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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第三章

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夜を探す人


 パトカーのサイレンの音が尋常ではない。

 早朝から街を走り回る警察たちはどうにも暴走族同士の抗争について調べがついていない様子で、バイクに乗った派手な若者たちを見るや否やサイレンを回し始める彼らは、いったい誰が“苦獰天”のメンバーで、いったいどれが“火龍炎”の特攻服なのか、判断に困っているようだった。

 そもそも“苦獰天”が“苦露蛆蚓”、“正獰会”、“紋天”という三チームの連合であったことや、再結成した“火龍炎”に“インフェルノ”という別のチームが加わっていること、さらには“鬼麟”という未だ正体が掴めていないチームの名前が頻繁に上がっていることなどなど、情報の錯綜が警察側の判断を大いに鈍らせていた。だが、それでも白昼堂々と暴走族同士の勢力争いが行われているという事実を見過ごすわけにはいかず、さらにはそれが日時の指定された決闘であるなど言語道断だと、警察は早朝から神経質に街中を走り回っていたのだった。



「おいおい、こりゃあ決戦どころじゃねぇんじゃねーの」

 ファミレスの入り口に腰掛けていた早瀬竜司は、頻繁に目の前を走り去っていくパトカーの白い車体に気怠げな表情だった。彼の右腕であり元“紋天”の副総長である大杉田太地もまた絶え間ないサイレンの音に眉を顰めている。朝食を終えた彼らは駐車場に停めてあったバイクに乗るのを躊躇っている様子で、ただ、丸いサングラスにスキンヘッドと大杉田太地の大柄な体はファミレスの前では少々目立ってしまい、先ほどから店員の視線が窓越しに痛い。長髪にタンクトップ姿の早瀬竜司はといえば別段に目立った格好をしているつもりはなかったが、街を歩く女性たちの視線は集めてしまっているようで、白いカラスの群れまでもを集めてしまう前にとりあえず移動しておこうかと、ため息混じりに立ち上がった二人は駐車場に移動した。

「行くぜぃ」

「ああ」

 バイクの排気音がパトカーのサイレンと重なる。逆に白いカラスが集まってしまう結果となったが、彼らは風を切るような速度で朝の街を走り抜けると、車では侵入の難しい河原沿いの空き地にバイクを止めた。

「それで総長はなんと言ってるんだ」

「孝之助の奴はやる気みてぇだぜ」

「アンタはどう考えてる」

「俺ぁ何も考えず突っ込みたいね。孝之助の考えには大賛成さ。ただ、条件が悪過ぎるような気もする」

 画面のひび割れたスマホを耳に傾けた早瀬竜司は元“紋天”のメンバーたちと連絡を取り始めた。河原は雑草が生い茂り、晴天が続いたせいか水の流れる音が普段よりも弱々しい。ただ、空はどんよりと曇っていて、いつ雨が降り始めてもおかしくないような状態にあった。

