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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第一章

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暗闇の部活動


 白い部屋。柔らかなベッド。髪の長い女生徒の笑顔。

 掃除終わりに保健室に顔を出した三原千夏に、はっと目を丸くした障子は慌てて白いベッドを下りた。

「大丈夫? 吉田くん、顔色悪いよ?」

 心配そうに首を傾げた千夏の白い肌が窓から差し込む光に眩しい。ジッと自分を見つめる初恋の相手に有頂天になった障子は高鳴る鼓動を抑えようと大きく息を吸った。

「ちょ、ちょっと立ちくらみしちゃっただけだから、大丈夫だよ!」

「へぇ、そう……?」

「ほんと、もう大丈夫だから!」

「ふーん……はい、これ、五限目の世界史のプリント。福山先生が明日までにやっとけってさ」

「う、うん、ありがとう!」

 嬉しそうに笑った障子の頬に赤みがさす。養護教諭の藤元恵美の微笑み。タレ目を細めた千夏は、うひひ、と唇に手を当てた。

「玲華ちゃんが休んだショックで、吉田くん、寝込んじゃったんだよね?」

「絶対にそれは無い」

「いひひ、で、あたしが来たから元気が出たんだ?」

「ええっ!? ち、ちが、も、もともと元気だったんだってば!」

「ダメだよ、吉田くん、二股は?」

「そ、そんなんじゃ無いのに!」

 障子の頬が夕陽に焼けた雲のように紅くなる。腹を抱えて笑った千夏は障子に手を振ると部活の為に旧校舎に向かっていった。どっと凄まじい疲労感が障子の体に押し寄せてくる。フラフラと恵美に頭を下げた障子は保健室を後にした。

 あれ……何だっけ……?

 窓の向こうの曇り空。鞄を背負って下校する生徒たち。運動部の野太い掛け声が校庭に響く。

 再び視界がぼやけ始めた障子は手に持った世界史のプリントを握り締めた。千夏の無邪気な笑顔。自分の背中をさする誰かの手の温もり。

 り、り、理科室だよ。そうだ、確か、放課後は理科室に向かうんだった。

 障子は手の中で潰れたプリントをゆっくりと広げた。千夏の笑顔とその長い髪から流れる甘い匂いを思い出した彼は震え始めた足にグッと力を込める。

 理科室だ、理科室……。とにかく、とにかく、とにかく、理科室に行かないと……。

 目的を定めた障子は消え入りそうになる意識を行き先に集中させた。ふらつく足。クリーム色の廊下に感じる違和感。初恋の人のぼやけた笑顔。

 あ、あ、あの人の名前は何だっけ……?

 一階の端。陽の当たらない暗い校舎。理科室の向かって障子は一歩一歩足を前に進めた。

 と、とにかく、とにかく、とにかく、あの人に合わないと……。

 見覚えのない廊下に蹲りそうになった障子は誰かの顔を思い浮かべた。明るい女生徒の笑顔。不安と寂しさを打ち消す記憶。

 携帯の着信音が鳴り響く。

 理科室の前で立ち止まった障子は携帯を片手に騒がしいドアの向こうに耳を澄ませた。



「部長、大変です! 姫宮さんが、今日はお休みでした!」

「んな事ぁどうだっていいのよ!」

 理科室の騒乱。超自然現象研究部に集まった六人の生徒たち。

 白い王子の衣装に身を包む演劇部女子部長。背の高い田中太郎を守るようにして腕を組んだ三原麗奈は超研部長の睦月花子をギッと睨みつけた。

 花子の怒気を含んだ鼻息。怒りで頬を上気させる花子を副部長の新九郎と新入部員の信長が必死に宥める。生徒会書記の徳山吾郎はオロオロと黒縁メガネのレンズを拭き続けた。

「憂炎、アンタ、勝手に部活を休みまくってた分際で、もう帰りたいですって? ぶん殴られたいのかしら?」

「マジでヤバい状況なんですってば! 部長も早く帰った方がいいっすよ?」

 李憂炎こと田中太郎は焦ったように窓の外に目をやると、麗奈の肩に手を置いた。ビクンと体を振るわせた麗奈の唇が濡れたように光る。新九郎と信長を投げ飛ばした花子はドスドスと床を踏み鳴らしながら太郎に歩み寄った。

