51 母を知る御方に形見分けをしました
長い長い一日が過ぎ、翌朝王宮の客間で目が覚めました。
今日は右手の本格的な処置と、その後午後に王太子殿下が執務室に来て欲しいそうです。これから殿下は大変な筈ですが、わざわざ時間を取ってまでどのような用件なのでしょうか。
昨日は疲れて食事を採らずに眠ってしまいましたが、朝食も王宮側で用意頂きました。動かない右手を考慮して、食事は左手だけで食べられるよう食材が小さくカット済であったり、カトラリーが全て左側だけに置かれていたりと、色々配慮頂いた様です。
食事の後、医務室へ向かう為客間の外に出ると。マリウス様がいらっしゃっていました。
「おはよう、イルミ。それじゃあ行こうか。」
マリウス様のエスコートの手を取り、王宮の医務室へ向かいます。
「学院には休みの届出をしてあるから、今日はずっとエスコートさせて欲しい。早速貴族達が押しかけて来ているらしくて、これから王宮は慌ただしくなるからね。ちょっと遠回りだけど勘弁して。」
昨日の子爵邸での争乱と、宰相・軍務省長官の拘束。アレの事までは漏れていないでしょうが、国政に大きな影響が出ます。耳聡い貴族達が情報収集のため早速王宮に詰め掛けている様です。
彼らに見つかったら、私の所にも押し寄せて来るに違いありません。遠回りでもなるべく人通りの少ない所を通って行くとの事です。
「どうやって道順を調べたのですか?」
「侍従の皆さんに教えてもらった。協力する様言われていたらしい。」
殿下自身は少々呑気で頼りない所は有りますが、食事の事といい、こういう細かい気遣いが出来る方が御傍にいらっしゃる様ですね。
そうして貴族達に見つからない様に医務室まで行き、本格的な処置をして貰いました。ただ短剣が深く刺さってしまったせいで手の骨や組織が繋がらず、傷は塞いでも握力が戻らない可能性は高いと宣告されました。
「大丈夫?」
「このまま動かないと、仕事には色々支障が出そうですが・・・後悔はしていません。それに辺境帰りで酷い部位欠損を負った方々も知っています。その方々の苦労に比べれば軽いものです。
動かないなら動かないで、代わりに取れる方法を考えましょう。」
マリウス様が心配そうに聞いてきます。動くように訓練はしますが、それでも動かない場合は仕様がありません。それを前提として、どうするかを考える方が建設的です。
「・・・イルミは逞しいね。」
「8年前の経験があるからですよ。あの時はもっと酷い状態だったのです。今度も出来るに決まっています。」
処置に時間が掛かり、医務室を出た頃には午後になっていました。このまま王太子殿下の執務室へ向かいます。
通りすがりでも殿下に会って何か話をしようと待ち構えている貴族達が周辺に居ると、私達を先導する侍従達から聞かされます。ですが殿下が多忙な事を理由に貴族達の挨拶を躱し、執務室へ通されます。
いつもと違い、殿下の後ろには近衛騎士団長が控えています。
殿下にも手の処置の事は訊かれ、マリウス様と同じようなやり取りをした後、用件に入ります。
「子爵、マリウス君。呼び立てて申し訳ない。
君達に面会を希望する者がいる。昨日の話に上った、隣国の外交官ノーベル・ドナシアン殿だ。」
母の最初の婚約者――前の名をノルベルト・ハイメンダール殿ですか。確かに、一度お会いしておいた方が良さそうです。
「彼は数日前から個人的事情でこちらに来ているが、正式に父に退いてもらう前に隣国に情報を流して貰っても困るので一旦王宮に留めている。
彼は最初から君達に面会したいと希望していたが、子爵はそれ処では無かっただろう? 懸案事項も昨日で片付いたから、会わせても良いだろうと思ってな。
彼の部屋には近衛に案内させよう。」
「私への面会希望は分かるのですが、マリウス様もご一緒とは?」
「彼は独身なのだ。子爵と2人で会うのは不味かろう。」
そういう理由なら、マリウス様と一緒に面会したほうが良いでしょう。でも母と同い年の筈ですが、独身?
