19 たかが制服、されど制服でした
あの届出の後、3日間は子爵家に来ていた釣書、面会申請、夜会の招待状、プライベートな招待状等の処理に追われました。全てお断りの御連絡です。
バーデンフェルト侯爵家と婚約したため、これから学院に入るため、多忙のため――相手の爵位や内容次第で理由は変えていますが、高位貴族家相手でもお断りできる理由が増えたので助かります。
その間、オリヴァーやロッティを幾つか使いに出す際に、市中の噂を拾ってもらう様お願いしました。婚約届の件は早々に広まっていました。パーティーの件で私の事が市中にまで広まってしまいましたから、話題性が有ると皆思ったのでしょう。これで王都に来る機会の多い貴族や、学院生にも広まるでしょう。
領地の行政所から、タウンハウス内装工事の最終図面と工事日程表が送られてきました。資材は順次、拠点間物流を使って運んでくるようですが、工事開始が3日後となっています。という事は、もう工事の人員は領を発っていません?
しかも日程表によると、工事完了は3カ月くらい掛かるそうですが、取り敢えず私の執務室と居室、その周辺を整えるのは1カ月でやるみたいです。かなり早くないですか? どうも、私の執務と居住の環境を最優先で手配してくれているみたいです。
最終図面を確認すると、完成すればなかなか固い守りが築かれそうです。端の方に「機密保持のため、見たら焼き捨ててください」と書かれているので、オリヴァーに焼却処分を指示します。
・・・ん?ちょっと待って。3日後?1か月間?
ああっ!その間の宿を早く手配しないと!荷物の整理も!
そこから総出で、慌てて宿に移る準備を始めました。急いで工事の手配をしてくれたのは有難いですが、余りに早すぎるのも考え物です。
以前の潜伏中は市中にある下位貴族家向けの宿を使いましたが、今回はタウンハウスにも近く割と治安の良い場所にある『アウレール』という宿を押さえました。
『アウレール』は王都に邸宅のない貴族家が、王都に滞在する際に使われる宿の一つで、治安の良さと貴族向け付帯サービスの充実につき高位の方もよく使用する様です。
値段は以前の宿の倍以上しますが、マリウス様と婚約した事もあり、余り格の低い所を使う訳にはいかなくなりました。
そろそろ2年生の新学期が始まるので、学院長に話を通しておきませんか、とマリウス様から御連絡がありました。その通りですが、今は宿に居を移す準備の最中です。宿に移った翌日になら行けるかと思って返信したところ、程なくその日に学院長のアポイントをマリウス様から取って頂いた旨連絡が来ました。
宿に移って翌日、マリウス様が馬車で私を迎えに来ました。今日は私に随伴するのはロッティとハンベルトです。ロッティは私と馬車の中に、ハンベルトは御者の横に座ってもらいます。
「イルミ、学院にはすぐ通えそうなの?」
「すぐには難しいですね。子爵領と商会の仕事もありますし、タウンハウスが暫く使えませんしね。あと、制服もまだ用意していません。」
学院の制服は既製品があった筈なので、学院長と面会した時に手続の方法を訊けばいいでしょう。
「じゃあさ、僕の方で制服を手配するよ。」
「え?どうせ既製品ですよ?」
「それが、最近ちょっと事情が変わってきてね。」
どういう事でしょう?
「数少ない女性の省庁職員はずっと制服だったんだけど、何年か前に市中で『エルゼ・エルゼ』っていう女性用仕事着の店が出来て、女性の省庁職員がそういった仕事着を、段々と制服の代わりに着るようになってきているのは知ってるかな?」
ああ、その店は、うちの商会の店なのでよく知っています。
「ええ、それは知っていますが、それが学院に飛び火したという事ですか?」
「そう、特に高位の御令嬢達の間で、制服に反対する動きが出てきた。ただ学院は高位貴族だけの場ではないからね。下位の貴族たちはお金の掛からない既製服の方が良かったんだ。」
一般的な子爵家や男爵家なら、あまりお金を掛けられないでしょう。
「そこで学院側の妥協として、ぱっと見、制服に見えるように仕立てた服でも良い、となってね。一部の高位貴族の御令嬢達の間で制服風の仕立服が着られるようになったんだ。既製服で押し通す高位の御令嬢もいるんだけど、逆にそういう御令嬢は家に力が無いように見る人が出てきてしまってね。」
「それで、私に制服風の仕立服を?」
「そうなんだ。是非、贈らせて貰いたいと思ってね。」
話は分かりましたが、それは難しい問題です。前提条件を確かめましょう。
「それは、そういう制服風の仕立を着ている御令嬢達が、どういう方々かに拠りますが・・・それはどちらかと言うと、マリウス様の言うお花畑に近い方々が多いのではないのですか?」
「声の大きい、大勢の下位の御令嬢を従えた高位の御令嬢が多いのは確かだけど・・・。」
「それに、既製服を着ている御令嬢を『家に力が無い』と揶揄するのも、そういう方々ではないですか?」
