(閑話2) 物流部門の立ち上げと行末
この手記は私ダニエル・ランメルツが、リッペンクロック伯爵家の依頼により伯爵家中興の祖、四代前の当主イルムヒルトの伝記を編纂するにあたって、リッペンクロック伯爵家に保管されていた資料の中から発見した、
イルムヒルト氏は右手が不自由だったと言われており、字の解読に時間を要するため、現リッペンクロック伯爵家当主アウレリア殿の協力を得て手記を清書させて頂いた。彼女には多大な感謝を申し上げたい。
なお、イルムヒルト氏が当主であった頃のリッペンクロック家は子爵家であり、伯爵家に昇爵されたのは次代当主エルヴィーラ氏の時である。イルムヒルト氏は再三の王家からの昇爵の伺いを固辞し続けたという。
現在の国内の幹線物流網は、イルムヒルト氏が築き上げたリッペンクロック商会の物流部門が元になっていると言われていたが、当資料はそれを裏付けするものとして歴史的価値が認められた。
以下は、イルムヒルト・リッペンクロック子爵の手記を書写したものであり、文中の表現は全て原文のままである。
―――◇――――◇――――◇――――◇――――◇――――◇――――◇―――
飼葉を沢山食べる大型馬は、維持費も掛かりますし、飼葉が予想外に減る事を嫌う街道筋の町や村からも敬遠されます。だから領内の大型馬の生産牧場は、主に軍を相手先にしていました。
領地のある地方一帯の高原に元々生息していた大型馬は、生息数はそれほど多くなかったらしいのですが、とにかく力が強い事から大量の荷物を一度に運ぶ軍には重宝されたため、生産牧場を作って数を増やしたのです。
しかしそれも、軍の教練場を競馬場に作り替えようと『アレ』が画策し始めてから、歯車は狂い始めました。
馬は品種によって小型種、中型種、大型種に分かれます。
小型種は一般的には子供の乗馬訓練などに使われますが、軍ではあまり用いられません。
大型種は、広い耕作地を抱える地域での農耕にも使われますが、主には軍での大量輸送や、一部の重装騎兵隊で使われます。
一番多いのが中型種です。馬車曳きや乗馬に広く使われますし、軍でも軽騎馬隊や将官の騎乗馬、斥候、伝令など幅広く用いられています。
大型種は維持費が高いからと、軍では軍馬の中型種への統一を模索し始めました。最初に母と祖父母が、大型種の生産牧場から相談を受けたのがこの頃です。
その時は、リーベル伯爵による締め付けで領地に商人が来なくなって色々と物資が不足していた為、領地独自で物資買い付けの商隊を作り、そこに牧場で生産していた大型種を採用する事を母が発案しました。
ただ、本当に軍が大型種の馬を買わなくなった場合、この商隊だけでは牧場の生活を支え切れませんし、伯爵からの圧力が無くなった時に商隊の必要性自体が薄れてしまいます。
重装騎兵隊は残るものと思われますが、軍へ大型種を納めているのはうちの領地だけではなく、特にうちの領地では荷馬車用に鍛え上げているので、今から重装騎兵用への方針転換をして他の牧場と競い合うのは難しいでしょう。
結局、本当に軍が大型種の馬を買わなくなった場合に備えて、新しい大型馬の需要を作り出さないといけないと、母は思い至りました。そこで母と私は、物資買い付けの商隊設立を参考に、大型馬の荷馬車による配送網の構築を模索しました。
今も昔も、人の集まる王都が一番需要の大きい場所です。ですから領内の商人達もこぞって王都へ商品を売りに行き、王都で商品を買い付けて領地へ持ち帰ります。
しかし、幾ら街道が整備されているからといって、王都までの道のりは全く危険が無いわけではありません。それに商人自身が馬車を操る場合、王都を往復する間の商売は止まってしまいます。
であれば、大型種の馬による多頭立ての荷馬車を作って、そういった商人達の代行で王都への荷運びを行う代理運送はどうでしょうか。王都との往復に掛かる日数に応じた商売の機会損失、危険を冒さずに済む安全性も含めて、自身で王都と往復する費用より割安であれば、依頼してくる商人は出て来るのではないか。そう私達は考えました。
