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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
最終章

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243/255

無限属性付与スキルで夜の校舎を無双します


 二人の男が木造の校舎を駆け抜けた。

 暴走集団“苦獰天”総長の野洲孝之助と、特攻隊長の早瀬竜司である。

 大炎が彼らに迫っていた。

「おい孝之助!」

 右隣を走る早瀬竜司が叫んだ。その長い髪は茜色に暮れているようである。

「どうすんだ!」

「分からん」

「はあッ?」

 ごうごうと燃え盛る炎の怒号に後ろ髪が逆立つ。ただ前方はようようとして朝の斜陽に穏やかである。純白の特攻服が今まさに灼かれんとする熱を肌で感じた。だが視界は広い。孝之助の心はいつになく落ち着いていた。

「とにかく走れ」

「逃げらんねーぞ!」

 長い廊下の終わりに開け放たれた扉が見えた。その先は講堂へと繋がる渡り廊下である。青い日差しがさらさらと流れ込んでいる。しかしそこから外に出られるとは思わない。普通の方法では逃げられないであろうことを彼らは経験から悟っていた。つまりやがては校舎の端にぶつかる。そうして炎の渦に呑まれる。

 竜司は先ほど階段を駆け上がらなかったことを後悔した。

「クソがッ!」

 竜司は猫のように身を翻し、反転した。

 どうせ追い込まれるのであらば、その前に華々しく散ってやろう、と。

 そんな竜司の肩を孝之助が引っ張った。

「止まるな!」

 竜司は軽い舌打ちを返した。それでもさして反抗はしない。迫り来る炎に中指を立てながら、孝之助の後に続いて渡り廊下に飛び出る。晴れやかな校庭がパアッと目の前に広がった。今にも涼やかな風の吹いてきそうだった。だが、遠い。校庭に手が届く気はしない。見えない壁があったというわけではない。それはどうにも空を見上げているような感覚だった。

 講堂は薄暗かった。

 窓は不鮮明で、広い割に風通しが悪いのか、どんよりと空気が重い。

 正面の壁には燻んだ赤と白の国旗が掲げられていた。

 そこより向こうに扉はない。

 だが、二人は構わず駆け抜けた。

「ここまでだぜ」

 講堂の奥に備えられたステージは低かった。竜司はそこに飛び乗りながら孝之助を振り返った。孝之助もステージに上がると、バサリと純白の特攻服を一振り、迫り来る炎に向かって腕を組んだ。

「ああ、ここまでだ」

 竜司は「へっ」と炎を睨んだ。熱風に髪がブワッと巻き上がる。瞼が小刻みに震える。迎え撃つことなど到底不可能な話だったが、不思議と絶望的な気持ちにはならず、むしろ心地良い闘争心に竜司はグルリと肩を回した。

「ねぇ君たち」

 と、ささやくような女の声が背後から聞こえてきた。バッと後ろを振り返った竜司は舞台裏の色褪せた垂れ幕から覗く白い手を見た。

「こっちよ」

 白魚のような指がくいくいと手前に動く。そうしてフッと垂れ幕の中に消える。思わず顔を見合わせた二人は無言のままに頷くと、荒れ狂う炎の龍をチラリと横目に、垂れ幕の中に向かって勢いよく飛び込んでいった。



「ねぇ、これって大変な事態じゃない?」

 睦月花子は窓を遮るように聳える残骸の山にそっと背中を預けた。腹の前に組んでいた左腕に右肘を立て、そうして右手の甲で顎を撫でる。その鋭い視線でジッと虚空を睨んでいる。荒れ果てた校舎。暗い夜の底。それは彼女がまれに見せる深刻な表情だった。

「憂炎……アンタもそう思わない?」

 憂炎こと田中太郎はそんな彼女をチラリと一瞥したのみで、すぐに視線を逸らした。残骸の山から竹の棒らしきものを引っ張り出すのに忙しそうである。代わりに彼らのすぐ側でリコーダーを奏でる水口誠也のアンダンテが──ジャン・シベリウス『フィンランディア』──花子の重々しい口調と歩行を合わせていた。

「まさか、ね。まさか、あの姫宮玲華が……」

 やっと竹の棒を引っ張り出した太郎は軽く振って握りを確かめた。随分と長い。長身の彼をゆうに超えるサイズである。それほどの長物、或いはこの狭い校舎において、不利な代物といえるかも知れない。

