王子を探せ
「あの姫宮さん、これ、どういう事なのでしょうか……?」
夜の校舎。静寂の中を進む二人の女生徒。生徒会副会長の宮田風花は理解の範疇を超えた圧倒的な恐怖に唇を震わせながら、前を歩く姫宮玲華の肩越しから暗い廊下の奥を見つめた。玲華の細い肩を掴んで離さない風花の指先が震え続ける。
「どういう事なのでしょうね? 王子様研究部が出来たら教えてあげるよ」
「ふぇーん」
半べそをかいた風花は玲華の柔らかな黒髪に顔を埋めた。鼻の奥に広がる柔らかな花の香りに風花の心が多少安らいでいく。
ガンッという衝撃音が暗い廊下を走った。何かが割れるような音が校舎に響き渡ると、胸を切り裂くような激しい恐怖に風花の心臓が飛び跳ねる。何かを睨み付けるように目を細めた玲華は天井を見上げてため息をついた。
「な、な、な、何……? な、なんですか、今の音……?」
「良くない音だね」
玲華は肩を落とした。そうして風花の手を握った彼女は夜の校舎を走り始める。
「えっ、ど、どうしたんですか?」
「早く王子を見つけないと」
「王子?」
「そ、手分けして探そうか」
玲華が手の力を緩めると、慌てた風花は細い指の先にありったけの力を込めた。
「い、い、嫌です! お願いですから一人にしないで下さい!」
「えー、大丈夫だよ、副会長なら一人でも」
「無理無理無理です! こんな所で一人……い、いやよ! お願いだから一人にしないでよ!」
「うーん、正直のところ君、邪魔なんだよね」
「いやあ」
玲華の細い腰に抱き付いた風花は泣き喚いた。そんな彼女を引き摺るようにして玲華は一歩一歩暗い廊下を進んでいった。
普段よりも遠い校舎の端にやっと辿り着いた玲華は理科室の白いプレートを見上げた。僅かに顔色を変えた玲華は視線を下げる。その視線の先には誰もいない。無言で立ち止まった玲華の瞳を風花は恐々と見上げた。キツく結ばれた玲華の赤い唇が妖艶な光を放っている。
「み、宮田さん?」
「ぎゃあ!」
理科準備室からの声に風花は飛び上がった。玲華の影に隠れた彼女はキョロキョロと暗闇に潜む声の主を探した。
「何故、こんなところに? もしかして、会長もいるのかい?」
暗がりでのそりと黒い影が立ち上がる。目を凝らした風花は声の主が生徒会書記の徳山吾郎であることに驚いて背筋を伸ばした。
「と、徳山書記じゃないですか……。もう、こんなところで何をやっているんですか?」
「い、いや、妙なことに巻き込まれてね」
「妙なことですって?」
「ああ、君も巻き込まれたのだろう?」
「うっ、まぁ、そうね」
なんとか威厳を見せようと、玲華の制服の裾を掴んだまま風花は胸を逸らした。仕事に不真面目な徳山吾郎に対して風花は良い印象を抱いていないのだ。
ふぅっと息を吐いた吾郎は立ち上がった。その隣に横たわる小柄な男子生徒に気が付いた風花が声を上げる。
「ちょ、ちょっと、その子は?」
風花は慌てて意識のない男子生徒の側に駆け寄った。おかっぱ頭の丸顔。男子生徒の頬に手を当てた風花はその息を確かめた。
「ああ、その子は超研の小田くんだ。さっきの騒ぎで気を失ったんだよ」
「さっきの騒ぎ? 超研? どういうことなの?」
「いや……まぁ、ね、僕にだって説明がつかないよ、この状況は。それより、そちらの背の高い美人さんはどなたかな?」
吾郎は頬を緩めた。嫌悪感を露わにした風花は、玲華を守るように腕を組んで吾郎を睨み付ける。暫く理科室の出入り口を見つめていた玲華は、やっと吾郎に気がついたかのように振り返った。
「誰?」
「私は生徒会書記の徳山吾郎。貴方のお名前は?」
「ねぇ、君、王子を見なかった?」
「むっ、き、君だと? 貴様、一年だろ? 言葉遣いには気をつけたまえ」
「見たか見てないか、を聞いてるんだけど?」
「なんだと?」
「いいから答えて」
玲華の視線が吾郎を見据える。その暗闇に瞬く冷たい光に吾郎はたじろいだ。訪れる沈黙。無言で睨み合う二人の顔を交互に見つめた風花はオロオロと手をこまねいて肩を丸めた。
「……い、いや、そもそも、王子って誰のことだい? もしも麗奈さんの事を言ってるのだとしたら、やはり君は、上級生に対してあまりにも失礼だと、生徒会書記として注意せねばならないのだがね」
「麗奈って誰? 私は吉田障子くんの話をしてるんだけど」
「吉田くん!?」
驚いた風花の肩が跳ねる。ズレたメガネの位置を直した風花はレンズ越しに恐々と玲華の瞳を見上げた。その目を玲華が見つめ返すと、吾郎もジロリと風花を見下ろした。
「あ、いえ、私も吉田くんを探してて」
「どうしてかな?」
「あの、お昼休みに廊下で蹲ってた彼を、保健室に連れて行ったのだけれど、その、心配だったから放課後に彼の様子を見舞おうかと……」
「だから副会長も巻き込まれたんだね」
「ええ、と……? あ、そうだ、彼のクラスメイトが、吉田くんは理科室にいるって言ってたから、ここに向かってたんだった」
「じゃあ、王子、理科室に来てたんだ」
合点がいったのか玲華の細い顎が縦に動いた。吾郎に歩み寄った玲華は足を震わせながら後ずさった彼の横を抜けて、気絶したまま廊下の影に横たわる小田信長の頬を叩く。
「秀吉くん、起きて」
「の、信長です!」
はっと目を覚ました信長は目の前の玲華の赤く光る唇に飛び上がって驚いた。サッと信長の額を避けた玲華は彼の瞳を覗き込んで微笑む。
「大丈夫?」
「は、は、はい!」
信長の敬礼。呆れたように腕を組んだ吾郎が信長のおかっぱ頭を見下ろした。
「秀吉くんに頼みがあるのだけれど、いいかな?」
「も、もちろんです! ……信長ですけど」
「この二人と一緒に吉田障子っていう男子生徒を探し出して欲しいの」
「吉田くんですね、お任せあれ!」
力強く頷いた信長の背筋がピンと伸びる。腕を組んだまま吾郎は不満そうに鼻を鳴らした。
「馬鹿らしい、僕はもう帰らせてもらう」
「間違って外に出たら死ぬよ」
感情のない玲華の声に戦慄する三人。腕を組んだまま苦い笑みを浮かべた吾郎は玲華の冷たい瞳に首を傾げた。
「死ぬって、何だね?」
「学校の外、音しないでしょ」
「あ、ああ」
「今外に出たら現実に戻れないよ」
「げ、現実?」
「だから、吉田障子を探して」
「さ、探して、どうするんだい?」
「彼を外に連れ出して」
「外?」
「早く行きなさい。彼を隠れさせたのは君たちなんだから」
怒りのこもった視線。玲華の冷たい声色に三人は唾を飲み込んだ。信長と吾郎が顔を見合わせると、三人に背を向けた玲華が歩き始める。暗い廊下の向こう。音の無い校舎。消えていく玲華の背中を風花は必死に追いかけた。




