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<R15>15歳未満の方は移動してください。

いつもご飯に誘ってくれる後輩ちゃんと深夜の罪を犯してお持ち帰りした話。

 ――――11月、某日。深夜。

 とある目的のため、俺は外出していた。


「あ、せんぱいおっそいですよぉ~!」


 待ち合わせの公園に辿り着くと、開口一番頬を膨らませてそう言った後輩の少女は街灯に照らされる薄暗闇の中をこちらに向かってトタトタと駆けてきてた。


「もうっ、こんな深夜に女の子を待たせるなんて何を考えているんですか?」

「ちょっと見たいアニメあったから仕方ないよな」

「アニメと私、どっちが大事なんですか!?」

「アニメに決まってんだろうが。リアタイで見れなかった敗北者がどんな扱い受けるかおまえ知ってんのか? お? お?」

「し、知りませんよぉそんなのぉ……むぅ~~、なんで私がキレられてるの……?」

「解せんな」

「それは! 私の! セリフ!」


 深夜の公園に後輩ちゃんのキンキン声が響き渡る。

 

「まぁまぁ落ち着きたまえよ後輩ちゃん。ちゃんと時間通りじゃないか」

「待ち合わせって、男の人が先に来るのが基本だと思います。あーでもせんぱいにそんなこと求めても無駄でしたね~。なにせ友達ゼロ人記録保持者の万年ボッチですし~?」


 後輩ちゃんは得意そうに俺を煽る。


「なあ後輩ちゃん」

「なんですかぼっちで陰キャオタクで臭いせんぱい」

「臭くはない。俺は清潔なオタクだ」

「そうですか? くんくん」

「やめれ、嗅ぐな」

「男の人っぽい匂いがします。嗅いだことないからよく分かりませんけど」


 汗臭いとか言われるより生々しい。


「まあ、私は嫌いじゃないですね、うん。臭いは撤回しましょう」

「しぇ、しぇいしぇい」


 無自覚にそういうこというのも困りものだ。思わずどもってしまったではないか。セクハラ反対!


「で、もう大丈夫か?」


 ため息を吐きつつ尋ねた。


「へ?」

「いや、おまえ、声震えてたし」

「な」

「すまんかったな、まさかいつも子憎たらしい後輩ちゃんが、まさかまさか深夜の公園が怖いだなんて思わなくて」

「なな」

「つか深夜に待ち合わせ自体な、配慮が足りなかった。後輩ちゃんだってか弱い女の子だもんな」

「ななな」


 俯いてカタカタとロボットのような挙動を見せる後輩ちゃんはパッと意を決したように笑顔を咲かせる。


「な、なーんちゃってー! 震えてるフリでしたー! みたいな! せんぱい騙されたー!」

「さすがに無理あるだろ。俺が来た時のあの後輩ちゃんの安堵の表情と来たらもう……いやあほんと申し訳ない」


 わざとらしく頭を下げてやると後輩ちゃんの顔が真っ赤に染まる。


「も、もーもーもー! やーめーてー! やめてください~! てゆーか、さっきからからかってますよねえせんぱい! せんぱい私のこと女の子だなんて1ミリも思ってませんよねえ!?」

「は? いや思ってるよ?」

「ふえ?」


 きょとんと後輩ちゃん。


「1ミリならさすがに」

「~~~~~っ! もーもー! もー! せんぱいほんっと嫌い! 大嫌い!」


 後輩ちゃんはぷいっと顔をそむけた。


「嫌いなのはいいんだけどさ、もうちょい声のボリューム抑えない? 補導されっぞ?」

「そ、それは困りますっ。私の輝かしい未来に亀裂がっ」


「ならさっさと行くぞ。将来バラ色の不良少女」


 ひらひらと手を振ると、俺は後輩ちゃんを置いてスタスタ歩き出す。


「あ、待ってくださいよぉ。置いてかないでぇ夜の公園とかほんと怖いんですってぇ。おばけ出そう~…………ぇ、あ、い、いえ今のは違くてですね!?」

「いやなにが? やっぱ怖いんじゃん。自爆乙。素直でよろしいですことよ?」

「がうがうがー!」

「え? なに? 日本語でおーけーだよ?」

「せんぱいのバカ! えっちへんたい! ほんっと信じられない! 変質者ー!」

「ちょっと待てえええい!? マジでお巡りさんくるからやめよう!? やめよう!?」


 俺の輝かしい未来だってこの世界のどこかにあるんですよ!?


