31 初日で早速絡まれました
無事にタウンハウスに戻った翌朝は、なかなか起きられませんでした。
その日は起きてから取り組んだのは最重要課題――このタウンハウスに何かあった場合の対処方法の確認です。実際に出来上がったものはやはり違うので、このタウンハウスの中に色々盛り込まれた機能の確認をします。
事前に図面に盛り込んだもの以外にも、工事の中で幾つか追加されたものがあるようで、それを確認しましたが・・・中には、これ絶対遊びで作っただろう、と思わせるものもありました。でも非常時は何が役に立つか分かりません。位置と起動方法をちゃんと覚えておきましょう。
それが終わって初めて、宿から戻してきた物の整理です。作りこまれた機能の妨げにならない様にしないといけません。
コンラートとの契約は、本人の希望で短期ではなく継続的な契約となりました。
パーティーでの件があるまでは領地をあちこち回っていて、社交も出来なかったので、他の貴族家の様な使用人はあまりいませんでした。でもこれからはそういうわけにはいきません。
今はオリヴァーとロッティに分担して内向きの事を取り仕切って貰っていますが、彼らの負担を徐々に減らしつつ、徐々に子爵家の内向きの事はコンラートに取り仕切って貰おうと思っています。
コンラート以外の皆は子爵領出身なので、彼が皆の結束の中にすんなり加われるかは分かりませんが、彼なら人柄も能力も申し分なく、そのうち皆にも認められるでしょう。
学院に通う際のコンラートの安全を考慮しつつ、彼に対する第三騎士団での聞き取りを調整しないといけません。
コンラートに聞くとやはり最初の取り調べの際に脅迫を受けたそうですし、先日の子爵家所有品の精査の件もあります。第三騎士団内にはあの連中の手が伸びているようですので、使者を通じてでも第三騎士団と直接やり取りしての調整は難しいです。
第三騎士団長殿には、コンラートの聴取の日程を直接本部と調整するのは難しいのでは、と侯爵様を通じて懸念を伝えると、念のため本部と特務部隊の2系統を使って直接やり取りしたいと返ってきました。
コンラートの聞き取りは特務部隊で行うことになり、聞き取りを行う日は特務部隊の出迎えで私と共に邸を出て、コンラートを聴取場所に送ったあと学院に向かってくれるそうですが、特務部隊側では騎士団内部の内偵も行っているので、日程調整に時間が掛かるそうです。
私とコンラートの安全確保に目途が立って、ようやく私も学院に通うことができます。侯爵様に確認すると、マリウス様も謹慎が解け先に学院の寮に入ったそうです。私がいつから通うか伝えると、マリウス様に学院の馬車止めに出迎えを出させると連絡がありました。
いよいよ学院に通う日となりました。
学院長秘書の方から送られてきた学院の制服は、サイズ展開の中でもかなり小さい方みたいでしたが、それでもまだ胸周りに余裕がありそうだったので、私が店に潜伏している間に侍女たちが詰めてくれたそうです。着てみるとピッタリのサイズになっていましたが、微妙に凹みます。
邸を出るときは皆に見送られました。ロッティや侍女達など、涙ぐんでいる者もいます。
「涙ぐんで、一体どうしたの?」
「やっと普通の御令嬢のように学院に通って頂けると思うと、感慨深いのです。」
領地でも皆から学院に通うよう言われました。皆、何かしら思うところがあったのでしょう。
「皆の協力があって漸く学院に通うことができるのです。有難う。
では行ってきます。」
「「「「「「行ってらっしゃいませ。」」」」」」
皆の見送りを受け、護衛を伴って馬車で出発します。王都でも治安の良い場所を通って、道中何事もなく学院の馬車止めに到着しました。
到着して馬車を降りようとすると、既にマリウス様がお待ちでした。彼のエスコートで馬車を降ります。心なしか、マリウス様の表情が謹慎前と違います。こうして見ると、謹慎前のマリウス様はどこか緩さがありましたね。
「久しぶり、イルミ。領地の件では心配を掛けてしまって済まなかった。」
「1か月振りですね、マリュー。
あの時は本当に気が気では無かったのですよ。何事も無くて本当に安堵しました。使用人達の命を預かる立場なのですから、あのような無茶をするのは今後はお止め下さいね。アレクシア様の無茶を笑えませんよ。」
アレクシア様の無茶は事前に止められましたが、マリウス様は実行してしまったのです。
