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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
最終章

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260/261

彷徨う舞台


 Y市議会議員の園田勇夫は、名前とは裏腹な小さな目を神経質そうに瞬かせると、校庭に並んだ死体を見下ろした。この学校の制服を着た者たちから、暴走族であるらしい珍妙な格好の者、明らかに日本人ではないブロンドの女性が三人、背の高い老人、そしてあの男。勇夫は、特に傲慢な顔付きをした肩の広い男の胸にドンと足を乗せた。

「──おい、そいつは本当に」

 彼は警視庁警備局警備企画課長である古い友人と通話中であった。だが勇夫は、その能面のようなのっぺり顔を死体に向けたまま、思案に明け暮れる。

 国の機密事項である巫女と青い海の深み──。

 それらは日本が世界大戦に敗れ、米国という外からの強大な支配の下に新たな国として歩かされる遥か昔から秘匿とされてきた、禁忌の一つであった。各地方ごとに古くからの守り手が存在し、他国に悟られることなく、さらには地方同士であっても交わることのないほどの強固な秘儀として隠されてきた。

 ゆえに特色が強い。

 戦後七十年、いいや、この日本という国が誕生してから二千と数百年、決して口外されることなく連綿と受け継がれてきた伝承である。

 もはや呪いに近い。

 だが、人が決して死に抗えぬように、この問題は防ぐ術がないそうだ。そしてここY市においては特に、この青い海の深みは異様に捻れ、萎み、絡み合い、溶け、複雑な色を成した、悍ましい怪物へと変貌を遂げていた。その最たるものが今、まさに勇夫の目の前で切り倒されたシダレヤナギの老木である。

 いったいそれを放置する羽目になった原因の一つはあの日本史上における特異点とも呼べる第二次世界大戦における敗北であったが、小野寺文久という傲慢の王の存在もまた、事態を複雑怪奇へと導いた元凶だった。

「──聞いてるのか?」

 勇夫は枯れゆくヤナギの木を見下ろした。

 いわく空襲で死んだ女生徒が取り憑いているとされる老木である。子供時代、この学校に通っていた際、その噂話を聞いた彼は鼻で笑ったものだった。しかし歳を取り、様々な事を聞き知り、己の立場というものが形成されると、それも嘲笑できなくなる。実際に代々国に仕えるという巫女と会う機会を得、魂と青い海の存在を知った彼は、逃れられぬ恐怖を前に表情を無くした。死を間近に感じるようになった。永遠の生を求めるようになった。そしてなんと、その方法があるという──。日本という国の本当の闇を知った彼は縋った。

「──おい!」

 携帯を下ろした勇夫は表情を変えぬままに小野寺文久の顔を蹴った。体格の良い文久に対して勇夫は小柄だった。だが、すでに死体である彼を踏み付ける分には問題ない。

「園田様」

 ぬっと乾いた手が勇夫の肩を押さえる。その意外にも強い力に顔を顰めた勇夫は手の主を振り返った。おそらくは六十過ぎか。ボサボサと毛先の絡まった黒髪の女は日本人ではなかった。大陸の巫女だという。彼女は数十年前に、他ならぬ文久に紹介され、以後頻繁にその力に頼ってきた。当然ながら信用など一切ない。彼女の素性や動向は調べ上げている。ただ使い勝手がいいのは確かだった。何より国の管理下にある日本の巫女からでは知り得ぬ情報を彼女は持っていた。

「この男、殺したいですか。燃やしましょうか」

「必要ない」

 勇夫はやっと自分が肩で息をしていることに気が付いた。冷静さを取り戻そうと深く胸を落とし、額の汗を拭う。そういえば友人である警備企画課長と話の途中であったなと思い出し、携帯をまた開こうとしたが、止めた。友人の部下であるSATの隊員たちもまた校庭の隅に転がっている。彼としてはこれ以上の深入りは避け、これまで通り、なるべくなら傍観者の位置に立っていたかった。

 この一連の騒動──神道霊法学会における数々の不祥事から、木崎隆明による衆議院議員小野寺文久に対する選挙演説銃撃事件、そして富士峰高校における生徒と教員を人質に取った学校占拠は、重大なテロ事案であるとして国が動いた。それは当然の結果であろうと勇夫は考えている。だが、どうにもきな臭い。彼は小野寺文久という男の恐ろしさをよく知っていた。

