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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第一章

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ミクストリアリティ


 夜の校舎の一階。姫宮玲華を先頭に暗い廊下を進む四人の足並みは揃っていない。

 生徒会副会長の宮田風花は決して置いていかれまいと前を歩く玲華の肩をギュッと掴んだまま唇を震わせていた。その後ろで超研一年の小田信長がキョロキョロと周囲に瞳を動かし続けている。列の最後尾を歩く徳山吾郎は電波の入らない携帯を弄りながらブツブツと文句を言った。

「な、何か、おかしいですよ……?」

 信長はおかっぱ頭をフルフルと振りながら暗い廊下を見渡した。後輩の震えた声に勇気を奮い立たせた風花が後ろを振り返る。小柄な一年生の怯えた瞳。カチカチと歯を鳴らした風花は、後輩の男の子をなんとか安心させようと引き攣った笑みを浮かべた。

「お、小田くん、どどど、ど、どうしたのかな?」

「あの、ここ、何か変です……」

「う、うん、きゅ、急に夜になっちゃうなんて、変だよね? で、でも、大丈夫だよ! み、皆んなで力を合わせれば、き、きっと何とかなるよ!」

 そう自分に言い聞かせるかのように風花は力強く頭を縦に振ってみせた。玲華の肩を掴んでいた指が宙に浮かび上がりそうになると、前につんのめった風花は軽い悲鳴をあげながら玲華の背中に勢いよく抱き付いた。

「あの、先輩、そうじゃなくって……」

「え、えへへ?」

 狼狽を誤魔化そうと乱れた横髪を耳に掛けた風花の頬は真っ赤に染まっていた。そんな風花の唇から覗く白い歯に信長は不安げに首を傾げる。おほんと咳払いした風花は優しげに目を細めると、信長の次の言葉をジッと待ってあげた。

「……あ、先輩、そ、そのですね。何だか廊下が……あ、ああ、まただ。また理科室だ。ど、どうして……?」

「うん?」

「何で理科室が前にあるんですか……? へ、変ですよ……! 何で理科室に戻ってきちゃうんですか!」

 信長の丸い顔が激しい恐怖に歪む。ゆっくりと首を縦に動かした風花の顔から血の気が引いていった。

「ど、どうして……?」

 理科室のプレートを見上げた風花の足から力が抜けていく。遠くなっていく玲華の後ろ姿に悲鳴をあげた風花は再び腕に力を込めて玲華の背中に飛び付いた。

「ねぇ副会長さん、痛いんだけど?」

「な、何で! どうして! えーん、ママぁ、助けてぇ!」

「部長っ! 先輩っ! 何処ですか!」

「うわ、新品の携帯が!」

 終わりの見えない夜の校舎。延々と続く廊下にパニックを起こした風花と信長の悲鳴が暗闇に響き渡る。携帯を暗がりに落とした吾郎は慌てて地面に蹲ると、ほふく前進を始めた。

 玲華の細い体がパニックを起こした風花の細い腕に振り回される。廊下に倒れた玲華は奇声を上げながら抱き着いてくる風花の右頬をピシャリと叩いた。その衝撃で風花の縁なしメガネが廊下の奥に転がっていく。右の頬を叩いた勢いのままに左の頬を叩いた玲華は、さらにもう一発風花の右頬を叩くと、泣き喚く風花の頭をギュッと抱き締めた。次第に落ち着きを取り戻していく副会長。嗚咽を始めた風花の頭を撫でた玲華は、ふっと彼女の耳元に息を吹き掛けた。

「ねぇ副会長さん、泣き止まないなら、本当に置いていくからね」

 泣く子も黙るような冷たい声である。しゃっくりを上げた風花は、ブルブルと勢いよく首を横に暴れさせた。

「な、泣きません! 絶対に泣きませんから、お、置いてかないでくださいぃ!」

 再び溢れ出す涙。ため息をついた玲華は、しゃっくりを上げる彼女をなんとか立ち上がらせると、頭を抱えて震える信長に歩み寄った。

「ねぇ、秀吉くん」

「助けて……助けて……」

「これは夢だよ。だから、目を開けてよ」

「ゆ、ゆ、夢?」

「そ、夢だから、何してもいいんだよ。ねぇ秀吉くん、あたしとキスする?」

 耳元の囁き。甘い吐息。眼前に迫る玲華の赤い唇に驚いた信長の体がピョンと真上に飛び上がった。

「だ、だ、だ、ダメですよ! そ、そういうのは、キチンとした大人になってからじゃないと!」

「ふふふ、秀吉くんって真面目さんだよね?」

「の、信長です!」

 信長の頬が赤く蒸気する。背筋をピンと伸ばした彼は敬礼した。

「うん、信長くん、それに副会長さんも。じゃあ、一階はこれ以上歩いても仕方ないし、二階に上がろっか?」

「待ちたまえ!」

 やっと携帯を拾い上げた吾郎がスッと立ち上がった。自己顕示欲の強い彼は無視される事を嫌っていたのだ。携帯のついでに拾った縁なしメガネを風花に手渡した吾郎は、長い黒髪を耳に掛ける玲華の仕草にドキリと胸を高鳴らせると姿勢を正した。

