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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第二章

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恐ろしい人


 富士峰高校の一階の端。まだ青い西日の当たる理科室。超自然現象研究部の部室はいつも通り重苦しい沈黙に包まれていた。

 参考書を鞄に仕舞い込んだ田中太郎の固く結ばれた唇。睦月花子の額に浮かび上がった血管が鼓動に合わせてドクンと脈打つ。忙しなくメガネのレンズを拭き続ける徳山吾郎とは対照的に、宮田風花の表情には野武士のような落ち着きがあった。

 黒い実験台を挟んで座る四人の視線は交わらない。ヤナギの霊緊急対策会議の参加者である彼らは主催者である姫宮玲華と三原麗奈の到着を今か今かと待ち望んでいた。

 小鳥の鳴き声のような怪音を耳にした四人の視線が上がる。メガネを掛け直した吾郎が不安げに廊下を振り返ると、眉を顰めた花子は組んでいた腕を外した。静かな校舎を震わせる音。徐々に大きくなっていくそれは理科室に近付いているようであり、やがて窓を叩き割るようなけたたましい音が棚に並んだビーカーを揺らし始めると、立ち上がった花子はゴキゴキと指の骨を鳴らした。

「ただいまー」

「うるさいっつのよ! ドアホ!」

 理科室のドアが開かれると花子の怒鳴り声が怪音を呑み込んだ。青い防犯ブザーを中指にかけた姫宮玲華はドアの前でキョトンとした表情を浮かべている。玲華の真後ろでは、耳を塞いだ三原麗奈があまりの恥ずかしさに顔を赤らめていた。

「部長さん、何か言った?」

「うるさいっつってんの!」

「なーに? 聞こえないよー?」

「この……」

 怒りのあまり白目を剥いた花子はツカツカと玲華の元に近寄ると、玲華の中指で揺れる青いストラップを指で握り潰した。

「うるさいっつってんのよ! アンタの頭も握り潰してやろうか!」

「もー部長さん乱暴過ぎ! 器物損壊で訴えてやるんだから!」

「なーにモブ女みたいなこと言ってんのよ! こっちは忙しいってのに、余計な手間とらせんじゃないわよ!」

 玲華の後ろで俯いていた麗奈をギロリと睨み付けた花子は、ふん、と鼻で息を吐くと席に戻った。先の心霊学会との話し合いが不首尾に終わった為に花子は不機嫌だったのだ。そんな花子を恐々と見つめた麗奈は、妹の千夏をこの場に連れて来なくて良かったとほっと腹の底から息を吐き出した。

「それにしても玲華さん、なぜ防犯ブザーを?」

「変なホームレスの男に襲われそうになったの」

「ええっ!?」

 黒い実験台の向かいに腰掛けた玲華がムスッと眉を顰めると、太郎のスクエアメガネが真上に跳ね上がった。

「ま、まさか麗奈さんもその場に?」

 太郎の視線が麗奈に移ると、頬を赤くした麗奈はまた俯いてしまった。そんな麗奈の様子に吾郎の頬が強張る。

「うん」

「だ、大丈夫だったのか?」

「別に大丈夫だったよ。こう防犯ブザー見せたらさ、どろんって逃げてっちゃったの。でね、間違えてブザー鳴らしたら止まらなくなっちゃって、今度は部長さんに襲われそうになったってわけ」

 花子に向かって玲華が赤い舌を出すと、ガチンと奥歯を噛み締めた花子は「ああん?」と唸り声を上げた。

「なーにが襲われそうになったよ、どーせアンタらが先にちょっかい出したんでしょーが! たく、目立ちたがりのクソガキにありがちな被害妄想ね」

「被害妄想じゃないもん、本当に襲いかかって来たんだから! なんか目を見せてくれって、ニタニタ笑いながらさ、あたしのことヤナギの霊じゃないとか言って、ほんと大変だったんだよ!」

「はん、その程度で襲われたですって? アンタね、相手がホームレスだからって調子こいてんでしょ? 彼らだって私らと同じように毎日を必死に生きてんのよ! いいえ、むしろ家でぬくぬく過ごしてる私らなんかよりも過酷な環境を生き抜いてる彼らの方がずっと立派だわ! ホームレス舐めてんじゃないわよ!」

「まぁまぁ、二人とも落ち着きたまえ」

 睨み合う二人の間に徳山吾郎が割って入る。田中太郎が花子を、宮田風花が玲華を宥めると、張り詰めていた理科室の空気が僅かに和らいだ。

「なぁ花子くん、君は強いぞ」

「はあ?」

「君は本当に強い人だ。君の前ではどんな悪漢も無力だろう。だからこそ君は誰に対しても平等な優しさと怒りを向けられるんだよ」

 吾郎の優しげな口調に花子は太い血管の浮かんだ首を捻った。そんな花子に向かって吾郎は言葉を続ける。

「だがね花子くん、一般的な女性とってはね、外で知らない男性から声を掛けられるというのは途轍もなく怖いことなんだ。男の僕だって不審者には警戒心を抱いてしまう。女性である玲華さんならば尚更だろう。警戒するというのは自分の身を守る為の本能なんだよ。当然行き過ぎるのはよくないが、知らない男を警戒してしまう玲華さんの気持ちをどうか君にも理解して貰いたい」

