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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第二章

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富士峰高校の亡霊


 富士峰高校2年E組、三原麗奈。

 平均身長。ショートのアッシュブラウン。タレ目から覗く栗色の瞳。趣味は読書と植物観察。内向的で人付き合いが苦手。

 学校でのあだ名は「王子」



 帰りたい……。

 三原麗奈は開け放たれた窓の向こうの青空を見つめた。

 夏の晴天。教壇に立つ大森三雄の声が涼しい風の舞う教室を流れる。

 黒板に並べられた数字の羅列。教壇を横目に見た麗奈の頰が恐怖で青ざめる。数2Bは麗奈にとって未知の学問だった。

 麗奈の真後ろに座るポニーテールの女生徒。大野木紗夜は今朝から何処か様子のおかしい親友を心配していた。

 夏風に靡くショート。日差しに煌めく艶やかなアッシュブラウン。唇を結んだ沙夜は惚けたように空を見上げる親友の肩にそっと手を伸ばした。

「これ、授業に集中なさい」

 ビクッと体を震わせた紗夜は前を向く。心ここにあらずの麗奈は窓の外を見つめたままである。

「三原さん。貴方に言っているのですよ」

 小さな欠伸。

 何処か遠くの国に行きたいなぁ、と麗奈は空に浮かんだ白い雲にまどろんだ。

「三原さん? おーい、三原さーん!」

 トンビが空を旋回する。ゆっくりと遠くを流れていく入道雲。蝉の鳴き声に耳を傾けていた麗奈は、背中に触れた紗夜の指にビクッと体を硬直させた。

「ひゃ!」

「おはようございます」

 眼前に迫る痩せた男の頬。背筋を伸ばして立ち上がった麗奈は困惑したように首を傾げた。

「……朝ですか?」

 ドッ、とクラスに笑いが広がる。三雄のため息。麗奈の髪を見上げる紗夜の表情は固い。

「はぁ、やっと目が覚めたようですね。では、問題を解いて貰いましょうか」

 呆れたように口を半開きにした三雄の痩せた指の先が黒板に向けられる。アルファベットと数字の羅列。何やら複雑な円の図形が禍々しい。

「頑張れ、王子ー!」

「王子なら解けるって!」

 クラスメイトたちの声が麗奈の耳に届く。背中にじっとりと汗をかいた麗奈は、ふらふらと目を左右に振りながら必死に黒板の数字を眺めた。

「あ、あ……2?」

「全然違います」

 クラスを呑み込む爆笑の渦。

「おしいぜ!」と隣の席の男子生徒が笑い掛けてくると、目を回した麗奈はふらっとバランスを崩した。

「三原さん、大丈夫ですか?」

「おい、三原?」

「ヤバいよ! 王子、キャパオーバーだ!」

「先生、麗奈の調子が悪そうなので、私が保健室に連れて行きます」

 立ち上がった紗夜が麗奈の体を支える。全身に嫌な汗をかいた麗奈は吐き気を堪えながら教室を出ていった。

「うっ……うっ……」

 保健室に辿り着いた麗奈はベットに座り込んで嗚咽を始めた。養護教諭の藤元恵美がヨシヨシとその頭を撫でる。麗奈の手を握り締めたまま紗夜は唇を結んだ。

「どうしちゃったのよ、麗奈ちゃん」

「ううっ……」

「紗夜ちゃん、何かあったの?」

「その……」

 紗夜は、千夏から聞いた話をそのまま言ってしまおうか悩んだ。そして、慌てて首を横に振る。万が一にもその疑いがあれば、麗奈の身に降り掛かる厄災は計り知れないだろう。親友をそんな目に合わせてはならないと、紗夜はグッと奥歯を噛み締めた。

「どうしたの?」

「そ、その……」

「もしかして、何か言えないような事なの?」

「い、いえ……」

「大丈夫だから話してみて? ねぇ、三原さん、大丈夫だから、胸の内を全部ぶちまけてみて? ね?」

 恵美の眩い笑顔。優しげな中年女性の微笑みが麗奈の陰鬱な心に微かな灯火を与える。顔を上げた麗奈は涙で濡れた頬を袖で拭きながら震え続ける唇をそっと縦に開いた。

「せ、先生……」

「ん、どうしたの?」

「ひっく……先生……ぼ、僕……」

「僕?」

「僕……三原さん……じゃ、ないです……」

「……え?」

「僕……僕……うっ……み、三原さんじゃ……」

「麗奈!」

 バッと紗夜の両腕が麗奈の体を包み込んだ。ベットの上に倒れる二人。麗奈の頭を撫でていた恵美はその丸い手を宙に浮かべたまま呆然と麗奈の髪を目で追った。

「三原さん……」

「ち、違うんです、先生! 麗奈は今日ちょっと風邪気味で!」

「も、もしかして、貴方、憑かれて……」

「麗奈!」

 慌てて体を起こした紗夜が麗奈の腕を掴む。恵美ははっと腕を伸ばした。

「ちょっと、三原さん!」

 麗奈を立ち上がらせた紗夜は扉に向かって腕を伸ばした。二人を止めようと恵美は声を張り上げる。

「お待ちなさい! もしも憑かれているのならば、すぐに本殿に……」

「麗奈、行くよ!」

 ダンッ、と保健室の扉を叩き開けた紗夜は麗奈と共に廊下に飛び出した。授業の終わりを告げるチャイム。フラつく麗奈の体を支えた紗夜はその手を強く握り締めると旧校舎に向かって走った。

