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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第一章

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風が吹けば

 

 柔らかな布団。朝の静けさ。

 はっと睦月花子は目を開ける。枕元のスマートフォン。朝日が部屋を明るく照らしている。

 体を起こした花子は辺りを見渡した。見慣れた部屋。脱ぎ散らかされた制服。目覚めたばかりの重たい頭を振った花子は、枕元で軽快な音を鳴らすスマホに向かって右手を伸ばした。

「部長!」

 野太い声が朝の空気を震わす。スマホを耳に近づけた花子は壁に掛かった見覚えのないポスターに首を傾げた。

「何よ?」

「ああ、良かったっす! 無事だったんっすね!」

「誰よ?」

「新九郎っす! チクショウ、マジで良かった……ううっ部長ぉ……」

 鴨川新九郎の嗚咽がスマホ越しに花子の鼓膜を震わせた。ポスターに並ぶ和服姿の男たち。首を傾げたまま花子はふっと息を吐く。

「新九郎、アンタも無事で良かったわ」

「あざっす!」

「他の皆んなは無事なの?」

「超研メンバーは無事っす! 生徒会とかは分かんねっすけど」

「……アンタ、なんか変じゃない?」

「え、変ってなんすか?」

「まぁいいわ。学校で落ち合いましょう」

「うっす!」

 スマホの電源を切った花子がベッドを降りる。机に置かれた四角い板。棚に並んだ見覚えのない雑誌。和服姿の男たちを横目に睨みながら花子は部屋を後にした。

 七月の晴天。朝の風が心地良い。

 スクールバックを片手に通学路を歩く花子はまだ何処か夢見心地だった。夜の学校での死闘が遠い昔の記憶のように薄い。心躍ったあの瞬間は夢だったのだろうか。青い空を見上げたまま花子は大きく欠伸をした。

「部長!」

 響きの良い低音。振り返った花子は腹の底から息を吐き出した。

「ゆ……ブハッ、ゆ、憂炎……イヒヒッ。ア、アンタ、なんて格好してんのよ!」

 憂炎こと太郎はムッと眉を顰める。短い黒髪を前で分けた田中太郎は、横幅の広いスクエアメガネの縁に中指を当てると、クイッと持ち上げて位置を直した。

「別に変じゃねーだろ」

「ゆうっ、ブハッ、アンタは受験生か!」

「ちげぇって! これがねぇと何も見えねーんだよ!」

 クイクイと太郎はメガネを動かしてみせる。腹を押さえた花子の笑い声が青空に向かって飛んでいった。

「イヒヒ……」

「クソッ! つーか、部長の方は変わりねぇの?」

 むくれたように腕を組ながらも、太郎は何処か心配そうに花子の五体を流し見た。繋がった右腕。スカートから伸びる小麦色の足。刺された腹の傷は制服の上からでは確認出来ない。

 はん、と笑った花子が左足を前に出す。スッと前に伸ばされる右腕。花子の右拳が電柱を貫くと、コンクリートの破片が飛び散ると共に電柱が倒れた。

「うおおい! 何やってんだ!」

「ふんっ、この通りよ」

「この通りよ、じゃねーよ! 逃げるぞ!」

 駆け出す二人。カーテンを開けた住人の一人が道を塞ぐ電柱に驚きの声を上げる。

 学校前の交差点に辿り着いた太郎は荒い呼吸を繰り返しながら、涼しそうな顔の花子を睨み付けた。

「アンタなぁ」

「何よ?」

「何よ、じゃねーよ! つーか、素手で電柱を破壊すな」

「いいこと、憂炎。幼馴染のいる黒髪美少女JKならね、正拳突きで電柱を壊すくらいスタンダードなのよ」

「いやアンタ、美少女じゃねーし幼馴染もいねぇだろ……」

 信号が青に変わると、ため息をついた太郎は花子と共に歩き出した。七時前の通学路。学校に近づくに連れて他の生徒たちの数が増えてくる。

「へ?」

 富士峰高校の正門に辿り着いた花子は素っ頓狂な声を上げた。正門前の小道が生徒たちの長い列に塞がれていたのだ。学校を囲うコンクリートの壁。異様に高い門扉の下で生徒たちがクルクルと回転する扉を潜り抜けていく。