「・・・うん、そうかもしれない。」
やはり、この流れに乗る訳にはいかないです。
「だとすれば、安易にその流れに乗ってはいけませんわ。
男性社会の中で能力を発揮して自ら引き立てないといけない省庁の女性と、単に着飾りたいだけの御令嬢達は根本的に違うのですよ。既製服を着ている高位の御令嬢達の方は、恐らくその点を弁えていらっしゃるでしょう。
アレクシア様も、既製の制服で通していらっしゃいませんでしたか?」
「・・・うん、そうだね。イルミの言う通りだ。」
考えの足りなかったことを反省し、マリウス様が落ち込まれます。
でも、マリウス様がそう考えられた動機は恐らく・・・。これはフォロー差し上げないと。
「制服のお話は、婚約者として何か贈り物をしたい、というマリューの気持ちからだったのでしょう。その気持ちは嬉しいですわ。
それでしたら、学院での学業の妨げにならない様な、小振りの装飾品で何か見立てて頂けますか?」
「・・・わかった。イルミに似合うものを見立ててみるよ。」
マリウス様が笑顔を見せます。よかった、少し立ち直られたようです。
学院は新学期の開始前とはいえ、ちらほら学院生たちの姿が見えます。部活動や研究活動などを行う人たちだろう、とマリウス様は言います。
制服を持っていないので、私の今日の装いはフェオドラに仕立てて貰った仕事着です。マリウス様が制服ではない私をエスコートして学院長室に向かう様は、それなりに彼らの注目を集めたようです。
学院長室に通され、学院長と私とマリウス様で学院長室の応接テーブルに着きます。学院長の女性秘書や我々の従者達はそれぞれ後ろで控えます。
学院長は50代後半の、白髪の交じり始めた穏やかな男性です。学院長という職位に法衣侯爵位が付帯していますが、職位に爵位が付帯しているのは学院を守る為で、王家の後ろ盾がある代わりに継承権は無いそうです。
ご本人は平民の出だと、以前お伺いしました。
「ようこそお出で下さった、子爵様、マリウス君。御婚約おめでとうございます。」
「「有難うございます、学院長。」」
婚約祝いの言葉に、マリウス様と2人で礼を言います。
「ところで、本日の御用向きは?」
「はい、昨年私が入学の際、学院長にお願いをして籍だけ置き、学院に通わない旨をご了承頂きました。ですが大きな問題が1つ解決しまして、通わない理由が無くなりました。
つきましては、改めて学院に通わせて頂きたく、お願いに上がりました。」
正確には、もう隠れて居られなくなったからです。
あの殿下のせいで。
「おお、子爵様が学院に通われるか。それは勿論大歓迎です。
1年生の学期末試験の最高得点者が2年生から学院に通われるのは、皆の励みになるでしょうな。」
「え?」
「うん、イルミは総得点で800点満点中798点だったかな。2位と20点くらい差が開いていたと思うよ。僕も頑張ったけど765点で5位だった。」
それなりに出来たとは思っていましたが、ほぼ満点?
一部優秀な平民の方々も学院に入られるので、1学年あたり50~70人くらいでしたか。マリウス様も上位にいらっしゃるのですね。
「それで、新学期はすぐに通われますかな。」
「残念ながら、準備に2週間くらい掛かると思います。あと、流石に子爵家や商会の仕事を学院寮には持ち込みたくありませんので、寮ではなく王都の宿、またはタウンハウスから通わせて頂きたいと思います。」
タウンハウスの準備まで待つのは諦めましたが、学院に通うまでに片付けないといけない案件がまだ残っています。リーベル伯爵の捜査の件も間違いなく、近いうちにもう一度呼出があるでしょう。
「宿、ですか?」
「王都に所有する邸の内装工事が始まってしまい、私が住む用意だけでも1か月位は掛かりそうです。タウンハウスに戻るまでは『アウレール』に滞在します。」
「成程。あそこからなら、道中の治安も問題ありませんな。大丈夫ですよ。」
通いで学院に来るのも問題ないようですので、後は制服の件ですね。
「あと、元々は通う積りが無かったので制服が無いのですが、どこかで購入することは出来ますでしょうか。」
「子爵様は、学生服の仕立はしないのですかな。」
やはり、その件で学院長は私を見定めようとしていますか。
「省庁とは違って学院は学びの場です。着飾りたいだけの方達ではなく、マリウス様の姉君アレクシア様のような、矜持ある御令嬢の方々に倣いたいと思います。」
「おお、そうか。マリウス君から事情は聞いているのだな。しっかりしたお考えをお持ちで安心しました。制服といっても寸法が細かく20種類くらいに分かれておりますから、採寸表を預けて頂ければ、後で合うものを宿にお届け致しましょう。」
学院長は嬉しそうです。やはり安易に乗らなくて正解でした。
しかし『エルゼ・エルゼ』なら同種の服の寸法は精々5種類くらいですが、制服の寸法は20種類ですか。細かく注文する高位貴族の御令嬢が過去に大勢いらっしゃったのでしょう。