「了解致しました。
面会場所に向かう前に2点お聞きしたいのですが、まず昨日の件で殿下がご提示された証拠品の話をする際に、どこまでノーベル様に話をして良いでしょうか?」
「そうだな・・・彼に感謝の意を示すなら、父の件を話さざるを得ないか。本国に口外しないのであれば、父の件は話して良いだろう。
彼には、私からも感謝していたと伝えて欲しい。」
あの証拠品が無ければ、アレを追い詰めるのは難しかったかも知れません。
「あと1点ですが、昨日の調査の結果はどうだったのですか?」
「うぐっ・・・!」
アレが何を準備していたかという調査について聞くと、急に殿下が苦虫を噛み潰したような表情で黙り込みます。
「調査の結果、父が碌でもない事をしようとしていたのは分かった。だが具体的な事は、流石に子爵には、言えん・・・。」
すると殿下の後ろに控える近衛騎士団長が発言します。
「子爵殿。世の中には、知らなければ良かったと後悔する事柄もございます。知ってしまえば、決して知る前の状態には戻れません。
これは、そういう類の事だと思って頂ければ。」
・・・とても私に話せる内容ではない、と言うのはよく分かりました。
本当に、攫われなくて良かった。
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殿下の執務室を辞去し、近衛騎士達の案内でノーベル殿の所へ案内されます。扉をノックし、入室許可を得てマリウス様と一緒に入室します。
部屋には、グレーの髪にダークレッドの瞳の、40歳前後の男性が居ました。
「リッペンクロック子爵イルムヒルト殿と、お隣が婚約者のバーデンフェルト侯爵子息マリウス殿かな。
はじめまして。私がノーベル・ドナシアンだ。」
「初めまして、イルムヒルトでございます。」
「婚約者、マリウス・バーデンフェルトです。」
お互いに挨拶を交わし、応接卓のソファーに着きます。
「それで、私と面会したいとの事でしたが、どういったご用件でしょう?」
「それなのだが・・・私が以前、ノルベルト・ハイメンダールという名前で、君の御母堂、ヘルミーナ殿と婚約関係にあったことは知っているだろう。」
「勿論です。母からは貴方様の事は聞いておりました。」
そう言うとノーベル様は、両手を卓について頭を下げられます。
「・・・君に謝っても仕方が無いと思う。だが、だが・・・学院時代に、父が爵位を返上して逃亡した際、私だけでも残っていれば・・・ヘルミーナ殿の苦境が、どうにかなっていたのではないかと、今でも・・・。」
・・・ノーベル殿は、学院時代に母を置いて逃亡せざるを得なかった事を、今でも悔いているのでしょう。
アレはどれだけの人の人生を弄んだのか。本当に罪深いです。
「ノーベル様、御顔を上げてください。
母からその時の話は伺っております。御父様と兄様が爵位を捨てて隣国に逃亡する際に、貴方様だけは残って王太子から母を守ると、迎えに来た御父様と兄様と喧嘩なさったそうですね。それを見かねた母が止めて、貴方様に逃亡を強く勧めたとも。
言葉も違う慣れない隣国でノーベル様が元気にしているか、母はずっと気に掛けておりました。母は鬼籍に入ってしまいましたが、ノーベル様が御健勝であられる事、母も喜んでいると思います。」
「そうか・・・有難う。
私が隣国に行ってからも、ヘルミーナの事がずっと気に掛かっていた。あのクソ王太子・・・いや、仮にもこの国の国王の事を言うには言葉が悪いな。」
「顛末は私も知っております。アレを敬う事などできませんから、この場ではそのままの言葉で良いですよ。」
ノーベル様はわざわざアレの事を言い直そうとしていますが、その必要はありません。
「・・・そうか、では遠慮なく。
あのクソ王太子がヘルミーナに執着していたから、私が居なくなってからの事は気になっていた。それに調べたが、ヘルミーナの結婚相手は陰険野郎の弟だったろう? ヘルミーナが無事に過ごせているか、ずっと気になっていた。
それが8年前、彼女が事故で亡くなったと聞いた。これはあのクソ王太子と陰険野郎達の仕業かも知れないと思い、亡くなった経緯を調べたが、隣国からでははっきりした事は分からなかった。」
この方からは、母への思い、アレやエッグバルトに対する怒りを強く感じます。
「私が漸く外交官の資格を得た時に、陰険野郎が拘束されたと聞いた。それで、ヘルミーナの亡くなるまでの経緯と、陰険野郎やクソ王太子、いやクソ国王達への報復の可能性を探る為に、この国に来て王太子殿下に面会したのだ。