 古い友人の伝手と、ここY市における彼の立場、さらには守り手であったという一族の名を用い、テロ組織と交戦中であるという名目の富士峰高校に忍び込んだ。そうして小野寺文久の姿を目にし、確信する。傲慢なる王がまた何か良からぬ企みを起こそうとしている事を──。

 警察組織の上層部には巫女の存在を知るものもいた。国の中枢も同じ。そして勇夫のいるこの土地は巫女の生まれる青い海の深みに位置し、戦後、どうにも異様な事態が発生しているという話はすでに広まっていた。しかし解明が難しく、全体像が把握できない、危険度が測れないとして放置されていたのだった。何より敗戦後の日本はそれどころではなかった。

 あの生徒集団失踪事件が起こった際には流石の国も動きを見せた。だが、ことは特殊管理事案である。死後の青い海の存在が知れ渡る事態は民間への影響があまりにも大き過ぎるとして、事件の解明よりも事件の隠匿に国は必死となった。そうこうする内に小野寺文久という男が台頭してくる。大人となった王の手腕は凄まじく、その獰猛さ、鋭敏さ、執拗さ、カリスマ性、強欲、王の傲慢さが、国の干渉の妨げとなった。

 勇夫は校舎を見上げた。

 校庭を囲む壁の向こうの喧騒は凄まじい。だが、死体の並んだ壁の内側は、花壇で揺れるマリーゴールドの黄色い葉擦れが心地よいほどに静かである。

「その夜の校舎とやらに、彼らは本当に突入したと」

 勇夫は振り返らず、そう問いかける。彼の背後には大陸の巫女と、そして銀色の髪をしたそばかすの多い西洋の少女が立っていた。

「シタ」

「何故、分かる」

「彼ラノ魂ハモウ闇ノ中」

 そう言って銀髪の少女はSATの隊員たちに短い指を向けた。

 少女は魔女であるという。この異様事態を熟知していた小野寺文久は巫女と魔女の力を行使し、曰く、夜の校舎と呼ばれるこの世とあの世の狭間に何度も侵入を繰り返したそうだ。噂では過去を変えようとしていたらしい。さらにはヤナギの霊という怨霊さえも使役していたという。そして不死の法を探していたとか──。

 あまりにも馬鹿らしい話だった。だが、小野寺文久という厄介な男がこの学校に執着していたというのもまた事実。その目的が分からず、ゆえに警戒せざるを得なかった。情報が不足していた。

 勇夫は特殊急襲部隊SATの隊員たちに目を移した。夜の校舎への突入という、死後の世界の存在を知る勇夫でさえも馬鹿馬鹿しさのあまり眉を顰めてしまうような任務でさえ、彼らは一切の疑問を口にしなかった。体格が良く、冷静沈着。命令に従順な彼らはまさに理想の兵士と云えるだろう。それでも不安ばかりが募った。この土地を奪われ、あまつさえ心霊学会などという宗教団体まで容認させられ、小野寺文久という王と王の家来を前に成す術もなかった自分にはらわたが煮えくり返った。

