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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第一章

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血の侵略


 怖い……重い……。

 骨髄を侵略する振動。

 どうして……なんで……こんなに……。

 背中の皮膚を締め付ける息。

 騒がしい……激しい……苦しい……。

 心臓から全身に逃げ惑う血。

 うるさい……。

 踏まれる長い髪の違和感。

 そうだ……音だ……。

 歯と歯が打つかる振動、押し潰された床のきしみ。

 昔……イヤ……オカシイ……。

 混濁する過去と未来、薄暗闇の底の記憶。

 どうして……思い出せない……。

 衝撃、熱、鼓動、痛み。

 ああ……うるさい……誰の声……。

 骨を叩く、産毛を立てる、涙を枯らす、音。



「やめろ!」

 鴨川新九郎は叫んだ。振り下される竹の刃。蹲る女生徒の腕に刺さった木剣に、田中太郎はチッと舌打ちをする。

 中国語で何かを叫んだ太郎はまた腕を振り上げると、女生徒の首目掛けて木剣を振り下ろした。新九郎の絶叫。だが、木剣は女生徒の首筋に触れる刹那、空中で動きを止めた。太郎の額を流れる汗。再度腕を振り上げる太郎の背中に新九郎が突進する。麗奈を背負ったまま太郎と共に床に倒れた新九郎は、麗奈をそっと床に下ろすと、血に濡れた木剣を握る親友の胸ぐらを掴んで持ち上げた。

「君は……君は……いったい、何をしているんだ……?」

「今、この場で、コイツを殺すんだよ」

 太郎は荒い息を吐いた。殺すという言葉に絶句した新九郎は、太郎を持ち上げたまま苦悶の表情で太い眉を捻じ曲げる。

「新九郎、離せ、まだ間に合う!」

 新九郎の腕から逃れようと太郎が身を捩る。だが、その太い腕はピクリとも動かない。グッと息を吐いた太郎は、首だけを動かして血を流す女生徒に視線を送った。顔を上げて自分の血をジッと見つめる三つ編みの女生徒。やがてヤナギの幽霊となる髪の短い女生徒は、時間が止まったかのように床に蹲る格好で固まっている。

「し、新九郎、聞け! ここでアレを殺しておかなければならないんだ!」

「き……み……は……」

「早く下ろせ! 今しかチャンスはないぞ!」

「な、なんでだよ……田中くん……」

 新九郎は太郎を見上げたまま、悲しそうに眉を顰めて首を振った。そんな親友に太郎の怒りが爆発する。

「離せ、新九郎! アレがこれからどれだけの人間を殺していくと思ってんだ! いや、お前はそんな事を知る必要はない、とにかく離せ!」

「田中くん……ちゃんと説明してくれ。どんな理由であろうと、殺すなんて許さないよ。でも、それでも、ちゃんと説明してくれよ」

「あ、後で説明してやる、だから早く下ろせ!」

「ダメだ、今、説明しろ」

 新九郎の緩まない腕力。太郎は必死にその腕から逃れようともがき続ける。腕を組んでその様子を眺めていた花子は、やれやれと首を振った。

「新九郎、取り敢えず下ろしてやりなさい」

「ダメです」

「大丈夫よ、憂炎の事は、部長として私が責任を持って警察に連れていってあげるわ」

「な、なんでだよ!」

 太郎は空中で足を振った。

「女の子を殺そうとしたんだから、当然でしょ?」

「まだ、未遂だろ! つーか、アンタが警察にいけ! 器物破損と傷害罪と恐喝罪だ!」

「憂炎、アンタ、意外と冷静ね。まーいいわ、それより新九郎、あの子の手当しなくていいのかしら?」

 はっと目を見開いた新九郎は視線を下げる。血を流したまま蹲る女生徒を視界に入れた新九郎は太郎を床に投げ捨てると女生徒の元に走った。

「き、君、大丈夫かい? ああ、すぐに血を止めないと……」

 三つ編みの女生徒の腕を新九郎が手を伸ばす。床に転がった太郎は慌てて顔を上げると、新九郎の背中に向かって床を蹴った。やれやれと首を振った花子がその腕を掴む。

「ちょ、離せって、コラ!」

「まぁ、ちょっと落ち着きなさいよ、アンタ」

 太郎の引き締まった胸元に腕を回した花子は、横から大外刈りの形で彼を床に倒した。背中から床に叩き付けられた太郎の息が一瞬止まる。彼の伸び切った腕に両足を挟んだ花子は腕ひしぎ十字固めで彼の動きを止めると、新九郎の広い背中を見つめた。