「・・・わかっている。本当に反省しているよ。」
大分マリウス様は懲りていらっしゃる様で、俯いてしまわれます。
「反省していらっしゃる様ですから、この位にしておきましょう。
今日は私の学院初日です。まだ学院内の事はよく分からないので、マリューにご案内をお願いできますか?」
「勿論だよ。お手をどうぞ、レディ。」
マリウス様が手を差し出して下さいますので、彼の手を取り、エスコートに従って学院内に入ります。
「学院内の施設は後で案内するから、クラスの方に行こうか。イルミは私と一緒の、成績上位者の集まったクラスだよ。
授業の前に、先生が皆にイルミを紹介する時間をとると思う。」
「自己紹介の時って、社交と同じように家名込みで紹介するのですか?」
社交での自己紹介の方法はアレクシア様に教わりましたが、そのやり方で良いのでしょうか。
「そうだね、普通に○○家の○○です、って感じかな。でもイルミは当主だからその辺は変わるのかな?」
「当主であることは伏せますよ。貴族名鑑を見ている人は分かっているでしょうし、分かっていない人にこちらから手札を見せる必要はありませんよ。」
マリウス様と四六時中一緒にいる訳にはいかないでしょうし、付き合う相手はちゃんと選びたいです。
「成程、相手を選別するんだね。有象無象は相手にしたくないだろうし、その方が良いと思うよ。」
学院は学年毎に校舎が分かれていて、成績上位者のクラスは各校舎の上の階になります。当然、クラスに向かう途中で注目を浴びることになります。
「マリウス様がお連れのあの方って、もしかして噂の・・・。」
「やっぱり、マリウス様がご婚約されたって本当だったのね・・・。」
「あの正体不明の最高成績者って、意外と小さかったんだな。」
「なんで高々子爵家のお子様に侯爵家のマリウス様が・・・。」
向かっている最中にも周りのヒソヒソ話が聞こえてきますが、マリウス様の噂の相手を確かめようと見に来ている人が多そうです。
「貴族省では私の相手は誰だという感じでしたけど、学院では注目を集めているのはマリューの方みたいですね。」
「侯爵家嫡男が今まで婚約者を決めてなかったんだからそうなるよ。」
クラスの教室の前に来ると、30代半ば位の男性教師の方が一人廊下で待っておられます。この方が担任の先生でしょうか。
「初めまして、イルムヒルト君。私はクラス担任のミューゼルだ。授業は法学を担当している。君の事情は学院長からも聞いているよ。これから宜しく。」
「初めまして、ミューゼル先生。リッペンクロック子爵家イルムヒルトです。これからお世話になります。宜しくお願い致します。」
担任の先生と廊下で挨拶を交わします。
「エスコートはもう良いだろう、マリウス君は先に入り給え。イルムヒルト君は私の後に続けて入ってくれ。」
マリウス様が教室に入られた後、しばらく置いてから先生が入られ、私が続けて入室します。
「皆の者、彼女が今日からこのクラスに加わるイルムヒルト君だ。知っての通り1年次の学年末試験の最高成績者だ。宜しく頼むぞ。
諸事情で1年次は学院に通っておらず、準備が漸く整って今日から学院に来ることになったが、彼女は寮に入らず外からの通いとなる。
それではイルムヒルト君、自己紹介を。」
「はい、先生。
私はリッペンクロック家のイルムヒルトと申します。初めてお目にかかる方が殆どだと思います。学年の途中からの編入ではありますが、これから皆さん宜しくお願い致します。」
クラスの皆さんの前でご挨拶します。アレクシア様主催の勉強会で一緒だった、カロリーナ様や他の同学年の御令嬢達もこのクラスだったのですね。他には私を値踏みするような目がちらほら見えます。一人だけ私を睨みつける御令嬢がいらっしゃいますね。
それから先生から皆さまの御紹介を受けます。子爵家にプライベートな招待状を送ってきた伯爵家の方もいらっしゃいますが、とりわけ厄介な3侯爵家の方々は学年が違うので何とかなるでしょう。睨みつけてきていた御令嬢はヴィーラント伯爵家のイレーネ様。マリウス様が面倒と仰っていた方の一人ですね。
学院の授業は領地経営をしながら既に実地で学んだことが多いですが、学院に通うことができるのも領地の皆さんのお陰でもあるので時間を無駄にはできません。実際の領地や商会の課題に照らし合わせながら、改めて学び直します。