「おーそーわーれーるー!」

「マジで洒落にならんて!? そうやって痴漢冤罪に泣かされるエリート童貞がどれだけいると思ってるんですか!? あーもー! わかったよ俺が悪かったって! からかいすぎましたー!」


 喚きたてる後輩ちゃんをなだめると、俺は片手を差し出す。


「ほれ」

「な、なんですか。襲う気ですか」


 後輩ちゃんはジリと後ずさる。


「まだ言うか。つかおまえが怖いのは暗闇とおばけだろ」


 男なんか今の調子で叫べばイチコロだよ。人生オワタだよ。

 俺はもう一度、差し出したままの片手をプラプラと揺らす。


「そうじゃなくて、怖いなら袖でも握ってろって話。俺なんかで安心できるならな」

「そ、そういうことですか……。でもふつう手じゃないんですか、握るの」

「握れっていったら握るのか?」

 

 言わないけど。何その彼氏面キモ、一生できないムーブだわ。


「ヤダばっちい」

「…………(イラっ)」


 ほんとこの後輩……。一発ぶん殴ろうかしら。この汚い拳で。

 しかしそんなことを言った割に後輩ちゃんは横へ並ぶと、俺の袖をちょびっと、大事そうに握った。


「……いちおう、ありがとうございます。これなら怖くないです。ふんっ」


 最後に鼻鳴らすの必要あった? ねえ? 

 めっちゃ不服そうな顔してやがる。

 可愛くねえ可愛くねえ。

 可愛くない後輩ちゃんと隣り合って目的地を目指した。



「おお……!」


 その駅前広場は深夜にも関わらず、仕事終わりのサラリーマンや大学生らしき人影でワイワイと賑わいを見せていた。

 爛々と煌めく無数の提灯は幻想的で、まるで別の世界にやってきたかのよう。

 否が応でも、気分が昂ってくる。


「これが……」


 人だかりの中心に構えるのは、大きめに展開されたひとつの屋台。

 夜風に揺れる暖簾にはシンプルな「ラーメン」の文字。 


 それは、毎夜見られるものではない。

 ゲームで言えば、通常の数倍の経験値を貰えるメタルス〇イムくらいの確立。

 不定期に、突発的に、幸運の女神が微笑んだ時、この屋台に出会える。


「これが、伝説のラーメン屋……!!」


 俺たちが住むこの街で連綿と語り継がれる、めちゃくちゃ美味いと噂の伝説のラーメン屋。

 それこそが今日、俺と後輩ちゃんが深夜外出なんていうリスクを犯してまでここにいる理由。本日の目的である。


「すごいすごい! めっちゃ人! 人がゴミのようですよせんぱい! 深夜! 深夜なのに明るいし!」


 子供のようにはしゃぎ回る後輩ちゃん。気持ちはすごく分かる。俺もあと10年若ければチビるほどに興奮していたに違いない。

 愉快なネズミが暮らす夢の国にも劣らない非日常感がそこにはあった。


「大声で人をゴミとか言うのやめような」

 