ロッティに目配せして、私の採寸表を秘書の方に渡してもらいます。
「子爵様が通われるのでしたら、制服と合わせて2年生の教本をお届け致しましょう。選択科目の分もまとめてお送りしますので、通われるまでに選ばれる科目をお知らせ下されば、こちらで準備致します。
あと、もしお仕事で学院を休まれる場合は事前に御連絡を頂けますかな。
マリウス君もある程度フォローすると思いますが、選択科目も必ずしもマリウス君と同じとは限りますまい。お休みの際の授業での進み具合について、都度お知らせ致します。」
「ご配慮有難うございます。」
教本と、休みの対応についてご配慮いただきました。
これで大方の用事は済んだでしょうか。
「あと、これは私事でございますが。
貴女の御母堂様が通われた時は、私もまだ若手の教師でした。あの時は御令嬢の教育内容も今の様に実務を学べるものではなく、御母堂様を特例で御令息の授業を教室の外から聞けるよう手配するとか、色々大変でございました。
当時の教育環境は、御母堂様にとっては大変だったかと思います。ましてそれ以外に・・・」
「いえ。」
学院長があの話を始めそうになりましたので、慌てて止めます。
あの話は止めるべき人が止めなかった時点で、恐らくどうしようも無かった事です。今更学院長から謝罪されても困りますし、学院長に怒りをぶつける話でもありません。
「今の学院の教育内容は、御令嬢達も御令息と同じように領地経営や国政、法務など様々な事を学べるようになっていると理解しています。
実務を習得する必要のある御令嬢の方々に門戸を開かれましたのは、当時の反省もあったのでしょうが、学院長をはじめ皆様の努力のお陰だと思っております。
母も既に鬼籍に入っております。私は、今の学院の教育環境を作られた皆様に感謝して、これから学院に通わせて頂きます。宜しくお願いいたします。」
お願いです。今更、あの話を蒸し返さないでください。
「・・・了解致しました。子爵様や御令嬢達の教育環境をより良くしていくよう努める事で、子爵様の御期待に添いたいと思います。」
「ええ、有難うございます、学院長。
あと、私が通い始めたら、他の学院生と同じように名前で呼んで下さいませ。」
「わかりました。そうさせて頂きます。」
帰りの馬車の中、制服の件でマリウス様に謝られましたが、未然に防げたので大丈夫です、と答えておきました。
あと、学院長との最後の話について、私の母に当時学院で何があったかをマリウス様に訊かれました。しかし、私の口からは言いたくありません。
私が実体験した事ではないですし、何より『アレ』が絡む話なのです。・・・『アレ』が絡む話は、自分が冷静で居られる自信がありません。
恐らく侯爵様が年齢的にご存じかも知れないから、詳しくは侯爵様に聞いて頂くようお願いしました。
アレクシア様の入省祝いを2人からお送りすることをマリウス様に提案し、学院の後で侯爵家契約の装飾品店を訪れました。当然ながら店にも私達の婚約の事は知れ渡っており、店の皆に祝福されつつ、アレクシア様へのお祝いの品を2人で選びました。
選んだ贈り物は、薄いブルーの小振りの石をトップに置いたネックレス。仕事の妨げにならないシンプルなデザインで、トップの石は商務省の女性省員が巻くスカーフの色。そして何より、マリウス様と折半できる比較的安価な物。
包装とメッセージカードを選んで、アレクシア様の入省日に合わせて侯爵邸に届けて頂くようお願いしました。
翌々日、あの装飾品店からマリウス様からの贈り物が届きました。タイミング的にあの日にご注文されたと思いますが、いつの間にお選びになったのでしょうか。
開けてみると、シンプルなシルバーリング。深緑色と群青色の小さな石が隣り合って埋められています。この色は、私とマリウス様の髪色を表しているのでしょう。
添えられたメッセージカードを見ます。
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イルミへ
制服の件は本当に有難う。
まだ頼りないかも知れないけど、隣に立てるよう頑張るよ。
僕の事を気に留めてくれたら嬉しいな。
マリューより
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マリウス様の心遣いに嬉しくなります。
指輪を薬指に嵌め、しばしの間うっとりと眺めていました。
『エルゼ・エルゼ』は、閑話で出てきた女性用仕事着の店。
フェオドラを育てる一環で作った店が、予想以上に当たったため
今ではいくつかの商会が競合店を立ててます。
主人公の母親の時代、まだ領地経営や国政は
男性しか学ぶ機会が与えられませんでした。
しかし主人公の母親はある事情から
自らそういった事を学ぶ必要があり
教室の外から聴講するのは
なんとか学院が用意した抜け道でした。
それでもかなり大変だったのは間違いないでしょう。





