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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
最終章

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255/255

元凶


 睦月花子は目を覚ましてすぐに何も見えないという単純な事実に気が付いた。さらに聴覚までもが不鮮明。何やら湿っぽく、生臭い。まるで狭い洞窟に囚われているようだった。

「おい」

「ああん?」

「おい」

 誰かに呼びかけられている。

 その声すらも薄ぼんやりとして現実味がない。

 花子は起き上がるよりも先に耳を澄ました。もしまた目が見えなくなったのだとすれば、ここは怨念渦巻く夜の校舎である、まっこと由々しき事態であろうと──。

「起きたか」

 花子は顔回りの違和感に気が付いた。何かを被せられている。視覚、聴覚、触覚、嗅覚と麻痺していた感覚が徐々に覚醒していく。そうしてやっと状況の理解に追いついた花子は「どりゃあ!」と怒声を上げながら、カボチャの仮面を剥ぎ捨てた。どうやら逆向きに被せられていたらしい。

「クソ骸骨コラッ!」

「骸骨ではない髑髏だ」

「だまらっしゃい! 気色悪い仮面被せてんじゃないわよッ!」

「仮面ではないヘルメットだ」

 清水狂介は花子の投げ捨てたカボチャの残骸を無念そうに蹴った。

 そんな彼に向かって親指を下げた花子はフンと辺りを見渡した。そこは未だ戦中の校舎のようで、ごった返す仲間たちになんとも騒がしかった。

「よぉ部長、やっと起きたのかよ」

「部長! おはようございます!」

「憂炎、秀吉! 新九郎もいるじゃない! 何よアンタら、皆んな無事だったのね」

「信長です! 皆んな無事です!」

 花子はふぅと肩の力を抜いた。副部長の鴨川新九郎を含めた部員たちは皆無事のようであり、取り敢えずホッとする。生徒会書記の宮田風花の姿もあった。さらにセーラー服姿の水口誠也、全身に包帯を巻いた長谷部幸平、"苦獰天"という新九郎のライバルチームに所属するという山田春雄、そして教室の隅には荻野新平が立っている。花子は少し驚いて、新平に歩み寄ろうとした。

「珍しいじゃないのよ、アンタみたいなクソ凶暴な男が猫みたいに大人しくしてるなんて」

「珍しいのは部長の方だろ、まさか気絶するなんてよ」

「はあん? 憂炎、今何つった?」

「気絶してたんだよ、アンタは今まで」

 花子は怪訝そうな表情で立ち止まった。そうしてすぐに先ほどの出来事を思い出す。そのあまりの屈辱感。悔しさ。額に青黒い血管を浮かべた花子は「あんのクソアマ!」と床を踏み締めた。その振動で夜の校舎が半壊しそうになる。

「コラッ憂炎! どのくらい気絶してたのよ私!」

「じゅ、十分くらいじゃね?」

「ほー? この私から十分も時間を奪うなんていい度胸してんじゃない? 覚悟しなさいよあのクソ白帽子!」

 花子はドシンドシンと床を踏み締めた。そんな怒れる彼女の前に狂介が悠然と立ち塞がる。

「待て」

「邪魔よ!」

 有無を言わせない。花子の拳が狂介の腹に突き刺さる。だが、狂介はヒラリと舞う木の葉のように捉えどころがない。

「ほんっと鬱陶しい野郎ね」

「おい、気安く俺に触れるな」

「なーにお高く止まっちゃってんのよこのカボチャ男が」

「破裂する危険があるんだ」

「おのれは爆弾か!」

 花子はギッと廊下の奥を睨んだ。延々と夜が続いている。ただ闇雲に走り回ったところで白い帽子の女の元に辿り着ける保証はない。彼女はイライラと頭を掻くと、先ほどから何故かずっと暗い表情の新九郎の肩を殴ってやった。

「オラァ新九郎。さっきから一体どうしたってのよアンタ」

 花子の肩パンにより数メートル吹っ飛んだ新九郎だったが、それでもうめき声ひとつしか上げない。ヨロヨロと立ち上がると肩を押さえながら俯いてしまう。その苦悩に満ちた表情──なんと辛気臭いことか。これは光の探究者たる超自然現象研究部副部長にあるまじき姿だと、ゴキゴキと指の骨を鳴らした花子はゴツンと、新九郎の頭に愛の鉄槌を下ろした。

