28 侯爵様と符丁を決めました
パウリーネ様に抱かれてひとしきり泣いた後、私は泣き疲れて眠ってしまったらしく、気が付けば隠し部屋の隣の寝室に寝かされていました。時刻はもう日が暮れており、仕事を終えたフェオドラが横で見ていてくれていました。
侯爵様、パウリーネ様は、また近いうちにアポを取ると伝言を残して帰られたそうです。
侯爵様は私の非を問う事無く契約を継続し・・・私の後ろ盾を続けてくれると言って頂きました。
マリウス様は2週間の謹慎ですが、これも私が『フラウ・フェオドラ』に潜んでいる間に、マリウス様の軽率と無責任さを反省させるという主旨の様です。
侯爵様には気付かれたものの、まだ私の口から話せる気がしません。でも御存じの方がいるというだけで、少し安心感があります。
それにパウリーネ様は仰いました。少しずつ、歩み寄ればいい・・・。
しかし、侯爵様は私の反応を見て類推した、と仰っていました。必死に隠していた筈ですが、そんなに私が分かり易かったのでしょうか。あるいは侯爵様の勘が鋭いのか・・・多分後者だと思いたいです。察しの良すぎるアレクシア様は、侯爵様の勘の良さを受け継がれているのでしょう。
私の顔はまだ泣き腫らした跡が残っているとフェオドラは言い、「だから今日はゆっくりお休みください」と優しく頭を撫でられます。子供扱いしないでくれと抵抗しても、「商会長はまだ16歳のお子様ですよ」と優しく撫でられ続け、彼女の優しい手の感触に負けた私は、睡魔に襲われ眠ってしまいました。
数日後、再び侯爵様とパウリーネ様、そしてアレクシア様が一緒に『フラウ・フェオドラ』へ来られ、隠し部屋に案内して貰いました。
「貴方の大変な事情を知らないまま怒ってしまってごめんなさい。イルムヒルト様は私の想像を遥かに越えて頑張ってこられたのですね。」
「あ、あのっ、アレクシア様・・・」
皆様が部屋に入るなり、アレクシア様が駆け寄ってきて抱きしめられます。どうしてこうなったのか状況が掴めません。
「捜査上の機密に当たる細かい話はしていないが、先日家族に子爵のご家族の亡くなり方を話した。アレクシアが君に謝りたいと言っていて。今日もどうしても連れて行って欲しいと聞かなくてね。」
なるほど。じゃなくて!
「あ、あの、アレクシア様。母や祖父母はもう8年前の事ですし、今の私には支えて下さる沢山の方がいらっしゃいます。
ですが、アレクシア様のお気持ちは受け取りました。有難うございます。」
「で、でも、今もイルムヒルト様は狙われていると・・・」
「ですからこうして安全な場所に潜伏していて、対策をこれから練るのです。私は大丈夫ですよ。その為に必要な話し合いを侯爵様とするのですから、そろそろ離れて下さいませんか。」
渋々といった様子ですがアレクシア様が抱擁を解いて下さいます。
皆様の着席を促し、私は皆様のお茶を淹れてから席に着きます。
「子爵、今日は保護している証人の今後の扱いについて話し合うために来た。まずは子爵の考えを聞かせて貰えるか。」
「手紙で御連絡した通り、証人は貴族に雇われ領地へ向かう途中で、王都第二大隊に偽装した者達に拉致されそうになっていた所を保護しました。最初は王都で第三騎士団に引き渡す事も考えたのですが、引き渡しても安全かどうか、はっきりするまでは私の方で保護しようと思っています。」
「・・・王都第二大隊に偽装する程の連中だ。第三騎士団の振りをして引き取りに来ても本物かどうか分からないか。それ以上もあるしな。しかし、良く子爵は偽者と見破ったな。」
侯爵様は横にパウリーネ様、アレクシア様が居るので暈して仰っていますが、本物の第三騎士団に潜りこまれている可能性も認識されている様です。
「伯爵領と子爵領を捜査している筈の王都第二大隊の部隊章を着けた連中が、先日王都を出る前に侯爵様とお会いした翌々日に、子爵領よりは大分王都寄りの街道にいたのです。それに何故か証人として再召集された事を知っていました。部隊長名を名乗らせたら、私の領地で領主館の捜査をしている筈の人物を名乗ったのです。」
いる筈の無い部隊が居て、その時点では知るはずの無い情報を知っていたのです。
「それは色々と有り得ないな。次は連中もそんなヘマはしないだろう。
