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「――――ふわあ」
車の助手席に座って流れる景色をぼんやりと眺めていたトキヤが大欠伸をすると、運転席でハンドルを握っていたバルがやれやれと肩をすくめた。
「技術屋さん、ちゃんと眠らなかったんですか? まったく、技術屋さんったら一人なのをいいことに、夜のホテルでいったい何をしてたんでしょうねー?」
「……これでも、ちゃんと寝たんだがな」
三時間も眠れたから逆に眠気が出てしまったのだろうか。というようなことを考えながら少し強めの睡魔と戦うために目を擦るトキヤの姿を見たバルは、穏やかな微笑みを浮かべた。
「技術屋さん、眠かったら寝ててもいいんですよー? 運転はバルが……してるわけではないですけど、このレンタカーの自動運転をしっかり見張っておきますから」
「いや、そんなに距離が離れているわけでもないからな。このまま起きてるさ」
「あ、じゃあ、トキヤくん、アメでも舐める?」
そして、バルと話している最中に後部座席にいるアイリスに、飴でも食べる? と声を掛けられたトキヤは、眠気覚ましに丁度良いと考え、アイリスから飴を貰うことにした。
「ああ、悪いが一つ貰えるか?」
「うん。はい、トキヤくん。あーん」
そして、トキヤが身体を少し捻って後部座席の方を向いた途端にアイリスが口の中に飴を入れようとしてきたので、トキヤは慌てて口を開き、口の中にハッカなどのハーブの味が広がるものだと想像していたトキヤは。
「……ん?」
優しい甘さが口いっぱいに広がったことに少し困惑した。
「……これ、べっこう飴か?」
「あ、うん。そういう名前みたいだね。昨日、ホテルを散策してる時にお土産屋さんで見つけて買っちゃったんだ」
凄く綺麗だったから。と言ってアイリスは個包装の飴玉を幾つかポケットから取り出し、トキヤに見せた。
「……懐かしいな」
そして、その黄金色の飴玉を少しの間眺めた後、トキヤはアイリスに礼を言ってから捻っていた身体を元に戻し、再び窓の外の景色を見つめ。
……あいつ、大人しくしてられるかな。
家に残してきた子供を心配するように、一人のJDのことを思った。
トキヤは今、ある人物との会談を行うために車で移動していた。
その車に乗車しているのはトキヤ、バル、アイリスの三名だけで昨夜トキヤが出会ったJD、モルガンの姿はない。
正体不明の戦闘用JDであるモルガンのことをバルとアイリスに朝の短い時間だけで説明するのは不可能であったし、そもそもモルガンはこの任務とは何の関係もなかったため、トキヤはモルガンをホテルの自分の部屋で留守番させることにしたのだ。
――――昼過ぎには帰ってくる。それからいっぱい話そう。
そう言ってトキヤは部屋を後にしたのだが、その際にモルガンから文句の一つや二つは飛んでくるものと覚悟していたのだが……。
……返ってきた言葉が、『お仕事、頑張ってきてね。おにーさん』……だからな。正直、素直すぎて逆に不気味だった。
自分が眠る前と比べると二段階ぐらい信頼度が上がっているモルガンの眼差しを思い出し、もしかして俺、眠っている間に何かやっちゃったのだろうか……? と、トキヤが頭をヘッドレストにのせて悩んでいると。
……ん?
トキヤはルームミラーに映るアイリスが探し物をするように足元や横の座席に手を伸ばしている姿を目にした。
「どうした、アイリス。何か落としたのか?」
「え? あ、ううん。そういうわけじゃないんだけど、ただ、本当に無いんだなーって、ちょっと再確認してたの」
「無い? 何が無いんだ?」
「えっと、その、武器が無いなーって……」
「……武器?」
トキヤは一瞬、アイリスが武器の有無を気にする理由が本当にわからなかったが。
……ああ、そうか。
アイリスが経験した前回の会談のことを思い出したトキヤは、アイリスの行動に納得し、アイリスを安心させるためにも今日の会談についての説明をすることにした。
「安心しろ、アイリス。今日の会談は身を守る必要のない普通の会談だ。今回の相手には、将来の夢は世界征服です。と、恥じらうことなく言い切る馬鹿な子供はいないし、初対面の女の子が急に噛み付いてきて、手が血まみれになることもない。後、過保護が過ぎる最強のJDが俺を殺そうと追ってくることもない」
本当にごくごく普通の会談だぞ。と、トキヤはアイリスに今日の会談について説明したが、最初に体験した会談があまりにも刺激的過ぎたが故に普通の基準が自分の中で確立していなかったアイリスは、小さくうなった。
「うーん……。……普通の会談って、シオンちゃんが壁をぶち破って、敵JDに牽制をかける必要もないぐらいに安全な感じなのかな?」
「……それはかなり極端な例な気もするが、まあ、そのぐらい安全な感じだ。今回会うのはブルーレースのような危険な存在じゃなく、偏屈なじいさんだからな」
本当に安心安全だぞ。と言ってトキヤは未だに納得しきれていないアイリスを安心させようと話し続けていたが。
「技術屋さん」
運転席から聞こえてきたバルの真剣な声音を耳にしたトキヤは、半ば無意識のうちにそちらに視線を向けた。
「今日の会談は、おそらく技術屋さんの言うとおり、それ程気を張るようなものではないとは思うんですけど、もし話せるようでしたら誰と会って何を話すかを教えて貰えませんか?」