「どうしたのかって聞いてんのよ! 言わなきゃ分かんないでしょ?」

 花子が二発目のゲンコツを振り下ろそうとする。流石に命の危険を感じた新九郎はガクガクと視界を揺らしながら両腕を前に出した。

「ちょ、待って、待ってくださいって! 部長のそれ、冗談じゃ済まないっすから!」

「なーらウジウジすな! 何かやらかしたってんならとっとと白状なさいっての、たく、どーせ好きな子に振られたとかでしょーに。それとも何よアンタ、まさかレアな悪霊取り逃したとか?」

「お、俺……」

 新九郎は俯きそうになるのをグッと堪えた。金髪の大男という荒くれな外観にも関わらず小心そうである。まるで昔の彼に戻ったようで、その焦ったさに、花子はイライラと指の骨を鳴らした。

「俺……俺、鴨川新九郎じゃないかもしれないんです」

「何つって?」

「俺は部長の知る新九郎じゃないんです」

「じゃあ誰よアンタ」

「俺は俺で……でも、俺は部長の知る俺じゃない」

「ねぇ憂炎、ちょっと翻訳してくんない」

「いや、俺もよく分かんねぇんだが、なんか過去を変える前と今で母親が違ったらしいんだよ」

 花子はしばし首を傾げた。そうして深くため息を吐く。もう既に状況は滅茶苦茶だった。つまりこれ以上の込み入った話は許容範囲外であり、グルグルと肩を回した花子は少し悲しげな表情をしつつ、新九郎の肩に手を置いた。

「なんとなく状況は分かったわ、つまりアンタは偽物ってわけ」

「俺は……」

「なら、とっちめなきゃよね?」

「へ?」

「オラァ偽新九郎! 覚悟!」

「ちょ待っ」

 新九郎は慌てて逃げ出そうとした。だが、花子の方が速い。一瞬で羽交い締めにされた新九郎は圧倒的な力を前に気を失いそうになる。

「うぐぐっ」

「アンタは何処の誰よ! とっとと白状なさい!」

「お、俺……」

 今にも気絶しそうだった。昔の彼ならとっくに気絶していた。

「新九郎じゃないってんなら誰だってのよアンタは!」

「やっぱり……やっぱり俺……」

 だが、今の彼には耐えられた。

 まるで小さくなった父の背を悲しむ息子のように、昔より弱くなった花子の力に──かなり手加減された──新九郎は涙した。

「新九郎じゃないかもしれない……」

「たく、なーに泣いてんのよアンタ」

「だって、昔の俺なら、とっくに気絶してたでしょ……? でも今の俺は耐えられて……」

「え、気絶したかったの?」

「いや違っ」

 花子はふんと腕に力を込めた。すると新九郎の意識は一瞬のうちに消失してしまう。

「ほーら、起きなさいってのよドアホ。この眠りの森の新九郎が」

 そうしてバシンと背中を叩かれた新九郎はハッと目を覚ました。

「アンタはこの私が認めた超自然現象研究部の副部長でしょーが」

「ぶ、部長……」

「たとえ眉が太かろうと細かろうと、金髪だろうと角刈りだろうと暴走族だろうと何だろうとかんだろうと、アンタがウチの部の部員だって事実は過去未来刹那永劫変わらないってのよ。お分かり?」

「部長……!」

「憂炎も秀吉も同じよ」

「信長です!」

「いや、俺は受験で忙しくなるからさ」

「たとえヤリチンからインテリメガネに変わろうとも、元気百倍から引きこもりに変わろうとも、アンタらが超研の一員だって事実だけはこの私が保証するわ。そして私が部長だって事もね」

 花子はフッと不敵な笑みを溢した。

「いいことアンタたち! 超研は不滅よ! つまりアンタらも不滅なのよ! なら黙って部長である私に付いてきなさい! 分かったわね新九郎!」

「部長ォ!」

 新九郎の目からドバッと涙が溢れ出た。忘れかけていた熱気が彼の憂いを忘れ去せる。うおおっと拳を上げた新九郎は敬礼の姿勢で咽び泣く信長と嫌がる太郎の肩を抱き「超研万歳!」と野太い声を上げた。