 ほら、そっちのオッサンめっちゃ見てるから。ただでさえ高校生の俺たちはこの場で異端なのだ。目立ちたくはない。


「でもでもせんぱいせんぱい!」

「どうどう。どうどう」

「んみゅ……」


 とりあえず落ち着かせるように秘儀・頭ポンポンを繰り出すと後輩ちゃんは大人しくなった。

 完全に保護者だよ。俺にもはしゃがせろよ。


「よし、落ち着いたな。それじゃあ……」


 さっそく食べたいのだが見たところ列が出来ている様子はない。屋台の数少ない席は当然満席で、周りの人はそれぞれがバラバラに順番待ちしているようだった。

 どういうルールなのだろう。事前準備の足りなさを悔いながらも周囲を窺っていると、


「38番の方、席空いたのでどうぞー」


 店員らしき人が表に出てきてそう言った。

 そして待ち人のひとりが店員に札を渡し、暖簾の奥へ入ってゆく、


「なるほど。ちょっくら整理券もらってくるわ」

「あ、はい。お願いしていいですか?」

「おう。待ってろ」


 俺は後輩ちゃんをその場に残して、屋台の方へ向かった。


 ◇

 

「ねえねえ、お嬢ちゃんひとり? 可愛いねー」


 それは何事もなく整理券を受け取り、後輩ちゃんの元へ戻る途中。少しだけ、周囲がざわついていた。


「ラーメン食べに来たん? 俺たちもなんよー、ねね、一緒に食べない?」

「一人で食べるより一緒の方がいいっしょ~?」

「俺たちの番もうすぐだしさ、あんま待たずに食べれるべ」


 3人ほどの大学生らしき男が見慣れた女の子――――後輩ちゃんを囲んでいる。


「え……? あ、あの……えっと……」

 

 いつもの小生意気な態度はどこへ行ってしまったのか。

 さしもの後輩ちゃんも慌てた様子で、言葉も上手く発せないでいる。


「ほらほら、あっちで話そ? ラーメン食ったらどっか店入ってもいいし? 金はもちろん出すしさ」

「もういっそのことラーメンとかどうでもよくねえ?」

「それあるわ。くっそ待たされてて意味わかんねえし。ラーメンなんてやっぱダセえし? このままもっと楽しいとこ行くべ。な?」


 そう言って、男の一人が整理券を投げ捨てると後輩ちゃんの手を無理やりに取ろうとした。


「え? え? ちょ、ちょっと、さ、触らないで――――」


 抵抗する後輩ちゃんを見て、俺は心の中で悪態を100ほど付きつつ、


「――――おい。そいつ俺の女なんですけど、なんか用っすか」


 男の手を掴んで無造作に投げ払った。


「せ、せんぱい……っ」


 これ見よがしに後輩ちゃんは俺の後ろに隠れる。この後輩、俺を盾にする気満々だ。


「なんだよ男連れかよ」

「っかーつまんね」

「はあー行くべ行くべ。どっかで飲みなおすべ」


 語気を荒めたことが幸いしたのか、一睨みすると男たちはシラケた様子でこの場を去っていった。


「はぁ~~~~~~っ…………」


 姿が完全に見えなくなったのを確認して、俺はグッと堪えていた息を思いきり吐き出す。


「もう無理。マジ無理だって。怖すぎだって。俺よく生きてたよ。夜の街こえええよぉぉぉおおお……」 


 数瞬の出来事とは言え、人生で一番緊張した瞬間だったかもしれない。

 未だに心臓はマラソンを走り切った後くらいにバクバクと脈打っている。


「ほんとつらみだってぇ……ぎゃん怖かったもん。ぎゃん寿命縮むわぁ……」

「あ、あの、せんぱい?」

「あー? なんだよ後輩ちゃん、せんぱい今生きていることの幸福を噛みしめてるとこだから放っておいてもらえる? てかもう帰らない?」

「めっちゃ泣いてる……格好悪い……。あと、帰りません」


 そら泣くわ。名作アニメ見終わった後より泣いているわ。誰に格好良さ求めてんの?   

 あ? キれるぞ? 


「で、でもその、ありがとうございました。助かりました」

「いーよぉもうそんなことぉ……だから帰ろ? 家でカップラーメン食べよ? それでいいでしょ?」

「イヤです」


 やっぱダメ? 

