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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第二章

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訪れた者たち


 演劇部に吉田障子が忍び込んだというニュースがまた生徒たちの間で話題となった。ただ、あくまでもそれは世俗的な話題であり、ちょうどそれと同じ頃、もっと重大かつ警戒心を抱かせるようなニュースが富士峰高校の生徒たちを賑わせていた。心道霊法学会の次期会長を約束されている八田英一が臨時採用教員として富士峰高校にやってきたのだ。二人の幹部と四人の幹部候補生たちもまた、それぞれが何かしらの理由を付けて学校を訪れており、ヤナギの幽霊の噂と相まってか、夏休み前にも関わらず富士峰高校の生徒たちの表情は強張っていた。



「な、なんですってー!」

 驚愕の声である。全身の筋肉を硬直させた睦月花子の足が深緑のリノリウム廊下にめり込むと、その校舎全体を揺らす程の衝撃に、花子の正面に立っていた八田英一がバランスを崩した。いち早く体勢を立て直した幹部候補生の中間ツグミが英一の体を支える。ネイビーのスカートスーツに身を包んだ大野木詩織が花子を睨み付けると、そんな怒れる部下を制止するように英一は手を前に出した。

「詩織さん、落ち着きなさい。それで花子さん、どうだろうか?」

「ど、どうもなにも、超研の創部を許可するって、いったいどういう事よ!」

「そのままの意味さ。何なら今から活動を始めてもらっても構わないよ」

「な、な……ちょ、ちょっと待ちなさいよ! そもそもアンタにそんな権限無いでしょーが! いきなり来て調子こいてんじゃないわよ!」

 花子の荒っぽい口調に詩織の目がキッと釣り上がる。

「貴様! その口の聞き方は何だ!」

「まあまあ詩織さん、そう目くじらを立てずに」

「ですが……」

「詩織さん、貴方は教育自習生でしょう? むやみやたらと叱り付けるばかりの教師を生徒が信頼すると思いますか? しっかりと生徒の目線に立って、辛抱強く対話を続けてあげることが大切なんです」

「は、はい」

 姿勢を正した詩織に英一が微笑みかける。白のワイシャツにグレーのネクタイと英一はラフな格好だった。目尻に皺を寄せたその表情には慈愛が溢れており、すでに彼は教師として学校に溶け込んでいる様子であった。

「いや……はあ? そのマゾ女が教育自習生ですって?」

「だ、誰がマゾ女だ!」

「アンタって首絞められるが大好きなんでしょ?」

「なわけあるか! このたわけ! 英一様、違いますから! 私はノーマルですから!」

「ま、まあまあ、趣味嗜好は人それぞれですよ」

「うえーん」

「で、何でそのマゾ女が教育自習生なのよ? つーか、そもそもアンタは一体何しにここに来たの?」

 不審者を蔑むような花子の視線に苦笑した英一は手で顔を扇いだ。花子のすぐ後ろではスクエアメガネを曇らせた田中太郎が沈黙を続けており、廊下の奥では好奇心に駆られた生徒たちが固唾を呑んで花子たちの様子を見守っている。皆、英一たちが学校を訪れた目的を知りたかったのだ。

「いやいや、本当に臨時の教員としてここに呼ばれただけなんだよ。いやね、最近は何処も教員が不足しているんだけどね、この学校は本当に人手が足りてなくってさ、食堂や用務員、それにPTA役員等にも欠員が出ていて、これは猫の手も借りたいぞ、というわけで急遽私たちの中で動ける者たちがここを手伝いに来たというわけなんだ」

「はあ?」

「まぁ、教育実習生である詩織さんは勉強の為にここを訪れたわけなんだけどね、例えば電気工事士として現場で働いている新平さんや、管理栄養士の資格を持つツグミさんなんかは用務員や食堂の仕事が手伝えてね、言ってみれば私たちはお手伝いさんみたいなものなんだ」

「ふーん、そういえば育休で休むとか言ってた先生が居たわね」

「ああ、山下先生だね。私は彼女の代わりとしてここに来たんだよ」

「へぇ、アンタらって案外篤実なのね。てか、話戻すけど、創部って生徒会の許可が必要なんでしょ? 臨時で来ただけのアンタに何が出来んのよ」

「そうか、教師の許可だけでは駄目なのか。うーん、でも人数は揃っているのだろう? なら今度一緒になって頼み込んでみようじゃないか。顧問は僕が務めてあげられるし、なに、きっと大丈夫さ、活動実績だってあるんだからね」

