したクレープが出来上がるのを待つ少女のように物静かで、今しかないなとメガネのブリッジを押し上げた吾郎は廊下に向かって大きく一歩足を踏み出した。

 一歩。ふわりと埃が舞い上がる。

 一歩。薬品の匂いが鼻を掠める。

 一歩。廊下から吹く風が……。

「徳山吾郎」

 ズンッと右腕に掛かった重みに吾郎は岩壁を連想した。そのまま為す術なく胸ぐらを掴まれた吾郎の体が陽の当たる理科室に浮かび上がる。

「徳山吾郎ぉ」

「宮田くーん! ちょっと口が滑りましたじゃ済まないよー!」

「わわわ、私のせいじゃないもん! 徳山書記が変な話するからだもん!」

 宮田風花も取り乱している様子だった。「吾郎くんを離して!」と憤怒の鬼に向かって姫宮玲華が若干の抵抗を見せる。意を決した吾郎は視線を真下に落とすと声を絞り出した。

「は、離したまえ……!」

「ああん?」

「ま、まさか君、怒ってるのか……?」

「当たり前でしょーが!」

「なぜだ? 超研を潰したのは、た、確かに麗奈さんだ。だがなぜ、それを怒るんだ……?」

「マジでぶっ殺されたいの?」

「き、君は、喧嘩した相手を恨むような、小さな人だったかね……?」

「はあ?」

「た、例えば、喧嘩で負けたとして、君は自分に勝った相手を恨むか……?」

「恨むかっつの! 逆に尊敬するわ!」

「ならば、麗奈さんに怒るのは筋違いだ。き、君たちは、喧嘩してたんだ。そして、負けた。演劇部との喧嘩に負けたから、超研は潰されてしまったんだよ……!」

 チッと舌打ちした花子は吾郎の体を床に落とした。激しく咳き込む吾郎の背中に玲華が手を伸ばす。そんな二人を見下ろした花子はイライラと短い髪を掻きむしった。

「超研と演劇部が喧嘩って、どーゆうことよ?」

「そ、そのままさ。君たちは争っていたんだ、旧校舎を巡ってね……」

 ようやく咳が治まったのか、襟元を直した吾郎は玲華の手を借りながらゆっくりと立ち上がった。

「先に手を出したのは君たちの方だよ。旧校舎を明け渡せと超研が声を上げたのが喧嘩の原因だ」

「なんでよ。つーか、そんな話聞いたこともないんだけど?」

「それは君が一年生だったからさ。もしくは暴力的な手段を避けたかったからかもしれない。君の世代の入部者は三人のみ、オカルトブームの終焉で廃れた超研を復興させる為に、君の先輩方は藁にもすがる思いだったのだろう。そうして旧校舎の権利を主張したわけだが、まぁ結果はご存じの通りだよ」

 ふぅと息を吐いた吾郎は制服の埃を払った。そんな吾郎の気取ったような態度に屈辱感を覚えた花子は奥歯を噛み締めた。

「くっ、私がその場に居れば……」

「いや、たとえ君が居たとしても、超研の崩壊は止められなかっただろうよ」

「はあん?」

「一瞬だったんだ。それこそ赤子の手を捻るが如くね。超研は麗奈さん一人に一瞬でやられてしまったんだよ」

「だからなによ! 私がその場にいればね、演劇部を道連れにしてやったわよ!」

「ああ、そうか。もしかすると麗奈さんは、君に気づかれないよう注意していたのかもしれない」

「なんですって?」

「ともかくだ、花子くん。確かに超研は無慈悲に潰されてしまった。だがね、それはもはや別の世界での話さ。今の僕たちはこの世界での麗奈さんを警戒せねばならないんだ」

 パンッと太ももの埃を払った吾郎は背筋を伸ばした。ケッと舌を出した花子は気が乗らない様子である。

「警戒警戒って、いったい何を警戒すんのよ? 言っとくけど心霊なんちゃら部なんて私にはどーでもいいから。モブ女が潰したいってんなら、勝手に潰させりゃあいいのよ」

「ふむ、その心霊現象研究部なんだが、どうやら一筋縄ではいかない気がするんだ。オカルトブームは去っていないわけだし、何より超研とは違って心霊学会という名の後ろ盾があるわけだからね」

「知るかっつの! モブ女を警戒する理由なんてないっつってんのよ!」

「いや、あるよ」

「はあん?」

「麗奈さんの体は我々の側にあるんだ。いったい何故入れ替わってしまったのかは知らないが、麗奈さんが我々を放っておくわけがない。現に何度も接触してきているではないか」

「まぁ、そう言われてみればそうね。でもモブ女が自分の体に危害を加えるわけないし、そもそもこの私に危害を加えようものならどーなるかぐらい、あっちも承知の上でしょ?」