ヘルミーナについては君に聞けと言われたが、彼女は幸せに暮らせていたのだろうか? 君の知る限りの事を、教えてくれないか。」
「・・・エッグバルトの弟エーベルトと結婚式を挙げた後、諸事情でエーベルトは伯爵領に戻らねばならず、そこから母が亡くなるまで、父ともエッグバルトとも、会う事は無かったようです。
それから母は、体調を崩した祖父から爵位を継承し、事故で亡くなるまでずっと領地経営に奔走していました。大変な日々でしたが、領民達には慕われておりましたし、領主として幸せだったと思います。」
「・・・そうか。それなら良かった・・・。」
ノーベル様はハンカチを目に当てながら、心底安堵したように呟きます。本当に母の事を思って下さっていたのですね。
「それから、そのノーベル様のお持ちいただいた、彼らの学院での所業を示す証拠品については・・・あの証拠品のお陰で、殿下がクソ国王を失脚させる事が出来ました。現在は謹慎中です。
王太子殿下はノーベル様に感謝しておりました。私からも感謝申し上げます。
これは、まだ限られた人間しか知らされておりません。くれぐれも、ここだけの話でお願い致します。」
「・・・そうか、そうか。了解した。
昨日から物々しいと思っていたが、やっと・・・。」
ノーベル様は、もう涙を隠そうとはされません。
「・・・みっともない所を見せてしまった。
だが、ヘルミーナが幸せに過ごせたこと、クソ王太子たちが報いを得た事・・・良い報せを聞かせてくれて、感謝する。
あの証拠品を保管しておいて、良かった・・・。」
母の事だけではなく、ずっと彼らに復讐する事を考えていたのでしょう。涙を拭いたノーベル様は、清々しい顔をされています。
そう言えば、先日第三騎士団から引き取った装飾品の事を話さないといけません。
「ところで、ノーベル様が母に贈った耳飾りについては、憶えておられますか?」
「ああ、よく覚えているよ。私達の瞳の色をあしらった物だね。あれは、ヘルミーナの誕生日用に用意していた物だが、結局別れの品になってしまった。ひょっとして、まだあるのかい?」
「母は亡くなるまで、あの品を大切にしておりました。数少ない母の遺品ではありますが・・・ずっと母の事を思って下さっていたノーベル様に、母の瞳の色をあしらった側を差し上げたいと思います。
後程、ノーベル様にお届け致しましょう。」
あの耳飾りは子爵家に唯一残っている、母とノーベル様の繋がりを指す品です。
別れてからもずっとお互いの事を気に掛けていた二人です。こうする方が母も喜ぶことでしょう。
「形見分けをして頂けるのか。有難う。・・・大事にするよ。」
それから私達は、アレに関わる前の母との思い出話を沢山、ノーベル様から伺いました。
彼の記憶にある母は、私の知る在りし日の母と同じ、穏やかで心優しく、気配り上手な・・・そして私の知らない、素敵な笑顔でよく笑う女の子でした。
色々お話を伺った後、私達はノーベル様の元を辞し、王宮を出て帰路につきます。馬車の中でマリウス様に話し掛けられます。
「これで、良かったと思うよ。イルミ。」
「えっ?」
「あのクソ国王に苛まれただけの人生では、イルミのお母様が浮かばれない。真実を告げたら、ノーベル様はずっと国王やこの国を恨んで生きていくだろう。
だから本当の事を告げずに、お母様が領主として幸せだったってノーベル様に伝えたんだよね?」
「・・・ええ、そうです。真実を知る事が必ずしも良いとは限りません。」
マリウス様の言う通り、真実を知ればノーベル様は死ぬまでアレを、そしてこの国を恨むでしょう。あの方は外交官です、その恨みは必ず隣国との騒乱を生みます。
そうすれば、被害を受けるのは何も知らない民衆なのです。
「それに、イルミは・・・お母様の幸せな姿を、ノーベル様の心の中に残しておきたかったんだよね? お母様が幸せだったって記録や記憶を、いろんな人の心に残してあげたいね。
今ならわかる。領地のお母様の墓碑銘も・・・亡くなるまで立派に領主を務めていたと、領地の皆の心に残したかったんでしょう?」
マリウス様は私に微笑み、言葉を続けます。
「そうやって、一つ一つ、お母様の幸せだった記憶や功績を残していこうよ。
私も一緒にやるよ。父上も母上も、姉上も、殿下だって・・・イルミの意を汲んで、手伝ってくれる筈だよ。」
「マリュー・・・有難う・・・。」
マリウス様がそっとハンカチを貸してくれます。
帰り着くまでずっと、静かに涙を流す私の背中を、マリウス様は優しく撫でていてくれました。
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