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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第二章

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誰かの影


 誰もいない校庭。木造の校舎。ヤナギの木の下で揺れる赤いボール。

 三原麗奈は空を見上げた。暗い雲に覆われた頭上を灰色の何かが通り過ぎる。校舎の屋上から黒い何かが校庭に落ちた。

 一人でに転がり始める赤いボール。そのボールの後をチリチリと縦に揺れる炎が追いかける。迫り来る赤い影に恐怖を覚えた麗奈は校舎に背を向けると慌てて走り出した。だが、どれだけ手足を振っても体が前に進まない。背後に迫る熱風。グラウンドの枯れた雑草に倒れ込んだ麗奈は頭を抱えた。天を覆っていく炎の渦が赤い雨を地上に落とす。

 ふっと麗奈の耳元に息が掛かった。そっと顔を上げた麗奈の腕を誰かが掴む。

「ねぇ、王子様」

 目の前にいたのは見覚えのない女性だった。目の下にクマを作った彼女は、降り注ぐ火の粉から麗奈の体を守るように、その痩せ細った両腕を大きく広げて微笑んでいた。



 三原麗奈は静かに目を開いた。薄いカーテンを透かす暁光がぼやけた視界の端に入る。

 桃色の部屋。花の香。柔らかな枕に髪を沈ませたまま首を横に動かした麗奈は、仄明かりに消え掛かった黒い影を見る。のそりとベットの上で体を起こした麗奈はその影に向かって手を伸ばした。だが、既に影は朝の光に飲まれた後だった。



「先輩、緑の天使のライブ会場分かったっすよ」

「何処よ?」

「小坂公園のはす向かいにある竹内っつう雑居ビルの地下一階っす。開場が16時半で開演が17時らしいっす」

「でかしたわよ、田川明彦。褒美としてアンタを超研の名誉会員に任命してあげるわ」

「あ、それはいっす……」

「あん?」

 超自然現象研究部の朝は早い。

 正確にはまだ活動承認の成されていない部活であったが、その目処が立ったということで部長の睦月花子は張り切っていた。副部長の鴨川新九郎と新入部員の小田信長を学校に連れ戻すことが今の花子が最優先課題であり、街の何処かに雲隠れしてしまった新九郎及びそのバンドメンバーたちの行方を花子は血眼になって探している最中にあった。その為、情報屋の田川明彦に協力を要請していたのだ。

「いっすってなによ。嬉しいっすの略?」

「勘弁してくださいっすの略っす」

「ああん! そこは身に余る光栄っすでしょーが!」

「いや、花子先輩マジすんません! 俺、忙しいんで!」

 直立姿勢に勢いよく腰を下げた太川明彦の頭が理科室の床ギリギリにまで下がる。実験台に腰掛けて英語の参考書を開いていた田中太郎はその一年生の体の柔らかさに感心した。

「忙しいですって? ナマ言ってんじゃないわよアンタ! 私たちがいったいどれほど忙しい毎日を過ごしてると思ってんのよ! つーか、アンタが吉田何某を理科室に呼び出してくれたおかげで私たち大変な目にあってんだけど、どー落とし前つけてくれるつもりよ!」

「へ?」

「吉田何某と姫宮玲華のアレよ! 忘れたとは言わせないわよ!」

「いや、まさか吉田障子のことっすか? またアイツ何かやらかしたんすか?」

「またってなによ? たく、そこは呼べっつったのアンタでしょ、ってツッコムとこでしょーが」

「えっと、意味分かんねーんすけど……」

「はあん?」

「待てよ部長。コイツが前の世界の事を知ってる筈ねーだろ」

 困惑した様子の一年生を見兼ねた太郎が二人の会話に割って入る。花子はチッと舌打ちをした。

「まぁいいわ。ともかく新九郎のドアホは放課後にシメるとして、先ずは超研の復興が先ね。憂炎、行くわよ」

「あ、先輩。その、情報料の方がまだ……」

「あ?」

「い、いや、マジで! いくら花子先輩だからって、タダってわけにはいかねーっすよ!」

「たく、強情な奴ね。またアンタに何かあった時に助けてやるから、それでいいでしょ?」

「それでおっけーっす。俺、今ちょっと面倒ごとに巻き込まれてるんで、そん時はマジで頼みますよ!」

 明彦は吉田障子の不敵な笑みを思い出していた。彼に頼まれて集めた情報を本当に渡して良いものかと明彦は悩んでいたのだ。万が一にも何らかの飛び火が自分に降り掛かろうものなら、すぐにでもこの鬼の手を借りようと明彦はゴクリと唾を飲み込んだ。

「じゃあ憂炎、そろそろ行くわよ」

「ああ部長、その事なんだが……」

「なによ」

「ほら、明日から期末テストだからさ、今日は部長に付き合ってやれねーんだよ」

「期末テスト? 万年サボり魔のアンタがなにほざいてんの?」

「いやほら、俺たちもう二年だし、そろそろ本格的に受験の為の勉強始めなきゃなんねーだろ。再来年には本番なんだしさ」

「受験勉強? んなもん再来年から始めりゃいいでしょーが!」

「いやそれじゃ遅すぎるっつの! 上目指してる奴らは皆んな一年生の頃から、いや、中学生の頃から必死になって勉強続けてきてんだぞ! だから頼むって部長! つーかアンタもマジでそろそろ勉強始めた方がいいぞ」