「あ、ぐ、いてぇって! 離せや!」

「往生際が悪いわね、やっちゃったもんは仕方ないでしょ?」

「違うんすって、このっ、ヤバいんすって……」

 爆音。

 太郎の叫び声を掻き消すような爆音に花子はサッと耳を塞いだ。後転して立ち上がった彼女は吹っ飛んで床に倒れた新九郎に飛び寄ると、彼の五体が繋がっていることを確認した。

 気を失ってるだけね……。

 新九郎の息と心音を確かめた花子はその足を掴むと床に仰向けに倒れて呻く太郎の胸元に向かって彼を放り投げる。顔を上げた花子は金切声を上げて燃え盛る女生徒の体に飛び付いた。



 立ち止まって目を瞑った姫宮玲華はうっと顔を顰めた。細い腕の先から滴り落ちる赤い液体が暗い廊下に広がっていく。玲華に抱き着くように身を寄せて歩いていた生徒会副会長の宮田風花は、玲華の右手から溢れる血の匂いに鋭い悲鳴をあげると慌ててハンカチを取り出した。

「あああああ! 血、血、血が……! ど、ど、どうしよう姫宮さん、大丈夫? 痛いよね? あ、ああ、し、止血を……しょ、消毒して、早くお医者さんに連れて行かないと……!」

 黒く染まる青いハンカチ。指に伝わる生暖かい感触に風花は混乱した。

 わ、私が何とかしなくちゃ……。

 痛みに顔を歪める玲華の額の汗を見上げた風花は、動揺する心を落ち着かせようとグッと下唇を噛んだ。風花の後ろで玲華の血を目の当たりにした一年生の小田信長は、早く外に出なければ、と慌てふためきながら暗い廊下に並ぶ無人の教室を次々と開けていった。

「副会長さん、もう大丈夫だから離して」

 返り血のついた風花の腕を左手で掴んだ玲華は暗闇の向こうを睨むようにして目を細めた。風花は大きく首を横に振る。

「だ、ダメです、動かさないで! ほら、まだ血が流れてる……ああ、な、なんてひどい傷、ど、どうしてこんな……姫宮さん?」

 唇を結んだ玲華が暗闇の奥に目を細める。左手を何もない空間に伸ばした玲華はまた何かを掴むかのようにその手を握りしめる。

「ひ、姫宮さんっ!」

 五本の指から溢れ出した血に飛び上がった風花は玲華の左腕に抱きついた。鋭い痛みに玲華が悲鳴をあげる。強いショックで気が動転してた風花は、涙と鼻水で頬を濡らしながら玲華の両手をギュッと胸に抱き寄せた。

「ひ、ひ、姫宮さん、大丈夫、ぜ、絶対に大丈夫だからね……」

「副会長さん、本当に痛いんだけど?」

 痛みに顔を歪ませながら苦笑した玲華は生徒会の書記である徳山吾郎の顔を見上げた。

「ねぇ、秀吉くんを連れ戻して」

「お、小田くんのことか……? いや、それよりも君、大丈夫なのか?」

「大丈夫だから、早く、夢が動く」

「動く?」

「早く」

 玲華の鋭い視線。その黒い瞳の眼差しに気圧された吾郎はふうっと息を吐くと立ち止まったまま信長の名を呼んだ。

 信長の悲鳴。水の押し寄せるような轟音。

 暗い廊下を逃げ帰ってきた信長が血の濁流に呑まれると、絶叫した吾郎は走り出した。玲華を抱き締めた風花は目を瞑る。その頭を優しく撫でた玲華は、迫り来る赤い川に血の滴る手を伸ばした。














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