「ちょっとぉ、部長さん、それ以上近づいたら痴漢で訴えますよ?」

 怯える太郎を守るように腕を広げた麗奈は、役のために後ろに撫でつけられた茶色い髪の下のタレ目をギロリと細めた。

「邪魔だっつってんのよ、このモブ女が! つーかアンタ、部長でしょ? とっとと自分の部活に戻りなさいよ!」

 拳を振り上げた花子に吾郎が慌てて駆け寄った。

「む、睦月くん、流石に、女性に手を上げてはいけないよ?」

「そうよぉ、ほんと、部長さんのこと、痴漢で訴えてやるんだから」

「うるさいっつってんの! いい? これは私たち超研の問題なのよ!」

「部長、落ち着いてください。先に密約の方の作戦会議を進めては?」

「そ、そうだよ、睦月くん、そちらの方が火急の問題だろ? 超研の存続が懸かっているのだからね」

 麗奈と花子の間に新九郎と吾郎が割って入る。投げ飛ばされた信長は床で気を失ったままである。

 麗奈の細い首筋を田中太郎がスッと撫でた。うっとりと目を細めた麗奈は太郎の切れ長の目を見上げる。麗奈の栗色の瞳を見つめ返した太郎は彼女の耳元にそっと唇を寄せた。

「……君、麗奈さんだっけ? 何故、こんな物騒な荒くれどもの中に、君のような可憐な女性が迷い込んでいるんだい?」

「あ……ん……あ、貴方と、出逢うためです」

「ふふ、奇遇だね、僕もだよ?」

「なにをイチャついてんのよ、アンタらぁ!」

 花子が怒鳴り声を上げたその時、突然理科室のドアが横に開かれた。驚いて振り返った花子の瞳に出入り口の前で俯く細身の男子生徒の姿が映る。

 静寂。吾郎と新九郎は油断なく花子の動向を見守った。うっとりと太郎を見上げる麗奈の長いまつ毛。理科室の出入り口を見つめて言葉を失った太郎は麗奈の肩からゆっくりと手を離した。

「誰よ、アンタ?」

 無言。小柄な男子生徒は青白い顔を上げると、何かに怯えたように理科室の中を見渡した。

「あ、吉田くん」

 意識を取り戻した信長が顔を上げる。信長と出入り口の男子生徒を花子は交互に見つめた。

「吉田って、あの吉田?」

「はい、あの吉田です!」

「ふーん、偉いじゃない、ちゃんと呼び出しに応じるなんてね」

 腰に手を当てた花子はフッと微笑む。新九郎と吾郎は取り敢えず怒りが収まったであろう花子にホッと息を吐いた。

 窓の向こうの曇り空。薄い日差し。暗い理科室の澱んだ空気。

 太郎は理科室の出入り口に立つ障子の、その後ろに視線を送った。

 き、来ているのか……?

 とにかく逃げなければ、と太郎の足が後ろに下がる。対照的に、花子の足は前に進んでいった。

「こんばんは、吉田くん。アナタ、何で呼び出されたか分かってる?」

「……あ」

「え? 何よ、もっとハッキリ喋りなさいよ?」

 俯く障子に花子は耳を近づけた。徐々に暗くなっていく理科室。スッと麗奈の目が細くなる。首を傾げた吾郎は窓の向こうを見上げた。

「……吉田くん、アナタ、大丈夫なの?」

 呻くように何かを呟き続ける男子生徒。開かれた瞳孔。花子はその男子生徒の定まらない視点を訝しむように眉を顰めた。

 暗闇が校舎を包む。呆然と周囲を見渡す六人。夜を迎えた理科室で、誰かの悲鳴が暗闇に轟いた。






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