学院に来た理由は同年代の友人を作ることと、他貴族家の過度の干渉を避けるためなので、授業の合間の休み時間にクラスの方々が話しかけて下さる分には快く応じます。
カロリーナ様と、一緒に勉強会に出ておられたクロップシュタット法衣伯爵令嬢ジルヴィア様、ヴィレックレット法衣伯爵令嬢ミリアン様との再会を喜び、休憩時間にしばし談笑しました。
昼休みはマリウス様の案内で学院内の食堂に行きます。昼は決まったランチプレートが何種類か出ます。ここの食事代も学費の中に含まれますが、一部のメニューは追加費用が必要で、発生した追加費用は月次で家に請求されるそうです。私は贅沢をしたい訳ではないので、追加費用の要らないメニューで選んでいくことになります。
マリウス様とランチの後、学院内の主要な施設をご案内頂きました。
図書館は王立図書館に次ぐ蔵書数を持つようで、私も色々お世話になるかもしれません。会議棟は討論の授業で使うことがありますが、昨年度は勉強会で招かれた際に使ったのもここでした。女子学生が学生同士でお茶会を開くのもここだった筈です。
研究棟はまだ最終学年ではない私達は入れませんが、研究テーマはこれから考えておかないといけません。教練場や馬場は騎士団を目指す極一部の御令嬢を除き、女子生徒はほぼ縁が無いようです。
課外活動棟は放課後の課外活動を行うクラブ・サークルの部室が集まっているそうです。私には縁がないと思っていたら、アレクシア様に招かれた勉強会は『経営研究会』というサークルの活動の一環だった筈だとマリウス様から聞きました。あながち課外活動も無関係にはならないようです
マリウス様は午後から教練の授業のため、ご案内の途中でマリウス様とはお別れです。女子生徒はこの時間帯は選択科目となっていますが、半数の生徒は淑女教育を選択します。私はこの時間は空けています。
「ちょっとそこの貴女、宜しいかしら。」
折角なのでこの時間は図書館に行ってみましょうか。
「ちょっと、私を無視なさる気!?」
カロリーナ様達はどうされるのでしょう。一度教室に戻ってお伺いしてみましょうか。
「いい加減にしなさい!イルムヒルト・リッペンクロック!」
「・・・私は『ちょっと』という名前ではありませんので、呼ばれているとは思いませんでしたわ。それで、後ろの方はヴィーラント伯爵令嬢様かと思いますが、私を呼び捨てなさる失礼な貴女様はどちら様で御座いましょう。」
二人組の御令嬢が私を睨みつけながら呼び止めます。片方はクラスで先生にご紹介頂いたヴィーラント伯爵令嬢ですが、先ほどから呼び止めておられたのはもう片方の見覚えのない御令嬢です。
「・・・子爵令嬢の癖に生意気ね。私はハイルマン伯爵家のロスヴィータよ。後ろのイレーネとは従姉妹です。
貴女にちょっと話があるの。顔を貸して下さらない。」
今いる場所は、それなりに人通りの多い場所です。
相手は初対面ですし、ここで聞けない話であれば行って話を聞く理由は無いでしょう。
「顔を貸せと言われても何故行く必要があるのか分かりませんし、私は暇では無いのです。私に御用でしたらこの場でお伺い致します。」
「だから、顔を貸しなさいと言っているのです!」
だからご用件は何かと聞いているのです。
「顔を貸せというのがご用件でしたらお断り致します。初対面で無礼な事を言い、肝心の用件を言わないような方に着いて行く気はございません。この場でお話の出来ない内密なご用件でしたら、大声で呼び止める等されない方が良いのではないでしょうか。王都の邸宅宛にご用向きを郵送で御連絡頂ければ、返信する必要があるかどうか考えさせて頂きます。」
「本当に子爵令嬢の癖に生意気な!良いから来なさい!」
彼女とヴィーラント伯爵令嬢が私を無理やり連れて行こうと腕を伸ばしてくるのでさっと後ろに飛び退きます。
彼女が大声で騒ぐものですから、段々周りの注目が集まってしまいます。
「・・・無礼の上に無知を晒していらっしゃる様ですので御忠告申し上げますが、先の卒業パーティーで話題に上りました貴族名鑑を一度ご確認なさるようお勧めします。私を誘拐しようとなさる方には用がありませんのでこれで失礼致します。」
周りの方々に聞こえるようにはっきり返答します。
「あちらの方々、例の噂の方を無理やり誘拐しようとなさったんですって。」
「まあ!誘拐だなんて、ずいぶん物騒な事をされる方々なのですね。何を考えていらっしゃるのかしら。」