「活動実績?」

「君たちはヤナギの幽霊を見たんだ。立派な実績じゃないか」

「はん」

 英一の無邪気な笑みに花子はやれやれと肩をすくめた。何やら不満げな詩織の表情。頬を強張らせた太郎はメガネの位置を直すと花子の前に腕を出した。

「おい、待てって、不自然過ぎんだろ」

「なによ?」

「コイツらはあそこの奴らだぞ。どう考えたって普通じゃねーよ。ぜってぇ裏で何かやってるって」

「何かってなによ?」

「いや、それは知らねーけど……。でも何かしらの目的があって来たのは確かだろ? ほら、この前の件で部長に恨みを持ってて、それで復讐に来たとか」

「はは、いやいや君ね、我々を何だと思ってるんだ」

 警戒心を隠そうとしない太郎の尖った視線に英一は肩をすくめてみせる。

「先週の件で落ち度があったのは我々の方さ。本当に失礼なことをしてしまったと反省しているし、その意味も込めて、君たちの求める部活作りを手伝ってあげようかと提案しているんだ。それにね、先ほどから言ってる通りこの学校には呼ばれてやって来ただけなんだよ。人手が足りないっていうのにもちゃんと理由があってね、前回の行方不明者が出てから今年で17年目だから、ヤナギの幽霊を警戒して皆んな出て行ってしまうんだ」

「ちょっと何よそれ、17年目?」

 太郎の肩を掴んだ花子の目に強い好奇の光が宿る。夏風に揺れる桜の青葉を窓越しに見つめた英一は顎に指を当てた。

「ふむ、そうか知らないか。いやね、これは何の確証もない、言ってみれば都市伝説に近いような噂話なんだが、ヤナギの霊はおよそ16年から18年の周期で現れると言われてるんだよ」

「周期?」

「そう。1945年の空襲は知ってるよね?」

「知らないけど?」

「そ、そうか。いや、この学校は1945年に空襲に遭ってるんだが、それから18年後の1963年がヤナギの霊による失踪事件の始まりだったのではないかと言われてるんだよ。その年の夏に当時天文学部だった僕の父がヤナギの霊と遭遇している。にわかには信じ難いが、君たちも51年前のそれを目撃してるんだよね?」

「ええ、してるわよ。英子と一郎、それにアンタの親父の八田弘でしょ? やけに髪がもっさりとした奴らだとは思ったけど、そんな昔だったとはね」

「はは、もっさりか。いやはや君と父の口論には驚いたけど、父の学生時代を知ってる君だからこそ出来た喧嘩だったのかもしれないね」

「はん、で、次のはいつよ?」

「ああ、次にヤナギに霊が現れたのは1979年だ。いや、現れたという表現が正しいのかは分からないんだが、その年にも大量の行方不明者がこの学校から出てるんだ。ほら、前に話した1年D組の悲劇はその年の事だよ」

「へぇ」

「そして1997年が前回だね。その年に居なくなった生徒は一人なんだが、どうにもヤナギの霊自体はその一年くらい前から出没していたらしい。用務員としてここに来た荻野新平さんも一度それに巻き込まれていて、彼と彼の親友、そして親友の彼女の三人で夜の学校を彷徨ったそうなんだよ。その時は三人とも何とか外に出られたらしいんだが、その数ヶ月後に新平さんの親友のみが行方不明になってしまったそうでね、新平さんはその事をずっと後悔してるんだ」

「ふーん、じゃあその親友はまだあそこを彷徨ってるのかもね」

「ああ、新平さんはそう信じている。だからこそ彼はまたこの学校を訪れたんだ」

「いい奴じゃないの。その新平って奴の親友はなんて名前なの?」

「確か白崎英治という名前だったよ」

「白崎英治ね。安心なさい、今度私が助けに行ってやるわ」

「はは、頼もしいね。新平さんにもそう伝えておくよ」

「で、その白崎英治の彼女はどうなったのよ?」

「ああ、その彼女さんは英治さんが行方不明になってすぐに学校を辞めてしまったらしい。それ以来音信不通とのことだ」

「ふーん」

「とまあ、そういうわけで昨年から我々はこの学校の警戒度を上げていたんだ。だけどやはりネットの発達した現代では多少半信半疑になったりもしてね、昨年は何事もなかったという事で我々の警戒心も途切れかけていたんだ。そうしたら最近になってヤナギの霊に取り憑かれた女生徒がいるという騒ぎが起こったじゃないか。いや、その程度の騒ぎは頻繁に起こり得るものなんだが、ほら、年が年だ。警戒し過ぎるに越したことはないと動き出した矢先、かつて父を助けたという君たちが現れた。これはもう偶然では片付かない。私は、私はヤナギの霊の出現を確信した。そして君たちは、君たちは既にそれに出会っているのだろう?」

