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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第三章
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道しるべ


 姫宮玲華は気を昂らせていた。ヤナギの霊の怨念によって誘われたであろうこのおどろおどろしい夜の校舎──時刻は正午ごろ──において、迷い込んだ哀れな者たちを現実の世界へと導ける人物は自分の他にいないのだと。

 行方不明となっている荻野新平ほか二人の大人はいざ知らず、片腕のない大野木詩織と両眼を失った大久保莉音は声を出すことすらもままならない。

 精神に異常をきたしている田中太郎と田川明彦は先ほどから職員室の湯呑みを片手に「最近のギルドは──」云々「先月の火龍の討伐は──」どうのこうの「勇者殿がまた“十握剣”を──」ほにゃららほにゃららと夢の中の酒場で世間話に盛り上がっている様子で、田中太郎いわく伝説の勇者だという橋下里香は未だに半裸である。

 自称天才の水口誠也はそこかしこから拾い集めてきた女生徒の体操着の上で鼻をヒクつかせていた。その様はまるで本能のままに腰を振る小汚い犬のようで、それが果てない人体実験──遊びを兼ねた──の影響だろうということは分かっていても、彼に対しての嫌悪感を姫宮玲華は隠すことが出来なかった。

 そして頼みの綱だった睦月花子はといえば、大久保莉音と同じようにヤナギの霊に両眼を潰されてしまっており、意識こそはしっかりとしているものの、この魑魅魍魎が跋扈する夜の校舎においての活躍はもはや期待できないだろう。この場で頼りになるのは魔女としての力を取り戻した自分において他になく、姫宮玲華は長い黒髪をさらりと後ろに流すと廊下の先に向かってキッと目を細めた。

「さぁみんな、行くよ!」

「何処によ?」

 睦月花子の呆れたような声が返ってくる。玲華はキッと目を細めたまま花子の目元に巻かれ白い包帯を振り返った。

「出口に決まってんじゃん!」

「だからそれって何処にあんのよ?」

 玲華はキッと目を細めたまま辺りを見渡した。そこは保健室の前であり、昇降口からの日差しが彼女たちの足元を明るく照らしている。

 玲華は細い腕を組んだ。出口はいったい何処にあるのだろうかと。だが、考えて分かるものでもなく、また花子を振り返った玲華はくわっと肩を怒らせた。

「そんなのあたしに分かるわけないじゃん!」

 わあっと大きく口を開けた玲華の瞳から涙が止め処なく溢れ出してくる。彼女もまた情緒不安定となっていたのだ。威勢のいい声を上げたかと思えば、突如として泣き始め、激しく怒り始めたかと思えば、不敵な笑みを浮かべながら黙り込んでしまう。

 そんな彼女の百面相は見てやることが出来なかったが、代わりに艶やかな黒髪を振り乱しながら泣き喚く彼女の姿を想像した花子は深いため息をついた。どうにも状況は悪くなっていくばかりである。

「出口を探していたのか?」

 その声に花子は驚かなかった。突然の木崎隆明の声にはもう慣れたものだ。ただ、警戒心を解くことはなく、振り返った花子はコキリと首の骨を鳴らした。

「探してたのかってどういう意味よ? まさかアンタ、私らがここでバカンスでも楽しんでるって思ってたわけ?」

「あ、いやそういうわけじゃなくって。ただアンタらってやたら落ち着いてるから、ここの事はすでに知ってるんじゃないかってさ、もしかして誰かを探してるんじゃないかって思ってたんだ」

「はん。アンタも随分と落ち着いてるじゃないの」

「いや、俺はただ諦めてるだけさ」

「ふーん、そんな風には見えないけどね」

 そう言った花子は目元を覆う包帯の表面を撫でた。先ほど木崎隆明に新しく巻いてもらったのだ。この場では唯一まともな存在であると言える木崎隆明はそれでも花子以外には意識されていないようだった。それは迷い込んだものたちが正気でなかった為か。それとも彼自身に何か問題があるのか。どうにもこの木崎隆明という少年からは人としての気配が消失してしまっているようだった。それはまさに影そのもののようで、盲目となった花子には今のところ彼を捉える術がなかった。

「まぁいいわ。で、アンタはいったい何を知ってるのよ?」

「出口を知ってる」

「な、なんですって……?」

 花子は驚愕のあまり表現を変えた。途端に激痛が頭を走るも彼女は気にしない。ただ、花子は湧き上がってくる激しい怒りが抑え切れなくなり、グッと拳に血管を浮かび上がらせた。

「知ってるってどーいうことよ!」

「ああ、ごめん、知ってるって言い方には語弊があったかもしれない。出られる可能性があるといった程度の話なんだ」

「そーいうことを言ってるんじゃないっつの! どーしてアンタはここを出ようとしないのよ! アンタのクラスメイトだってまだここを彷徨ってるんでしょ?」

「俺はいいんだ。クラスの奴らも別にいい」

「はあん? アンタまさか永遠にここを彷徨い続けるつもりなの?」

「ああ、そうだよ」

 木崎隆明の声には抑揚がなかった。稀に感情が込められることもあったが、ともすれば彼の声は無機質な自然物のように、聞く者の意識から外れてしまうのだった。

 花子は腕を組んだ。ムスッと唇は結んだまま、それでも彼女は冷静となった心で、彼の息遣いを意識し続けた。それが彼の意志であるのならば口を出す必要はないのかもしれない。生も死も、闘争も逃走も本人の自由であり、強者に立ち向かうか否か、弱者を守るか否かは本人の自由なのだ。そんな無常感にも似た想いを彼の抑揚のない声から花子は感じ取っていた。

