50 王宮には『アレ』が居ました (4)
「おい! 降りてこい!」
アレが天井を睨みつつ、パンパンと手を叩き声を上げます。
しかし当然ながら、天井からは何も反応がありません。
「馬鹿な・・・何故だ!」
「子爵が頭領ゲオルグを討ち取った。後継者は、《梟》がいずれお前や宰相達に使い潰される未来しか無いと考えたのだ。彼等も生き残りを図ったに過ぎん。
それもこれも、お前が《梟》を便利な駒としてしか使わなかったからだろう。」
老侯爵がアレを諭しますが、聞き入れる気がしません。
《梟》の腕利きに影の護衛をさせていたのでしょう。呼んだのは私達を始末させるためでしょうか。本当に便利な駒としてしか見てなかったのですね。
「くそ、こうなったら。イザーク!」
アレはまた、誰かを呼びます。その声に応じて部屋に入って来たのは・・・あの特徴的な鎧姿は・・・近衛騎士団長、イザーク・アイヒンガー法衣侯爵?
「イザーク! 王太子は、私に対する反逆の企てをした。
こいつらを拘束しろ!」
「近衛騎士団は陛下の私兵ではございません。その様な根拠の無い御命令には従えません。」
近衛騎士団長はアレの叫びを無視し動きません。
「近衛騎士団長、裏で話は聞いていただろう。『陛下は国王足るや否や』。」
「陛下は・・・国王足り得ません。これより近衛騎士団は王太子殿下を主と定めます。」
王太子殿下は近衛騎士団長に、ここの話の内容を聞かせていたようです。
それをもって、殿下は近衛騎士団長にアレが国王足り得るか否かを問い、近衛騎士団長は・・・アレは国王足り得ないと、王太子殿下に従う事を表明しました。
近衛騎士団長は王太子殿下に最敬礼をします。
暫定的ですが、この瞬間から王太子殿下が国家元首になりました。
王太子殿下が正式に国王の位に就くまでは、各貴族の支持を得る等の手続きが必要です。それまでの間、アレは表向きは国王ですが、権限は有りません。早晩、病を得て蟄居する事になるでしょう。
「どういう事だ!」
「どうもこうも・・・王として不適格だと、近衛騎士団に父上が見限られただけですよ。それに《梟》も父上を離れた。
貴方は未だ表向きは国王という位にはありますが、近衛騎士団と言う盾も、《梟》という手駒もありません。張り子の虎になったのです。」
「何故俺が見限られねばならん! 国王だぞ!」
「王家の血筋や国王という位が敬われるのではなく、国の発展と国民の安寧の為、私心を捨てて一心に働くから敬われるのです。下らない私利私欲のためだけに多くの人を動かし、多くの犠牲を強いて来た父上には、国王たる資格は無い。
まあ幾ら言っても、自分の事しか考えていない父上にはわからないでしょうね。
いずれ蟄居頂く事になるが、それ迄自室にて謹慎頂く。近衛騎士団長、父を拘束せよ。」
「はっ!」
「お、おい! 貴様等! 俺を誰だと思っている!」
近衛騎士が数名がかりでアレを拘束します。
このままアレが連れて行かれる前に、やっておきたい事があります。
「殿下。二点、お願いがございます。」
「何かな。聞こう、子爵。」
「一点は・・・本日の《梟》による子爵邸襲撃の際、アレは私を連れ去る様に《梟》に指示していました。その先でアレが何を用意していたのか、確認頂きたく思います。」
連れ去られた先で、母と同じような目に遭っていた可能性が有ります。
「・・・近衛騎士団長、父は今晩どこかに泊まるか、予定を聞いているか。」
「あの方は東の離宮に泊まるかもしれないと仰っていました。離宮の部屋には入るなと厳命されています。」
「では東の離宮へ人を遣って、父が何を準備していたか徹底的に調べろ。内容は後で私に報告せよ。」
「拝命致しました。」
「お、おい! ちょっと待て! やめろ!」
あの慌てぶりでは、やはりアレは碌でもない事を準備していたようです。近衛騎士団長は控える騎士達に指示をし、数名が駆けて行きます。
「もう一つは?」
「アレに対しては長年積もり積もった物があります。・・・幾許かでも、ここで晴らさせて頂けないかと。」
「良かろう。ヘルミーナ殿亡き今、貴女が一番の被害者だ。
但し、刃物は使うな。今は父上を死なせる訳にはいかん。見える場所でなければ、少々の事は構わない。」
「ヴェンツェル! 何を言っている!」
王太子殿下の許可が出ました。
私はアレを睨みつつ。右手を椅子に固定していた包帯を解き、車椅子から立ち上がります。
「怪我で歩けないんじゃなかったのか・・・。」
「これは周りが私の挙動をいち早く察知して、私を止める為です。
・・・貴方を目にしたら、腸が煮えくり返って私が何をするか、自分でも分かりませんでしたからね。これでも目一杯我慢していたんですよ。」
「え・・・。」
アレは蒼褪めますが、私がどれだけアレを憎んでいるか、気付いていないのでしょう。
「イルミ、刃物は預かるよ。」
マリウス様が私の前で手を差し出しています。・・・刃物を持っていたら本当にアレを刺し殺しそうですね。全てマリウス様に預けます。
右手を固定するため腕に括り付けている添木は・・・重さは丁度良さそうですが、丈夫さには不安が残ります。・・・と思ったら横から鉄の棒を1本、商務省長官が差し出してきました。
「子爵なら、この辺りが丁度良いかと思う。どうだろうか。」
どこから出してきたのかは分かりませんが、長官に一礼し、受け取って何度か振ってみます。うん、丁度良さそうです。
「ちょっと待て、武器は駄目じゃなかったのか!」
「子爵よ、なるべく顔は止めて欲しい。」
「努力します。」
殿下は刃物は駄目だと言ったので、刃物以外の得物であれば問題ありません。少々なら顔も殴って良いと許可が出ました。
「ま、待て。お前は俺の娘だろう。父親に向かって暴力は・・・おい、離せ!」
近衛騎士達がアレの両脇を掴んで、動かない様にしてくれています。私はアレに勢いを付けて走り寄ります。
「母を辱めただけの貴様が、父親面するな!」
走る勢いのまま、アレの鳩尾に右肘を打ち込みます。
「ぐふぅっっっ・・・・!」
「貴様には生まれる前から、迷惑しか掛けられてない!