 あんな目にあってもラーメンに執着する後輩ちゃんマジ卑しい。


「て、てゆーかせんぱい、さ、さっき変なこと言ってませんでした……? わ、私のこと、お、おおお俺の女……とか」

「女だろー、1ミリくらい。この話さっきもしたよねえ?」

「そ、そうじゃなくて……! そこじゃなくてですね……!」

「もうどうでもいいてその話題。俺は後輩ちゃんが男でも全然おーけーだよ? 胸も大してないし」

「………………せんぱい」


 適当な応対を繰り返していたのだが、その瞬間、後輩ちゃんの瞳から光が消えた。いつも女の子っぽいソプラノな声のトーンががくんと下がる。そして沸々と黒いオーラが湧きたってきた。

 これが暗黒進化か。それとも闇落ちか。主人公ポジの宿命だよな。これからの成長を思うと胸が熱くなります。というところでエンドロール。


 次回に続く……


「フンっ!」


 と都合よく幕が卸されるわけもなく。

 華麗なフットワークから放たれる、渾身の腹パン。


 だが、甘い。


「フフ……フフフフ……」

「――――あ、あれ……?」


「フハハハハハ! 効かねえなあ! 後輩のへなちょこパンチなんて!」

「な、なんですとー!? ま、前はあんなに苦しがってたのに!」

「俺だって成長するのだよ、残念ながら」

「むぅ~! むーむー! むー! せんぱい嫌い! 大嫌い!」

「フハハハハハ!」


 数ヶ月前のことだ。

 俺はこの後輩ちゃんに出合い頭の腹パンを食らった。そしてのたうち回った。

 そんな出会いから、なぜここまで関係が続いているのかと問われれば話は長くなるのだが、とにかく俺はその時誓ったのだ。


 この後輩……絶対泣かせちゃる……! めちゃくちゃにしてやる……!


 というのは犯罪くさいため断念。

 俺は次に腹パンされてもその拳を弾き返せるような、強靭な肉体を作ることに決めた。


 そして俺の辛く険しい筋トレ生活が始まった。

 まずはクラスの変態眼鏡から購入した憎き後輩ちゃんの隠し撮り写真を部屋の壁に杭で打ち付け怨念を込めた。それから今度は……(非常に長ったらしくネチネチしているので割愛)。


「せんぱい、女の子に殴られて醜態を晒したのがそんなにショックだったんですか?」

「ば、ちげえよ! ぜんっぜんちげえ! ちっと身体鍛えようと思ってたのが重なっただけだ!」


「え~ほんとですか~?」

「ほんとだっつの……」


 悔しがっていたのもつかの間、ニシシと生意気に笑う後輩ちゃんに嘆息が漏れる。

 

「えいっ。えいっ。とりゃ。しねぇー!」


 ドカドカと人の腹を殴ってくる後輩ちゃん。じゃれている様な微笑ましいものかと思いきや、最後だけ少し殺意を感じた。

 しかし俺の腹筋はもうヤワじゃない。

 肉体はいくらでも強くなれる。いくら頑張っても鍛えられないのは脆く崩れやすガラスのハート、それだけなのだ。


 ひと悶着を終えると、俺たちは順番待ちすべく屋台近くのベンチに腰かけた。


「せんぱい、ちょっと寒くないですか」

「まあ11月の深夜だしな」


 人が多いため実際の温度よりは暖かく感じるのだろうが、それでも初冬の夜風は肌寒く流れている。


「もうちょっと近づきましょうか」

「ああ? イヤだよばっちい」

「ばっちくありませんー」


 後輩ちゃんはムキになった様子でズイっと身体を寄せて軽く抱き着いてくる。ばっちいって、さっきキミも先輩に言い放ったんだよ。覚えていますか?