「あの姫宮玲華が……変態サド女王だったなんて!」

 だが、それは過酷な戦場に相応しいといえる立派な竹槍だった。

「いったいどんだけ属性付与すれば気が済むのよあの強欲アホ女は! ねぇ憂炎、アンタもそう思うでしょ? ねぇ? あのアホのせいでせっかく練り上げた相関図がめちゃくちゃよ!」

 スンと鋭く伸びる先端の尖り具合。まったく大したものである。太郎はフッと不敵な笑みを浮かべると、戦場を跋扈する騎士の如く「ツアアァ!」と竹槍を前に突き出した。

 すると鬼の細腕がにゅっと横から現れる。

「危ないっつの、たく」

 花子の手によって竹槍が半分のサイズとなる。太郎は「ああぁ」と情けない悲鳴をあげた。

「ちょっとアンタさぁ、さっきから私の話し聞いてないでしょ? あの姫宮玲華が変態サド女王だったのよ? ねぇ?」

「……なぁ、それって今する話か?」

 太郎は深くため息をつくと、折れた竹槍をなげやりに振ってみた。先端が無くなったそれはもはやただの竹である。それでも短くなったおかげか先ほどよりも扱いやすかった。

「今しなかったらいつするってのよアンタ!」

「他に話すこと山ほどあんだろーが! つーかもうその話は二度と聞きたくねぇし、頼むから玲華さんの事はほっといてやれよ」

 太郎は竹の棒を杖のようにして寄り掛かった。いよいよと誠也の奏でるリコーダーの旋律がうるさかったが、耳を塞ぐのも億劫なほどに彼は疲れ切っていた。

「何よアンタ、お爺ちゃんみたいね」

「精神的にはもうとっくに還暦過ぎてんだよ……。つーか俺たち、さっき撃ち殺されたばかりだぞ?」

「て、ピンピンしてんでしょーが。アンタまさか自分が幽霊だとでも言いたいわけ?」

「いや、マジで撃たれたんだって。俺にも何が何だか分かんねーよ」

「ふーん、まぁあれね、夢か何かだったのよ。 それで相関図の話なんだけど」

「うおい、さりげなく話を戻してんじゃねぇ! つーかよくこの状況でそんな馬鹿みたいな話が出来るな!」

「はあん? アンタこそ状況分かってんの? あのクソレズサイコペテン悪趣味メンヘラ強欲バカ女にさらに変態サド女王の二つ名まで付与されちゃったのよ? これじゃあ『頭弱いけど無限属性付与スキルで夜の校舎を無双します』じゃないのよ!」

「頭ブッ飛んでるので腕力頼みでねじ伏せます、だろ」

「ああ、そういやさっき手榴弾で体ブッ飛ばされたわ」

「そっすか」

「ふーん、僕だったら『転生したら美少女の下僕だった!? ~千年の時を超えた愛~ 壊れスキル''魔女の声''にて闇の世界を無双する最弱の紳士は早くお家に帰りたい』にするけど?」

「アンタは転生してもマゾ豚だった件でしょーがッ!」

「ぶひぃっ!」

 二階に上がると校舎がふわりと明るくなった。

 少し焦げた栗色の壁を西からの陽がざわざわと照らしている。

 子供の声こそまだ聞こえてこなかったが、昼下がりの廊下は人の気配に満ちていた。一階を見下ろせば残骸の山は跡形もない。楕円形の踊り場は整然として穏やかで、ただ、先ほどまでの時が止まったような静寂はない。木造の教室から今にもおさげ頭の生徒たちが飛び出してきそうな、そんな雰囲気だった。

「そういや前にもこんな事あったわね」

 花子は陽の浮かび上がった教室を横目に、ふぅと小さく肩をすくめた。そんな彼女の背中に向かって、誠也が声を張り上げる。

「ちょっと待ってよ花子さん! 玲華ちゃん達から離れてるって!」

「何で離れてるって分かんのよ?」

「いや、分からないけど……。と、とにかく戻らないと!」

「一階は散々探し回ったぞ」

 太郎は気怠げに首を振った。半分となった竹槍を窓にかざし、西陽に明るくなった校舎を見渡す。一階は行けども行けども残骸の山が広がるばかりだった。花子の怒鳴り声にそれ以上反応を示すものもなく、仕方なく二階に上がってきたのである。