「クラスの奴らを助けたいとは思わないの?」

「助けるの意味がわからない。これは彼らが選んだ道で、勝敗はこの世の摂理だろ」

「勝敗ってアンタ、ここをゲームの中か何かだって勘違いしてんじゃないでしょーね?」

「げーむの中? この世は弱肉強食だって話をしてるんだけど。俺はただ自然に逆らわず生きているだけなんだ」

「はん、生きたいって足掻く事こそが自然な本能ってもんでしょーに。つーかアンタ、仲間も自分も救うつもりはないってのに、どーして私たちのことは助けようとしてんのよ?」

 花子はそう首を傾げると、目元に巻かれた新品の包帯を指で撫でた。

「さぁ、どうしてだろう。君たちの存在が自然ではないからかもしれない。俺も存外まだ不自然な夢物語に憧れているのかな」

「ダメね、アンタの言ってることは何一つ理解してやれないわ。まぁ何にせよ、ともかく出口の場所とやらを早く私に教えなさい。そうしたらこの私がアンタら全員を助け出してやるわ」

「だから俺たちを助ける必要はないと」

「この世は弱肉強食だってんでしょ? なら強者である私のやることに文句はないわよね? 勝敗がこの世の常だって言うんなら、最強の肉食獣である私がそれを体現してあげようじゃないの」

 そう言った花子はガチリと歯を噛み合わせると、リノリウムの廊下に右足を振り下ろした。凄まじい振動が校舎全体を震わせる。木崎隆明は少し驚いた表情をすると、目の見えない花子に向かってまた抑揚のない声を飛ばした。

「分かった。僕は案内だけするから、後は強者である君の好きにするといいよ」

「相変わらず退屈そうな声ね。いつかアンタのことを驚かせてやるから、覚悟なさい」

「ああ、楽しみにしてるよ」

「はん、じゃあそろそろ出口まで案内して貰えるかしら?」

「分かった。えっと、それで、どう移動するかなんだが……」

 腫れぼったい目を僅かに開いた木崎は辺りを見渡した。

 シクシクと涙を流す黒髪の美少女。体操着の上で丸くなった変態。湯呑みを片手に盛り上がる男たち。重症で動けない女性が二人に、あられもない姿の女性が一人。

 まともに行動ができそうな者は目の見えない睦月花子と情緒不安定な姫宮玲華の二人のみで、この場から移動する為には田川明彦と田中太郎をなんとかして立ち上がらせる必要があった。

 実の所、彼らが保健室の前で立ち往生をしていたのは、この二人が座り込んだまま動かなくなってしまったせいだったのだ。重症者の二人を花子が、意識のない橋下里香を木崎が、そして変態は姫宮玲華がなんとかするとして、田川明彦と田中太郎にはなんとしても自らの足で歩いて貰わなければならなかった。だが、完全に夢の中にいるような彼らと意思疎通を図るのは困難で、恐怖の感情が欠落してしまっているせいか、花子の暴力を持ってしても彼らを立ち上がらせることは不可能だった。どうしたものかと花子は腕を組み、木崎はといえばまた退屈そうな表情で腫れぼったい目を閉じていった。

「たく、目さえ見えりゃあこのドアホどもの急所を的確にボコってやれるってのに……。おーいコラ姫宮玲華、アンタの変な力で憂炎と田川明彦をなんとか出来ないの?」

「へ、変な力じゃ、ないもん……。ひっぐ、ま、魔法だもん……」

「なんでもいいから二人を早く立ち上がらせてちょーだい。このままじゃ永遠にここを出られないじゃないの」

「き、聞かないんだもん……。そ、そこの二人……、変態も……、あだしの言うこと、ぜんぜん聞いて、ぐれなぐって……、ど、どうしようも、ないんだもん……」

「たく、アンタってほんっと役に立たないわね!」

「ひぃ……! ど、どーして怒るの……? あ、あだ、あだし……ひぐっ、あだじ……、な、なな、何も、悪いごと、じでないのにぃ……! ゔえーん、怖いよぉ……。王子ぃ、早く助げてよぉ……」

 わあっと甲高い泣き声がまた保健室の前に響き始める。もはや玲華までもがまともに歩ける状態になく、ため息をついた花子はもう仕方がないと、木崎隆明がいるであろう方向に顎をしゃくった。

「もういいわ。コイツらは置いていくわよ」

「いいのか?」

「しゃーないじゃないのよ! じゃあアンタ、他に何か妙案でもあるわけ?」

「いや……。だけど、この人たちはどうするんだ?」

「出口の場所を確認するだけよ。どのみちもう三人、行方不明のアホどもがいるわけだしね」

 陽の光に温かな昇降口前に向かって花子は親指を向けた。だが、木崎の首は縦には動かない。

「いや、駄目だ。俺がいないとこの人たちが殺されてしまう可能性がある。場所だけ教えるから、君一人で確認してきてもらえないか」

「それで間違って私が一人で外に出ちゃったらどーすんのよ! いい、どのみちここには安全な場所なんて存在しないの。もしソイツらが心配だってんなら、早く外に出してやる事を一番に考えなさい」

「本当に危険なんだ。これは決して妄想や考え過ぎの類ではない」

「なら急ぐわよ。行方不明の三人を見つけられれば、コイツらを運んでやる事だって出来るんだから」

 そう言った花子は返事を待つことなく廊下を歩き始めた。とにかく急がなければと思ったのだ。これ以上状況が悪くなる前に行動に移らなければと。

 何処かためらいがちな木崎の気配を背中に感じる。立ち止まることなく後ろを振り返った花子は、シクシクと喉を鳴らし続ける姫宮玲華に向かって「まかせたわよ!」と声を張り上げた。


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