「姫宮くん、だったね。これはどういう事なのかね?」

「どういう事って?」

「ここだよ、この場所の事だ」

 メガネの黒い縁を指で押し上げた吾郎は終わらない廊下の向こうにジッと目を細めた。玲華は少し考え込むように細い指を顎に当てる。

「書記さん、携帯は繋がった?」

「いいや」

「そういう事だよ」

「……どういう事だ?」

「ここは現実じゃないって事」

 玲華の黒い瞳の奥が光った。ゴクリと信長は唾を飲み込む。メガネの縁を押したまま指を震わせた吾郎は鼻で深く息を吐いた。

「ば、馬鹿馬鹿しい。ここが現実じゃないというのならば、いったい我々は、何なんだ? 集団で同じ夢を共有してるとでも言うのか?」

「わお、さすが書記さん、頭良い」

 玲華は嬉しそうに風花の頭を撫でた。極限状態で思考が停止していた風花は飼い主に甘える猫のようにゴロゴロと喉を鳴らすと、うっとりと目を瞑って玲華の手に頭を擦り付けた。

「あ、ありえないだろ。まったくもって馬鹿馬鹿しい話だ。生憎だが、僕はオカルトチックな話は信じないたちでね」

「で、でも、実際、変ですよね?」

 信長の怯えた瞳。吾郎はふんっと息を吐いた。

「ありえんのだよ、科学の法則で動くこの世界に霊魂や呪いの類が組み込まれる事はないんだ。そうさ、そうだよ、そんな事は絶対にあり得ないんだ。僕はね、そういった話が大っ嫌いなんだよ。まったく本当に馬鹿馬鹿しい。不可思議な事があったとしてもね、それは結局のところ科学に基づく何かなんだ。例えばこの状況は、そうだな、集団催眠か何かだろう」

 クイクイとメガネを動かした吾郎はまたふんっと力強く息を吐いた。まるで激しい動揺を隠そうとするかのような仕草である。いったい彼が何に怯えているのかが気になった玲華は細い首を横に傾げた。

「え、催眠って科学だったんですか?」

 目を丸めた信長の瞳がキラキラと光る。そんな後輩の純粋な驚きに多少心の落ち着きを取り戻した吾郎は唇に笑みを浮かべた。

「立派な科学さ、人は脳で行動するのだからね。あとはそうだな、脳に直接刺激を加えるバーチャル・リアリティの可能性もあるね」

「バーチャル?」

「仮想現実とかいうやつだよ。まぁ、そんな技術が現代にあるのかは知らないが、オカルトの類なんかよりも、よっぽど現実味がある」

 吾郎は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。腕にしがみ付く風花を何とか引き剥がした玲華は、吾郎を見つめてうんうんと頷いてみせた。

「そんな感じだよ。じゃあ、二階に行こうか」

「こ、ここが仮想現実だという僕の主張があっていると、君は言うのかな?」

「そうだよ」

 コクリと玲華が細い顎が縦に動く。そんな玲華の軽い肯定には子供の妄想に微笑む母親の優しさのようなものが含まれており、屈辱的な何かを感じてしまった吾郎はまた黒縁メガネをクイクイと動かし始めた。

「ま、待ちたまえ! それは……それは、ちょっとおかしいんじゃないか? 百歩譲ってそんな技術があったとして、そのVR用の機器が学校の何処にあったというんだ? それにだ、何の目的で、我々は仮想現実を体験させられている? そもそも法治国家の日本で、未成年の児童に何の許可もなく、このような監禁に近い実験が行われるはずがないだろう? なぁ、どうなんだ、姫宮くん?」

「……書記さんって女の子にモテないでしょ?」

「な、何だと!」

 憤慨する生徒会書記。やれやれと肩をすくめた玲華は、頬を赤らめた吾郎から顔を背けると、背中に抱きつく風花を引き摺るようにして廊下を歩き始めた。信長と吾郎は慌ててその後に続く。

 階段を上り始める四人。やっと風花が自分の足で歩き始めると、ほっと息を吐いた玲華は吾郎に向かって優しげな視線を送った。

「仮想現実というよりは、複合現実に近いかな?」

「複合現実だって?」

 暗い階段のきしむ音に恐怖を覚えた風花の指は玲華の制服の裾に伸びる。視線を二階に向けた信長は何処までも続く暗闇にゴクリと息を飲み込んだ。

「ミクスト・リアリティだね。過去の現実の一部を他人の夢の中で体験しているって表現が一番近いのかもしれない」

「い、意味が分からないのだが……?」

「分からなくていいよ、どうせ忘れるから」

 微笑んだ玲華は、そっと、風花の頭に手を置いた。

 


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