23 母の小さい頃の話を聞きました
営業開始後の物流拠点は人の出入りが多いため、警護という観点では不向きです。オリヴァー、ハンベルト、コンラートと護衛達で営業開始前に拠点を出発します。コンラートには遠目から分からない様、移動中は外套を着てフードを被って貰います。
領都に入り、直接行政所へ向かいます。まだ行政所は一般には開かれていない時間なので裏口から入れてもらい、私の執務室に入ります。
まずは、コンラートに状況説明するのが先でしょう。コンラートに部屋の応接卓の席を勧め、私も向かいに座ります。
「コンラート、慣れない移動だったと思いますが、お疲れ様でした。」
「子爵様。助けて頂いた事、有難うございました。ここまでの移動の際にもかなりの部分、私に御配慮頂いたと感謝しています。」
コンラートが頭を下げてきます。
「あのような場所で、瑕疵無く放り出された方を見捨てるなどできません。それに、私の方にも貴方を助ける他の理由が出来ましたので。」
「助ける理由、ですか?」
「ええ。リーベル伯爵の件で、恐らく貴方を含め、あの時王都の邸宅で会った方々に再度の召集が出されていると思います。追加での聞き取りがあるのでしょう。恐らく、この間の連中はこれに絡んで、貴方の身柄を要求したのだと思います。
あの偽者連中は、私にも因縁のある相手である可能性が高いのです。それに、その召集の掛かった内容も、その因縁に関わる部分なのです。それが貴方を助けた他の理由です。」
コンラートは考え込み、ふと気が付いたように発言します。
「2つ質問させてください。
まず、私や他の下級使用人に召集が出されたと思われる理由についてです。また追加の尋問を受けるのだと思いますが、何についてなのか、子爵様はご存じでしょうか。」
「恐らく前の尋問については、あの邸宅を実際に使用していた人物の話に集中していたでしょう。追加の尋問については、伯爵が度々あの邸宅に招いていたと思われる、ある特定の人物についての件だと思います。」
特定の人物、のくだりで、コンラートに一瞬緊張感が走ったのを感じました。内心を隠すのは上手そうですが、無意識の反応まで隠すのは彼にはまだ難しいようです。
今は、私はそれに気付かなかった振りをします。
「わかりました。次に今後の私の扱いですが、どうされるお積りでしょうか。王都に使いを出して、第三騎士団や王都第二大隊に護送を依頼されますか?」
「先日のあの連中が出てきた事で、それは難しいと思います。
理由はお分かりになりますでしょう?」
コンラートが、自分でどれ程危機感を感じているか確認します。
「・・・迎えに来るのが本物とは限らないという事ですか。
先日の集団は私を強制的に連れ去ろうとしている様に感じました。仮に偽者の迎えが来て子爵が私を引き渡したら、私が行方不明になるとお考えなのですね。
子爵が途中で私を王都に帰さず、ここに連れて来たのも同じ理由でしょうか。」
危機感も感じているし、状況を類推できる程度は頭も回るようです。
その認識があると無いとでは護衛の難易度が違いますから、わざわざ説明する必要が無くなった事に内心安堵しました。
「ええ、その通りです。私が感じている危機感をコンラートもお持ちで安心しました。
ですから、私が再び王都に行く際に、一緒にコンラートを連れて行きます。第三騎士団に貴方を引き渡しても安全かどうかは、王都に行ってから見極めます。」
「有難うございます。しかしどうして、そこまで私の安全に気を使って頂けるのですか?」
やはり警戒していますね。
「私が先ほど言いました、王都の邸宅に度々招かれていた可能性のある特定の人物の事です。それが私の想像通りの人物だとしたら、子爵家にとって因縁のある相手なのです。貴方が置き去りにされる切掛けとなったあの集団も、その人物と繋がりがあると見ています。
しかし、私は彼らをこのままにはしておけません。彼等の事がこのまま有耶無耶になってしまえば、子爵家と子爵領に安寧は無いのです。
貴方がその人物の事をどれだけ知っているかはわかりません。彼らの事を明るみに出すまでの情報はお持ちで無いかも知れません。それでも、彼らの私利私欲の犠牲者を増やしたくない。
それが、私が貴方を助け、守る理由です。」
結構踏み込んで話をしている自覚はありますが、それでも周りのオリヴァーやハンベルト、護衛達のいる前で、『アレ』の具体的な事にまで及ぶ話にはできません。
コンラートは困惑しているようです。
私の事をまだ警戒しているでしょう。でもその位警戒心が強い方が今は良いのです。だから、私は話を続けます。