「何よ、これ」

「さぁ?」

 最後尾に立った二人は目を見合わせた。生徒たちの波が前に進む。ペースは速い。回転扉に近づいた花子はまた声を上げた。

「何よ、あれ」

 回転扉の前に設置された平面の機械。それに何かをかざす生徒たち。振り返った花子は後ろに並ぶ女生徒に首を傾げた。

「皆んな何してんの?」

「え?」

「何をかざしてんのよ!」

「えっと、学生証ですけど……」

「はあん? 何で学生証なんて……」

「いいから行くぞ」

 太郎が花子の腕を引っ張る。回転扉の前で立ち止まる二人。スカートのポケットに手を伸ばした花子は、指に触れた学生証に驚いて目を見開いた。

「はあ? こんなの持ってなかったわよ?」

「いいから」

 校庭に足を踏み入れた花子と太郎はキョロキョロと辺りを見渡しながら校舎に向かって歩みを進めた。

「バタフライエフェクトだ」

「何ですって?」

 深刻そうな太郎の声に花子は首を横に捻る。

「過去を動かしたから、今が変わったんだ」

「何でよ、ちょっと学校破壊しただけじゃない」

「ちょっと……?」

「花子!」

 少し高い男の声が校庭に響いた。立ち止まった太郎は小太りの男を見る。野太い眉。おにぎりのような三角形の頭。

「何よ、久しぶりじゃないの」

 花子は目を丸めた。

「何が久しぶりだ、今日は随分と遅いじゃないか」

「誰だコイツ?」

 太郎が小太りの男に向かって首を傾げる。

「幼馴染の元太よ、好きな食べ物はうな重」

「このおにぎり君が幼馴染だって?」

「悪い?」

「い、いや……」

「まぁ、最近は話すこともなかったんだけどね」

 やれやれと花子は腰に手を当てた。三角頭の男は昔の芸人のような仕草でツッコミを入れる。

「て、誰が元太だよ! 僕の名前は新一だ、宮藤新一! 因みに好きな食べ物は海老ピラフだ!」

「うな重にしとけっての、たく……。てか何の用よ? 話しかけて来るなんて珍しいじゃない」

「珍しい? 頭でも打ったか?」

「はあん?」

「まあまあ、取り敢えず元太くんの話を聞こう」

 メガネの位置を直した太郎が、花子と新一の間に割って入る。新一は坊主頭を掻いた。

「だから新一だと……まぁいいか。それより花子、奨励会編入試験はどうするんだ?」

「……は?」

 聞き慣れない言葉に花子の首が横に倒れる。

「奨励会編入試験だ! 藤元先生の推薦を貰っただろう?」

「ショウレイカイ? フジモトセンセイ?」

「ほ、本当に頭を打ったのか? しっかりしてくれよ! 君は女性初のプロ棋士となれる器なんだぞ!」

「だーから! 訳の分かんない事ほざいてんじゃないわよ!」

 花子と新一が睨み合う。その間に太郎が両腕を挟んだ。

「その、元太くん。部長……いや、睦月さんの部活って何かな?」

「ん? 将棋部だが?」

 新一の太い眉がクイッと持ち上がる。太郎の頬がサッと青ざめると、花子の頬が真っ赤に染まった。

「ざけてんじゃないわよ! 私は超自然現象研究部に身も心も捧げてんのよ、このアホンダラ!」

「な、何を言ってるんだ! 君は身も心も将棋に捧げてきたじゃないか!」

「捧げてたまるもんですか! この世の真理を解き明かすのが私の使命なのよ!」

「この世の真理だって? 君が求めるものは神の一手だろ!」

「か、神の一手……?」

 トクン、と花子の心臓が跳ねた。

 なんて壮大な響き……。

 思わず将棋に身を捧げてしまいそうになった花子は勢いよく首を横に振った。

「いいこと、元太。私はね、超自然現象研究部の部長なの。将棋なんかにかまけている暇はないのよ」

「だから新一だと……。それより何だ、超……部って?」

「超自然現象研究部よ! 私たちはね、心霊現象のエキスパートなの」

 ふふん、と花子は胸を張った。新一は困惑したように頭を掻く。

「そんな部活知らんぞ? 心霊現象研究部なら知っているが」

「……は?」

 胸を張ったままに固まる女。太郎はゴクリと唾を飲み込んだ。

 


 最初に目に入ったのは桃色のカーテンだった。甘い花の匂いがするベット。体を起こした三原麗奈は不安げに辺りを見渡す。

 見慣れない部屋。桃色の空間。自分の膨らんだ胸に視線を落とした麗奈は涙が溢れそうになるのをグッと堪えた。まだ夢の中にいるのかな、と麗奈はギュッと瞼を閉じる。

 ドンッ、扉が叩かれる音が部屋に響いた。布団を胸元に引き寄せた麗奈は体を丸めた。

 ドンッ、ドンッ、とリズミカルに叩かれる部屋の扉。布団を口元まで引き寄せた麗奈は母を想った。だが、顔が思い出せない。涙の浮いた瞼を閉じた麗奈は必死に誰かに向かって助けを求めた。

「お姉ちゃん! 遅刻しちゃうよ!」

 少女の声だった。鈴のように軽やかな声。聞き覚えのある声に麗奈はそっと顔を上げた。

「入るよ!」

 声よりも先に開く扉。三原千夏の眩い笑顔が麗奈の濡れた瞳に瞬く。そっと布団を下げた麗奈は、やはり夢なのではなかろうか、と自分の頬をつねった。

「何してんの?」

 千夏が首を傾げる。サラリと流れる長い黒髪。頬を真っ赤に染めた麗奈はまた布団を口元まで持ち上げた。

「もしかして調子悪い?」

 布団を持ち上げたまま麗奈はコクリと首を縦に動かした。その瞳から大粒の涙が溢れると仰天した千夏は飛び上がった。

「ええっ、お、お姉ちゃんが泣いてる! ほんとどうしちゃったの?」

 ベッドに駆け寄った千夏は麗奈の肩を揺すった。吐息がうなじに掛かる距離。千夏の桃色の唇に目を回した麗奈が声を上げる。

「ち、近いよ!」

「ん?」

「そ、その、大丈夫だからさ」

「何、その喋り方?」

「あ、えっと……」

 麗奈もとい障子は口をつぐんだ。説明の出来ない状況。何故か千夏は自分を姉だと勘違いしているらしい。その事実だけを麗奈はうっすらと理解した。

「その……」

「もしかして、お姉ちゃん、憑かれてる?」

「疲れてる?」

「大変だっ!」

 大きな目を見開いた千夏がベッドの上で姿勢を正す。静かな呼吸音。そっと両手を合わせる少女。麗奈は口を半開きにしたまま千夏の顔を下から覗き込んだ。

「祓え給え! 禊ぎ祓え給え! 怨霊祓え給えぇ!」

 両手を前に掲げる妹。困惑したまま固まる姉。

「どう、良くなった?」

「う、うん……」

 千夏の眩い笑みに、麗奈は苦い笑みを浮かべた。


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