「いいや、彼女の行動は我々の常識では測れないんだ。既に何かを仕掛けてきている可能性だってある」

「何かって何よ?」

「それは僕にも分からない」

「要領を得ない奴ね! 具体的にモブ女が何を仕出かすのか、アンタの予想を言ってみなさいよ!」

「そうだな……。恐らく麗奈さんは心霊現象研究部を潰した後に、心霊学会を潰そうとするだろう」

 そう吾郎が真剣な表情をすると、花子は「ぷはっ」と大きく息を吐き出した。

「し、心霊学会を潰す? モブ女が? イヒヒ、何言ってんのよアンタ、無理に決まってんでしょ! ぷはは、無理無理毛虫よ!」

「いや、どうだろうね」

「無理だっつってんの! アンタってマジで大馬鹿? あの規模の組織を女子高生が潰す? はん、アホらしい。んなの漫画ですら起こり得ないっつの!」

「前の世界での麗奈さんは、道教という宗教団体を一人で潰そうと動いていたんだ」

 吾郎の言葉に理科室の空気が再び止まる。怪訝な顔をした花子は太郎を振り返った。

「道教って、あの伝説の男の?」

 パクパクと酸素を求める金魚のような表情をした太郎は言葉を失っていた。花子はやれやれと肩を落とした。

「たく、道教が何かは知んないけど、高校生に潰されそうになるとか商店街の八百屋以下じゃない」

「いいや、道教はしっかりと組織化された宗教団体だったよ。師範と呼ばれるリーダーの老人にもカリスマ性があってね、シルクハットを被った背の高い紳士だったんだが、さすがの麗奈さんも難儀していたようだよ」

「はん、なら心霊学会を潰すなんて夢のまた夢ね。なんせあれはその道教を乗っ取った上で創り上げられた組織なんだから」

 ふふん、と腕を組んだ花子は何やら得意げである。納得いかないのか吾郎は首を横に傾けた。

「ふーむ、確かに常識的に考えれば無理だろう。その規模の組織ともなれば、地元の政治家や地主とも繋がっているだろうし」

「そうよ、アンタのそれは杞憂よ。そもそもこの私の目が届く範囲でモブ女に好き勝手させるかっつの。前回はまんまと隙を突かれたけど、もはや今の私にモブ女が付け入る隙なんて残ってないのよ! なんならこっちからアイツを潰してやろーかしら?」

 そう花子が指の骨を鳴らすと、大人しく丸椅子に腰掛けていた麗奈こと吉田障子は僅かに瞳を光らせながら肩を丸めた。それを横目に見た花子はチッと舌打ちをする。こちらから危害を加えることの難しさに気が付いたからだ。

「つーか徳山吾郎、何でアイツは道教を潰そうとしてたの?」

「ああ、その道教なんだが、どうにもカルトチックな一面があってね」

 吾郎は何かを思い出すように斜め上に視線を送った。

「カルトチック?」

「師範は戸田という男だったんだが、彼自身が幽霊や超常現象の存在を信じ込んでいるようで、信者たちもそれを盲信していたんだ」

「ふーん」

「でだ、彼らは力のある子供を探し出しては無理やり道教に入信させていたんだよ」

「力?」

「力が何かは僕にもよく分からない。ただ、戸田が子供を集めていたというのは事実で、そして彼らはあろうことか、麗奈さんの妹である千夏さんを付け狙っていたんだ」

 千夏という言葉に、背中を丸めていた麗奈は椅子から飛び上がった。そんな麗奈を尻目に吾郎は話を続けた。

「それがあまりにも執拗だったようでね、麗奈さんは彼らに強い警戒心を抱いていたんだ。麗奈さんが道教を潰そうと躍起になってたのは妹を守るためだったんだよ」

「へぇ」

「まぁでも、この世界では既に道教は潰されてるようだし、田中くんも洗脳から解放されてるようで、僕は少しホッとしているよ」

 ふっと吾郎は笑みをこぼした。すると沈黙を貫いていた太郎の重たい視線がのそりと持ち上がる。

「洗脳……?」

「うん、大変だったね」

「俺が騙されてたって……?」

「ああ、勉強に集中出来るようになって良かったじゃないか」

「ふ、ふ……」

「ん?」

「ふざけんな!」

 くわっと太郎の目が見開かれると、驚いた吾郎は一歩後ろに身を引いた。

「洗脳なんてされてねぇよ! 師範の力は本物なんだぞ! 俺は、俺は、そんな師範に力を認められたんだぁ!」

 ギョロンと瞼を広げた太郎の陰鬱な瞳がギラギラとした光を放つ。花子と吾郎は唖然として目を見合わせた。

「解け切ってないじゃないの」

「そ、そのようだね……」

「まぁいいわ。憂炎の洗脳は後で解いてやるとして、いったん話戻すわよ」

「ああ」

「モブ女の奴、やたら憂炎に発情してんなって思ってたけど、まさかあれって演技だったの?」

「たぶんね」

「つまりモブ女は、道教を潰す為に憂炎を利用しようとしてたってこと?」

「恐らくは」

「チッ、油断も隙もない女ね」

 花子は眉を顰めた。口元に手を当てた吾郎の瞳にまた影が宿る。

「やはり、警戒し過ぎるに越したことはないか……」

「たく、アンタねぇ、なーにを不安げになっちゃってんのよ」

 ふん、と鼻で息を吐いた花子は不敵な笑みを浮かべた。

「さっきも言ったけれど、ここには私が居んのよ? モブ女がモブ男になったくらいで、この私をどうにか出来る筈ないでしょーが」

「……もし君が邪魔になれば、彼女は君を退学させようとするかもしれない」

「退学ですって? はん、やってみなさいよ。もしこの私を退学させようものならね。地の果てまでアイツを追い詰めてこの世の地獄を見せてやるわ!」

 そう腕を組んだ花子の額に血管が浮かび上がった。

「もし本気で私を排除したいってんなら、私の息の根を止めることね」

「な、なんだって……?」

「殺す以外にこの私を止める方法なんて存在しないって言ってんのよ! フハハ、そんなの無理無理毛虫だけどね!」

 花子の高笑いが落ちていく西日を追い掛けて青い空を掛けていった。そんな花子の無防備な笑い声に吾郎は下唇を噛んだ。


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