「どうにもモチヅキとかいうあのガキは信用ならねぇ」

 スマホをポケットに仕舞った早瀬竜司は曇り空を見上げた。大杉田太地も同意するように視線を上げる。

「孝之助のやつも完全には信用してねぇだろう。ただ、上手く丸め込まれちまってるような気がする」

「ああ、あの男は確かに異様だ。皆はキザキの方を警戒しているようだが、俺もアンタと同じで、あのモチヅキとかいう男の方が信用ならない」

「なんにせよ今日までだぜ。心霊学会だったかはもうどーでもいい。今日“火龍炎”をぶっ潰して、ついでにキザキとあのガキを半殺しにして、それでしめぇだ」

「俺は何処までもアンタについていくよ」



 生徒会書記の徳山吾郎はひたすらに苦悶の表情で校舎の周囲を歩き回っていた。

 昇降口前のレンガ畳を抜け、グラウンド横の花壇を通り過ぎ、理科室前の汚泥に澱んだ小さな池を横切ると、校舎の裏手に回る。学校の西側に生徒が訪れることはほとんどなく、枯れた噴水に立った天使のオブジェが物寂しい。校舎裏には低いケヤキの木が並んでおり、ゴミステーションの錆びた鉄板の上には青い葉が散らばっている。フェンスの向こうに見える職員駐車場には車がほとんどなく、そのまま旧校舎に向かって校舎裏を歩いていった吾郎は、木造の校舎の中だけは絶対に覗くまいと顔を伏せながら、東側の端にあるテニスコートを尻目に旧校舎裏へと回った。そうして旧校舎裏の広い空き地にたどり着いた吾郎は悠然と地面を撫でるシダレヤナギの巨木に目を細める。そういえば何故ここは旧校舎裏と呼ばれているのだろうか、と。シダレヤナギが揺れるこの場所は体育館と渡り廊下を挟んだグラウンドの向かい側に位置していた。学校の構造から見ればむしろ表であると言えるだろう。いったいいつから裏などと呼ばれるようになったのか。

 そんなどうでもいい想像をしながら、渡り廊下を横切った吾郎はまた昇降口前を通り過ぎた。そうして理科室前の小さな池にたどり着いた吾郎はふと人の気配を感じて立ち止まる。

「小田くんじゃないか」

 吾郎は驚いて目を丸めた。おかっぱ頭の機敏そうな少年が理科室の中を歩き回っていたのだ。夏休みの校舎でまさか不登校となっていた彼の姿を目撃することになるとは。いったい何をしているのか気になった吾郎はコンコンと理科室の窓ガラスを叩くと、有り余った熱量に突き動かされているような一年生に向かって昇降口前に来るよう合図した。

「やぁ小田くん、おはよう」

「あ、はい。おはようございます」

 下駄箱の前では運動部らしき数人の男子生徒が靴を履き替えていた。気が付けば午前八時を回っているようで、夏休みの学校にも少しずつ生徒たちの声が集まってきている。

 土間の段差に腰掛け、律儀にスニーカーの紐を結んだ一年生の小田信長はあまり気乗りしないような表情で吾郎の顔を見上げた。どうにも人見知りなようである。そういえば彼と自分にはあまり接点がなかったなと、何やら間が悪い思いがした吾郎は手持ち無沙汰に黒縁メガネのレンズを拭き始めた。

「あー、それで小田くん、学校の方はもう大丈夫なのかい?」

「あ、はい」

「そうかそうか、それは、うん、何よりだ」

 間が悪い。

 吾郎は別段に人見知りなたちではなかったが、彼のような見た目が大人しい後輩とはあまり関わったことがなかった。いったいなぜ自分は彼に声を掛けてしまったのだろうか。先程までの出来事を思い出そうと校庭を流し見た吾郎は「あー」とひどく間延びした声を出した。

「それで君は理科室で何をしていたのかね」

「え……? えっと、別に僕は、何も……」

「夏休みのそれもこんなに朝早くから、君は校舎の中でいったい何をしていたのかね」

「あ、あ……。べ、別に僕は……」

 もじもじと指を結んだ信長の視線が下がっていく。まるで詰問しているかのようである。運動部員たちの冷ややかな視線を首筋に感じた吾郎は思わず咳払いをすると、何をやっているんだ僕は、と頭を掻いた。

