(閑話3) 伝記序文(あるいは、まとめ)
イルムヒルト・リッペンクロックの名前は、子爵家領主としての功績以上に、リッペンクロック商会長としての功績の方で名が通っている。
特に、彼女が8歳で子爵家当主を引き継いだ際に、当時の商務省長官クリストフ・バーデンフェルト侯爵の所に持ち込んだ事業構想のうち、シルク事業の構想立案については、今でも新規事業立ち上げの指南書的な扱いになっている。
シルク事業の構想については数多くの書籍が出ており、今更私が付け加える事は無いだろう。この事業構想の全体を最初に書籍の形に纏めたのは、当時の商務省長官の息女、後のバーデンフェルト侯爵アレクシア氏である。
今でこそ、アレクシア氏の纏めに対する解説本や、その解説本の解説本などが現れる始末だが、それだけイルムヒルト氏の構想やそれを纏めたアレクシア氏の功績が大きいという事だろう。
物流事業の構想については、先般見つかったイルムヒルト氏の手記から、当時の子爵領内の大型馬の生産牧場の救済策として始まった事が分かっている。しかしそこから王都という一大経済圏への共同配送への発展に留まらず、更に貨物箱の規格統一、重量の規格統一、大きさや重量、距離による価格体系、そして街道の整備規格の統一にまで至った。国の発展に大きく寄与した事は既知の通りだ。
リッペンクロック商会はこの2つの事業だけで莫大な利益をあげ、子爵領へ還元する事で領地の発展に寄与したが、爵位継承時に彼女が立案していた残りの5つの事業構想についても紹介していきたい。
<病院構想と医療の発展>
イルムヒルト氏が子爵家を継いだ当時、医療は王都で一部の医師達が共同で弟子を育成していたのを除き、医師や薬師は家業として子や孫へ伝承されているだけで医師同士や、医師と薬師との間の連携は殆ど無かったという。そのため、住んでいる地域で受けられる治療に大きく差があったようだ。
彼女が子爵家をわずか8歳で継いだのも、事故で母や祖父母を亡くした為であり、自らも大怪我を負った時の経験から、地域ごとに受けられる医療がその土地に根差す医師や薬師に依存してしまう事を実感し、この構想を立案したという。
バーデンフェルト侯爵家に残された資料によると、彼女の構想では柱は三つあった。
一つは各家の家伝として伝わっていた医療や薬品の技術を共有し、学問の一つとして学ぶ場を設ける事。一つはそうして学んだ医療を各地で生かすための医師・薬師の派遣。そして、学問を更に発展させるため、集中医療の場として医師と薬師が共同で患者の治療にあたる病院の設置。
当初、リッペンクロック子爵領各地の医師や薬師の質の向上のための交流の場を設ける所から始めたらしいが、医師や薬師の間での技術交流はともかく、医療技術を学ぶ門戸を広げる事は、当初は医師・薬師たちから大反対されたらしい。何故なら、彼等はそれを家伝として守り抜く事で収入を確保して来た一面があったからだ。
イルムヒルト氏は根気よく彼等を説得し、数年後、漸く追加で弟子を受け入れてくれる医師や薬師が数家現れた。そこへ商会から送り込まれた弟子達が、十五年の弟子入りを経て体得した知識・技術を共有し、医学や薬学を学べる医薬学校を子爵領都に設立した。
イルムヒルト氏は領内の医師・薬師達の家に配慮し、彼等と競合しないよう、医薬学校を卒業した医師・薬師の卵達を商会のシルク事業や物流事業の拠点に配属させていた。彼等で手に負えない患者が出てくると近隣の医師・薬師の助けを借りて治療に当たる事で、彼らの技量や経験を積ませていった。
医薬学校の卒業生はまた、子爵領内の各医師・薬師の元へ手伝いとして派遣され各地域の医療の質の向上に貢献しただけではなく、王都や辺境での従事者の増加にも貢献していった。
そして更に数十年後、多くの経験を積んだ医師・薬師達の数が揃ったところで、イルムヒルト氏は重い怪我や重病人を専門に診る集中医療病院を子爵領都に設立した。