護衛としてある程度のことは把握しておきたいんです。と、真面目な顔をしたバルに言われたトキヤは、この国に来てから色々なことがありすぎて、まだ詳しく話せていなかった今日の会談について二人に話すことにした。
「俺達が今向かっているのは産業用ロボットの博物館で、俺達が会うのはそこで館長をやっている、じいさ……齋健造博士だ」
「サイ、ケンゾウ博士……?」
「……まあ、向かう場所からして想像はできていましたけど、これはまた、とんでもない大物が出てきましたね」
「え? バルちゃんはその人のこと知ってるの?」
「ええ、これでも一応、JDですからね。JDの生みの親の名前ぐらいは知識として持っています」
「JDの生みの親……。JDのってことは、バルちゃんの身体を作ったんじゃなくて……」
「JDそのものを造った人物ということになりますね。もっとも、一人でJDを造れるわけがありませんから、何百、何千といた開発者の中の一人ということになるのでしょうけど……」
齋博士は主要メンバーだった筈です。と、呟いたバルは真剣な表情を崩さずにトキヤを見つめ。
「……バルが昔見た偉人紹介の番組では、齋博士は今から二十年ほど前に第一線から退き、博物館の館長をやりながら余生をのんびり過ごされているということでしたが……」
バル達が行くということは、そうではないということなんですか? と、バルがトキヤに視線で問いかけると、トキヤは首を小さく横に振ってバルの推測を否定した。
「いや、その情報は本当だ。あのじいさんは日本の僻地で趣味に没頭しているだけの道楽じいさんだよ。それで、空いた時間で、小生意気なガキにJD技師としてやってけるだけの技術を叩き込んでくれたり、食うに困らないようにと特許の取り方や金儲けの方法を教えてくれたりもした変わり者のじいさんでもある」
「あ、トキヤくん、もしかして、その小生意気な子供って……」
「……まあ、そこら辺は想像に任せる」
ガキの頃の話なんて自分からはしたくないからな。と心の中で呟いてからトキヤは今日の会談についての説明を続けた。
「俺に与えられた任務は、じいさん、齋健造博士に直接会いに行って、あるモノを渡し、返事を聞いてこいというだけのものだ。じいさんと何か特別な交渉をすることもない、只のお使いだな」
「……技術屋さん。齋博士に渡す予定のモノは今、どこに?」
「あの国を出る前からずっと俺が持っている。……護衛に見せるなとは言われてないから一応見せておこうか?」
「それは……微妙ですね。技術屋さんがそれを危険なモノだと思っているのなら、見ておきますけど、そうじゃないなら見ない方がいい気がします」
バルもアイリスも。と、齋博士に渡すモノを自分達は見るべきではないと判断したバルの考えにトキヤが頷くと同時に、木々に囲まれていた視界が開け――――
「……着いたか」
トキヤ達は目的地に到着した。
車が一台も止まっていないガラガラの駐車場に到着したトキヤ達は、車が自動で駐車した後に車から降りた。
「……」
そして、少し離れた場所にある博物館を眺めながら、トキヤが腰を伸ばしていると。
「おっきな建物に、車が全然とまってない駐車場……」
なんか、デジャブかも……。と、呟くアイリスの姿が目に入り、確かに此処は反政府軍と会談をした場所と雰囲気が似ているかもしれないと考えたトキヤは、アイリスをリラックスさせるために軽い口調で話しかけた。
「はは。そう警戒しなくて良いぞ、アイリス。ここにはジャスパーもブルーレースもいないからな。ここにいるのは――――」
そして、トキヤは。
「偏屈なじいさんだけ。――――とでもいうのかの」
ひどく、懐かしい声を聞いた。
「――――」
トキヤがその声に驚き振り返ると、そこには。
「……ふん」
悪人のような表情をした白衣を着た老人がいた。
その老人はボサボサの白髪頭ではあったが、ひげは生やしておらず、足腰もしっかりしていたため、実際の年齢よりも少し若く見えたが、顔の深い皺とお腹の出っ張りは年相応のものだった。
そして、トキヤと顔を合わせたその老人は顔に刻まれた皺をより一層深くし、にやりと笑った。
「やれやれ、互いの事情をよく知る者を使いに送ると聞いてはいたが、それがまさか、おぬしだとはの。これでは門前払いをすることもできぬな。……久しいな。我が弟子――――時矢よ」
「……じいさん」
そして、トキヤは数年ぶりに師である齋健造博士と再会し、その光景をアイリスとバルが黙って見つめていたが……。
――――二人、だけではなかった。
「――――」
その光景を見つめる者は、もう一人いたのだ。
「――――」
遙か遠く、博物館の展望台の更に上にある避雷針の先端に立つソレは、その光景を静かに見つめていた。
細い避雷針の上に立つその存在は人間ではなく、JDだった。
白無垢のような装備を身に纏うその女性型JDは、綿帽子を真似た頭部装備を深く被り、顔は口元しか見えていなかったが。
「――――」
女性型JDがポツリと何かを呟くと、頭部装備が外れ――――
銀の髪が揺れ、――――金の瞳が露わとなった。
「――――」
隠れていたそのJDの顔は、反政府軍に所属する最強のJD、ブルーレースと全く同じ顔をしていた。
その事実が意味することをトキヤ達は知っている。だが、齋博士に意識が集中していたトキヤ達はそのJDの存在に気づくことができなかった。
「――――」
そして、誰にも気づかれずにトキヤと齋博士の様子をそのJDは眺め続けていたが、暫くすると、そのJDはトキヤと齋博士から視線を外し。
「――――」
その金の瞳を――――一人のJDへと向けた。