「私も行きましょう」

 勇夫はその能面のような顔に汗を滴らせた。本来であれば慎重な男。そんな彼がここまで大それた行動を起こした理由はひとえに焦りだった。

「その夜の校舎とやらに」

「はい」

「ハイ」

 大陸の巫女と銀髪の魔女が同時に頷く。巫女は変わらず粗野な老婆であった。だが、魔女の方はクスリ、クスリ、と気味の悪い笑みを浮かべている。

 勇夫は一瞬、躊躇いそうになった。

 だが、もはや自分の目で確かめるより他ない。切り倒されたシダレヤナギを見下ろし、小野寺文久の顔を踏み付けつつ、勇夫はふぅと目を瞑った。



「ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバ過ぎる」

 徳山吾郎は先ほどから鼻の上にズレた黒縁メガネを直そうともせず、コーヒーの香りの漂う理科室の中をグルグルと歩き回っていた。

「最悪だ。終わりだ。もう僕たちは終わりだ。やっぱり関わるべきではなかったんだ」

「落ち着け」

「これが落ち着いていられるかァ! 僕たちは国に目を付けられてしまったかもしれないんだぞォ!」

「確証はない」

「何十人という子供の死体が隠されたんだ! 彼らは行方不明ということにされた! そ、そんな事、国が関わらねば絶対に不可能な話だ!」

 吾郎は在らん限りに肩を怒らせると、しかしすぐに「ふぐぅ……」と陸に上がったフグのように萎んでいき、ガクリと力なく床に横たわってしまった。鈴木夏子が慌てて彼に歩み寄る。彼愛用の黒縁メガネが床を転がるも、それを拾おうともしない。取り敢えず夏子はヨシヨシと吾郎の頭を撫でた。

「終わりだ……。もう何もかもお終いだ……。僕たちも行方不明者として国に処理されるんだ……」

「そうならぬ為にも、今すぐ立ち上がらねばならん!」

 バサリと野洲孝之助の純白の特攻服が音を立てる。ギラリと眼に炎が上がる。カツカツと木崎隆明に歩み寄った孝之助は、陰気に肩を落とした彼の顔を上げさせるように、その胸ぐらをグイッと掴み上げた。

「キザキさん、俺たちは過去を変える! その方法を教えろ!」

「落ち着け」

 木崎は泰然としていた。すでに出来上がったフラスコの中のコーヒーを透明なビーカーに移すと、それを孝之助に手渡す。漆黒に見えたコーヒーは陽にかざすと意外にも薄く、影が宙に浮いているようだった。普段はコーヒーなど飲まない孝之助であったが、今はやはり吾郎と同じように内心激しく動揺しており、味などに構わずかぶり付くようにして熱いビーカーの中身を飲み干した。

「さぁ落ち着いたぞ! では今すぐ過去を変える方法を言え!」

「やはりここは深過ぎるんだ」

「何?」

「もう、どうしようもない」

 木崎は飲みかけのコーヒーを理科台に置いた。普段よりさらに項垂れたような声だった。

 そんな彼が軽く手を振る。すると僅かに遅れて銃声が響いてくる──ような気がした。何事かと孝之助は廊下を振り返り、夏子もまた飛び上がって身構える。しかし木造の校舎はいつもと変わらぬ静寂の中にある。

 木崎の影が広がった。彼はそっと夏子の頭に手を置いた。その腫れぼったい眼を少し開き、乾いた唇を横に広げる。それは情と無情の間、愛と憎悪の重なった、喜悦とも後悔とも、希望とも絶望ともつかぬ、彼らしいといえば彼らしい、何処か遠くを見るような表情だった。

「なっちゃん、ごめんね」

 全てが唐突であった。

 ビクンと夏子の背筋が跳ね上がると、空色の瞳に灰色のモヤが掛かる。そうして糸の切れた人形のように彼女の体が崩れる。

 春の終わり。夏の手前。しっとりとした空気の中にコーヒーの香ばしい匂いが漂った。

「どうした?」

 孝之助は慌てて彼女に駆け寄った。「大丈夫か?」と彼女の意識を確認する。灰色に濁った瞳。眠っているわけではない。彼女が呼吸をしていない事に孝之助はすぐに気が付いた。まさか、とその温かな首元に手を添える。その肌から鼓動は伝わってこない。そんな筈はない、と彼女の手首を握る。やはり命の震えは感じられない。

 しばし呆然として孝之助は動きを止めた。だが、すぐに燃え上がる怒りに目を見開くと、陰気な影を広げたままの木崎隆明という男に飛び掛かった。

「貴様ッ!」

 その時、白い雪が舞った。

 極寒の風がコーヒーの香りを吹き飛ばした。

 木崎に掴み掛かった孝之助は、しかし吹雪に怯み、ドンと何かに押されると、後ろによろけてしまった。すぐに体勢を立て直した孝之助であったが、目の前の光景に唖然として固まってしまう。木崎の胸に真っ青な氷の槍が突き刺さっていた。