「私は、貴方にその人物の話を聞くつもりはありません。然るべき時、然るべき相手に話すまで、迂闊に話してあなた自身の身の危険を増やす必要はありません。
その然るべき時までは貴方に護衛を付けます。少なくとも、私が何日か子爵領に留まり、王都へ行って然るべき方に貴方を預けるまでは続きます。」
「その間、大人しくしていてくれ、という事ですか。」
軟禁されると思っているのでしょうか。
生憎、子爵領にそんな人的余裕はありませんし、彼の為にもなりません。
「そうされたいのでしたらその様に考えます。
ただ当家は子爵家ですし、護衛の人数にも限りがあります。私にも護衛は必要ですし、私と貴方に別々に護衛を付けるのは非効率です。
私はこの子爵領に居る何日かの間に幾つか仕事や行事をしなければならず、自分の事まで手が回らない可能性が高いです。
貴方さえ良ければ、子爵領に居る間だけでも私の傍で貴方の職能を活かして頂けないでしょうか。一旦期間は貴方が王都に戻るまでとして、報酬も含めた短期契約を結んでも良いです。」
伯爵家に街道の真中で放り出されたのは、彼の経歴上大きなマイナスです。彼の働き次第ではありますが、短期雇用の後に推薦状を付けてあげれば次に繋がるでしょう。
「・・・そこまで考えて頂けるのであれば、是非その様にお願い致します。具体的な契約内容は、オリヴァー様から提示頂けるのですか?」
「早速やる気になって頂けて嬉しいです。契約内容はお互いの条件をこの場で詰めてしまいましょう。オリヴァー、短期雇用契約書の雛型を持ってきて貰える?」
「子爵様と直接、この場で?」
コンラートが驚いています。
ああ、そうか。貴族家と使用人の契約だから、他の家では一方的に貴族家が押し付けているのでしょう。
「ひょっとして、エッゲリンク伯爵家との契約は、上級使用人から一方的に契約書を渡されて、サインするだけでした?
今回は私の方も貴方を護衛するためにお願いする事もありますし、貴方も次に繋がらない内容では受け入れられないでしょう。お互いに納得のできる内容かどうか、確認し合うのは大事ではありませんか。」
「・・・わかりました。」
その後コンラートと細かい契約内容を詰め、ひとまず王都に戻って3日後まで、彼に支払う報酬以外に私は彼の護衛を手配・指揮し、彼は自分の職能を私に提供するという相互提供の短期契約を結びました。
まだ若い執事見習いの彼ですが、私に対して委縮も侮りもする事無く、逆に子爵家側からの護衛の努力義務を契約に盛り込むようコンラートの方から求めて来ました。
彼は頭も回りそうですし、危機に対する警戒心が強く、ある程度の交渉術も身に付けています。強かさの裏に野心が無いかは見極めが必要ですが、見た目で私を侮らず当主として接するのは好印象です。
適切に鍛え上げれば有能な執事になる素地は充分有りそうです。
彼の為にも、契約の間はちゃんと面倒を見ていきましょう。
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マリウス様とその御一行は、弔いの会の前日の午後に領都に到着されました。私は直接お出迎え出来ませんでしたが、侯爵家から事前に連絡を頂いた日程で、領都でも一番高級な宿の高位貴族向けフロアを押さえておき、宿には支払いを全て子爵家に回して頂くようお願いしました。案内をしたオリヴァーによると、一行はマリウス様の他、彼付きの執事や使用人、護衛等で人数は予定通り15人だとの事。
翌日、領都の郊外にある墓地に向かいました。
母と祖父母が亡くなってもう8年近く経ちますが、今まで正式な葬儀が出来ませんでしたので、本日は教会から神父も呼び、正式な弔いの場を設けました。
母と祖父母の遺体の見分けが付かなかった為、一緒に殺害された使用人達のご家族とも話し合ったのですが、「生前、子爵家にお仕えする事を誇りにしていたので、引き続きお仕えさせて欲しい」と、子爵家代々の墓地に一緒に埋葬する事を了承頂きました。
子爵家代々の当主家族の墓が並ぶ横に、母と祖父母、一緒に亡くなった使用人達の御棺を移設し一纏めの墓を建てました。表側に母や祖父母の墓碑銘を、裏側には一緒に埋葬される使用人達の名も刻んで頂きました。
私は祖父母の治世を知らないので、祖父母の墓碑銘はオイゲンと一緒に考えましたが、母の銘は私の希望で刻んで頂きました。
『苦難の時にあって、領地を愛し慈しみ
何より先ず民の発展と安寧を願い
民と共に領の発展の礎を築いた偉大なる母よ