「ほら、あったかい」

「そりゃ少しは温かいけどさあ」


 なんというか、居心地が悪い。

 陰キャの習性としては無意識的に身体を仰け反らせて驚異の脱出劇を見せたくなる。人との距離感に苦しむ生き物なのです、我々は。


「こんなことしてると、恋人に見えるんですかね。私たちでも」


 後輩ちゃんはさほど興味もなさそうに口を開く。


「はあ? 見えんだろ。せいぜい兄妹? それか順当に先輩後輩。俺はいつだって後輩ちゃんの保護者ですことよ」

「フンっ(腹パン)」

「効かん」

「むぅ……この近距離からでも効かないんですか。ダメすぎるせんぱいでも成長できるってほんとなんですね。エッセイとか書けば全人類の希望になり得ますよ」

「後輩ちゃんの中の俺の評価が知りたいわ……」

「私が今まで出会った生命体の中で最下位です」

「わあすごぉい……」


 そこらのアリさんにも負けているなんて。いや分かるよ、働きアリさん勤勉だもんね。それに比べて俺は毎日無為に時間を費やす堕落した学校生活を送っているだけである。なんだ妥当か。


「まあでも、暖にはなるので。そう捨てたものでもないですよ?」

「カイロ手に入ったら捨てられますね分かります」


 所詮俺は平均体温がちょっと高めで温くて冷え性でもないことが取り得な男ですよ。


「お次、45番の方、どうぞー」


「あ、俺たちだ」

「やっとですかっ。あったかいラーメンが待っているのでもうせんぱいポイーっと」

「ええー……まあいいけど」


 ラーメンなら仕方ないな。ラーメン温かいもんな。美味いもんな。ダサくねえよバカ野郎。一生忘れねえからなその言葉。

 駆け足で屋台へ向かう後輩ちゃんを追って、俺もベンチを後にした。


 実際、暖簾を跨ぐとそこはまたもう一つの別世界だった。

 すぐ目先で調理しているため、もはや熱いほどだ。俺の存在価値がないのも頷ける。むしろ近くにいたら邪魔かもしれん。


「おおー」


 パフォーマンスというわけでもなく、ただ一心にラーメンを作る店主。その姿はまさに熟練した職人のそれで、見惚れるほどに格好いい。

 ラーメンのメニューは自身の現れのように、中華そばただひとつ。後はドリンクや一品モノのサイドメニューがいくつかあるのみだ。


 調理を眺めていると程なくして、ラーメンが着丼した。

 

 まず目に留まるのはキラキラと輝くように鮮やかな醤油スープ。トッピングはシンプルにネギ、メンマ、大判のチャーシュー。そして細めのツルツルとした麺が顔を覗かせている。


「びゅーちふる……」


 いや、もはやエロチック。芸術の域に達する様な至高の一品はその艶やかさからエロスさえも感じるものだ。


「せんぱいってハーフの人でしたっけ?」

「あ?」


 俺の発音があまりにネイティブすぎて関心しちゃったかな?


「バカとアホのハーフでしたっけ」

「……それ、俺の両親バカにしてるみたいだからやめようね」

「はっ!? そうですよねごめんなさい! せんぱいがバカでアホなのは怠惰でどうしようもないせんぱい自身の責任ですもんねすみません!」

「…………そ、そうね。そういうことね。…………殴っていい?」

「ベリベリのーてんきゅー!」


 両手バッテン。


「…………(ピキピキ)」


 ギリギリで拳を抑え込んだ。

 どうやら二人して英語は苦手らしい。

 バカなやり取りをしていると、突如卓上に一人前の餃子が置かれた。


「ほれ、あんま喧嘩しなさんなよ」

「へ? あ、はいすんません……」


 騒がしくしすぎたか。


「あ、あのこれ、私たち注文してません……よね?」


 言いながら、後輩ちゃんが少し自信なさげにこちらを見たので俺も頷いて同意を示した。


「サービスだよ」

「え」

「サービス。うちの餃子はうめえぞー?」

「あ、ありがとうございます……?」

「若え子が来るのは珍しいからな。美味しく食ってくんな」


 店主はにかッと人の良さそうな笑みを見せる。ラーメンを作ってるときの凛々しさとはまるで別人だ。


「あ、餃子はちゃんと二人で分け合うんだぞ?」

「え、あ、はいそうっすね」

「そうしねえと、ニンニク臭くてキスできなくなっちまうからな?」


「キッ……は、はあ!? い、いや俺たちは……ってもういねえし……」


 ガッハッハと笑って店主は厨房へ戻ってしまった。 

 後輩ちゃんはなぜか表情を隠すように俯いていたが、その耳は真っ赤だ。


 意外と見られてんじゃん。

 恋人。

 まあ、全くもっての誤解で、あり得ないのだが。


 気を取り直して、俺たちはラーメンと向き合う。

 早く食べないと伸びてしまうし、ラーメンに失礼だ。


 俺たちはほぼ同時に、伝説と謳われる至高のラーメンを啜った。


「こ、これは……!」


 キュピーン! テレレレッテッテッテー!