まずは、このコンセプトを領都クロムブルクで商会を構える商人達に話して感触を確かめてみると、王都への輸送を一手に引き受けてくれる所があると有難いという反応が返ってきました。やはり商会毎に王都へ荷馬車を走らせており、運ぶ荷馬車が足りない場合は他の商会とスペースを融通し合っているようでした。
あと予想していなかったのが、王都の情勢と先物取引相場の情報を定期的に入手できると有難いという反応でした。王都での相場の傾向を見て、王都で高く売れそうな物や、逆に安く買えそうな物が分かると商機に繋がるという事です。王都との間での取引や物の移動が増える可能性が有るので、これは朗報でした。
ただ、課題は思いつくだけでも三つ挙がりました。
一つは飼葉の問題です。定期的に大型の荷馬車を動かすのであれば、どういう日程でどういうルートを動かすかを事前に想定して、必要な飼葉を前もって手配しておく必要があります。
もう一つは馬車の運行ルート。王都に近くなるほど、街道の交通量は多くなります。そうなると街道筋であっても大型の荷馬車は通行の邪魔になる事が想定されます。飼葉を確保しつつ、なるべく通行量の少ない街道でルートを築いていく必要がありそうです。またルートのどこで馬を休憩させるかも検討が必要です。
最後の一つは価格設定。他の人の荷物を預かって輸送する場合、どの様な価格体系にすればお客様に分かり易くかつ公平感があるか。そしてその体系の中で、採算ラインをどこに設定するか。これは1回の運行でどれ位費用が掛かるかを元に算出する必要があります。
価格設定はともかく、飼葉と運行ルートの問題は独力では解決できません。この辺りの運用知識を持つ人は王都の軍部に居るでしょう。それに王都での情報収集や荷物の配送について現状を調べる必要があります。
この王都への運送事業を立ち上げたい。そう私達が思っていた矢先に、事故で母と祖父母を亡くし、私も大怪我を負いました。
怪我の治療で臥せっている間にシルクの原料に目途が立ったので、完全に治りきる前に王都へ行き当主就任の手続きを済ませたついでに、商務省長官・バーデンフェルト侯爵クリストフ様に面会して、この事業コンセプトについて相談しました。
この運送事業については、コンセプトは悪くないが、それを表す名前としては事業名が不適当だと指摘されました。王都-子爵領間の物の流れを一手に引き受ける、というイメージに沿う名前の方が良いというアドバイスの元に、物流事業と銘打つ事にしました。
飼葉や運行ルートについては、軍部の補給や兵站を管理する部門に知恵を借りたいので、競馬場の設立を進めているであろう軍務省長官経由では無く、できれば横の繋がりで伝手を紹介頂けないか。そうクリストフ様にお願いしました。
クリストフ様に御紹介頂いたのは、王都第一大隊のマテウス・アーデルング副大隊長でした。マテウス様は法衣伯爵家に養子で入られ、学院でクリストフ様と同級生だった御友人だそうです。
マテウス様は大隊の補給計画の立案などもされているようで、兵站部とも普段連携を取り合っているとのことで、競馬場の話と絡めて物流事業の構想をマテウス様に話しました。兵站に対する権限がないのでマテウス様自身はこの事業について相談には乗れないとの事でしたが、競馬場の話はマテウス様も思うところがあった様で、兵站部の責任者へアポイントメントを取って下さいました。
後日軍の兵站部責任者、クレメンス・バルシュミューデ兵站部長と、その副官の一人フリッツ様とお会いしました。
あらましはマテウス様から聞いているが、詳しく事業の話を聞かせて欲しいという事で、現時点での構想と課題について話しました。
兵站部長クレメンス様からは、軍馬教練場を競馬場へと作り替える話と、軍馬の中型種への統一の話が上から来ているのは事実だと仰いました。ただ兵站部としては、大型種の軍馬の輸送力は捨てがたく有事には必要と考えていて、なんとか大型種の軍馬を残せないか検討していたとの事です。
あと、有事の兵站では街道を封鎖して輸送を行いますが、この事業で輸送する量が増えると街道の交通量が増えて、王都に近くなる程通行に支障が出るだろうから大型馬の輸送専用の道を作る方が良いとも指摘されました。