貴様は一体何人の人生を狂わせてきた! 母から最初の婚約者を追い出し、結婚相手も奪い、《梟》は飼い殺し、軍務省を引っ掻き回し、貴様の我儘を叶えるだけの為に一体何人犠牲にした!」
「ぐっ! ぐぁっ! がふっ!」
左手の鉄の棒で滅多打ちにしながら、段々怒りが募って来ます。
「貴様が犠牲にした全員に償え! 泣いて詫びろ! 土下座して謝れ!
犠牲にした皆の人生を返せ! おばあ様を、おじい様を返せ!」
アレを打ち据えながらも更に怒りが湧き出します。顔を殴った気もしますが止まりません。
「貴様のこんな物のせいで!」
「んぐぁ・・・・お・・・ぉ・・・!」
アレの急所に思い切り膝を捻じ込みます。
リッカルト様の時と違って、一切手加減を加える必要を感じません。
「母を、母の人生を返せーーーーー!!!」
怒りが頂点に達し、悶絶して腰の落ちたアレの顎に向けて、思い切り膝を打ち上げます。
アレは食らった勢いで仰け反り・・・そのまま意識を飛ばしたようで、両脇の近衛騎士たちに抱えられています。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・。」
「こんなものでは済まないだろうが・・・今はこの辺りで堪えてくれ。」
息が上がって言葉が出せませんが、私は殿下に一礼し下がります。
「よし、連れていけ。」
近衛騎士たちが意識を失ったアレに車椅子を用意し、アレを車椅子に縛り付けて運んで行きました。
「大叔父上、商務省長官。これから善後策を話したい。残ってくれるか。
子爵はそろそろ下がると良い。車椅子には座ってくれよ。」
「・・・畏まりました。」
ここに来る時は車椅子でしたから、歩いて帰るのは不味いでしょう。
「子爵邸は使えないだろう。それに右手の処置をちゃんとして貰う必要があるな。今日は王宮に一室を用意させる。従者達の部屋も備えさせるから、今日はそこに泊まると良い。
子爵邸の使用人達には使いを出しておく。」
「有難うございます。」
マリウス様とコンラートの手を借りつつ車椅子に座って右手を固定し、コンラートに押して貰って下がります。
侍従の先導で王宮内の貴族用客間まで案内されます。ハンベルトも途中で合流しました。マリウス様も従者服なので、一旦客間まで着いてくるようです。
客間まで通され侍従達が下がると、マリウス様から話し掛けられます。
「私はこれで帰るよ。
国王・・・アレの事、ケリがついて良かったと思う。・・・おめでとう、と言う事かどうか分からないけど。」
「そうですね。・・・まだ、複雑な思いはありますが、一区切りは付きました。今日は久しぶりにゆっくり寝られそうです。
マリューも、色々巻き込んでしまって大変だったでしょう。今日は・・・本当に、有難う。」
「・・・どういたしまして。」
今日一日でゲオルグの事もアレの事も、区切りをつける事が出来ました。重しが大分取れた気分で、顔が綻びます。
ふと見ると、マリウス様が顔を赤らめています。
「どうしたのですか?」
「大分、痞えが取れたみたいだね。
その・・・笑顔が自然で、素敵になったな、と。」
目を少し逸らしながら、恥ずかしそうにマリウス様が言います。
「ふふふ。有難う、マリュー。」
褒められて素直に嬉しくなり、マリウス様に微笑みかけます。
こんな軽やかな気分になったのは初めてですね。
「恐らく今日は、侯爵様は帰れないでしょう。
名残惜しいですけど、邸に帰ってパウリーネ様やアレクシア様を安心させてあげて下さい。」
「そうする。明日また王宮に来るよ。
それじゃあ、イルミ。また明日。」
「マリュー。また明日。」
マリウス様が帰られた後、王宮侍女達の手を借りて着替えや湯浴みをしている内に、睡魔が襲ってきました。
今日はとても・・・とても長い一日でした。もう考え事は明日にしましょう。
侍女達の手を借りて湯浴みをしている内に段々虚ろになり・・・そのまま意識を失ってしまいました。
『アレ』にまつわるアレコレに、やっと一区切りがつきました。
物話はもう少しだけ続きます。
いつもお読み頂きありがとうございます。