 ラーメンを食べ終えると、俺と後輩ちゃんは早めに帰途についていた。

 後輩ちゃんはもう暗闇を怖がる様子も薄れて、機嫌よさげに歩いている。


「ラーメン美味しかったですね~せんぱ~い」


「だな。煮干しベースの芳醇な香りを纏うスープはキリっとかえしが効いていて味覚に強烈なインパクトを残しつつも癖がなくて無限に飲めてしまうし、仕上げに散りばめられたネギ油がこれまた宝石のようにキラキラと美しく、風味のアクセントになっていて、具材についてはシンプルながらも全てが高クオリティにまとまっており、そして何よりも深夜のラーメンという絶対にしてはならない背徳感がより食欲を掻き立てることに役立ち通常の何倍もの――――」


「せんぱい長い、キモい。もっと簡潔に」

「深夜に食べる伝説のラーメン美味すぎぃ!!!!」

「美味すぎ~! いえーい!」

「いえあー!」


 おっと。いかんいかん。

 テンションが上がりすぎて後輩ちゃんとハイタッチしてしまった。

 しかしそうなるのも仕方ないと思えるほどに、衝撃の美味さだった。


「はぁ~、でもさすがにお腹いっぱいですよ~食べすぎ~」

「そりゃおま、五杯も食えばな……。毎度毎度食いすぎなんだよ……」


 何を隠そうこの後輩、大飯食らいである。


「え~? 女子はこれくらいがふつうですよ、ふつー。前から思ってましたけど、せんぱいってあんまり食べませんよね。それとも男の人はみんなそうなんですか? たくさん食べられなくてかわいそう」

「そうやって自分が異常じゃないみたいに話を進めていくのやめよう? 自分でもよく分かってるよね? じゃなきゃこうしてないよね?」


 知り合ってから彼女はよくよく、それこそ毎日のように俺をメシに誘う。

 学園にたくさんいるであろうお友達ではなく、何を思われたってどうでもいい便利な陰キャオタクの俺を、だ。

 それこそが、彼女が自分の大食いを自覚している証明になる。


「え~そうですか~?」


 後輩ちゃんは惚けたように笑う。


「それだけじゃないって思いますよ」

「あん?」

「私が、せんぱいだけをご飯に誘っちゃう理由」

「なんだよ」

「ふふっ」


 一歩距離を詰めてきた後輩ちゃんは上目遣いにこちらを見つめてくるが、俺は必死こいて身体を仰け反らせる。

 男女が向かい合ったこの姿勢。ラーメン屋の店主の言葉が自然と脳裏にチラついてしまう。


「だって、美味しいですもん。せんぱいと食べるご飯」


 にへらと口元を緩める後輩ちゃんの頬は、ラーメン屋での興奮が冷めないのか少しだけ上気していた。


「私最近、せんぱいと食べるご飯がいちばん美味しいかも」

「…………さいですか」

「はい♪」


 満面の笑み。

 一瞬だけでも場違いなことを考えそうになった自分がバカらしくて仕方がないくらいには、純粋な微笑みだ。


 それから後輩ちゃんはぴょんと跳ね退くと、早口にまくしたてる。


「ほらほら、せんぱい相手なら裸でレスリングするくらいのノリで爆散会話できますからね~。もう天丼親子丼どんとこいって感じでっ、カツ丼でっ」

「……ちょっと情報量多くてせんぱいよくわかんない」

「すみません知性があふれ出ちゃってて」

「あ、そう……」


 もうどうでもいいわ。

 要するに、それくらいに都合がいい相手ということだ。それはきっと、俺にとっても同じことなのだろう。


「ところでなんですけど、せんぱい」


 帰路も半分以上を過ぎ、まもなく互いの家に帰るため別れようかと言う頃。珍しく言いにくそうに口元をもにゅもにゅさせながら後輩ちゃんが口を開いた。


「こ、ここで後輩ちゃんマル秘じょうほーう!」

「お、おう、……なんだよ。嫌な予感しかしないから聞きたくないんだが」


「後輩ちゃん、なんとこのままでは進級が危ういとのこと」

「はあ」


 いや、え……?