「よーしアンタら! とっとと未来変えて、この陰気臭い夜とおさらばするわよ!」

 そんな彼らの情熱に水を差すように狂介が割って入る。

「おい花子」

「何よ、超研に入りたいの」

「白い帽子の女について聞きたいことがある」

「白い帽子ってさっきのバカ女? てかなんでアンタがそのこと知ってんのよ?」

「新平さんからお前が負けたと聞いた」

「負けてないっつの! 次会ったボッコボコにしてやるわ!」

「女の声は聞いたか」

 花子は額に血管を浮かばせると、ギロリとそんな彼のカボチャを睨み上げた。

「聞いたから何よ」

「体は動かせなくなったか」

「はあん? 体? ああ、そういやなーんか重くなった気がしたような。でもそれがあの女せいかは分かんないわね」

「白い帽子の女は両目から血を流したか」

「両目から血って……それ私たちの方だったけど? そういやあの女の声を聞いた後、鼻血も止まらなくなったわ」

「どうして仕留められなかったか分かるか」

「それこそ知るかっつの。あの女はたぶんスライムよ」

「ふむ」

「つーか、さっきからどっち向いてんのよアンタ!」

 狂介の抑揚のない声は花子の方に向かってくる。しかしカボチャの仮面は満天の星空を見上げている。そして彼の右腕の髑髏は廊下の東側を見つめ、その手足の長い身体は教室と向かい合っている。

 花子はチッと舌打ちすると、親指をクイッと廊下の西側に向けた。

「じゃあ私行くから。さっさと過去を変えちゃいたいしね」

「ああ」

「てかアンタも動きなさいっつの」

 花子は猫でも追い払うように手を振った。その動きが緩やかだった分、その後、突然バッと彼女が構えた拳の激しさに夜の空気がピンと張り詰めた。

「何やってんのアンタ?」

 花子はギロリと目を細めると荻野新平を振り返った。

 カチャリと黒色のリボルバーの静かな音が響き渡る。

「動くな」

 そう声を低くした荻野新平の拳銃は花子の額に向けられていた。



「遅ぇ!」

 そんな容赦ない怒鳴り声が静かな講堂に響き渡る。山本千代子は困惑の表情をしつつも、慌てて腕を広げた。

「腕は広げんな! 振れ!」

 日差しの青々とした学校だった。

 講堂の正面扉からはシダレヤナギの青葉が覗いている。

「横に強く振るんだよ! 一歩前に飛び出してみろ!」

 壁には赤々と伸び上がる旭日旗が掲げられている。その真下には簡素な舞台が備えられている。

「そうだ! 演技ってのは大袈裟なくらいが丁度いいんだ!」

 夢の中の少年──吉田障子が急に人が変わったように強気となったのはつい先ほどの事だった。まさに王子のような彼に手を引かれ、講堂まで走らされた千代子は、一体これから何が起こるのか、何をされてしまうのかと、卒倒しそうなくらいにワナワナと胸を震わせていた。実際に舞台の上で再びキスされそうになった時などは、ズキュンと紅い雷に全身を貫かれたような衝撃が走る寸前で、ワッと気を失いそうになった。しかし何故か抵抗する気にはならない。だからといって受け入れたわけではない。逃げ出す気力は湧かない。止めて欲しいとも言えない──むしろ続けて欲しいなどとは口が四方に裂けても言えない。

 どうせ夢の中なのだから──。

 千代子は風に流されるがままの桜のような桃色となって、ただその時を待った。乾いた音の響く舞台の上で、高窓から差し込む青い陽を浴びて、普段なら絶対に上がらない場所で、人がいない校舎のひと時を楽しみながら──千代子はそれを、偶にみる、夢を夢として認識出来る不思議な世界なのだろうと認識していた。どうせ夢であるならば何をしても大丈夫なのだろう、と。

 だが、少年はキス以上のことはしようとしてくれなかった。夢の中でうまく走れなくなるあれだろうか──。さらには唇が離れていくと、流石に焦ったくなった彼女は片目を開けた。すると青い光が目の前にあった。とても薄く透明な光。まるで朝日の透けた水のようだった。やがてそれが少年の瞳であると分かった千代子は驚きのあまり「へぁ」と素っ頓狂な声を上げた。

「ぜんっぜんダメ」

 少年はため息混じりに首を振った。何やら気難しい表情である。千代子は困惑するばかりで「え」と首を傾げることしかできない。

「もう全部やり直しだ」

 少年がそう言った。

 そうして演劇の練習が始まったのである。

 


 先ず花子は困惑した。

 この状況で拳銃を向けられる理由など咄嗟には思い浮かばなかった。彼女の知る限りでの荻野新平という男を考えてみると、確かに非情な合理主義者ではあれど、むやみやたらと暴力を振るったり、ましてや己の力を誇示するような無意味な行為はしない男であるはずだと──いいや、あり得るかもしれない、と花子はそこで出会った当初の彼を思い出す。そういえば最初はもう少しだけ狂気じみていた──ゴキリと首の骨を鳴らした花子は腕に青黒い血管を浮かべ、しかし肩の力を抜いた。