幸い子爵領と王都の間はそれほど険しい山が有ったりはしませんが、それでも新たな大型馬の専用道を作るとなると、それは一子爵領や一商会には負えません。
そう話すと、最初から道として整備する必要は無く、大型馬の馬車が通れそうな畦道や間道などを調べて通行許可を貰っていけば良いし、王都に近い所は軍用の輸送路もあるので軍に通行許可を貰えば良いとの回答が得られました。
輸送用の馬車については、使用年数が過ぎて解体予定の馬車があるからまずはそれを払い下げようと提案されました。払い下げされた馬車の構造を調べれば、領地でも作れるかも知れません。
この商会の事業が成功すると大型馬による大量輸送を残すきっかけになるので、軍としての正式な物では無いが兵站部としては協力したいとの事。今後相談事があればフリッツ様が便宜を図るので、フリッツ様へ面会依頼を出して欲しいと言われました。
また最後に、中型馬への統一が軍内部でもっと進んだ場合、現在軍で大型馬の育成や教練、世話をする担当者達の仕事が無くなってしまうので、希望者が居れば引き受けて欲しいと言われました。これからこの事業には人が沢山必要になるので、それは是非お願いしますと回答しました。
こうして軍の兵站部の協力を得て、物流事業を構築していきました。最初は払い下げられた軍用の荷馬車を解体して子爵領に運び、構造を調べて同様の荷馬車を領地で作成しました。
その馬車を用いて、試験運用で2週に1回子爵領-王都間を往復し、行きは領地で請け負った荷物を運び、帰りは王都で私の商会が購入した物品や先物取引相場の情報を領地で販売しました。取引相場は専用の人員を王都で雇い、日々の値動きを調べた結果を領地で販売します。運ぶ荷物は規定の荷物箱でしか請け負わず、価格設定は1箱幾らで設定しました。
試験運用の結果は好評で、この事業を続けて欲しいという要望が相次ぎましたが、規定の箱で入りきらない物も運んで欲しいという要望が多く、荷物の大きさや重さによる価格設定を検討しました。
様々な検討の結果、以下の様になりました。
- 規程の荷物箱未満の大きさの物は基本的に受け付けない。但し、例外が二つ。
- 1つは、複数の人が共同で1つの荷物箱を共用できるよう、中に仕切りを設けた荷物箱を用意する。仕切り箱は2分割、4分割の2種類。規程の重量より重い物は共用できないものとする。仕切り箱は2分割、4分割の2種類。料金は規定の荷物箱の規定重量の料金の、それぞれ半分、4分の1。
- もう一つは書類の輸送。既定の封筒に入る大きさであれば、1封筒当たりの料金を設定する。
- 規定の荷物箱は基準の重量帯を設定し、その重量帯より軽い場合は割り戻しを、重い場合は重量の度合いで段階的に追加料金を設定する。
- 規定の荷物箱より大きい荷物については、大きさと重さによって段階的に追加料金を設定する。
この価格設定で暫く運用してみようという事になりました。
この運用を始めてしばらくすると、仕切り箱や書類封筒の輸送が割高になる事に目を付け、小口の荷物をリッペンクロック商会より安く受付けて規程の荷物箱に詰め合わせる、小口荷物の受付代行業者が出てきました。小口荷物の配送先をちゃんとわかるようにしてくれるのであれば、商会としては手間が省けるので大歓迎です。そういう事が出来ていない場合は荷物を突き返すことで、管理の出来ない、いい加減な代行業者は淘汰されて行きました。
王都で収集した先物取引相場の情報も、日々の値動きの推移だけではなく、今後値動きに影響を及ぼしそうな出来事や法改正の情報、月次の総評をつけて欲しいという要望が上がり、それらを付加したレポートを販売すると王都側でも子爵領側でも飛ぶように売れていきました。わざわざ別の領地から買いに来て、写しを取って転売する商人まで現れました。
子爵領だけではなく近隣の領地からも王都への配送荷物が持ち込まれる様になり、子爵領-王都間の物流は大きく利益を上げ始めました。
そうすると今度は、王都までの経路の途中にある領地の領主家達からも、各領地から王都への荷物の配送を受け付けて欲しいと要望が挙がり始めます。荷物を受け付ける拠点や大型馬の通れる道の整備などを領主家側の主導で行ってもらう事で、中継拠点を増やしていきました。