「いや、すまないね。自分で思っていたよりも僕は人付き合いというものが苦手らしい」

「あ、はぁ……」

「もしかして君は花子くんを探してたんじゃないかね」

「あ、そ、それです……!」

 信長の声が一段高くなる。やっと彼と目が合った吾郎は意味もなく黒縁メガネの位置を直すと、早朝の路地裏での出来事を思い出しながら苦悶の息を吐いた。

「実は僕も花子くんを探していたんだよ」

「その、ひ、姫宮さんも行方不明とかって……」

「君も検討はついているだろうが、おそらくまた花子くんたちはアレに巻き込まれてしまったのだろう」

「アレですか」

「ああ、アレだよ」

 二人の視線が重なり合う。不安げな表情である。もう二度とアレにだけは巻き込まれたくないと、頬を青ざめさせた二人は意味もなく頷き合った。

「あの、それで部長は……」

「まぁ花子くんであればいずれ自力で這い出てくるだろうさ」

「ひ、姫宮さんは……?」

「玲華さんも同様だろう。田中くんと田川くんだったかは分からないが、何にせよ、僕は花子くんに火急の相談事があるんだ」

「火急のですか?」

「ああ、ひどく不穏な事態となっていてね、それもアウトローな方面で。なんとしても花子くんを見つけ出して、彼女の規格外の力でこの状況を打破したいと考えているんだよ」

 吾郎は腕を組むと校舎の中を見渡した。もしもあの夜の校舎が夢でなかったとするならば、もしかすると睦月花子がこの会話を聞いていてくれて、ややもすれば指の骨を鳴らしながらやれやれとここに駆け付けてきてくれるのではないかと、そんな事を思ったのだ。だが、そんな都合のいい妄想が現実となるわけもなく、吾郎は僅かながら集まってきた生徒たちの声を呑み込むような深いため息をついた。

「これお主ら、ちょっと良いか」

 しわがれた声が背後から聞こえてくる。「はい?」と振り返った吾郎は思わず目を丸めてしまった。白い着物姿の老女とパナマハットを被った背の高い老人が校舎の入り口前に立っていたのだ。その安易ならざる雰囲気に吾郎はゴクリと唾を飲み込み、信長は小さな肩をさらに小さく縮こめてしまった。

「お主ら、ふむ、ちと瞳を見せておくれ」

 そう言った老女は目を細めると問答無用で吾郎の瞳の奥を覗き込んだ。吾郎はといえばさして抵抗することも出来ず、その様はまるで鷹に睨まれた蛙のようである。

「ふむ……。そうか、そういうことだったか……」

「何か分かったのか」

 老人が首を傾げる。パナマハットのフロントに手を置いた長身の彼は、シアサッカージャケットに紺のスーツと何処かの紳士のようだった。

「妙じゃ妙じゃとは思うておうたんじゃ。魔女である孫娘はいざ知らず、孫娘の友達だというあのオドオドとした娘の瞳にもこの傾向が見えておうた。ただあの二人の瞳はことさらに特殊での、これについては見落としておったわ」

「なんじゃその傾向とやらは」

「他者の記憶が混ざり込んでおる。普通ではありえんことじゃよ」

 吾郎の体を離した老女は彼の背後にいた信長の瞳を睨んだ。その鋭い眼光に射止められた信長は直立姿勢のままに凍り付いてしまう。

「お主ら、何か妙なことに巻き込まれなんだか?」

「みょ、妙なこと……? い、いやいやいや、そんなことよりもあなた方はいったい誰なんですか……!」

 何とか体制を立て直した吾郎は足を震わせながらも両拳を顎の前に平行に構えた。本人はファイティングポーズのつもりだったが、傍から見れば“お手”をする順従な犬のようである。

「ワシは姫宮玲華の祖母じゃ。ここの一年生に長い髪をした娘がおうたはずなんじゃが」

「ああ……あっ、ええっ? れ、玲華さんのご祖母様……? そ、そうであられましたか、これはこれは大変なご無礼を……」

「良いて。そんなことよりもお主ら、何があったかを早うワシに話せ」

「ええっと、何がとはいったい……」

「お主と後ろの坊主、ワシの孫娘とその友達の娘。実のところワシは他にも幾人か、記憶の混ざったような者たち知っておる。其奴らは一様に夜の校舎を彷徨うたと言うておうたが、もしやお主らもそれを見たのではあるまいか」

 白髪の巫女の瞳に鋭い光が宿る。吾郎は呆然としたような面持ちで背後に立っていた信長を振り返ると、こくりと顎を縦に動かした。


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