「撃ちたきゃ撃ちなさいよ」

「これ以上掻き乱すなという話だ。お前らは大人しくしてろ」

 新平は冷静だった。

 ただその高圧的な態度が気に入らない。花子はグッと拳を握り締めた。

「アンタがトロいからわざわざ動いてやってんでしょーが! むしろ感謝しろっつー話よ!」

「もはやお前らが元凶だ。散々めちゃくちゃにしやがって、このクソガキどもが。何処から手を付けていいかも分からん」

「元々訳わかんないとこでしょーが! 私たちのせいにすんじゃないわよドアホ!」

「黙れ」

「新平さん、状況はシンプルです」

 リボルバーの銃口がカボチャの仮面に向けられる。しかし仮面の視線はやはり明後日の方向にあり、一体そこに額があるのかは判断できない。

「ヤナギは枯れ、我々は解放される」

「尚のことだ」

「問題はすでに死んでいる人がいるということ。未来を変えねば、解放後、帰る肉体を失ったその者たちは死にます」

「それが最小限の被害だろう」

「吉田障子くんを救いたいとは思わないのですか」

「何だと?」

「吉田真智子の息子です。彼はすでに死んでいる」

「嘘を吐くな!」

「本当の話です。俺は嘘を吐かない」

 新平は無言でトリガーに指を当てた。あとほんの数ミリで鈍い銃声が弾き渡りそうだった。獣の眼光が夜に翳る。その瞳が焦りを伝える。新平は既に己の力の届かぬ境地を見据えていた。誰かの手を借りねばならぬ。そんな状況を十分に理解していた。

 やがて拳銃が下ろされる。狂介の姿勢は変わらない。

「たく、ほんと勝手な奴らね。で、その過去は一体どうやって変えるのよ?」

 花子はやれやれと腰に手を当て、何処を向いているかも分からぬ狂介を振り返る。彼の手には白いチョークが握られていた。

「過去を変えるには先ず死人である必要がある。つまり俺たちでは過去を変えることは出来ない」

「それはもう知ってるっつの」

「さらに三つの鍵が必要となる」

「三つの鍵?」

「この夜を構成する要素は精神と肉体と魂。その精神の役割を山本千代子が、肉体の役割を鈴木夏子が、そして魂の役割を唯一の生き残りである誰かが担っている」

「ちょいちょいちょーいって、コラッ、急に複雑な話になってるわよ」

「一つめの鍵は死人。つまりは肉体を失った魂のみの状態で、空襲のあった日の唯一の生き残りに対して魂的なダメージを与える」

「唯一の生き残り? 魂的なダメージ?」

「残りの鍵は二つ。山本千代子と鈴木夏子。彼女たちにそれぞれ精神的、肉体的なダメージを与える。これで過去を変えられる」

「ちょっと待てっつのクソ骸骨! アンタそれ超絶クッソ面倒臭いじゃないのよ!」

「いいや、魂のみの状態であれば単なる物理的攻撃が魂的なダメージとなる。肉体的なダメージも単純で、鈴木夏子に物理的なダメージを与えればいい。そして精神的なダメージだが、これもこの戦中の校舎で山本千代子と接触し、何らかの精神的なダメージを与えれば事足りる。そう俺は考えている。一見複雑そうではあるが別段に難しい話でもない。お前たちは偶然にも前回この条件を満たしていた事になる」

