34 不透明な怪しい団体、そして ※(アレクシア視点)
私が商務省に入省したその日、エドゥアルト殿下との婚約白紙が正式発表されました。私が商務省長官、バーデンフェルト侯爵クリストフの長女という事もあり、入省式ではかなりの注目を浴びました。
殿下との婚約の行末が分からなかったので、商務省での仕事半分、殿下の婚約者としての公務半分で予定が組まれていましたが、婚約白紙により公務の部分の予定も白紙になりました。
その半分であれ商務省での仕事は、父である商務省長官の補佐官としての研修から始まりました。最先任のアッシュ補佐官から渡されたのは分厚い議事録。これはイルムヒルト様の商務省での最初の法律相談の内容で、彼女のビジネスアイディアが詰まったものだと言います。研修の内容は書かれたアイディアのうち最初の2つを理解し纏める事。
表紙に書かれた日付はおよそ8年前。彼女が御家族を亡くされ、当主になられた直後くらいの時期でしょうか。・・・法律相談って普通若い省員が対応するものですよね?何故父が?そう思ってアッシュ補佐官に聞くと、読めばわかると返されました。
読み始めると内容の濃密さに驚きます。あの方が当時8歳でこれを!? 父は商務省にあの方が現れると省内が大騒ぎになると言っていました。恐らく若い省員から次々と上の人が撃破されていき、父だけが対応できたのでしょう。
これを纏めるのは仕事半分だけでは相当時間が掛かりそうです。残りの半分も使って王立図書館で調べ物をしたりして、最初のシルク事業についてあの方が当時思い浮かべていた全体像が何となくわかって来ました。
でも、なぜ最初にこの国産シルクを献上して王家の保護を受けなかったのでしょう? そこだけは疑問でした。これは直接あの方に聞いてみましょう。
息抜きに『フラウ・フェオドラ』に赴いて仕事着を依頼した時、フェオドラ様と相談のあとで店の更に奥に通されると、そこには何故かイルムヒルト様が。そこで領地から帰ってきた経緯を聞いて、証人を守る為とはいえマリウスを危険に晒した事にイルムヒルト様を叱責しました。
ですが父から、リーベル伯には背後に何者かがいて、イルムヒルト様への脅威は消えていないと聞き、後日頼み込んで父があの方に会うのに同行し謝罪しました。
しまった、あの方に疑問を聞きそびれました。
イルムヒルト様を再訪して謝罪した数日後、父・・・長官に執務室へ呼び出されました。
「研修の進捗はどうだ、アレクシア補佐官。」
「最初のシルク事業については、議論された全体像と認識された課題・対応策のまとめはほぼ終わっています。まだ漏れていそうな部分の洗い出しまで含めると、あと1週間くらいです。
・・・あの、何か怒ってらっしゃいます?」
長官は心なしか、私に対して何か含むところがありそうです。
「・・・この間子爵に会った時、お前が来なかったらあの場で内密の話をする予定だった。それなのにお前が来たから、別の手段で子爵とそのやり取りをせねばならず、子爵のリスクを余計に増やしてしまったのだ。
あの場に着いて来られる位は暇そうだから、研修だけでは温いと思ってもう半分で別の仕事を振ろうかどうしようか、考えあぐねている。」
「・・・それは、申し訳ありませんでした。」
考えあぐねていると言っていますが、これは仕事を確実に振って来る目です。正直あの研修で手一杯なのですが、父に着いてイルムヒルト様の所へ行ってしまった私には反論が出来ません。
「お前にはある書類上の調査をしてもらう。『アルヴァント』という銘柄のワインを知っているか?」
「その銘柄はかなり希少な、特殊な製法のワインの銘柄だったと思います。」
やはり残り半分に仕事を詰め込まれるのは決定事項ですか。
王子妃教育の中で主要な国産銘柄を学んだ際に名前に挙がっていました。ただ、何処かでそのワインを見た気がするのですが、はっきりとは思い出せません。
あれはどこだったのか・・・。
「そうだ。数が少なく簡単には手に入らない筈の銘柄だ。だがある事件の捜査で、このワインを好んで飲んでいるらしい正体不明の人物が浮かび上がってきた。
この人物を洗い出すため、製造元の取引記録から洗って欲しい。」
うっ、と声を詰まらせてしまいました。
これは商務省に提出されている個別の商会の決算報告だけでは追い切れません。真面目に当たると個別の取引伝票の照会が必要な内容です。取引伝票は商会側で保管義務がありますが、取引伝票の照会にはそれなりに理由が必要です。