中継拠点を増やすと今度は王都から各領地への荷物の配送の依頼が多くなり、軍からの輸送依頼も一部請け負う事になりました。また、この事業で上げた利益でシルク事業を立ち上げ、仕立屋『フラウ・フェオドラ』や女性用仕事着の店『エルゼ・エルゼ』を作り、その配送まで行うようになると。商会の利益は更に大きくなりました。
そして大規模商会として登録する様、商務省から通達を受けました。大規模商会になると税金が上がりますが、そろそろこの規模になると高位貴族に目を付けられ始めていたので、大規模商会として登録しました。
ここまで大きくなった陰で、軍の兵站部のフリッツ様には様々な助言や助力を頂きました。
彼の兵站の経験から、最初は飼葉やその集積地の確保から、休憩地の確保、大型馬の育成方針、輸送ルートで起きがちなトラブル、そして中継地の要望が出てきた頃からは荷物の中継地の作り方、リレー方式での輸送提案など、様々な部分でアドバイスを頂き、彼と議論を重ねています。
それに、軍部が大型馬からの切り替えを進めていくにつれ、大型馬の世話や教練をしていた人材を多く商会に紹介して頂きました。
それこそこの物流事業については、私と同じぐらい中身をよく知っています。
大規模商会へ登録した際に、フリッツ様と兵站部長にお礼とお土産を持って行こうと、アポイントメントを取り兵站部に伺いました。
兵站部長からは、そろそろ他の人に事業統括を任せる時期だと提案を受けました。そしてその統括としてフリッツ様を推薦するというのです。確かにフリッツ様は事業の全体像を把握していますが、兵站部長の副官ですから、大丈夫なのかと聞くと、これはフリッツ様の希望で、大型馬による全国物流網に向けた道筋をつけてくれた私達に対する部長のお礼でもあるそうです。
そうして、フリッツ様を商会に迎え、半年の引継ぎの後に彼を物流部門統括に任命しました。
立ち上げから30年経った今、商会の物流街道は王都から子爵領を抜け、遠くバッケスホーフ辺境侯爵領まで伸びました。各中継拠点から近隣領地への街道整備も、近隣領主達が進めています。また他の幾つかの商会が、私達からの助言や支援の元、王都から別方面への物流を構築中です。
大型馬の生産も子爵領だけでは追い付かず、あちこちの領地で物流事業用に生産して頂いています。飼葉の生産の為に未開発の土地が開墾され、生産を担う為に生活に困っていた帰還兵達も多く携わり、皆が安定した生活を手に入れました。
こうして振り返ってみると、この物流事業が数年で形になり、その後も大きく飛躍を遂げたのは運にも恵まれていたと思います。
軍から大型馬を扱う専門の人材が流出し始めていた事。
子爵領や途中の経路上の領地の皆様の、街道整備と糧秣確保への協力。
そして何より、兵站部長クレメンス様やフリッツ様はじめ兵站部の方々の助言と支援。彼らの協力が無ければこの事業はずっと試行錯誤の連続だったでしょう。
『アレ』によって発生した不始末から困っていた一生産牧場を助けるための物が、今や多くの人たちの生活の支えになり、皆が豊かになって行くのを見届ける事が出来たのは、本当に嬉しいです。
―――◇――――◇――――◇――――◇――――◇――――◇――――◇―――
以上が、リッペンクロック商会物流事業部についてのイルムヒルト氏の手記である。
彼女は子爵家当主とリッペンクロック商会の商会長を兼務していたが、彼女が41歳の時に商会長を退任した。後任には長男ユストゥスが就任し、彼女自身は名誉会長として商会の経営の第一線から退いている。これが書かれたのは、その前後だと思われる。
なお、文中に出て来る『アレ』は特定の人物を指すものと思われる。当時の軍務省で競馬場の設立を牽引し、後に処刑された当時の軍務省長官、バルヒェット法衣侯爵バルナバスとする説が有力であるが、誰なのかは判明していない。
ダニエル・ランメルツ 記
本編にはまだ回収できてない伏線もありますが
来週あたりにもう1話投稿して、それで本当に打ち止めの予定です。