「ええ、会ってるわ」

「頼む、その事を私たちに詳しく話してくれ。私たちがここに呼ばれた理由の一つはそれの解決にあるんだ。もうこれ以上生徒を犠牲にしてはいけないから、だから頼む、私たちに協力してくれ」

 語るに落ちるといった程ではないが、少しずつペースの上がっていく英一の語りには余裕が見えなくなっていた。そんな英一の真剣な表情に花子は「はん」と腕を組む。

「なによ、ちゃんとした目的があってここに来たんじゃないの」

「ああ、そうだ。いや、人が足りていないというのも本当の話なんだがね。頼む、我々に協力してくれ」

「いいわよ、ただしアンタらが私たちに協力するの、分かった?」

 尊大な態度の花子に向かって英一が頭を下げる。おお、という騒めきが生徒たちの間に広がった。

「え、英一様! こんな下賤の輩に頭を下げる必要などありません!」

「おい部長、待てって! そんな簡単にコイツらを信用すんじゃねーよ!」

 太郎と詩織が声を張り上げる。その時、廊下の端に集まっていた生徒たちの隙間から一人の女生徒が飛び出してきた。

「英一様! 八田英一様!」

 スラリと背の高い女生徒だった。黒のショートヘアと相まってか、足の長い彼女は周囲にボーイッシュな印象を与えている。高い鼻にアーモンド型の大きな目。ファッションモデルとして活躍する大場亜香里は心霊現象研究部の現部長だった。

「やぁ、亜香里さんだったね。そうか、君はまだ高校生だったのか」

「はい。ああ、英一様、私などの事を覚えていて下さったのですね」

「本殿でよく見かけていたからね」

「身に余る光栄です」

 媚びるような声色である。そんな亜香里の態度に詩織は嫌悪感を露わにした。

「英一様が我が校の教員になって下さるとお耳に挟みまして、居ても立っても居られなくなった私はこうして貴方様の元へと駆け付けてしまったのです」

「いやいや、私はただの臨時教員だよ。そんなに大層なものでもないさ」

「いいえいいえ、大変に畏れ多いことです。英一様の有難いお言葉を授業でお聞きする事が出来るなど、ああ、私どもの身に……」

「つーかアンタ誰よ」

「お前が誰だよ」

 呆れたような花子の視線に亜香里の声色が激変する。凍えるような沈黙の訪れ。二人の視線の重なりが廊下の温度を氷点下へと近づけていく。昼休みの終わりを告げるチャイムがやっと凍りついた空気を動かすと、ほっと息を吐いた生徒たちは慌てたように自分たちの教室へと戻っていった。亜香里から視線を逸らした花子は英一に向かって顎をしゃくる。

「今日は用事があんの、だから超研の始動は明日からよ。会長の説得、失敗すんじゃないわよ」

「お、お前! なんだその口の聞き方は!」

 目を見開いた亜香里が怒りの声を上げる。だが、花子は意に返さない。歩き始めた花子の後に太郎が続くと、二人の背中を追うようにして英一が声を上げた。

「なぁ花子さん、父さんを許してやってはくれないか」

「はあん?」

「確かに父さんは、息子の僕から見ても大きく歪んでしまっているように見える。でもね、本当は悪い人ではないんだ。ただ、僕らとは違って何も知らなかったんだ。何も知らないままにヤナギの霊に人生を狂わされてしまった。そんな可哀想な人なんだよ。だからさ、もしまた君がかつての父さんと出会ったのなら、その時はまた父さんを助けてやって欲しいんだ。身勝手だとは思う。本当に申し訳ない。でもね、いやほら、はは、僕だって出来る事ならこの世に生まれてきたいからさ、だから……」

「考えとくわ」

 やれやれと片手を上げた花子の背中に向かって英一は静かに手を合わせた。




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