つまり、製造元や取引先に伝票照会できるだけの理由を作り出し、照会手続を行い、個別の取引記録から次の取引先を洗い出し・・・と繰り返す、途方も無く時間が掛かりそうな作業です。
「・・・これは1人で行うのですか?」
「アッシュとミヒャエル両補佐官にも手伝わせる。だが彼らも私から別に仕事を与えているから、主要な所はお前がやれ。」
・・・それは、主要な書類調査は私がやれという事ですね。
ミヒャエル補佐官は3年前に入省して以来長官に付いている次席補佐官です。長官付き補佐官はアッシュ先輩、ミヒャエル先輩と私の3人になります。
選択肢の無い私は仕事の件を了解し執務室から退室します。
個別取引伝票の照会など、必要な手続きが出てきたら先輩方に確認しましょう。
調べ始めると、製造元がワインを卸す取引先の商会はすぐにわかったのですが、そこはいくつもの貴族家を相手にする大商会です。名だたる領地貴族家が取引相手に名を連ね、また他の大手の地方商会も幾つも取引先に挙がっている為、特定のワインをどの家が買っているかはこれだけではわかりません。
個別の取引伝票を洗う為の理由を探り出すだけでも骨が折れそうで、これは取引記録以外の方法から当たってみようと思いました。
そこで私は再度長官にアポイントメントを取り、実地調査を申し出ました。
「取引記録だけからあのワインの行き先を探るには時間が掛かり過ぎます。取引相場も分かりませんし、一度侯爵家として卸先の商会と商談のアポイントを取って確認したいと思います。」
「・・・確かに、実際にワインの取引をしようとするなら高位貴族家の名前を使わないと難しいだろうな。
その卸先の商会自体は侯爵家とも取引はある。私が直接出向くのは問題が出そうだから、パウリーネとも相談して探ってくれないか。」
許可をもらった私は邸宅に帰って母と相談し、件の商会にアポイントメントを母に取って貰いました。
後日母と共に商会を訪問しました。奥の貴族用商談室に通され、当家の担当に出迎えられます。
「バーデンフェルト侯爵夫人、御令嬢アレクシア様。本日はようこそいらっしゃいました。
御用件は侯爵様への御贈答品とお伺いしましたが、どの様な主旨で御座いましょう。」
「今度の旦那様の誕生日用に、珍しいワインがあればと思って来たのです。何か御薦めを見繕って頂くことはできますか。」
取引担当は合図をし、幾つかの銘柄のワインを持って来させました。
ラベルを見る限りどれも習った記憶のある高級ワインです。『アルヴァント』も含まれていますね。それぞれの銘柄を紹介されます。
「この『アルヴァント』は元々取引量が少なかったのですが、事情があって、最近になりまして元々の取引先以外にも少し融通できるようになりました。幾つかの高位貴族家の方々に御紹介させて頂いております。
またこちらはさる高位の御方のお目に止まる事があり、ご好評頂いております。」
御紹介という事は、気に入れば定常的取引に移りたいという事です。
最近大きな変化があってこういう高級ワインの取引が出来なくなった所というと・・・どこでしょう。こういった商談の場で具体的に取引先を述べられる事はないですが、重要な情報ですので記憶に留めます。
それに、さる高位の御方・・・どなたか王族も気に入っていて、王族御用達になってしまうかもしれないので、定常的に購入頂ける機会は余り無いです、という所でしょうか。王族御用達ではないが、王族の目に止まった?・・・何か引っかかります。
試飲のものがあるので母と共に戴いてみると、普通のワインと違い綺麗な琥珀色をしていて、ドライフルーツを思わせる香を纏っています。飲んでみると極甘口ですが酸味もあります。癖の強いチーズやフォアグラ等の濃厚なコクの強い料理と合いそうな味です。
母と相談し、別の産地の銘柄のワインと『アルヴァント』を後日屋敷に持ってきてもらうように母からお願いしました。
あの値段を考えると、常用するには余程の高位の貴族家でないと難しいでしょう。それかそれなり以上に商売に成功しているか。
それにこのワインはどこかで王族の目に触れているということです。
商談の席で得た情報を元に改めて資料に立ち返り、大商会のワインの取引先を選別します。王家と血縁の浅い家や一定以下の爵位の貴族家、その関連商会は除外して・・・そう思って見てみると、プラーム商会という、見慣れない商会の名前が取引先に挙がっているのが見えました。大商会の取引相手としては取引規模が小さいので目立ちませんが、大商会との取扱品目がワインのみとなっており、『アルヴァント』に絞って取引しているとすれば充分な取引規模はあります。