今は安らかに眠り、安寧なる地を見守り給え』
葬儀には、子爵家として私と、行政所の主だった役職の方々、商会から副商会長と物流部門や工場の重鎮の方々、一緒に亡くなった使用人の家族、弔問の使者としてのマリウス様一行の他、領都や近隣の町・村からも大勢の領民の方々にお越し下さいました。大勢の方が献花台に花を捧げて下さいます。
神父様の祈りの言葉の後、私が母や祖父母、一緒に亡くなった使用人達を偲ぶ弔辞を述べ、マリウス様がバーデンフェルト侯爵家からの使者として弔問の口上と哀悼の意を述べられます。
その後、列席者の方々のお祈りの時間の後、神父様の最後のお祈りの言葉で葬儀を締めくくります。
列席頂いた皆様に感謝の意を述べつつお見送りしていますと、マリウス様が私の方に近づいてきました。今日は婚約者としてではなく、使者として応対します。
「マリウス様、本日は子爵家の葬儀にお出で頂き、有難うございました。」
「・・・御母堂様と御祖父様達の、不慮の御逝去、御悔み申し上げます。」
マリウス様も使者としての返礼を行った後、表情が柔らかくなります。
「イルミとゆっくり話したいけど、今日のイルミには僕と話をするより、母様や祖父母様と思い出をゆっくり語らう時間が必要だと思う。
顔合わせについては、また宿の方に連絡を貰えるかな。」
「有難うございます。今日はそうさせて頂きます。
ご連絡は別途行政所から使いが出ると思います。」
そうして、マリウス様と御一行もお帰りになりました。
御列席の皆様が御帰りになり、葬儀の片づけを行政所の方々と済ませた後、行政所の方々もお帰りになりました。後は私とオリヴァー、ハンベルト、コンラートと護衛達のみです。
皆には離れて護衛をして貰って母の墓所で一人にさせて頂き、心の中で母と向き合います。
幼い頃から母達と領地を巡って領民達と直接問題解決に当たっていたので、よく覚えているのはその時の姿です。母はよく私に言っていました。
『領地貴族である私達は、領地で暮らす皆の生活を守り、豊かにする責任があるのです。皆の命を預かっているのです。その責任の重さを自覚し、日々領民の安寧を願い、皆の生活をよりよくするべく務めるのが私達の仕事です。』
幼い頃から何度も言い聞かされたこの言葉は、私の胸に刻まれています。母や祖父母はそう言った高潔さを失いませんでした。
私が思い浮かべる母の凛とした美しい姿は、あの高潔さが根差した物だったのでしょう。それが、『アレ』のせいで・・・。
いや、今日は、『アレ』の事を考えるのは止めましょう。
母の高潔さを汚したくありません。
ふと気づくと、オリヴァーがこちらにやって来ます。
「当主様、旅装の老紳士の方が先程こちらに来まして、先代様に献花させて頂きたいとの事です。如何致しましょうか。」
オリヴァーが老紳士と言う位ですから、立ち居振る舞いが平民ではないのでしょう。
貴族の方なのでしょうけど、一体どなたでしょう。
「ちなみに、その方はお一人で?」
「同行者は10人位居られますが、皆さんは墓地の外でお待ちです。献花に来られた方は花束を持参されたその老紳士の方お一人ですね。」
どなたか分かりませんが、それだけ多くの供回りを引き連れる方です。恐らく高位であろう貴族の方を、無下に断るわけには行かないでしょう。こちらへ通して貰います。
やってきた方は恐らく60を過ぎた、白髪に碧眼の男性です。姿勢も良く立ち居振る舞いが洗練されており、やはりどこかの高位貴族の出だろうと思います。
両手には、花弁に斑点のある白い野花を一杯にした花束を抱えています。
「旅の途中ゆえ、このような姿で申し訳ない。当領地の先代様の葬儀に旅装で参列するわけにもいかず遅れて参ったが、先代様を御悔みし御献花させて頂きたい。」
「旅の途中にも拘らず、わざわざ当家先代に花を手向けたいとお出でになった方を、お断りする理由はございません。
私が当代、イルムヒルト・リッペンクロックと申します。本日はお越し下さいまして有難うございます。いずれかの高位の家の方とお見受け致しますが、どちらの方で御座いましょうか。」
受け答えも佇まいも、やはりどう見ても高位の方のようです。
「丁寧な御挨拶、感謝致す。儂は一線を退いた身、当代様に名前を憶えて頂くほどの者ではござらん。先代様とも面識はござらんが、ここから西方にて炭焼き小屋を営むご老人と、偶々知己を得ましてな。旅のついでに花を手向けて欲しいと頼まれたのです。」
「炭焼き小屋のご老人、ですか?」
西の方の、炭焼き小屋?