「今さら戻ってもしょうがねぇし、つーか新九郎たちは放っといても大丈夫だろ。玲華さんなら尚更だ」

「そんなの分かんないじゃん! 玲華ちゃんは絶対に寂しがってる……僕がいなくて震えてるよ! すぐに助けに行かないと!」

「なーらアンタ一人で戻りなさい。アンタにはぶっ壊れたスキルだったかがあんでしょ。こっちはね、哀れな吉田何某を救うのに忙しいってのよ」

「そ、そんな! 無理だよ!」

「好きな女のためなら少しは男を張りなさいよ。それが無理なら諦めることね」

「違うんだ! そういう事じゃなくて、僕のスキルは使い勝手が悪いんだよ! あの魔法は使うとどうしても意識を失っちゃうんだ!」

「ああん?」

 花子は立ち止まった。コキリと首の骨を鳴らし、ギロリと誠也を振り返る。元超自然現象研究部部長としてのプライドに火が付いたのだ。

「確かに僕の“魔女の声”は強大で恐ろしい力さ。でもその分代償も大きくってね、あまり使いたくはないんだ」

「……アンタ、マゾ豚の分際で何ほざいてんの?」

「僕の壊れスキルは救出には向かないって話だけど?」

「はん、馬っ鹿馬鹿しい! ありえないっつの! 超能力ならまだしも魔法なんてファンタジー、この世に存在しないわ。まぁ百歩譲って魔女がいたとして、こんな島国の片田舎を奴らがほっつき歩いてるわけないし、てかアンタ男じゃないのよ!」

「やれやれ、花子さんもその程度の女だったんだね」

「何ですってー!」

「魔女が女であるべきだなんて時代錯誤も甚だしい差別的認識だよ。それに超能力は信じられて魔法は信じられないなんて思想がねじ曲がり過ぎてる。玲華ちゃんの友達の金髪美女の話だと、どうにも僕が授かったこの“力”は、魔女っ子である玲華ちゃんの声を聞き過ぎたせいらしくって……」

「てぇ! どさくさに紛れて姫宮玲華に新たな属性を付け足すな!」

「おいテメェら、何また馬鹿みてぇな話始めてんだ」

 太郎は苛立ちを露わに二人の間に割って入った。だが、怒れる鬼に首根っこを掴まれると、そのままポイッと教室の中に放り投げられてしまった。

「いいこと、ド・マゾ豚。私は別に魔女は女たれなんて時代遅れの考えは持ち合わせてないわ。ただアンタみたいな平凡マゾ男とクソレズサイコペテン悪趣味メンヘラ強欲ドアホ変態サド女王がさらに魔女を自称するって事それ自体がおこがましいって言ってるの。お分かり?」

「玲華ちゃんは正真正銘の始まりの魔女だよ、だってウィッチハンターまで現れちゃったんだから。そういえばあの白装束のウィッチハンター、玲華ちゃんのことをマリアって呼んでたけど、それは恐らく玲華ちゃんが聖母マリアだったからで、さらに百年戦争の際にはジャンヌ・ダルクとしてオルレアンを解放して、シャルル王子を王位に就かせたり……」

「ぞ、属性お化けか!」

「いや、玲華さんが魔女だってのはマジかも知れないぜ。あの人ってちょっとおかしいっつうか……ほら、怖いだろ」

 太郎が木剣を教室の外に向けた。そのフラつく剣先を花子がギロリと睨み付ける。

「アレが怖かったら豆柴だって恐怖の対象だっつの」

「この校舎の異常にいち早く気付いたのも玲華さんだし、何より知り過ぎてる。ただのバカじゃ説明がつかねーよ」

「はん、確かに行動は早かったかも知んないけど、そもそもあのアホの情報は大半が大間違いだったじゃない。この校舎が王子の夢だとか。自分がヤナギの霊だとか。たく、アイツのせいで一体どんだけ大変な目にあったことか」

「けどよ、そもそもヤナギの霊と夜の校舎の存在を知っていた時点で妙だろ。玲華さんは確か中学生の終わりまで……そうだよ、よく考えりゃあここに入学する数ヶ月前までは別の街にいたんじゃねーか! 俺たちみたいに地元だからってこの学校に選んだのとはわけが違う、玲華さんは自分の意思でここに来たんだ。やっぱり普通じゃねぇってあの人は!」