イルムヒルト氏は集中医療病院が設立されて数年後にこの世を去ったが、この構想を更に発展させたのは次代当主エルヴィーラ氏と、イルムヒルト氏の生涯の友人だったバーデンフェルト侯爵アレクシア氏だった。
エルヴィーラ氏は、領内各地の医師・薬師達を根気よく説得し、集中医療病院を中心にした領内の医療連携体制に各地の医師・薬師達を組み込むことに成功した。そして弟の商会長ユストゥスと協力して財団を設立し、高額な医療費がかかる病気や怪我に対しては患者の代わりに財団が費用を支払う医療制度を構築した。
余談だが、この制度は適用対象が領民に限られたため、医療を受けたい患者とその家族がこぞって子爵領に移住しようとする問題を引き起こした。これを重く見た国が介入し医療制度目当ての移住を禁じたが、国が国内数カ所に集中医療病院を建設し、医療制度を引き継ぐまでトラブルが相次いだという。
アレクシア氏はイルムヒルト氏に倣い、領内の医師・薬師達の技術向上の為の交流会の開催から始めた。侯爵領には各種薬草の産地があり、特に薬学の分野において高い技術をもつ薬師を多く輩出していた。そしてイルムヒルト氏に倣ってそういった薬師達に弟子を送り込み、技術を学んだ弟子達を子爵領の医薬学校に派遣して医薬学校の技術発展に貢献した。
また、子爵領に倣って侯爵領内や王都にも医薬学校を設立する他、医師・薬師をサポートし患者を看る看護職の専門学校も設立した。それまでは患者のケアは若い医師・薬師の卵の役割だったが、看護職の登場により医師・薬師の負荷が大幅に下がり、医療現場の分業体制が一層進んだ。
余談だが、薬学の技術交流の中で薬液を皮膚へ浸透させる技術の話を聞き、それを化粧品の分野に応用する事を思いついたアレクシア氏は、商会を設立して画期的な化粧品を幾つも発売した。こうした医薬分野への彼女の貢献の背後には化粧品販売で得た巨額の財にあったという。
<決済代行業務構想>
商人達、特に規模の大きな商人達にとっては、多くの現金を保管したり取引の為に運んだりする事には常に危険が伴った。食い詰めた者達が野盗と化した時、彼らが格好の的となった。
そのため、どこか一箇所で商人別に現金を預かり、大口取引ではその商人別の現金口座同士でのお金の移動を書面上で行う事で、現金の持ち運びに伴う危険性を減らせないか。イルムヒルト氏はそのように考えたらしい。
そこで彼女が最初に考えたのはこんな単純な仕組だった。
- 商人達からお金を預かって、商人同士のお金の支払いや受取は口座の間の資金のやり取りで済ませる。
- 更に口座の入出金の履歴と、支払による出金の場合は相手先の商人名を記載したレポートを月次で商人に届ける。
- 口座を持っている商人に管理代行手数料を請求し、その支払いは口座の資金から引き落とす。
- いつでも口座から資金を引き上げる事が出来るという安心感を持ってもらうため、口座に預けてある分の現金は用意しておく。
このコンセプトを元に、最初は子爵領内で、かつ信用できる商会相手にのみを相手にこの事業をスタートした。
ただ物流事業により王都との物の流れが発生すると、それに伴う金銭の決済が必ず発生する。その際の現金のやり取りを口座間のお金の移動で済ませたいという要望は必ず出て来る。その為、下記の内容を後からコンセプトに追加し、王都でも事業をスタートさせた。
- 拠点間の取引の場合、どちらかの商人が両方の拠点に口座を持ち、決済自体は同一の拠点内の口座間の資金の移動で済ませる。
- 複数の拠点に口座を持つ商人は、主口座を一つ決め、口座間での資金の移動を商会に指示をする事ができる。指示の仕方は以下3通り。
・都度移動指示(必要な都度、資金移動を指示。)
・移動点指示(口座内の資金が一定額を下回った場合に主口座から指定金額を移動する。副口座のみ)
・戻し点指示(口座内の資金が一定額を上回った場合に主口座へ指定金額を移動する。副口座のみ)
そう、このコンセプトは、現在各地に存在する銀行の元となるものだった。