もう一つ気になっていたが、証人を保護したというのはどういう経緯かな。証人は貴族に雇われていたのだろう?」
・・・この方々は悪い様にはしないでしょう。全部話しましょうか。
「連中が逃げた後、その貴族は自分がまた襲われる可能性を考えたのか・・・私に押し付ける形で、その場で証人を解雇しました。
その数日前に貴族と私の間で些細な諍いがあったことの意趣返しの意味もあったのでしょう。」
「雇用した人間を街道の途中で放り出すなんて非常識な方は、どこの誰なのですか。」
パウリーネ様は憤りを隠しません。隠した所で詰め寄られて白状させられそうな勢いです。侯爵様は頭を抱えています。
「・・・エッゲリンク伯です。」
「はぁ・・・成程。子爵との諍いの内容も何となく読めた。証人から証言を得る際にはそれも聞かなければなるまい。」
侯爵様が溜息をつかれます。
街道でそのまま放り出すのは雇用者としては余りにも無責任です。解雇するにしても、せめて近くの町までは一緒に移動してから、保護を私に依頼するなどすれば問題は無かったのです。コンラートの証言次第で、エッゲリンク伯爵に対して何らかの処罰が下るでしょう。
「街道で放り出された証人は、このままでは使用人として大きく瑕疵があると見做されてしまいますので、止む無く私が保護した上で短期雇用契約を結んでいます。雇用した以上、私が彼を預かる責任が発生しますので、私も潜伏しながら匿っています。」
コンラートは、王都に来るまでの乗合馬車での移動にも不満を言う事無く従ってくれ、王都に戻ってからの雇用契約の一カ月延長にも快く応じてくれました。
「子爵はその証人の”次”の事も配慮した訳だな。エッゲリンク伯にその配慮の一部でもあればな・・・。」
「全くですわね。今度御夫人方に噂をばら撒いてやりますわ。」
今の段階で情報が洩れるのはまずいです。
「パウリーネ様、それはエッゲリンク伯の処分が正式に発表されるまで待ってください。今それをされたら捜査情報が漏れたと見做されます。」
「流石に直接何をしたか吹聴しないわよ。精々、伯の悪い印象を滲ませるくらいから始めて、正式発表された時に『ああ、彼ならそれ位しかねないですね』と皆に思わせるくらいね。ふふふ。」
アレクシア様も横で頷いています。そういう手練手管は私にはありませんので、どんな噂をどうやって広めるのか想像ができません。
「ひとまず、その証人に対する聞き取りと、安全確保の手配が必要だな。子爵もここにずっと潜伏する訳では無いと思うが、邸宅の工事が終わったとしてもあちらは安全なのか?」
「元々、伯爵の王都の遊び用の邸宅だったので、執務室すら無かったくらいです。安全面を最重視した造りに中を改装している最中です。
図面も人員も全て領地で手配して、王都で作業員を雇っていませんから、中の情報が洩れる心配は有りません。
あちらが完成したら一度王都を出て、今度は護衛と堂々と入って来ますよ。」
その際には、『フラウ・フェオドラ』から工場への配送荷物に紛れて王都を出て、物流拠点で護衛達と合流してから、今度は貴族用の門から堂々と入ります。
「王都に入る日が分かったら教えてくれるかな。その日に合わせて第三騎士団長か私のどちらかが一緒に行けるよう調整したい。第三騎士団長は易々とあちらに転ぶ人間ではないから、本人が居れば大丈夫だと思う。」
「そうですね。店からの連絡に紛れさせて、追々の事は御連絡します。」
王都に入る際に合流して貰えるなら心強いです。
「今は子爵も証人も王都に居ない。証人からの聞き取りも戻ってからで良いだろう。聞き取りの手配とその後の安全確保について第三騎士団長と相談して、状況をまた連絡しよう。
安全については、子爵も十分に気を付けて欲しい。邸宅に戻るまでもそうだが、戻ったあと学院に通う事についてもね。」
「今は使用人達と直接連絡を取るのはまずいので、学院に通う事は邸宅に戻ってから皆と相談します。」
私が学院に通う間のコンラートの過ごし方は、まだこれと言ってよい考えが浮かびません。戻ってから皆と相談して決めましょう。
用件はこんな所でしょう。今の時点で決められる事は多くないです。
私の方から気になっている点を聞いておきますか。