「はあ!?」

 

 留年ってこと!?

 どの口で知性が溢れてるとか言ってんですか!? バカなの!? アホなの!? いつもバカでアホだったわ!


 後輩ちゃんはウルウルとわざとらしく涙目を浮かべる。


「どうしようこのままじゃ来年せんぱいと同じクラスになれなくなっちゃう……!」

「ナチュラルに俺を留年させるのやめような。危機に瀕しているのはおまえだからな」

「せんぱいが留年……しない……っ!?」

「残念ながらせんぱいの成績は上の下。おまえが普段からバカにしているせんぱいは陰キャでオタクだが、優等生の皮を被るのが得意だ」

「なんと……!」


 後輩ちゃんの瞳が煌めく。それはもう、新しい玩具を前にした子供のように。

 

「そんなバカでアホだけど、優等生なせんぱいにご相談があります!」


 えぇ……もうヤダお家帰る……。



 ◇



 ということで、一人暮らしのお家に帰ってきた。


「せんぱいコートどこー?」

「あー、そこらへん掛けとけ、そこらへん」


 もれなく後輩ちゃんが付いてきたことだけは、誠に遺憾である。

 なんで後輩お持ち帰りしてんだよこんなことなら夜食の餃子お持ち帰りしたかったよ。

 夢のような深夜メシの後にとんでもないイベントが待っていたものである。


「さてやるぞ。はよやるぞ。今すぐやるぞ。俺は早く寝たいんだ」


 俺は普段しまっているちゃぶ台を引っ張り出して、バンバンと叩く。


 後輩ちゃんを家に連れてきた理由としてはこうだ。

 先日、留年したくなければこれから課される宿題は必ず提出日に出すこと、と担任教師にたっぷり釘を刺された後輩ちゃん。

 それから日は巡り、明日が(すでに今日になろうとしているが)その課題の提出日であるのだが、案の定、全く手を付けていないらしい。

 そうして優秀なことこの上ない先輩にヘルプを求めるに至ったわけである。


 この後輩、よくも余裕な顔してラーメン5杯も食ってられたな……。


「私は寝ないから、はやく終わったとしてもそこからはパーティナイトですよ? 私ゲームやりたいです。シュワッチ」

「いや帰れよ」

「今から帰って寝たら寝坊しちゃうじゃないですか」


 皮被り陰キャ優等生の俺は一日くらいの遅刻どうってことないんですが……聞いてくれませんよねそうですよね。


「まあなんにしてもさっさとやるぞ。それだけ言っといて課題終わる前におまえが潰れたらぶん殴るからな」

「ダイジョーブです! 私、自分のベッドじゃないと寝れないので!」

「変なとこで潔癖なやつ……」


 そうして始まった勉強会。


 だったのだが――――1時間後。


「すぅすぅ……」

「いや、フラグ回収速すぎない……?」


 ペンを持ったまま、ちゃぶ台のノートを枕に気持ちよさそうな寝息を立てる後輩ちゃんが君臨していた。


 何が自分のベットじゃないとだ? ちょー熟睡ですけど?


