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そこにあるのは、ただ大きいだけで何の面白みもない、真っ白な建造物だった。
サラマティスタン第二空港という名称が付けられているその施設の中は、午前八時という早い時間帯ということもあって、人影がまばらであった。
「……」
そんなすいている空港の中を一人の青年が早足で歩いていた。
少女のような細い手足を持つ、肉体労働に全く向いていなさそうな体付きをしたその黒髪の青年の名は、ハノトキヤ。サラマティスタンの隣国アウフルの正規の軍隊、政府軍に所属しているJD技師である。
普段は動きやすい軍支給のトレーニングウェアや作業着を着ていることが多いトキヤだったが今日はいつもとは全く違う格好をしていた。
二十四時間営業の衣料品店で入手した、リネンの半袖シャツと黒のデニムパンツに革靴といった二十歳の若者らしい格好をしたトキヤは、チェックインカウンターで搭乗手続きを済ませ、同行者達と共にセキュリティチェックに向かおうとしていたが、あることに気づき、一人で空港の出入り口近くへと戻ってきていた。
トキヤが何故、そんな行動をしているのか、その理由は。
「……」
空港のエントランスに、此処にいる筈のない二人の女性型JDがいることに気づいたからである。
「――――」
「――――」
トキヤの眼前には今、どこか狐を連想させる美しい顔を持ち、金の装飾が施された黒いマントで身体を隠す長身のJDが二人いた。
その二人のJDの身体を構成するパーツは全て同じものであり、格好も全く同じであるその二人を見分けることは普通は不可能なのだが……。
「……」
ほんの数時間とはいえ、二人と一緒に行動したトキヤが、JDである二人の違いを把握していないわけがなく、瞬時に二人を見分けたトキヤは、次に何故、二人がここにいるのかを考えた。
「……」
そして、おそらく、こいつの意思でここにいるんだな。と、当たりをつけたトキヤは、二人のJDのうち、トキヤを見ながらコンコンと困ったように笑っているJDではなく、トキヤが近づいても身体も視線も一切動かさずにいるJDを見つめた。
「――――」
すると、トキヤに注視されていることに気づいたそのJDは。
「――――何か問題でも」
トキヤを見ることなく、冷たい声でトキヤにそう言い放った。
「……」
百七十五センチの自分よりも十センチ近く背の高い、長身のJDから発せられた言葉を聞いたトキヤは。
「……それはこっちの台詞だぞ、JU」
呆れたように溜息を吐いてから、そのJDの名を呼んだ。
どこか狐を連想させる雰囲気を持つこの二人のJDは、前の戦いの援軍として送られてきたものの、その戦闘に間に合わなかった三人のJDのうちの二人である。
この二人はトキヤ達を隣国の空港にまで無事に送り届けるようにという指示を受けており、この空港の駐車場に到着した時点で二人はその任務を果たしたはずなのだが、どういうわけか二人がまだ空港に留まっていたため、トキヤはその理由をこのJD、JUに尋ねた。
「俺の記憶が確かなら、お前達の護衛任務はこの空港に俺達を送り届けるまでだった筈だ。それなのに、何でまだここにいる? お前達は俺達の護衛以外にもこの国で幾つかの任務をこなさなければいけないはずだろ。……もしかして、何か問題が起きたのか?」
「特には。ただ――――虫の知らせが」
「……嫌な予感がした、か。そういうのは大抵、周囲の状況を今までの経験と重ね合わせて、これから何か起きるんじゃないかと無意識のうちに警戒している状態になっている時に感じるものだが……、JU、お前は昔、今のこの空港みたいにガラガラの巨大な施設でとんでもないトラブルに巻き込まれたことがあったんじゃないか?」
「――――」
「その顔を見る限り、思い当たる節があるようだな。ああ、別に無理に言わなくていいからな。俺が今言いたいのは――――少し、気にしすぎだ。ということだけだ。道中はともかく、隣国にあるこの空港を反政府軍が襲うということは、今はまだ考えにくい」
だから、お前達は俺達のことは気にせず、次の任務に行くんだ。心配してくれてありがとな。と、トキヤが、表情が乏しく口数も少ないが心の優しいJDであるJUに感謝の言葉を送ると、JUは表情一つ変えずに。
「――――武運長久を」
トキヤの旅の安全を祈る言葉を声に出し、空港のエントランスから出て行った。
「……」