そのプラーム商会のことを調べてみると、設立が20年前で、この大商会とのワイン取引は4年程前から始まっていました。商会の場所は王都の中でもそれほど治安の良い場所では無いようです。大商会以外の取引を調べると、鉄屑や肥料・衣料品・食料品等を別の商会から購入し、ワインも含めて別の商会へ仕入と同程度の金額で販売している様です。
そのプラーム商会の販売先を調べていくと、同じように物資を買い集め、また別の商会に転売してるような取引先ばかりです。同程度の金額の取引があちこちたらい回しされているような印象を受けました。
ワインの取引自体は、大商会から3~4の商会を経由して一部がリッペンクロック子爵家に販売されていました。イルムヒルト様がワインを? あの方はお酒を嗜まれなかったはず。
そして残りの取引先を辿って行くと、プレトリウス奉仕会という非営利慈善団体に辿り着きました。この慈善団体はリーベル伯爵の領地にある幾つかの孤児院を運営する団体として届出されていました。
私は、この慈善団体に違和感を覚えました。
商会との取引名目は肥料や衣料品・食料品となっていますが、販売している商会側の取引名目にあるワインは含まれておらず、取引相手との取引名目が一致していません。
また、貴族家の肝煎りの団体であれば、貴族家直系か従爵位家の方が代表を務めるのが一般的ですが、代表者は姓の無い平民の方が務めているようです。団体の設立が20年前となっていますが設立経緯も資料には書かれていません。
・・・20年前?
そこまで調べていた所で、ミヒャエル補佐官が現れました。
「アレクシア補佐官、お疲れ様。調査の進展はどうだい。」
「ミヒャエル補佐官。調べていると幾つか不思議な点が出てきました、
あの大商会とのワインの取引相手の中にプラーム商会という所がありましたが、商会の場所も王都の外縁部に近くてあまり治安が良くなさそうですし、取引記録からも商会の実態がよく分からないのです。」
ミヒャエル補佐官が何やら考えこんでいます。
「王都の外縁部・・・確かにあまり商会の設置には向かない場所だな。で、そこの実態調査をしたいと?」
「流石に私が実態調査に行ける場所では無いので、まずは報告です。」
家族やイルムヒルト様に言えば、そんな場所に自ら調査しに行くのは無茶だと止められそうです。
「ふうん・・・まあそちらは私の方で調べてみても良い。他に何か掴んだ事は?」
「ええ、そのプラーム商会との取引先を辿って行きますと、同様に実態の掴めない幾つかの商会を経由して、リーベル伯爵領にあるプレトリウス奉仕会という非営利慈善団体に行き当たりました。この団体に少し違和感がありまして。」
「プレトリウス奉仕会?」
彼が微妙に眉を顰めます。声色がちょっと変わった気がします。
「この団体は伯爵領の孤児院などを運営している非営利団体として届出されています。ですが、それにしては代表や役員に伯爵家との一切の繋がりが無く設立経緯も不明です。商会との取引名目も取引先側の商会と一致していません。
何か違和感を覚えたので、この団体をこれから調査しようかと・・・。」
「ふうん・・・もうそんな所まで辿り着いているんだ。
それは、捨て置けないな。」
ミヒャエル補佐官の口調が少し剣呑になり、纏う雰囲気も変わってきています。
私は急に背筋に寒気を覚え、私の勘が警鐘を鳴らします。
「プラーム商会だけなら有耶無耶にできたが、プレトリウス奉仕会はちょっと調べられると困るなあ。・・・アレクシア補佐官には、ちょっと口を噤んで貰わないといけなくなりそうだ。」
ミヒャエル補佐官がにじり寄ってきます。
私は徐々に後ずさります。やはりミヒャエル補佐官は、私の口を封じようと・・・。
「ミヒャエル補佐官、貴方は一体・・・。」
「さてな。お前がそれを知る必要はないだろう。お前には俺と来てもらう。」
普段のミヒャエル補佐官とは表情も雰囲気も別人です。一人称も普段の私から俺に変わっています。
「こんな省内の隅の資料室には誰も来ないし、出口は私の後ろだ。逃げ場はない。」
非常に不味い状況です。何か、何か打開策は無いでしょうか・・・あ、そうだ。
痴漢対策に持たされていた、あれを・・・!