 そう五郎が微笑むと、舌打ちをした花子の額から血管が消えていった。くしくしと前髪を弄り始めた玲華の熱い視線が吾郎に向けられる。そんな玲華の様子に風花の瞳の奥がスウッと凍り付いていった。

「まぁ、ホームレスのことは僕が教師に相談しておくよ。それよりも、そろそろ話し合いを始めないか?」

「会議よ」

 花子の鋭いツッコミに吾郎は苦笑した。

「取り敢えず麗奈さん、いや、吉田くんに確かめたいことがあるんだ。だがその前に、この世界について分かったことを少しだけ話させてくれ」

「なによ?」

「いや、テレビを見ていて違和感に気が付いたんだが、どうにもこの世界ではまだオカルトブームが終わっていないようなんだ」

 実験台に両肘をついて指を組んだ吾郎は表情を暗くした。それがどうしたのよ、と花子は首を傾げる。

「メディアの発達した現代においてオカルトブームが去らないというのは異常なんだよ。この日本にはまだ幽霊の存在を本気で信じている人たちが多数存在しているんだ」

「いや、さっぱりなんだけど? 幽霊信じてた奴なんて前の世界でもわんさかだったし、そもそも実際に存在すんだから信じるも何もないでしょ?」

「幽霊の有無はこの世界でもまだ解明されていなかったよ。実際に見たという人も前の世界と同じでほとんどいないだろう。それでもまだこの世界でオカルトブームが続いているのには理由があってね、およそ35年前にここで信じられないような怪奇事件が起きていたんだよ」

「ああ、1年D組の悲劇とかいうやつでしょ?」

 そう花子が欠伸を噛み殺すと、勿体ぶった口調で話していた吾郎は落胆したように肩を落とした。

「なんだ知ってたのか」

「知ってて悪かったわね。つーかアンタ、その程度の情報しか集めてこなかったわけ?」

「いや、これは前置きだよ。この世界ではオカルトブームが終わっていないという事実を最初に言っておきたかったんだ」

「なんでよ?」

「因果関係の説明の為さ。例えば花子くん、君はこの世界では将棋部に入部しているそうだが、それは恐らくオカルトブームが去らなかったせいだろう」

「はあ? なんでよ? オカルトがまたブームになってるってんなら大喜びだっつーの!」

「そこなんだよ。君はオカルト以外で将棋に熱中していた時期があるだろ?」

「熱中ってほどじゃないわよ。ただ幼馴染に将棋が好きな奴がいて、ソイツの趣味に付き合ってやってただけの話よ」

「花子くん、僕は君の性格をよく知っている。君は絶対に仲間を見捨てたりはしないだろう」

「当たり前でしょーが」

「うむ、ここからは僕の勝手な推論だが、前の世界での君は、徐々に廃れていくオカルトブームに対してある種の寂しさを感じてたんじゃないか?」

「寂しさですって?」

「君はね、世間から忘れ去られていくオカルトブームを見捨てることが出来なかったんだよ。超自然現象研究部に入ってオカルトをまた盛り上げてやろうと一人躍起になっていたのはその為さ。そして先ほども言った通り、この世界ではオカルトブームが去らなかったんだ。だからこの世界の君はオカルトではなく将棋を選んだんだよ」

「へぇ、面白い考察じゃないの」

 花子はニヤリとした笑みを浮かべた。吾郎の話を聞く太郎も真剣な面持ちである。

「新九郎くんや小田くんの変化も因果関係によるものだろうね。花子くんが将棋を続けた為に、あの二人は別々の道を歩んでしまっているんだ」

「じゃあ俺が勉強するようになったのも、部長が将棋にハマっちまったせいだってのか?」

 スクエアメガネを掛け直した太郎は僅かに腰を上げた。そんな太郎に向かって首を横に振った吾郎はまた表情を曇らせた。

「君は違う。まぁ、あくまでも僕の推論に過ぎないのだが……。さて、そろそろ本題に入ろうか」

 そう腰を上げた吾郎は視線を落とした。俯いたまま爪を弄る麗奈は心ここに在らずといった表情をしている。

「麗奈さん、いや吉田くん、ちょっといいかい?」

「……え?」

「吉田くん、それと玲華さん、少し唇を近づけ合っては貰えないかね?」

 吾郎の言葉に、麗奈を含む会議のメンバーたちは訝しげに眉を顰めた。

「……アンタって、そっちの趣味があったの?」

「ち、違う! 確かめなければいけない事なんだ! さぁ吉田くん、玲華さん、早く!」

「おっけー」

 麗奈の体に抱き付いた玲華に躊躇はなかった。何やら居た堪れない気持ちになった太郎は視線を床に落とす。だが、麗奈こと吉田障子はといえばムッと眉を顰めるばかりで、玲華の行為に対しての羞恥心は一切見られなかった。