「ほんとどうしちゃったのよアンタ」

 英語の参考書を握り締めた太郎の固く閉じられた指に花子は唖然とした。二人の喧嘩に巻き込まれてなるものかと、明彦の体がそろりそろりと後ろに下がっていく。

「田川明彦! アンタはどー思うわけ?」

 ぐるんと花子の首が後ろに回ると、逃げ遅れた、と明彦は広いデコに手を当てて苦悶の表情を浮かべた。

「……そっすね。もしも上の大学を目指すって言うんなら、田中先輩の意見が全面的に正しいと思いますよ」

「ほらな部長、これで二体一だ」

「チッ」

 鬼の形相を浮かべた花子は腕を組んだ。明彦の頭の中をお経が流れ始める。

「じゃあ俺、勉強するから。またテスト終わったらな」

 爽やかな笑みを浮かべて立ち去ろうとする太郎に向かって、腰に手を当てた花子は流すような視線を送った。そうしてため息をついた花子は口を開く。

「憂炎、アンタは何をそんなに焦ってんのよ」

「別に焦ってなんてねーっつの」

「ならちょっとぐらい手伝いなさいよ。部活申請には最低三人の部員が必要なんだし、バンドに明け暮れる新九郎を学校に連れ戻すのにも男友達であるアンタの言葉が必要なのよ」

「いや、それは分かるけどよ……。なあ、マジで今日は勘弁してくれって、期末テストは明日なんだってば」

「だーかーら、アンタは何を焦ってんのよ。まさかアンタ、明日テストだからって今日の内に全て詰め込むつもりなの?」

「はあ?」

「アンタの本番って再来年の受験でしょ? たかが期末テストの前日に焦って詰め込んだような勉強が、果たしてアンタの為になるのかしら?」

「い、いや、でもよ……」

「勉強に大切なのは継続でしょ? 前日に慌てて詰め込むなんて悪手よ、悪手。そんな奴が上の大学になんて行けるわけないし、むしろ上の大学目指してるような奴らは、受験の前日はさておき、期末テストの前日なんて遊んで過ごしてるっつーの」

「そ、そんなわけ……」

「田川明彦! アンタはどー思うわけ? ええ?」

 流れ続けるお経を振り払おうと頭を振っていた明彦は、突然の花子の怒鳴り声に飛び上がった。そうして額に手を当てた明彦は、花子と太郎の顔を交互に見つめながら口をへの字に曲げてみせた。

「……んー、まぁ花子先輩の言う通りっすね。前日に焦って詰め込むような奴は大抵受験に失敗しますよ」

「ほーれみなさい! これで二体一よ!」

「ち、ちょっと待て! だからって勉強しない事を正当化は出来ねーだろうが! なぁお前、どうなんだ!」

「そっすね。まぁでもあれっすよ。テストって本番の予行演習みたいなもんでしてね、田中先輩にとっての本番って再来年の受験っすよね?」

「あ、ああ」

「受験ってのは当日一回のみっすから、当然その前日に何か不慮の事態が起こることもあり得るわけなんすよ。例えば風邪ひいたりとか、家族に何かあったりとか。で、それで心が乱れて受験に失敗しちゃうってのがよくあるパターンでして、そういうパターンに陥る奴は前日に緊張で焦っちゃうような真面目くんだったりするんすよ」

「な……」

「受験で一番大切なことは自分の実力を最大限に引き出せる平常心っす。そう言う意味でも定期テストの前日は自分の力を信じて頭を休めるべきじゃないかなって僕は思ってますよ。それでテストが上手くいけば、受験本番も落ち着いて挑めるでしょ?」

「あ……あ……」

 目を見開いた太郎はまさに青天の霹靂といった様子で言葉を失っていた。そんな太郎の肩に花子が腕を伸ばす。

「そう言うことよ。つまり今日は遊んじゃったほうがいいの。そうして明日のテストを迎えてやっとアンタの本当の実力ってもんが分かんのよ。そういうのも本番に向けて必要な経験でしょ?」

「わ、分かった……。今日は部長に付き合ってやるよ……」

 苦渋に満ち溢れたような声が絞り出される。テスト前日に遊ぶのは違うような、と明彦は苦りきった笑みを浮かべた。

「てか部長、部活申請には三人必要なんだろ。あと一人はどうするつもりなんだよ?」

「誰でもいいでしょ。なんならそこの田川明彦でも……」

 明彦の姿は既にそこになかった。額に血管を浮かばせた花子の指の骨がゴキリと音を立てる。

「……どうすんだ?」

「しゃーないわね。姫宮玲華でも連れて行こうかしら」

「いや、玲華さんはダメだろ。なんだったか、王子様……部とやらを作るだのなんだのとまた揉めちまうぞ」

「チッ、じゃあしおらしくなった三原麗奈を連れて行くわよ」

「いや、麗奈さんも演劇部の部長じゃ……」

「いーでしょーがそのくらい! なんだったらいったん演劇部辞めさせた上で、超研の申請が通ってからまた演劇部に戻してやればいいのよ!」

「い、いや、いいのかそれ?」

「いいのよ! さ、行くわよ憂炎!」

 ダンッと踏み出された花子の足が校舎を揺らすと太郎はふぅっとため息をついた。



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