ミヒャエル補佐官が大分近寄ってきた所で、袖口に縫い付け隠し持っていた袋を彼の顔に投げつけます。顔に当たった袋から中身・・・辛子の粉が舞い上がります。
「ぐああぁぁ!!! き、貴様ぁ!!」
目にも入ったのでしょう、あれは激痛の筈です。
怯んだ隙に彼の脇を抜け出し、資料室を出て走って逃げます。ヒールの靴は走りにくいので、すぐに靴を脱いで裸足で走ります。
少し経つと後ろの方から走って追いかける足音が聞こえます。足は向こうの方が速そうで、長官室や人の多い場所まで逃げている余裕は無さそうです。
「きゃああああああ!!! 痴漢よぉぉぉ!!! 助けてぇぇ!!!」
誰かいないの!?
大声を上げながら走りますが、まだ人影は見えません。
もう少しで地下から1階へ上がる階段の所で、追い付かれ腕を掴まれてしまいました。
「よくもやってくれたな!」
強引に振り向かされた私は殴られ、咄嗟にもう片方の腕で庇いましたが、衝撃で意識が飛びました。
気づくとミヒャエル補佐官は意識の飛んだ私を担ぎ上げようとしていました。頭は少々クラクラしますが、何とか意識は戻りました。袖口にもう一つ忍ばせていた袋をこっそり抜き取り、ミヒャエル補佐官の顔に中身をぶちまけます。
「ぐあああ!! またしても!!」
彼は私を取り落として蹲り、私はまた逃げだします。
1階への階段を登り人の多い方へ駆けて行きますが、またしても追いかけて来る足音が聞こえます。
まだここは省内の中でも離れの棟で、人の多い本棟までは距離があります。
ちらっと外を見ると、敷地を出る裏門が近いです。
窓を開けて外へ出て、直ぐに窓を閉めて裏門へ走り出します。裏門にも守衛がいますが、何故か一人です。
「助けて!!」
私は走りながら守衛に助けを求めました。
「嬢ちゃんはそのまま逃げろ!」
「有難うございます!」
守衛の方は武器を持って私の後方から追いかけてくるミヒャエル補佐官の方へ向かいます。私がそのまま裏門を通り抜けた所で、後ろから守衛の叫び声が聞こえます。
裏門から出ると、丁度通りの向こう側から護衛を伴った荷馬車がやって来るのが見えました。あれは!私はその荷馬車に駆け寄り助けを求めました。
「追われています。助けてください!」
彼らは荷馬車に隠れるように言い、彼らに従って荷馬車の荷物に隠れます。
直ぐにミヒャエル補佐官が門から出てきたようで、荷馬車の彼らと言い争う声が聞こえます。彼らは私を匿ってくれたようで、暫くするとミヒャエル補佐官の声は聞こえなくなりました。
暫くそのままでいると、外から荷馬車の彼等が声を掛けてきます。ですがミヒャエル補佐官から逃れられたことに安堵し気が抜けた私は、そのまま意識を手放していました。
いつもお読み頂きありがとうございます。