「それって玲華ちゃんのお婆ちゃんがこの学校の出身だったからじゃないの?」

 誠也が首を傾げた。太郎が「いや」と言い返そうとすると、花子が「もーやめやめ」と腰に手を当てた。

「あの無限属性チート女の話はこれで終わりよ。今考えるべきは哀れな吉田何某をいかにして救うかでしょ。たく、この殺風景な校舎にはもう飽き飽きだわ」

 花子の軽い舌打ちが陽だまりの廊下をゆったりと流れた。干からびた蜘蛛が一匹、よく陽の当たる窓の桟に横たわり、青い空を透かす薄い雲を見上げている。

「そういえば花子さんって、ここに来るの三回目なんだよね?」

「そーよ」

 花子はそう振り返りつつ、再びリコーダーを上げようとする誠也の腕に手刀を入れた。

「色々と感慨深いわねぇ、憂炎」

「うんざりだっつの。俺はもうぜってぇ神にも仏にも祈らねぇ」

「田中くんも三回目なんだ。よく生きてるねぇ」

「いや、もう死んでんのかも」

「あれ、そういや憂炎ってこれで四回目じゃない?」

「はあ?」

「アンタ言ってたじゃないのよ、前は色んな奴らがここを彷徨ってたって」

 太郎は怪訝そうに眉を顰めた。そうしてはたと足を止める。

 確かにそんな話をした──。

 ぼんやりとその事を思い出した時、太郎はスッと背中に冷たいものが走るのを感じた。

「そんで、そん時は姫宮玲華に助けて貰ったのよね?」

「あ、ああ……」

 かつての記憶を探るように太郎はゆっくりと視線を斜め上に動かしていった。すると焦燥感が少しずつ蘇ってき、額に汗が浮かんだ。が、肝心の記憶はといえば、まるで夢を思い出そうとする時のように、中々形を成さない。花子の言う通り、過去が変わるきっかけとなったあの夜よりも前に彼は夜の校舎を訪れていた。そして助けられた。だが、何故──。

「ちょ、ちょっと待て」

 太郎は下を向いた。そうして横に視線を滑らせた。思い出せぬ苛立ちに足が震える。背中を這う違和感にうなじが逆立つ。太郎は堀の深い顔を歪めながら額の汗を拭った。

「アレは……玲華さんじゃなかったぞ……?」

「はあん? 長い髪の女だったんでしょ? わざわざヤナギの霊に会いに来てたって、んなもん姫宮玲華以外にあり得ないじゃない」

「いや、俺が会ったのは確かに長い黒髪の女だったけど……なんだ? やっぱりアレは玲華さんじゃなかった気がする」

 蝉の声の下でシダレヤナギが青い枝を揺らしていた。梢の先の青い空を見上げる長い黒髪の少女がいた。そんな情景は思い出せた。その幼なげな横顔。木漏れ日に薄れた白い肌。妖艶な佇まい。儚げな口元──。


 ぽん、ぽん、惜しうに惜しうに枯れた──。

 赤い糸、枯れた、枯れた、枯れた──。


 太郎は頬を青ざめさせた。

 どうしても少女の顔が思い出せなかった。

「違う。おかしいだろ。そ、そうだよ、だってアレはまだ俺が一年だった夏の話だ。玲華さんはその時まだこの街に来ていなかった筈だ」

「つったって姫宮玲華がアンタを助けたんなら、その頃にはもうこの街に来てたってことじゃないの? それに姫宮玲華本人もアンタを助けたって言ってたし……まぁあのアホの言う事なんて一つも当てにならないけど。てーかそれでもアイツの他に誰がいるってのよ? 可愛い顔した霊感持ちの電波女なんて……ああっ、まーた属性付け足しちゃった!」

「お……俺を助けたのは玲華さんだったかもしれない……。けど、やっぱりあのヤナギの木の下にいた女は玲華さんじゃなかった……。なんつーか、説明は難しいけど……ア、アレはたぶん本物の幽霊だった……。そうだ、アレは限りなく人に近い魍魎……。そ、そもそも玲華さんが俺を助けたってのもおかしな話だろ。タイミングが良過ぎるし、他にもたくさんの人がいたんだ。その中で見ず知らずの俺を助ける理由がない」

「偶然よ、偶然。あのアホの気まぐれよ」

「偶然だと? そんなバカな話……ああ、クソッ! ダメだッ! 思い出せねぇッ!」

 太郎は苛立ちを露わに木剣を投げ捨てた。誠也がゴクリと唾を飲み込む。木剣は壁を跳ね、廊下を転がり、そうしてポン、ポン、と階下に落ちていった。

「まぁまぁ、落ち着きなさいって。いいじゃないのよそんな昔の話」

 花子はやれやれと肩を落とすと、そんな彼の肩にポンと手を置いた。

「そんなことよりもアンタら、早く吉田何某を救いに行くわよ」


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