「いや、前回って……んな面倒なことした覚え全くないんだけど?」

「ほらアレだろ、部長が体育館で女の子たち脅してた件」

 田中太郎が木剣を肩でポンポンと弾きながら話に加わった。いつの間にか皆が花子たちの周りに集まっている。

「あの二人が鈴木夏子と山本千代子だったんだ」

「あー、憂炎がナイフで女の子の腹ブッ刺してた件か」

「うっおおおい! 腹でもナイフでもなかったわ! アレは何つーか、不可抗力的なやつなんだよ!」

「見苦し男ね、いいかげん観念なさい」

「てか今はそんな話どうでもいいだろ! その唯一の生き残りってのを探すのが先だ!」

「そもそも唯一の生き残りって何よ? そんな話今まで出てきたこと……あっ、まさかそれって八田弘のことかしら?」

「ああ、いや、アイツは戦後じゃねーか? 空襲の生き残りってんならあの体育館に居た奴らだろ」

「そんなやつ居たかしら、なんか平凡の集まりって感じだったけど」

「平凡な奴ほど案外しぶとく生き残ったりするもんなんだよ」

 花子はうーんと首を捻った。そんな彼女に向かって新九郎がおずおずと右手を上げる。

「もしかして部長が殴ったあのメガネの男が生き残りだったんじゃないすか?」

「メガネの男?」

「ほら、なんか凄い勢いで怒鳴り付けてきた奴がいたじゃないすか、丸いメガネかけた先生っぽい男です」

「ああ、あの丸メガネか」

「あの女の子たち以外でっていうと、やっぱあのメガネの男しか思い浮かばないっすね」

「そういや二回も殴り付けちゃったわね。何よアイツ、生き残るなんて案外やるじゃない」

「いや、まだソイツかは分かんないですし、そもそも狂介の話だって半信半疑でしょ?」

「別に面白ければ何だっていいじゃない。あの丸メガネが生き残りで決定よ!」

 花子はグッと拳を前に突き出すと、メラメラと湧き上がってくる闘志に目をギラつかせながら、グルングルンと肩を回した。

 そんな彼女に向かって水口誠也がそっと首を傾げる。

「ええっと、それってやっぱり花子さんが元凶ってことになるんじゃ」

 皆、一瞬、セーラー服姿で床に座り込む変態を怪訝そうに見下ろした。そうして互いに顔を見合わせる。夜の校舎に気まずい沈黙が流れた。

「今アンタ何か言った?」

「いや、花子さんが元凶なんじゃないかなって……」

 言われてみれば確かに──。

 やがて視線が花子の元に集まる。とうの花子はといえばキョトンとした表情で片眉を吊り上げていた。

「私が元凶? ねぇ憂炎、コイツいきなり何言ってんの?」

「さ、さぁ」

「ねぇ新九郎、って何見てんのよアンタ!」

「い、いや」

「だって花子さん、女の子たち脅して、先生ぶん殴って、過去をめちゃくちゃにしたんでしょ? それってもう花子さんが黒幕じゃ……」

「はあああああん?」

「ひぃぃぃぃぃい!」

「なんっで私が黒幕になんのよ! ねぇ憂炎! 新九郎! 秀吉ィ!」

「信長です!」

「おっかしいでしょーが! 二百万歩譲ってクソモブウサギが黒幕って話ならまだ再考の余地はあるけれども、私は巻き込まれただけのか弱い被害者よ! つーか女の子の首ぶった斬ったのは憂炎じゃない!」

「首なんざぶった斬るかァ! 俺こそただ巻き込まれただけの被害者だ! いいかげん観念しやがれや部長さんよォ!」

「何ですってええええええ!」

 夜の校舎がまた騒がしくなる。

 まだ青いヤナギの葉が校庭で揺れる。

 そんな喧騒とは無縁の位置で二人の男が夜の底を見つめている。

 荻野新平のリボルバーがまたカチリと微かな音を響かせた。

「新平さんには小野寺文久の対応をしてもらいたい」

 狂介が静かに呟く。

 新平は振り返らない。

「奴は死んだ」

「死んだ位置が気になるんです」

「位置だと」

「なぜ奴に勝つ事ができたか。それは戦後から俺たちのいた現在までの約七十年間を俺の記憶で埋め尽くしたから。俺はそうして奴から支配者の立場を奪った。だが、思い返さずとも不可解な点が多い。小野寺文久という男は完璧ではなかった。頭脳も腕力も技術も一流とまでは呼べない。それを奴自身が十分に理解していた。小野寺文久は傲慢なる王なれど観察者として自分のことすらも……」

「話を戻せ!」

「小野寺文久が死んだのは体育倉庫だった。つまりは防空壕の真上。校舎の記憶は絵で支配できた。が、防空壕の中までは塗り潰せなかった。それは防空壕が外へと繋がる出口となるため。奴は死にかけの身体で積まれたマットの一部を僅かにズラした。今になってみればあの行動にも意味があったように思える」

 新平はしばらく無言で視線のみを斜め下に向けていた。そうして気が付けば影を置き去りにする速度で走り去っていた。

「白い帽子の女もお願いします」

 そんな彼の残影に向かって狂介は指先のチョークを弾く。白いチョークは月明かりの中をくるくると舞い、カチンと体の割れる音を響かせ、暗い廊下に散らばった。

 


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