「なっちゃん──」

 五人目のヤナギの霊。大野木紗夜がそこにいた。彼女の両眼は白く濁り、その肌は夜の雪のように白く、ゆらゆらとした冷気が凍り付いた制服から大気を揺らしている。

「どうして──」

 紗夜の絶叫が夜の校舎を木霊する。

 だが、その悲痛な叫びは、雪の壁の向こうから聞こえてくる歌声のように耳には残らないものだった。



 夜の校舎に現れた黒い影が群れ──特殊急襲部隊SATの動きは疾風のようだった。

 四人小隊で構成された彼らは三チームに分かれ、校舎の一階の端から端、二階へと、突入していった。

 事は特殊管理事案である。

 どんな事態にも対応しなければならない。

 厳しい訓練を積み、選び抜かれた者たちだった。突然、校舎が夜になろうとも、彼らはあくまでも冷静だった。校舎の造りが想定と違おうとも、違和感を口にする者は皆無だった。

 校舎に生徒は残っていないとの情報である。中にいるテロリストたちは全て排除せよとの命も受けている。

「今度は黒い妖ぜよ」

 小隊の一つが交戦に入った。

 いいや、交戦に入る前に排除を試みた。

 だが、失敗する。確実に脳天を狙った至近距離からヘッドショットである。それが何故か外れた。髪の捩れたカーキ色の軍服の男は明らかに現代の人間ではなかった。そしてもう一人、官帽を深く被った男は背後から迫るSATの精鋭に気付いていた。

「何だ、コイツは」

 SATの隊員の一人が呟いた。髪の捩れた軍人──花巻英樹に押し倒すのと同時である。別の隊員が援護射撃を繰り出す。さらに後方の隊員が外からの挟撃を加えようと窓に手を掛け──低く唸った。窓に触れられなかったのだ。その不可思議な事態に僅かな動揺を覚えた。

「おんしゃああああ!」

 英樹の体格は屈強なSATの隊員と比べると以下にも小柄である。にもかかわらず、しぶとい。既に顔面に幾つもの殴打が加えられていた。だが、なかなか意識を奪えない。仕方なく隊員は英樹の首に腕を回した。すると肩に強い衝撃が走る。撃たれたことに気が付いた隊員はそれでも腕の力を緩めない。SATの襲撃にいち早く気付いた官帽の軍人──来栖泰造は教室の影に身を潜めていた。しかしテロリストであろう相手は二人であり、こちらは国の精鋭四人である。ただ、狭い廊下での事。さらには夜。そして何故か外に出られない。

「おん……しっ……!」

 流石の隊員も、英樹の意識を奪えないことに焦りを覚えた。既に数発の銃弾が防弾チョッキの上から彼の体に撃ち込まれている。別の隊員は援護射撃を続けた。そんな彼の横を走り抜けた後方の隊員が来栖泰造の潜む教室に飛び込む。さらにもう一人、防弾チョッキの上からでも分かるほどに筋骨隆々な隊員が教室の中から壁を打ち破り、突入した。ともかく泰造を取り押さえようとする。しかし当の官帽の男の姿はない。この距離で見失うなどとあり得るのか──代わりに手榴弾が目の前を転がると、体格の良い隊員はすぐに横に飛び、後方から突入した仲間を守るようにして教室を飛び出た。

 カッ──と激しい音が広がった。隊員たちはすぐに反撃を加えようと体勢を整える。そうして唖然とする。気が付けば校舎は真っ白な雪に包まれていた。

「なん……だ……?」

「キエェェエイッ!」

 あっと英樹を押さえていた隊員が腕の力を強めた。そんな彼の後頭部に強い衝撃が加わる。また撃たれたか──。吹雪が彼らの視界を奪っていった。

「出るぞ」

 そんな声が聞こえた。

 すぐに冷静さを取り戻したSATの精鋭が銃口を構えた。しかし遅い。窓を破るようにして泰造と英樹が外に飛び出ると、隊員たちは慌ててその後を追った。だが、やはり窓に触れられない。外に手が届かない。校庭の景色がまるで空を見上げているようで、あまりにも遠い。

「どうなってる」

 隊員たちは呆然とした。

 流石に考えさせられざるを得ない状況だった。

 隊員の一人が別のチームへの連絡を試みる。しかし繋がらない。

 何の情報も持たされなかった彼らにとってこの夜の校舎は未知の世界に他ならなかった。

 さらに吹雪が強まると、彼らの屈強な肉体は、それでも抗えぬ冷酷な氷雪に呑まれていった。

 

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