「大丈夫だからね、麗奈!」

「い、痛い! 痛いよ!」

「大丈夫、大丈夫」

「痛いってば!」

 バッと紗夜の手を振り払った麗奈が立ち止まる。紗夜はハァハァと荒い呼吸を繰り返しながら麗奈を振り返った。

「麗奈! 早く逃げないと!」

「なんで?」

「何でじゃないよ! 何呑気なこと言ってんの!」

 紗夜の瞳が涙で滲む。麗奈もとい障子は激しい興奮状態にある女生徒から離れようと身を後ろに引いていった。

「お、落ち着いて……」

「麗奈! お願いだから走って! 逃げるのよ!」

「だから、逃げるって何から……」

「心霊学会からよ! もう心霊現象研究部の奴らに目を付けられているかも知れないの!」

「……はぁ?」

「大丈夫、麗奈、大丈夫よ……! 演劇部の部室に逃げ込めば、奴らも手出し出来なくなるわ……!」

 紗夜の瞳が異様な光を放つ。ゾッと背筋に冷たいものが走った麗奈は、早くこの異常者から逃げなければ、と旧校舎とは反対方向に走り出した。

「待ってよ! 麗奈ぁ!」

 怨霊のような悲鳴が背後から迫ってくる。麗奈は必死に腕を振った。

「わ、王子」

 風鈴ように涼やかな女生徒の声。階段を駆け上った麗奈の瞳に、姫宮玲華の赤い唇と、その隣を歩く宮田風花の縁なしメガネが映った。

「ひ、姫宮さん?」

「王子、何かあったの?」

「姫宮さぁん」

 麗奈の瞳に涙が溢れる。やっと自分を知る人間に出会えた事への安堵。玲華の体に抱き付いた麗奈はしゃっくりを上げて泣き始めた。

「ひっぐ、姫宮ざぁん」

「うわあ、王子ったら大胆」

「ひっぐ……ひっぐ……」

「でも、大丈夫そうで良かったよ、王子」

「ひっぐ……ううっ……だ、大丈夫そうって?」

 ほっと胸を撫で下ろす玲華に、麗奈は訝しげな視線を送った。

「何処も変じゃないよね? うんうん、無事で何より」

「ねぇ……ひっぐ……どの辺が無事なの?」

「それでね、今から私、副会長さんと一緒に王子様研究部の部活申請に向かうんだけど、王子も一緒に来てよ」

「頭、大丈夫?」

 スッと涙の止まった麗奈は玲華から体を離す。冷たい視線。玲華の隣に立つ風花の瞳に恐怖の影が差した。

「玲華様、この人って……」

「玲華様!?」

 麗奈の仰天の声。ビクリと風花の肩が震える。

「れ、玲華様、この人、三原麗奈さんじゃ……?」

「うん、王子だよ」

「な、何故、玲華様ほどのお方がこんな怖い人と」

「王子だからだよ」

「玲華様、駄目です! こんな危険な人と関わっては!」

「どうして? 副会長さんも、王子を助けようとしてたでしょ?」

「わ、わたくしが、いつ?」

「ほら、夜の夢に迷い込む前、副会長さん、王子を保健室に連れて行ってくれたんだよね」

「え……あ、あれは王子じゃなくて、障子くんで……」

「その障子くんだよ。今、麗奈さんは障子くんなの」

「そ、そうだったのですか……!?」

 本当に、この世の会話なのだろうか……。

 二人を見つめたまま麗奈は呆然と肩を落とした。

「障子くん……?」

 恐々と腰を下げた風花が麗奈を見上げる。

「う、うん……」

「障子くん!? ああ、良かった、無事で……」

「だからどの辺が無事なの?」

 自分の膨らんだ胸を見下ろした麗奈はため息をついた。

「あっれぇ?」

 甲高い男の声が背後から響く。振り返った麗奈は悲鳴を上げた。

 ワックスで整えられた猫っ毛の天パ。ダボダボの腰パン。ヘソの辺りまで開けられた制服のボタン。少し背の低い男子生徒。

 ズボンに両手を突っ込んだ吉田障子がニヤついたような表情を浮かべる。麗奈は妙な格好をした自分の姿を目の前にして気を失いそうになった。

「あ……あ……」

「玲華ちゃん、その美人さんってお友達ぃ?」

「……は?」

 麗奈の表情がサッと固まる。ドン引きしているのか、玲華の表情も強張っている。

「ちょっと玲華ちゃーん、俺に紹介してよぉ」

「……無理かな」

「ええっ? そりゃないぜ、玲華ちゃん」

「……」

 訪れた重苦しい沈黙に、青ざめていた麗奈の頬が赤く染まっていく。

「ちぇ、たく、しゃーねーな……」

 うほん、と咳をした障子はポケットから右手を出すと、ワックスで固められた前髪をかきあげた。

「あー、俺の名前は吉田障子。君のお名前は?」

 髪をかきあげたまま障子は左手を差し出す。麗奈が一歩後ろに下がると、障子は一歩前に出た。

「君、めっちゃ可愛いね? 彼氏とかいるの? あ、因みに俺、彼女募集中でーす!」

 麗奈はふるふると首を横に振る事しか出来ない。見兼ねたように、玲華が二人の間に割って入った。

「ちょっと、君、しつこいよ?」

「え?」

「さ、王子、行きましょ」

 腕を引っ張られた麗奈の頬は茹で蛸のように真っ赤である。風花の不安げな表情。ポカンと目を丸めていた障子はあっと口を縦に開く。

「そっか、玲華ちゃん、焼いてんだ」

「……は?」

「大丈夫だって安心して、俺、玲華ちゃん一筋だからさ」

「……」

「愛してるぜ、玲華。愛しのマイハニー」

 障子のウィンク。極寒の潮風よりも冷たい冷夏の視線。

 ぐわっと振り上げられた麗奈の手のひらが障子の頬を貫いた。



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