 今度こそ本気でぶん殴る。または頬っぺたを思いきりつねる。そして頭を無限にグリグリしてやる。


「むにゅ……せんぱぁい……ラーメン……また行きましょうねぇ……むにゃむにゃ……」

「……寝言かよ」


 殺気につられて起きたことを期待したが、未だその瞳は開く様子を見せない。

 その上、舌ったらずな寝言に毒気を抜かれてしまった。


「ったく……あークソ、仕方ねえなぁ……」


 呟くと、俺はそっと後輩ちゃんの身体を抱き上げる。想像よりもずっと軽くて華奢な身体は簡単に持ち上がった。

 静かにゆっくりと、起こさないようにベッドへ運び、布団をかけてやる。


「えへぇ……」 


 なにわろとんねん。

 なんとなく頬を数回突いてやって、俺は再びちゃぶ台に腰を下ろす。


「さて、やりますか……」


 甘やかすつもりもないが、先輩として後輩が留年するのは忍びない。

 だから、今回だけだ。次からは、もっと時間をかけてしごいてやる。

 俺はペンを取って、1年前に学んだ問題たちに挑み始めた――――。



「あれ……? せんぱい……? 私、寝て……もう朝……?」

「……ようやく起きやがったか」


 しっかりと朝陽が昇ったころ、後輩ちゃんは目を覚ましたらしい。

 俺はその眼前へフンと投げやりにノートを差し出した。


「ほれ、これ」

「え……? せ、せんぱいもしかして私の宿題、やってくれたんですか……!?」

「さすがに筆跡は誤魔化せないから、解いてやっただけだけどな。だからさっさと写せ。死ぬ気で写せ。朝には無理でも、放課後くらいまでなら教師も待ってくれんだろ」


 ノートを後輩ちゃんの胸に押し込める。

 すると後輩ちゃんは大事そうにそのノートを抱きしめた。


「あ、ありがとうございます……せんぱい……! 今世紀最大のてんきゅーです……!」

「おう」


 もっともっと感謝してほしいものだ。いつもいつもいつも。まあ、言わないが。


「もう~せんぱいやっぱり私のことだいしゅきですね~、もうもうっ~」

「いやそれはねえわ。生意気だしお調子者だしバカだしアホだし敬意が足りてないし」


 可愛くもないし。


「でも、心配してくれたんですよね?」

「……あ……?」

「ふふっ。だから私も、そんなせんぱいしゅきしゅき~」


 にししと白い歯を見せて笑う後輩ちゃん。

 それはやっぱり、時に純粋に過ぎて、勘違いする必要などまったくなくて、それが俺に安心を与える。


「うっせえよ」

「あ、せんぱいまずは朝ごはん食べましょう、腹が減ってはなんとやら」

「マジでうっせえよこの寄生虫が!」

「な、なんですか寄生虫って! めっちゃキモいじゃないですか! せめて金魚のフンくらいにしてあげてください!」

「ああうっせえうっせえマジうっせえ! 朝飯は用意すっから黙れよもう!」

「私目玉焼き10個で。お願いしまーす、せんぱい♪」


 こうして、後輩ちゃんとの長い一日が終わった。いや、地続きに、どこまでも繋がっているらしい。


 ところで、こんな話を誰もが一度は耳にしたことがある。あるいは、実際にその身をもって知っている人も多いかと思う。


『誰かと一緒に食べるメシは美味い』


 ひとりでいることが多かった俺にとって、それは世迷言のひとつのようなものだった。ひとりでだって、当然だが美味いメシは美味い。


 だけど、もう知っている。

 それがどんなに楽しいことで、嬉しいことで、食事のとびきりなスパイスになるのかを。毎日のように気の合う誰かと、もしくは家族や、大切な人と一緒に食事できることが、どんなに幸福なことなのかを。


 もしかしたらそんな何気ないことが、この世界で1番の奇跡なのかもしれない。


 だから、俺がこの生意気にすぎる後輩のお誘いを断れないのも、けっこうホイホイと付いていってしまうのも、仕方ないのだ。


 俺はもう決して、その味を忘れられないのだから。



 ◇



 後日。

 これは余談だが、課題の提出日は深夜の罪を犯したあの翌日ではなかったらしい。

 後輩ちゃんが勘違いしていたのだ。

 ぶっ殺すぞ、マジで。


「てへぺろりん♪」

「ぜんぶ台無しだよバカ野郎!」

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