そして、トキヤの身を案じながらも、トキヤに一切視線を向けることなく外に出た、だいぶ不器用なJDであるJUの後ろ姿をトキヤが心配そうに見つめていると。
「コン、コン」
無防備な背中を優しく叩かれ、トキヤは少し驚きながらも後ろを振り向き。
「トキヤちゃん、ありがとうね。JUちゃんったら、他にもお仕事があるっていうのに、嫌な予感がするから此処を動かないって言い張っちゃって、お母さん、困ってたのよ」
JUと全く同じ顔で、JUとは全く違う柔和な笑顔を浮かべるJDと向き合った。
「いや、礼を言われるほどのことじゃないさ。……ああ、そういえば、俺がまだ礼を言っていなかったなMP。アイリスの服選び手伝ってくれてありがとな。今、あいつが本調子じゃないからだいぶ助かった」
「あらまあ、それこそお礼を言われるようなことじゃありませんよ。久しぶりに女の子のお洋服を選べて、お母さん、とっても楽しかったんですから」
そして、コンココンと、口に手を当てて穏やかな笑みを零すJD、MPを見てトキヤは、他者とちゃんとコミュニケーションが取れるこいつが一緒にいればJUも大丈夫だろうと、勝手に背負い込みそうになっていた不安を下ろしてから、MPに別れの挨拶をするために口を開いた。
「それじゃあ、俺はもう行くから。シュルトさんによろしく言っておいてくれ、MP」
そして、MPに別れの挨拶を済ませたトキヤは、今度こそセキュリティチェックに向かおうとしたが。
「あ、トキヤちゃん。せっかくですから、ちょっとだけお母さんからの忠告を聞いていってください」
トキヤが足を動かす前に、真面目な顔をしたMPがトキヤを呼び止め。
「――――その顔、あまり、よくありませんよ」
MPは、そんなよくわからない言葉を口にした。
「……顔がよくない? いや、そう言われても整形とかをする気はないんだが……」
「あらまあ、トキヤちゃんって時々天然さんになるのね。そういう意味じゃないですからね。トキヤちゃんはお母さんから見ても十分にイケメンですよー。コンコン。今の話は、単純にトキヤちゃんの表情がいただけないということです」
「……俺の表情?」
「ええ、トキヤちゃんが大変なのはお母さんもわかってますけど、トキヤちゃんはこの旅のリーダーですからね。リーダーであるトキヤちゃんが暗い顔をしていると、みーんな暗くなってしまいます。笑顔は無理でも元気そうな顔を作ってからあの娘達のところに戻った方が良いですよ」
以上、みんなのお母さんからの忠告でした。コンコン。と、トキヤにちょっとしたアドバイスをしたMPは、手でつくった狐をお辞儀させながらトキヤから離れ。
「それじゃあ、トキヤちゃん。次は首都でお会いしましょうね」
ご主人様達と一緒に待ってますからー。と、手でつくった狐をぶんぶんと振りながら空港を出て行ったMPにトキヤは手を振ってから。
「……顔、か」
MPの忠告を聞き、トキヤは旅の同行者達のもとへ戻る前に、自分の顔を確認しようと考え、デバイスを操作し、自分の顔をデバイスに映し出した。
そして。
「……」
自分の顔を見たトキヤは、これはひどいな、と辟易した。
当たり前のようにあるクマや目の充血はともかく、トキヤの今の顔には徹底的に――――生気がなかった。
これまでのことを振り返れば、トキヤが生気のない顔をしていても納得できるし、誰もトキヤを強く責めることはできないだろう。
だが、このままではいけない、こんな顔では仲間を不安にさせるだけだ。と他の誰でもないトキヤ自身が考え、トキヤは自分の頬を叩き、気合いを入れた後。
「……」
トキヤはデバイスを操作し、ある画像を映し出した。
「……」
その画像は一月ほど前、ちょっとした理由で急遽開催されることになった花火大会の様子を撮ったものだった。
一人のJDが、トキヤ! 撮って、撮って! と騒ぐからトキヤが仕方なく撮ったその画像の中心には、トキヤに撮影をお願いした、そのJDが映っていた。
両手に手持ち花火を持ち、とても楽しそうに笑っている金髪碧眼のそのJDの名前は、サン。前の戦いで敵JDアゲートに破壊された、トキヤの大切な仲間である。
「……」
そんなサンの今は失われている笑顔を暫く見つめた後、トキヤはデバイスを仕舞い、前を向いた。
「――――」
その瞳に太陽のように力強い意思を宿して。
「……俺は俺のやるべきことをやる。だから、サン、お前も頑張ってくれ」
そしてトキヤは、次に砂の大地を踏むときは、画像ではないサンの笑顔が見られることを信じて足を動かし。
「――――」
共に日本へと向かう二人の同行者が待つ、搭乗待合室へと向かった。