「卒業パーティーのあの騒動を知らないみたいだな。あいつらどこの家の奴だ?程度が知れるぜ。」
あれだけの事が起こった卒業パーティーの顛末を知っている方は、思った通りそれなりに居そうです。それを知らない彼女達を揶揄する声はちらほら聞こえます。
「人聞きの悪いこと言わないでよ!ちょっと待ちなさい!・・・ちっ、覚えてなさい!」
彼女たちの声を無視して教室へ向かいます。この期に及んで私を無理やり連れて行こうとしても外聞が悪くなるだけなので、直ぐに引き下がっていったようです。
教室に戻ると、カロリーナ様達はまだ教室に居ました。他の選択科目を取っていれば別の教室に移動するでしょうから、この時間は空きなのでしょうか。
「カロリーナ様、ジルヴィア様、ミリアン様。次の授業時間はどうされるのですか。」
「私達は空きの時間ですので、教室で自習しようと思いまして。」
やはり空きだったようですね。私は自習するよりは図書館が気になります。
「私も空きなのですが、マリウス様から学院の図書館の蔵書数がなかなかだと聞きましたので、そちらに行こうと思います。」
「お一人で大丈夫なのですか?イルムヒルト様はまだ学院に不慣れだと思いますが、それ以上に貴女は色々と有名になってしまわれたので、良からぬ事を考える方がいらっしゃらないかも心配です。」
先ほどのあの二人も良からぬ事を考えていそうでしたね。
「先ほど教室に戻る最中、ヴィーラント伯爵令嬢と従姉妹のハイルマン伯爵令嬢の二人が、用件も言わず私を無理やりどこかへ連れて行こうとされました。あんな事が度々あると憂鬱になりますね。」
「まあ!大丈夫でしたの?」
「ええ、彼女たちが大声で喚くので、誘拐されそうになったと言って彼女達の外聞を悪くして逃げてきました。」
「・・・あの方々、相変わらずでいらっしゃるのね。
初日にいきなりその様な事が起きるのでは、イルムヒルト様が1人で行動されるのは心配です。私も図書館にご一緒しますわ。カロリーナ様、ミリアン様もご一緒しませんか?」
「イルムヒルト様はあまり一人で行動されない方がよろしいでしょう。勿論ご一緒しますわ。」
「そうですわ。折角ですし、図書館の中を皆でご案内致しましょう。」
私を心配下さったジルヴィア様が共に図書館へ行く事を提案し、結局皆で行く事になりました。皆様の自習時間を削ってしまう事になり申し訳ないと言うと、これで成績がどうこうなる問題ではないので気にしないで下さいと言われたので、
では、とお言葉に甘えさせて頂きました。
その日は図書館をご案内頂いた後も御三方と共に自習したり、戻って残りの講義を受けたりしました。
本日の講義を全て終えた後、御三方に御挨拶してからマリウス様と馬車止めに戻ります。
「学院の1日目はどうだった?」
「勉強会で御一緒した皆様には良くして頂きましたし、他にも何人かと交流は持てて良かったです。
ただお昼にマリウス様と別れた後、ハイルマン伯爵令嬢とヴィーラント伯爵令嬢に少々絡まれはしました。」
二人に絡まれた顛末を話すと、マリウス様は顔を顰めます。
「あいつら・・・。
今日は何事も無かったから良いけど、ウォルドルフ伯爵令嬢達が言うようになるべく一人で行動しない方が良いと思う。僕が居ない場合は彼女達に頼んでみてくれないかな。」
「ええ、カロリーナ様達もそういう場合は御一緒しますと仰って下さいましたし、当面はそうさせて頂こうかと思います。それでも万一という場合もあると思うので、私の方でも少々仕込みをしておきます。」
「仕込みって?」
私が用意している仕込みの内容を話します。危険な物ではないことを説明し、万一その仕込みを使った場合どう使うのか、どう対処するかの想定を話します。
「・・・それ、知っているか知らないかで先生方の対応も違うと思うから、一応学院長の許可を貰っておいた方が良いと思うよ。」
「そうさせて頂きますね。アドバイス有難うございます。」
マリウス様のエスコートで馬車に乗り込んで、タウンハウスに帰ります。
今日はマリウス様やカロリーナ様達とまた仲良くさせて頂きましたし、講義も身になったのは良かったです。
ただハイルマン伯爵令嬢やヴィーラント伯爵令嬢に早速絡まれてしまいました。今日は撃退出来ましたが次回以降どうなるのでしょうか。他にもまだ私には厄介な相手は何人も残っています。
学院生活は初日から前途多難を思わせる一日でした。
いつもお読み頂きありがとうございます。