「ふむ、吉田くん、気分はいかがかね?」

「……なんですか、これ?」

「いや、うん、大体分かったよ。さて次は田中くんだ、ちょっと吉田くんに顔を近づけてくれないか?」

「徳山吾郎、アンタね……」

 複雑な感情の込められた花子のため息を完全に無視した吾郎は太郎を急かした。仕方なく太郎が顔を上げると、ボッと髪を逆立てた麗奈の頬が茹で蛸のように赤くなった。

「吉田くん、どうかしたのかね?」

「え? え?」

「男同士、顔を近づけるくらい何でもなかろう?」

「麗奈さん、大丈夫か?」

 何やら狼狽した様子の麗奈の真っ赤に染まった頬を心配した太郎の吐息が麗奈の首筋にかかる。「ひゃ!」と声を上げた麗奈が、あわわ、と降参するようなポーズをとると、顎に手を当てた吾郎は明後日の方向に視線を動かした。

「吉田くん、君、化粧してるね」

 視線を麗奈に戻した吾郎の口調は何やら重々しい。「え?」とローズピンクの唇を動かした麗奈は火照った顔を手で仰いだ。

「君は男だった頃も化粧をしてたのか?」

「嘘でしょ吉田何某? アンタって化粧男子だったの?」

「ち、違う! 違います! 化粧なんてした事なかったもん!」

 慌てて手を顔の前で振った麗奈の爪が青い西日に煌めく。顔を綻ばせた花子が肘で太郎の脇腹を突くと、太郎は鬱陶しそうに舌打ちをした。

「吉田くん、それは本当かね?」

「ほ、本当です……」

「では何故、今はしているんだ?」

「そ、それは、しなきゃって言われたからで……」

「話は変わるが吉田くん、トイレやシャワーはどうしている?」

「えっと、普通に入ってますけど……」

 もじもじと麗奈は指をこまねいた。そんな麗奈の様子に目を瞑った吾郎は深く息を吐いた。

「うむ、大体分かったよ。吉田くん、どうやら君の精神は女性化しているようだ」

「ええっ?」

 吾郎の言葉に麗奈はギョッと目を見開いた。首を横に倒した花子が二人の間に口を挟む。

「なんでよ?」

「専門家ではないから詳しくは分からんが、女性ホルモンが影響してるんじゃないかと考えている」

「ふーん、女性化ねぇ。つーか、そんな話が本題だったわけ?」

「本題はここからだよ」

 メガネの位置を直した吾郎の瞳は小刻みに震えていた。まるで何かに怯えているかのようなその表情に花子と太郎はまた顔を見合わせた。

「麗奈さんと吉田くんなんだが、単に二人は中身が入れ替わってるだけなんじゃないだろうか」

「はあ?」

「つまり、麗奈さんの中に吉田くんの精神が入っているように、吉田くんの中には麗奈さんの精神が入ってるんじゃないのか、と僕は考えてるんだ」

 吾郎の呟きに玲華はあっと赤い唇を縦に開いた。

「あー、そっかそっか、二人は入れ替わってただけなんだ。へー、流石は吾郎くん」

 にひひ、と玲華の唇に意味ありげな微笑が浮かび上がる。目を細めた風花はキッと吾郎を睨み付けた。

「ふーん、なるほどね、入れ替わった結果があのモブ男か」 

 花子は感心したように頷いた。太郎も合点がいったのか、風花を除いた四人は敬うような視線を五郎に向けた。だが、とうの吾郎は不安げにキョロキョロと辺りを伺うばかりであり、そんな吾郎の様子を訝しんだ花子は腰に手を当てた。

「たく、今度はなんだってのよ?」

 震える指の先でメガネの黒い縁を押した吾郎は後ろを振り返る。そうして声のトーンを落とした吾郎は話を続けた。

「麗奈さんが男になっているという事が大問題なんだ」

「それの何が問題なのよ?」

「……どうにも、タガが外れてしまっているような気がするんだよ」

「タガが外れる?」

「麗奈さんは、あ、あの人は本当に恐ろしい人なんだ」

「なによ急に?」

「ぼ、僕は怖いんだ。男になった麗奈さんが恐ろしい。テストステロンで人格を変貌させた麗奈さんが恐ろしくて恐ろしくて堪らないんだ」

 そう唇を震わせた吾郎の眼鏡が床に落ちる。その音に「ひっ」と息を呑んだ麗奈は手鏡を取り出すと、自分の栗色の瞳を恐る恐る覗き込んだ。冬の夜空のように冷え切った吉田障子の暗い瞳が忘れられなかったのだ。


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