あそこは確か壮年の御夫婦が営んでいたはず。ご老人には心当たりがありませんが、その御夫婦のご関係の方でしょうか。
それにしても、どう見ても高位の家のご老人が、平民の方に頼まれた?
「ここからだと馬で半日位の場所でしょうか。森の畔で昔から炭焼きを営んでいて、既に御高齢で今は息子が後を継いでおるそうです。
偶々近くで馬を休ませた際に、小屋の表に居たご老人の話の相手になりました。」
という事は、あの炭焼き小屋の旦那様のお父様でしょう。そういえばその方とはお会いしたことが有りません。
「そのご老人の話では丁度今頃の季節、小屋の近くの草原で、毎年小さな白い花が一面に咲き誇るそうだ。先々代様御夫婦に連れられた子供の頃の先代様が、よくその光景を見にやって来ていたそうでな。先代様はその花が好きで、草原に来てはよく花冠を作っていたそうだ。」
母の小さい頃に、好きだった花。
それが、このご老人の抱える花束の野花なのでしょう。
「先代様が御成人された頃以降、子爵領内の景気も悪く、先代様も当代様も領地を巡っては行く先々で問題に対処されていたので、中々その草原までご案内する余裕が無かったのだろうと聞いた。
『先代様の葬儀がやっとこちらで行えるようになったが、自分たちは既に年を取って墓参に行けない。先代様が小さい頃好きだったこの花を献花して貰えないだろうか』と頼まれたのだ。そこで草原に赴いて花を摘み、こちらへ参った次第だ。」
私が物心ついてから、母と祖父母と共に領地を巡り、問題解決に当たっていた思い出しかありません。家族と一緒だったのでそれを寂しいと思った事は有りませんが、こういった母の小さい頃の思い出話などは聞いたことが有りません。
母の小さい頃は・・・憂いの無い、平穏な時代だったのでしょう。
「私は小さい頃から母と共に領地を巡って忙しくしていました。母は領地の問題解決で頭が一杯だったのでしょう、そういった小さい頃の思い出話を母から聞いた事が有りません。
先代は先祖代々が眠るこの地に、漸く帰って来る事が出来ました。やっと、母に平穏が戻ってきました。その花を見れば、小さい頃の思い出を、母も思い出すでしょう・・・母も・・・喜ぶと、思います。」
やっと、母に平穏が来たのです。このご老人の話を聞き、自分で話しながら、漸くそれが実感できました。
やっと・・・やっと、『アレ』から解放されたのです。
葬儀の最中も泣けなかったのが、母に対する万感の思いに自然と涙が零れます。
「先代様の思い出話の一つとして心に留めて頂ければ、あのご老人も喜ぶだろう。
ただ儂が長々と居ては、先代様との語らいの時間のお邪魔になろう。先代様のご冥福をお祈り申し上げ、早々に去らせて貰おう。」
ご老人は献花台にあの花束を捧げ、祈りを捧げた後、同行者の方々と早々に騎乗で去られました。母の小さな頃の話を伝えて下さったご老人に感謝し、私は姿が見えなくなるまで、頭を下げてお見送り致しました。
ご老人の持ってきた花は、ネモフィラの白色花をイメージしています。