イルムヒルト氏は、このコンセプトには危険を孕んでいる事――運用者による横領の危険性、および資金が一箇所に集まる事による投資運用、あるいは流用への誘惑があることは承知していた。
前者については、担当する商会員の報酬を高くし、かつ全ての処理に複数人による確認を行う事で防止を図った。
そして後者については、イルムヒルト氏は集めた資金の商会による運用や流用を頑なに禁じた。商会は他のシルク事業や物流事業で大きな利益を上げており、資金運用により更なる利益追求をする必要が無かったのもこの方針を後押しした。
この決済代行事業は当初は目立たない事業だったが、物流事業の急速な発展を支えた影の立役者であった。
商取引において物品移動と売買決済は切っても切り離せない物だ。大口取引を抱える商会がこぞって物流事業による商品の輸送を行ったのは、便利な決済方法が対になっている事が大きな理由だった。
物流事業が急速に発展する事でこの決済代行事業が注目され、やがて多くの貴族家がこのコンセプトを真似し各地に銀行を設立する。こうして乱立した銀行は程無く、彼女の商会が決して手を出さなかった、預かり資金の運用に手を出した。
そして幾つかの銀行が野放図な運用を行った結果、焦げ付きによる資金ショートが発生し取り付け騒ぎに発展する事態となり、国が法律を新たに制定して厳しく業務監督する事態に陥った。
彼女が設立したこの事業は、決済代行専門のリッペンクロック銀行として残っている、現在も資金運用業務を内部規定で禁じており、他の銀行と違い資金を預けていても利息は付かない。それでも高い審査基準を通過してこの銀行に口座を持てる事は一種のステータスとして、現在でも顧客から高い信用と支持を得ている。
<製紙事業><印刷事業>
子爵家当主に就任した当時、彼女が領内の各地を巡っていて気付いたのは識字率の低さだった。貴族家の彼女は母親や家庭教師、あるいは教本で字を学ぶ事は出来たが、一般の領民は字に触れる機会が少なく、また小さい村では子供も働き手であり教える人も教える時間も無い状況だった。
領内各地に字を教える人を派遣しても子供が働いていては、決まった時間に子供達を集めて字を教えるなどできない。そこで、字を覚えるための一覧表を作り、それを描いた紙を各村に配って、時間のある時に村の人間に教えて貰う事で少しずつ識字率の向上を図った。
自分の経験から、本来は沢山紙に書いて練習する事が必要だろうと考えたイルムヒルト氏は、領民でも買える安価な紙の製造と、シルクへの染色技術をヒントにした印刷事業を構想した。
しかしこれらの事業は、彼女の手では実現しなかった。安価な紙の製造技術は、彼女の構想を耳にした発明家カスパール・フーバーがコルルッツ侯爵家の支援によって完成させた。
印刷技術の確立は更に後代となる。
<復帰訓練と補助具作成>
イルムヒルト氏が当主就任時に大怪我をした際、傷が塞がっても普通に歩けるようになるまで歩行訓練が必要だったという。また、彼女の側近に戦地帰りで体の一部が欠損した者が居たらしく、その者も普通の働きが出来るまで訓練が必要だったという。
その経験から、病気や、事故や戦場での負傷等に対する復帰訓練と、必要に応じて欠損した手足に対する補助具作成の必要性を感じたという。そこで、自らの怪我の際に復帰訓練を手伝ってくれた有識者の伝手を使って、まずは復帰訓練の人員育成から始めた。
一度病気や怪我で以前の働きが出来なくなった途端に社会的弱者に陥る事が多いため、復帰後に少しずつ月賦で支払ってもらう形を取った。悪意を以て踏み倒す者には厳しく対処したが、止むに止まれぬ事情で支払いが滞る者にはサポートを手厚く行ったという。そうして復帰訓練を受けた者の多くが現職復帰したり、出来ない者も別の職を見つけたりした。
補助具の方は、まだ関節を再現するだけの技術が無かったため、脚の欠損者には立つための義足、腕の欠損者には動かない義腕を開発するに留まった。