「所で、マリウス様は謹慎中という事ですが、御様子はどうですか?」
「自室で大人しくしているよ。子爵と婚約を出来た事が嬉しくて浮かれてしまったと反省している。これから心を入れ替えてくれるはずだ。少々頼りないかも知れんが、子爵ももう少し見守ってくれると有難い。」
「反省して責任感がしっかり持てたら謹慎を解除するわ。
このままだと子爵の隣に立たせて貰えないぞって、旦那様が叱った時が一番堪えていた位よ、マリウスは子爵にベタ惚れです。学院の中で子爵の事をちゃんと守ってくれると思うわ。」
ベタ惚れって・・・恥ずかしさで顔に熱が集まります。
「・・・マリウス様に何事も無かったと知った時は、本当に安堵しました。謹慎から戻られたら私からもよく話しておきます。
アレクシア様が今日御一緒ですが、商務省のお仕事の方は大丈夫なのですか?」
「先日婚約白紙になったが、アレクシアは元々仕事半分、婚約者としての公務半分の予定で調整していたから、半分手が空いている。今は領地経営の勉強をしたりしているが、はっきり言って暇なのだ。だから今日も私達に着いて来た。
私の補佐官に就いて貰ったがいきなり仕事には入れないから、まだ先任の補佐官に研修させている。子爵との法律相談の議事録を読ませるのが一番良い勉強になっているのは皮肉だな。
残り半分に何の仕事を詰め込むか、今省内で調整している最中だ。」
法律相談ですか。確かに結構幅広い分野の話をしました。あれが今はアレクシア様の研修の題材になっていると。研修と並行して、そろそろ仕事に入って貰うという事ですね。
それにしても、詰め込むって。アレクシア様に若干含む所がありそうです。
「今は議事録に挙がっていた問題と法的裏付けを、法律全書を確認しながらまとめている所よ。今はまだ初回のシルク事業の分だけど、内容が濃すぎてもうしばらく掛かりそうね。
あれだけの内容を8年前に資料なしで父と議論したって、父も貴女もどれだけ規格外なのよ・・・。」
アレクシア様が目を逸らしながら呟きます。
「事業に関わるありとあらゆる可能性を検討して、関係する法律を片っ端から調べた結果ですよ。必要になれば嫌でも覚えます。」
「子爵はともかく、私まで規格外とは心外だな。」
私と侯爵様がアレクシア様に反論しますが、子爵はともかくって何ですか。
「旦那様も子爵も、自分が普通だと思って基準にしてはいけませんよ。」
パウリーネ様がアレクシア様を擁護します。
そんなに普通ではないのでしょうかね?侯爵様はともかく。
その後、幾つか雑談を交わした後、皆様が帰宅されるのでお見送りします。
「イルムヒルト様。困った事がありましたら、いつでも相談くださいね。私達は皆、貴女の事を心配しているのです。」
そう言ってまたアレクシア様に抱きしめられます。
気持ちは有難いですが、いちいち抱きしめられるのは御勘弁下さい。その、豊かなお胸が顔に当たって、息も心も苦しい・・・。
「御心配頂いているのは有難いです。宿に居れば危ないだけで、ここでは充分安全を確保しています。母や祖父母の事を含めての御心配だと思いますが、今すぐどうこうなる事は有りません。
何かありましたらご相談致しますので、ご安心ください。」
「ほらほら、子爵もお困りです。そろそろ帰りますよ、アレクシア。」
パウリーネ様に促されてアレクシア様も抱擁を解き、皆様帰宅されて行きました。
皆様が御帰りになった後、侯爵様の座られていた椅子に小さな紙片が挟まっているのを見つけました。
取り出してみると、侯爵様から私宛のメッセージでした。
――例の人物について、符丁を決めたい――
確かに実名でやり取りする訳にはいきません。
アレクシア様が着いて来たのは侯爵様も想定外だったのでしょう。パウリーネ様とお二人であれば、恐らくこの場で私が返信をメモに書いて終わりでした。
侯爵様は内心怒っていたと思います。だからアレクシア様を暇だとか、仕事を詰め込むとか言っていたのですか。
侯爵様への返信を書き、アレクシア様の仕立の見積書に紛れさせ、侯爵様へ届けるようフェオドラを通じてお願いしました。
侯爵様にはこう返信しました。
――『アレ』で充分です――
いつもお読み頂きありがとうございます。