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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
第三章
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一年D組の悲劇


 沢山の声が耳の奥を通り過ぎていく。

 移り変わる季節が目の奥を横切っていく。

 膨大な量の情報が頭の中を渦巻いていく。

 その中から最も大切な、自分の情報のみが、新たな記憶として選択されていく。

 これは記憶の操作か。まさか他の魔女が私の夢に入り込んでいるのか。

 いや、違う。そういった類のものではない。

 私は見ているのだ。誰かの夢を。何かの記憶を。



 姫宮玲華はゆっくりと目を開けた。

 暗い教室の天井。月明かりの仄かな窓辺。静寂に響く男女の声。

「やぁ姫宮さん、気分はどうだい?」

 八田英一の優しげな声が耳に届く。ゆっくりと体を起こした玲華は額のタオルを胸の上の落とした。先程までの頭痛はない。だが、倦怠感が強く、身体の火照りばかりが気になって思考が前に進まない。取り敢えず玲華はまた横になった。

「おいコラ姫宮玲華、悪いけどアンタ、もう休んでる暇なんてないわよ」

 心霊学会幹部候補生である水口誠也のカメラの写真を眺めていた睦月花子は、横になった玲華を振り返りもせず声を張り上げた。そのがなり声に玲華は眉を顰めてしまう。そのまま寝返りを打った玲華は、隣に横たわっていた大野木詩織と大久保莉音、そして二人の側で膝に顔を埋めた橋下里香を視界に入れると、ギュッと目を瞑って息を吐いた。

「……ねぇ、あたしってどのくらい寝てたの?」

「ああん? 十分くらいじゃない?」

「何いってんだよ部長、一週間くらいは経ってるっつの」

「いや、半日くらいだよ」

「一年っすよ。もう俺、限界っす」

「だーかーら、何でそんな時間感覚バラッバラになっちゃうのよ!」

 睦月花子が怒鳴り声を上げると、何だか可笑しくなった玲華はクスクスと笑い始めた。

「時計が止まってるから分かんないよね。出口は見つかりそうなの?」

 体を起こした玲華は首筋の汗を濡れたタオルで拭った。その白い胸元が見えそうになると、八田英一は慌てて窓の外の星空を見上げる。

「たった十分で見つかるかっつの。てか、アンタなら何か知ってんじゃないの? 魔女なんでしょ?」

「知ってたらとっくに出口まで案内してるよ。でも、でも、時間は止まってるし……、外に続く道には触れられないし……、あたしにもどうしたらいいか分かんないの……」

 そう言った玲華はこめかみを押さえた。頭痛がしたのだ。再び身体に火照りを感じた玲華は必死に吐き気を堪えた。

「ううっ……。き、気持ち悪い……」

「たく、やっぱりアンタは大人しく寝てなさい。アホが深く考えるな」

「アホじゃないもん……」

 そう呟いた玲華はグスンッと喉を鳴らすとタオルを額に置いた。やれやれと息を吐いた花子はまたデジタルカメラに視線を落とす。その様子を水口誠也は恨めしげに眺めており、なんとかあの恐ろしい鬼から大切なカメラを取り返せないものかと、彼は親指の爪を噛み締めていた。

 荻野新平と中間ツグミが二年A組に姿を現す。出口を探して夜の校舎を歩き回ってきた彼らの表情は思わしくない。黒色のリボルバーを右手に構えた新平が無言で教室に足を踏み入れると、恐々と背中を丸めた田中太郎と水口誠也は互いに肩を寄せあった。

「駄目?」

「駄目だ」

 新平と花子の視線が暗闇で交差する。ふぅと花子が肩を落とすと、壁に背中を預けた新平は暗い廊下の向こうに目を凝らした。

「出口が見つからんばかりか、他の亡霊すら現れない。俺たちは完全に閉じ込められている」

「はあん? じゃあこのままここで死ねっていうの?」

「時間も止まっている。死ぬことすらも許されんのかもしれん」

「ざけてんじゃないわよ、コラッ!」

 そう叫んだ花子は月の仄明かりにぼんやりと光った窓ガラスに飛び掛かった。だが、やはり触れることは出来ず、花子の人間離れした腕力も発揮出来ない。まだ石にお灸を据えた方が効果はあると、写真の中の月に手を伸ばすのを諦めた花子は腕を組んで夜空を睨み上げた。

「時間が止まってるって、アンタそれ、いったいどうしろっていうのよ」

 独り言のような言葉が吐き捨てられる。すると、花子の首に掛かったカメラを恨めしげに眺めていた水口誠也は「あれ?」と僅かに表情を変えた。「何よ?」と花子も首を傾げる。

「いやね、正確には、完全に時間が止まってるわけじゃないんだよ」

「はあん?」

「何故か教室によって日にちが違うんだ。この、僕たちがいる二年A組は1979年の七月四日で、隣の隣の教室、二年C組は同年の七月七日だったんだよ。これってさ、凄く凄ーくヤバいでしょ?」

 水口誠也は何やら大袈裟に頭を掻いた。苦悶の表情である。

 ポカンと花子は口を縦に広げた。別に驚いたからというわけではない。いや、多少驚きはしたが、その日にちまでもが正確な彼の情報がいったい何の役に立つのか分からなかったのだ。