義腕は貴族子女中心に若干の需要があったそうだが、義足は戦闘で足を失った帰還兵達に再び立って歩ける希望を与えた。着ける人によってオーダーメイドで作る必要があり高価な物になったが、商会はこれを復帰訓練とセットで安価で提供した。
そのため事業としては単体では赤字だが、イルムヒルト氏はこの事業は必要なものと捉え、この事業は必ず継続する様遺言にも残した。
代を重ねてもこの事業は赤字でありながら継続するとともに、関節の再現についても継続的に取り組んだ。現当主アウレリア殿によると、義足の膝や足首の関節の再現というイルムヒルト氏の悲願は、一部達成できる目途が立ってきたという。
イルムヒルト氏が8歳当時の当主就任時に既にこれらの構想を持っていた事は驚嘆に値するが、彼女の遺した手記によると、これらの構想は全て彼女の母親である先代ヘルミーナとの共作だという。
どこまでがヘルミーナ殿の思い描いたものかは分からない。ただ全てがイルムヒルト氏の手によるものではないとは言え、これらの構想は全て実現し大きな成果を挙げた。
事業で大きく国の発展に貢献した偉人という面ばかり目立つイルムヒルト氏だが、領主として善政を敷き、領民達と直接交流して信頼関係を築き上げた名領主でもあった事は、リッペンクロック領以外では余り知られていない。
彼女が43歳という若さで病に倒れ亡くなった当時、当時の国王ヴェンツェルを始めとする国の重鎮達だけではなく、領民達皆が彼女の死を悼み、墓参する者が後を絶えなかったという。
彼女の偉業はこうした領民達との絶大な信頼関係が無ければ成しえなかった。そう後に夫のマリウス氏は語っている。
また、当時から女性の社会進出の萌芽は芽生え始めていたが、この時代イルムヒルト氏を筆頭に社会の第一線で活躍する女性が多く輩出された。
化粧品事業で財を成し、病院や看護師学校により医療分野でも大きく貢献した、バーデンフェルト侯爵アレクシア氏。
数々の作物改良や農業関連技術開発を主導し、後に女性として初の長官職として農務省長官を長く務めた、ホフマイスター法衣侯爵夫人クリスティーナ氏。
イルムヒルト氏に見出だされ、当時の社交界で活躍する女性たちを彩る数々の名品と言われるドレスを残したトップデザイナー、フェオドラ・シュバルツァー。
彼女達の活躍に触発された多くの女性達が、後に社会の第一線で活躍するようになり、子を産み育てるのが女性の役割だと見做されてきたそれまでの風潮が一変した。
彼女の夫、バーデンフェルト侯爵家から婿入りしたマリウス氏については、主に子爵領の統治の面でよく彼女を支えており、他には他貴族家との社交を担っていた様だ。
彼はイルムヒルト氏が亡くなった後、長女エルヴィーラ氏を5年後見した後に逝去している。イルムヒルト氏の様に目立つ功績は無いが、マリウス氏無くしては子爵領の統治は難しかったとイルムヒルト氏も述べている。
イルムヒルト氏とマリウス氏の間には、爵位を継いだ長女エルヴィーラ氏、商会を継いだ長男ユストゥス氏以外に次女ルイーゼと三女マルゴットが生まれた。
後に跡を継いだ長女エルヴィーラ氏の若い頃の手記に、イルムヒルト氏とマリウス氏の夫婦仲が窺える一節が残されていた。
『二人は人前では節度を持った振る舞いをしていたが、家族の前では時折、自分や弟妹達が居るのを忘れて、私達が居た堪れなくなる程の雰囲気を醸し出すことがあった。そういう時は決まって苦いコーヒーを飲み下したくなる。私達が居る場ではもう少し遠慮してほしい。』
そう苦々しく彼女が残す程、二人はかなり良好な関係だったことが窺える。
ダニエル・ランメルツ 記
これで本当に打ち止めとなります。
ここまでお読み頂いた皆様に感謝致します。
有難うございました。
新作「ジャンク屋メグの紡ぎ歌」の連載を始めました。
ジャンルはSFですが、難しいテクノロジーは話の肝ではないので、気軽に読んで頂けると有難いです。
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