「へぇ、1979年ね……。てか、今って何年だっけ?」

「今っていうか、俺たちのいた時代は2014年だよ。だからここは35年前の校舎って事になるね」

「ふーん。てかアンタ、どーやってそんなこと調べたのよ?」

「いや、生徒たちのノートに日付が書いてあったんだ」

 水口誠也は廊下側の壁に並んだ机を指差した。途端に花子は嫌悪感を露わにする。

「アンタ、女子の縦笛とか舐めてないでしょうね?」

「な、舐めるわけないでしょ! そもそも高校に縦笛なんて置いてないから!」

「じゃあ体操着にチ○ポ擦り付けたりは?」

「うおおーい! アンタも一応は女子でしょ! てゆーか、早くカメラ返せ!」

 水口誠也が憤る。花子が「はん」と腰に手を当てると、唇に指を当てた八田英一が何やら怪訝そうな表情をした。

「1979年、1979年と言ったね。それって1年D組の生徒たちが失踪した年じゃないか」

「そうなんですよ! しかも失踪事件が起こったのが七月十日なんです! すっごくヤバいでしょ?」

 また大袈裟に頭を掻いた水口誠也は、くわっと大きく目を見開くと愕然としたようなポーズをとった。まるで道化役の三枚目俳優である。やはりコイツはやってるな、と彼の変態的性思考を勝手に決めつけた花子は指の骨を鳴らした。

「1979年」

 荻野新平は暗い教室を見渡した。その隣で中間ツグミは不安げな表情をしている。廊下の暗闇に耳を澄ましつつ、リボルバーを内ポケットに仕舞った新平は、カーテンに包まれたヤナギの霊の死体を横目に流し見た。

「おい誠也、七月十日に位置する教室はあったか?」

「いえ、ありませんでした。まさかとは思って一年D組の教室も覗いたんですけど、あそこは七月九日の夜で時間が止まっていて、どうやらここは悲劇が起きる前の校舎のようです」

 そう言った水口誠也は額に手を当てると項垂れるように腰を折り曲げた。今度は悲劇役のヒロインか、と花子は首の骨を鳴らし始める。

「いや、偶然にしては出来過ぎている。もしかすると、その一年D組に何かあるのかも知れん」

「何かって何よ。まさか赤い糸?」

「知らん。ただ、ここに居ても埒が明かない」

「なら、もういっそ全員で移動しましょうよ。それで他のヤナギの霊が誘き寄せられるってんなら上等だわ。てか、その方が何か起こるかもしれないわよ」

「あ、そう言えば俺たちって、ここに迷い込んですぐにヤナギの霊に襲われたじゃん。ほら理科室の前で、あれってたぶん村田みどりだったよね。てことは、この校舎には七月十日以降の場所も存在してるって事じゃないかな?」

 項垂れるように腰を折り曲げていた水口誠也が顔を上げる。「どーしてよ?」と花子は首を傾げた。

「村田みどりが失踪したのも七月十日だからだよ」

「その村田みどりってヤナギの霊も一年D組の生徒だったの?」

「うん。それを引き起こしたのが彼女なのか、それとも彼女はただ巻き込まれただけなのか、はっきりした事は分かんないけどね」

「ふーん。あれ、そう言えば一人発見されたとか言ってなかったっけ?」

 そう呟いた花子の視線が八田英一に向けられる。姫宮玲華ら三人の看病をしていた八田英一は「ああ、そうだったね」と花子を振り返った。

「その悲劇の後に、一人だけ発見された生徒が居たんだ。天使像のある池の前に倒れていたって当時の新聞にも書かれているよ」

「へぇ、じゃあその事件前後の校舎になら、脱出ルートがあるってわけか」

「ああ、確かに……、そ、そうだよ……、脱出した生徒がいるってことは、七月十日であればここを出られるかもしれないんだ……!」

 八田英一の声が大きくなっていく。はっきりとした力強い声だ。皆の瞳に希望の光が浮かび上がると、窓の向こうの月に目を細めた花子は「はん」と腕を組んだ。

「てかさ、その脱出した生徒って、その後どーなったの?」

「あ、ああ、えっとね、随分と酷い目にあったそうだよ」

「はあん? いや、どーしてよ。まさか重症だったとか?」

「いいや、違う。彼、いやその生徒は男の子だったんだけどね、警察やマスコミ、失踪した生徒の家族からまるで犯人であるかのように追い回されたそうで、その心労からか彼の母親は自殺してしまい、彼の一家は離散してしまったらしいんだ」

 花子は絶句した。あまりにも哀れな話に言葉を失ってしまったのだ。

「その後、彼がどうなったのかは分からない。自殺したという噂なんだけど、何処かで一人、細々と暮らしているという話も耳にしたことがある」

「……なんて名前の生徒なの?」

「確か、木崎隆明という名前だよ」

「木崎隆明ね」

 噛み締めるように名前を呟く。たった一人で助かったというその哀れな男にいつか会ってみたいと思ったのだ。

「行くぞ」

 沈黙が訪れると、そう言った新平はまたリボルバーを斜め下に構えた。中間ツグミに向かって顎をしゃくった新平は暗い廊下に耳を澄ませる。コクリと頷いたツグミが、恐る恐る、ヤナギの霊の死体に向かって腕を伸ばした。その震える腕を掴んだ花子は彼女の代わりに死体を肩に担ぎ上げる。

「行くぞ」

 サッと廊下を見渡した荻野新平は教室を後にした。赤い糸を探して。時の流れを求めて。悲劇前夜の一年D組を目指して。夜の校舎に彼らの足音が響き渡る。


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